第2話 玄古家依代

 早々に散った桜並木を玄古家依代は歩いている。地面にはその花弁すら残っていない。名残さえなくなった道は寂しさよりも清々しさを感じさせた。


 あくびを嚙み殺し、イヨリは登校を急ぐ。


 学園まで継頼つぎよりとともにリムジンで乗り込む度胸はイヨリにはない。それにイヨリは度々継頼の影武者となっている。普段は『言われてみれば似ている』程度ではだが、一緒にいるところは見られないように避けているわけだ。


 それ以外でも目立たないようにと今日も今日とて登校中の生徒に紛れこむイヨリの肩をポンと誰かが叩いた。ばっと振り向くと肩に置いた手から伸ばしたひとさし指がイヨリの頬をつく。



「あっはっは! おうおう、にいちゃん。いいほっぺしてんねぇ」


「どんな挨拶だよ、お前……」


「いい挨拶でしょう? おはようイヨリ」



 呆れるイヨリに少女はカンラカンラと笑い、口の端から八重歯をのぞかせた。


 ブラウンの短髪にイヨリと同じほどある女子にしては高い身長。釣り目に高い鼻筋は一見クール系だが、内面は見ての通りフール系だ。


 そうイヨリは心の中で毒づく。肩に置かれた手をはらい、ため息を吐いた後、挨拶を返した。



「おはようマチ」


「ちょっとー、イヨリ。可愛い幼馴染の手を払いのけた上にため息だなんてー。傷ついたなー。傷ついちゃった。ひどいなー、うわーん」


「棒読みなんだよ。別に何とも思ってないくせに」


「いやいや、傷ついてるって。ほら見てよコレ」


「いや傷って……いや、どうした。その手首」



 マチの指差した左の手首には包帯が巻かれていた。気を抜いて話していたイヨリも場所が場所なだけにギョッとする。まさかマチに限ってそんなこと、とは思うものの実際大丈夫そうに見える人ほどなんて話はザラだ。


 ごくりと唾をのんだイヨリ。とても真剣な声色でマチは言った。



「昨日バスケで捻っちゃった」


「完全に別の怪我じゃねぇか!」



 これみよがしに見せてくる左手に、イヨリは反射的に平手でツッコミを入れる。結果ハイタッチの形になりパンと子気味良い音が鳴った。


 マチは身体を九の字に曲げ、悶絶する。



「痛ぁ!? ちょっとやめてよイヨリ! ほんとに捻ってるんだから!」


「あ、悪い。つい……平気か?」


「うう。傷物にされちゃった……責任取って?」


「いや、そこまではちょっと……」


「本当に嫌そう!! 何よ、この薄情者! 愛してるって言った癖に!」


「言ってない」


「そこは乗ってよー。ほら、言ってみ? アイラブー? さん、はい!」


「柏餅」


「こんにゃろ……」



 漫才じみたことをしているともう学園の門前まで来ていた。


 御綿波おわたなみ学園は名前にオワタが入っているなど若干ふざけているようなネーミングセンスだが、由緒正しい名門にして屈指の進学校である。入るだけで難しいのだが、イヨリの場合は最低ラインの学力と大御瀧家の従者という力があった。


 ……後者のほうがはるかに強い可能性は高いが、その事実にはイヨリは全力で目を逸らしている。


 同様に現在、目を逸らしたいことが一つ。コホンと咳をしてイヨリは口を開く。



「マチ、冗談はここまでにしておこう」



 周囲から視線が刺さっていた。お坊ちゃん、お嬢様だらけだからふざけていると目立つ……というわけではない。親の七光りで威張り散らす連中はいるし、スポーツの特待生で入る一般人も割といる。マチもその一人だ。


 ではなぜ目立つのか。


 お嬢様たちにはどうやらマチみたいなタイプはたいそうのだそうで。学園内では大人しくしているせいか、黙っていれば完璧なクール系のマチは王子様的な扱いになっているのだ。


 現に今も舌打ちや「あの庶民、マチさまと……」なんて怨嗟の声が聞こえてきていた。だというのにマチはまた火に油を注いだ。



「そうだね。でも覚えておいて。私の君への想いは本物だよ?」


「おいやめろ。こんな場所でそんな嘘つかれると俺の命が危ない」


「……本当なのにー」


「そういうこと言ってるとそのうち後ろから刺されるぞー」



 周りの視線から避けるようにマチを置いてイヨリは校舎に向かう。置いていかれたマチは唇を尖らせた。



「……本当なのに」


「ふざけちゃうのが良くないと思うぜー、マチちゃん」



 背後からの声の主に、マチはもの言いたげな目線を向けた。


 そこにいた男は容姿の整った男。髪こそ染めていないもののガチガチに髪をセットした彼はいわゆるチャラ男だ。道行く女子の視線を集めている彼、水桶 梨久みずおけ りくもまたイヨリとマチと幼馴染である。


 美男美女できゃあきゃあと周りがにわかに騒がしくなるが、気にせずにマチは不満をぶつけた。



「リク。こそこそ後ろで見てたなら助太刀して欲しかったんだけどな」


「いやあ、楽しそうにしてたもんだからさぁ。邪魔しちゃ悪いって考えたわけよ」


「うん、まぁそれはそうだね。うん」



 うげぇという舌を出すリクにマチはまた唇を尖らせる。露骨に不満を表されてリクは苦笑いした。



「んな怒るなって。マチには悪いけどさぁ、俺は今のイヨリはあんま好きじゃねぇのよ」


「はぁ。またそれかい? 人は変わるものだよ、リク」


「いや、思わないか? なんか昔に比べてさ、よそよそしいっていうか、他人行儀というか」


「なんかクールになったよね。ドSってやつかな。興奮する」


「うっわ……」


「なにさ」


「いっやあ、別に……」



 幼馴染の知りたくもない性癖を知ってしまったリクは天を仰ぐ。そして誰にともなく呟く。



「まぁ、あんなことがありゃ変わんのも仕方ないのかねぇ……」




 * * * * * *



 教室に向かう前にイヨリはトイレにいた。片手で口元を隠し、誰にも聞こえないほどの声量で呟く。



「あー……違う。違うな。俺……俺って、どういう感じだったっけ」



 その目はどこか虚ろだった。先ほどまでの気だるげに話す顔とはまた違う顔。口元に当てていた手を放し、ぐったりと頭を下げて脱力する。



「やっぱ駄目だな。やるか。教室で、感じのいい奴……は、こう」



 うつむいてた顔を上げる。


 顔を上げると、そこには口角を上げ、朗らかな微笑をする好青年の顔になる。


 うつむきがちだった姿勢はすっと伸び、すり足気味だった歩き方から落ち着きのある重心を後ろへと変えた歩き方へ。


 足音さえ違う足取りでイヨリは教室へ向かった。ドアに手をかけ、ガラガラとわざと音をたてながら教室に入れば「おはよう!」と誰相手でもなく、クラス全体に声を投げかける。


 するとほとんどから「おはよう」と笑顔で挨拶が返って来た。


 イヨリは自分の席に向かう。隣の席の相手にも「おはよう」と声をかけるが、返答はない。よく耳を澄ませば、ジャカジャカとイヤホンから微かに音が漏れている。


 机をコンコンと軽く叩くと、発色のいい炭のような味わいの黒髪の少女は顔を上げた。濡れたように艶のあるまつ毛が開くとその目でイヨリを見る。イヨリも目を合わせ、改めて声をかけた。



「おはよう、火焚ほたきさん」


「……おはよ」



 彼女、火焚 彩愛ほたき あやめはぴくりとも顔を動かさず、また机に突っ伏す。挨拶は返してくれたが、露骨にそっけない態度だった。イヨリはそれに対して嫌な顔などしない。


 優しいから?


 ――違う。イヨリはこの態度をよく思っていない。


 一声注意するほうがいいのでは?


 ――しない。人付き合いのうまい人とは不必要に相手に踏み込まないものだから。


 どうしてニコニコしているのか。


 だって笑って好かれる人はそういうものだから。


 イヨリは今、


 貼りつけの笑顔に、クラスのみんなが笑顔で返していた。ただ一人、隣の少女を除いて。


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流行る病の恋愛代行 蒼瀬矢森(あおせやもり) @cry_max

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