#06 戦作の桜美



大学四年生にもなると単位はほぼ取得していて、大学に行かずに済む人も多い。僕の場合、単位は足りているんだけど、大学に行かない生活だとなにをして良いのか分からなかったために、就活がない日は一人で大学の図書館で読書をしている。これを真面目というのかどうかは分からないが。



ただし、医学部はこの限りではない。六年間を掛けて医学を学ぶために、美桜さんはまだまだ時間が足りないと思う。僕のような暇人と違って、今日も講義を受けている。そのために夕方の四時にプライベートルームで待ち合わせの約束をしている。



四時一〇分前になったところで教職員の棟に向かい、エレベーターに乗り込んだ。



噂のプライベートルームの前ですでに美桜さんは待っていて、結構前に到着していたようだった。待たせるくらいならもっと早く来ればよかった。



「すみません。遅くなりました」

「ううん。わたしも今着いたところだよ。それとそろそろいい加減、敬語やめたらいいのに」

「いや、ブラック営業マンの癖で」



ブラウンのマーメイドスカートに白のサマーニットを着た美桜さんは今日も上品だ。深緑色の大きな瞳がいたずらっぽく輝く。僕の顔を覗き込んで「でも今は大学生だよ?」と言って笑った。



「ほら、入るよ〜〜」

「あ、待ってください」



おもわず「うお〜」と僕は声を上げてしまった。教職員の棟の外観からして、もっと昭和レトロな部屋なのかと想像していたけど、実際にはブランブランのモデルルームのような部屋だった。大きな窓からは東京の町並みが一望できるし、地上にいるときよりも空が大きく見えた。二人がけのソファやテーブル、カウンターテーブルのあるキッチン、それからトイレ、なんとお風呂まで備え付けられている。ちなみに、となりは寝室とウォークインクローゼットがあるらしい。



「えっと……ここ大学ですよね?」

「お父さんがね……大学に通うのがめんどくさいって言って作らせたらしいんだけど、さすがに古かったからわたしがリフォームしたの。どう?」

「どうって……」



父が父なら娘も娘だ。公私混同し放題ってやつじゃないか。ただ、そういう色眼鏡を外した率直な感想を述べると、控えめに言っても最高だと思う。一つ一つの調度品のチョイスから、余計な物を置かないインテリアの引き算まで完璧すぎる。



「あのさ」

「はい?」

「この部屋をリフォームしてから人を呼んだの、蒼井くんがはじめてなんだけど?」

「えっ!?」



いつもの医学部取り巻きメンバーは定期的にここで酒盛りをしているのかと思った。そうでもなければ美桜さんがここを使う理由がないと思う。まさか美桜さんまで大学通学が面倒なのか、それとも移動する時間が惜しいほど勉強をしているのか?



「正直に言うとね」

「はい」

「この部屋は蒼井くんと一緒に使おうと思って、夜な夜なリフォームしたの。って、工事はわたしじゃなくて業者がだけど」

「……は?」



ということは四月八日に僕と出会って一週間とちょっとで急ピッチに部屋を改造したのか。どれだけ金遣いが荒いんだ。そもそも僕と一緒に使うって、なんでそこまで僕のためにしてくれるのか混乱の極みで思考停止しそうなんだけど。



「冗談ですよね?」

「まさか。本気に決まってるでしょ」

「僕……もしかして自分が知らないだけで珍しい型の造血幹細胞ぞうけつかんんさいぼうとか持っていて、それで狙っているとか……?」

「あはは。わたしはいたって健康ですっ! 骨髄ドナーは必要としていないから安心して」



それにしてもソワソワする。どこに身を置いていいのかわからなくて挙動不審だと自覚しならがも壁側に移動して直立不動する。すると、美桜さんが「お茶いれるからソファにでも座ってて」と言うので両膝を揃えて腰掛けた。もちろん、両手を拳にして膝の上だ。背中の汗が流れ落ちて、手汗がひどい。口の中が妙に乾く。



「緊張しすぎ」

「だって、それは」



部屋はほのかに良い香りがするし、大学の一室だとしても、あの『美桜さん』の部屋にいることに違いないわけで、緊張しないほうがおかしい。



「蒼井くんってやっぱり面白いね」

「なにが面白いんですか?」

「人を脳出血の患者扱いしたり、今度は白血病の心配をしてみたり」

「だって美桜さんみたいな人が僕に良くしてくれるのはなんだか……僕の身体が目当てなんじゃないかって思っちゃって」

「身体が目当てか。う〜〜〜ん。じゃしよっか」



美桜さんは二人分のティーカップをそれぞれソーサーの上に乗せて、テーブルに置くと僕のとなりに腰を落とした。そして午後の日差しをたっぷりとたたえた瞳で僕の方に顔をせり出してくる。あれ、緊張して変なこと口走ったじゃないか!



「は、いや、身体が目当てってそういうことじゃなくてッ!!」

「じゃあ、どういうことなのかな〜〜?」



僕の頬をつんつんと指で刺すフリをして、さらに顔を近づけてくる。

いい香りがする、やばい。美桜さんは僕に触っていないのにオーラだけで脳が麻痺する。美桜さんは絶対にこの世の者ではない。きっとサキュバスかなにかだ。



だって、蠱惑的こわくてきすぎて、心臓が締め付けられて死ぬし。



「はい、そこまでッス」



突然部屋に入ってきたのはスーツ姿の女性だった。黒髪をポニーテールにしていて、目鼻立ちがしっかりしているハーフっぽい感じの子。パンツスタイルでかなりスタイルが良い。



「もう明日音あすねちゃん、ウソウソ。違うって」

「なにが違うんッスか。だいたい姫は遊びがすぎるッスよ」

「美桜さん、この方は……?」

「ごめんね。こちら白鷺明日音しらさぎあすねちゃん。わたしの専属の秘書兼親友」

「はじめましてッスね。あなたは蒼井春兎あおいはるとさんッスよね」

「はじめまして」

「事情は聞いてるッス。なので二人の行動を見守るッスから、覚悟してくださいよ?」



白鷺明日音さんは秘書兼美桜さんの身の回りのことをなんでも手伝い、支え、サポートをする役らしい。それに親友で美桜さんいわく、明日音さんはなんでもそつなくこなすエリート中のエリートで残念なところも多いんだけど頼れる存在なのだとか。



「ここで二人が浮気に走ったら、すべてが台無しッスからね?」

「だから、イヤだなぁ、冗談だって言ってるじゃない」

「そ、そうですよ。美桜さんは僕のことをからかって」



白鷺さんはジト目で僕を見ていて、おそらく信用されていない。それもそのはずで、僕が美桜さんに近づいた理由というのがまさかの未来の死を回避するため。第三者からしたらとてつもなく胡散臭うさんくさいものだから僕が信用されるはずがないのだ。



「それで早く本題に入って、蒼井さんを家に送り届けるッスよ」

「明日音ちゃんはせっかちなんだから」

「……せっかちもなにも蒼井さんに迷惑ッスよ? ほら、本題」

「わかったわよ」



僕が四葉莉愛よつばりあと付き合ったことで作戦の第一段階は完了。次は九頭見と莉愛を引き合わせて二人が(というか莉愛が)浮気をするかどうかを見届けることが第二段階だ。ただ、僕はそんなにうまくいくはずがないって思っている。考えてくれた美桜さんには悪いけど。



「就活生向けのパーティーを開催するんだけど、ゴールデンウィークが明けた次の土曜日の五月一三日の土曜日でどうかな?」

「僕は特に予定はないですけど」

「待つッス。それは蒼井さんの予定であって、一応、四葉莉愛に予定の確認をしたほうがいいッス」

「あ。そうか」



昨日のイタリアンレストランを出てから少しパーティーの話はしてあるけど、具体的な日取りの明言は避けた。実際に美桜さんに聞いていなかったし、僕自身も知らなかったからだ。それはこういうことか。



「もしかして、その就活生向けパーティーって、もともと予定されているんじゃなくて、莉愛と九頭見のために仕組むってことですか?」

「もちろんそうだよ。ただ、今回はサクラもかなり多く忍ばせるけど、実際のリアル就活生に告知はするつもり。参加企業も多く集めたいしね」



早速莉愛にメッセージを送る。電話をしたほうがいいんじゃないって美桜さんと白鷺さんに言われたけど、莉愛の声を聞きたくなかった。まだ莉愛を『引きずっている想い』と『浮気をされたトラウマ』がミックスされて、できればあまり関わりたくないのだ。



「重症じゃないッスか。いや、ウチもいろんな人見てきましたけど、蒼井さんって詐欺を働くような悪い人に見えないんッスよね」

「だから、蒼井くんは大丈夫って言ってるじゃん。明日音ちゃんはうたぐり深いよ?」

「姫はもっと警戒しなきゃダメッスよ?」



僕が莉愛に送るラインのメッセージを書いている後ろでなにやらやりあっているけど、僕の耳にしっかり入っているからね?



就活生向けパーティーの日程を入れて送信すると、ほどなくして既読がついた。



「莉愛は乗ってきますかね……」

「絶対に食いつくって。わたしの作戦は完璧だからね?」

「姫はそうやって自信過剰なところよくないッスよ?」

「だ、だって、”メルブライン家のご令嬢”もそう言ってたじゃん」

「……いいんッスか? 蒼井さんに聞こえちゃうッスよ?」

「あ……」



メルブライン家のご令嬢というのは、二〇二四年に流行ったアニメのヒロインで、原作はネット小説のラノベ。紙媒体になっても三百万部売れているという驚愕の作品だ。でも、美桜さんがその情報を知っているということは、少なからず興味があるわけで。



まあ、僕も大学四年時に原作とアニメをどっちもチェックするだけに飽き足らず、コミカライズもすべて読んだくらい好きだった。



でも、ここで僕が反応すると陰キャがバレてしまう(もうバレている可能性大)かもしれないから聞こえないフリをした。



「あ、莉愛から返信来ました。“予定大丈夫みたい”、だそうです」

「良かった。あとの段取りは明日音ちゃんに任せるとして」

「そう来ると思って、すでに連休明けの一三日の日程で開催通知は出しておいたッス。もし四葉莉愛が乗ってこなかったら作戦Bで引きずり出す計画なので問題なかったッスけどね」



その作戦Bとはいったい……。莉愛が大丈夫と言った今は実行されることはないのだろうけど。



「さっすがぁ〜〜〜仕事がはやいねっ!」

「もう四月の中旬ッスよ。普通に考えて一ヶ月を切っていて、連休明けの土曜日に大掛かりなイベントを開催するって言ったら企業側も学生側もかなり迷惑ッスよ?」

「……そうなの?」

「そうだと思います。土日が休みの会社は出席する社員の待遇も考えなくちゃいけないし、休みを移動するにしても営業職はすでにアポでガチガチの可能性もありますから。休日出勤するとなると手当を出さなくちゃいけなくなる上に、資料作成の手間が増えて残業も多くなります。第一、プライベートの予定がすでに入っている社員さんは泣きを見ますよ」

「へぇ。さすがブラック営業マンだねっ」

「茶化さないでください……」



なんとなく白鷺さんの方を見ると目が合って、やれやれと言わんばかりに白鷺さんはかぶりを振った。美桜さんの世話が焼けて、なかなか大変そうだな。



「あとは九頭見ね。待ってね」

「美桜さんいいんですか?」

「うん」



バッグからスマホを取り出した美桜さんは素早くフリップしていく。九頭見の連絡先を知っているようだった。



「秒で既読ついたね。大丈夫だって」

「美桜さんって九頭見と知り合いだったとは聞いていましたが、まさかラインのやりとりしてるんですね?」

「まあね。知り合いっていうか」

「僕は……九頭見が嫌いです」



九頭見物産に入社して、はじめは好きも嫌いもわからないくらいに関わりはなかったし、御曹司がどんなやつかなんて興味もなかった。しかし、同じ部署で働いていると嫌でも九頭見の性格がわかってしまった。



人の成果をすべて横取りして、他人にミスを押し付けて蹴落とす。同じチームのメンバーが残業していようと自分は颯爽さっそうと帰宅し、ついたあだ名は『定時上がりの貴公子』。しかもそんなヤツがチーフで、二年目には課長になるらしいとのことだった。



「蒼井くんの感情を否定はしないよ。でも、わたしはそういうわけにはいかないのよね」

「どういうことですか?」

「……わたしね」



——九頭見と付き合っているの。







ラビットの手記〈スケジュール帳から想起〉


九頭見と美桜の関係がわかった日。


もう心臓がバクバクして、倒れるかと思った笑。

本当に人が悪いよ。美桜の計画は僕のためだけど、美桜自身のためでもあったんだよな。



白鷺さんも実ははじめから全部知っていたのに、ひどいぞ?


しかし美桜の演技がすごい。やっぱり女の子って怖いよな。



2025年4月某日

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