#04 議会のりき人二



四葉莉愛よつばりあのことについては触れるつもりじゃなかったのに、浮気という言葉を発してしまった後、自分の失言に気づいた。



もう言い逃れできない。この際すべてを話してしまうしかない。それに僕も限界だった。だって、美桜さんは自分のほうが辛いはずなのに、僕の背中を擦ってくれるんだから女神かよって思う。優しい声で優しい仕草で、優しいまなざしで。



まるで胸の中のモヤモヤする部分を優しく触れられている気分だった。



「美桜さん話しますから、とりあえずベッドで休んでください」

「……うん。でもわたしは大丈夫。それよりも、蒼井くんは辛かったんだよね」



申し訳ないから僕がベッドに腰掛けさせてもらうと、ようやく美桜さんもベッドに戻ってくれた。



美桜さんはところどころうなずきながら真剣な面持ちで話を聞いていた。話している途中でなんとなく感じたことなんだけど、美桜さんは興味本位で話を聞きたかったわけではないみたいだ。それがわかったのは、「それであのとき蒼井くんはあんな泣き顔を顔していたんだね……」と本当に寂しそうな顔をしながらつぶいたからだ。でも、なんで美桜さんは僕のことを気にかけてくれるのかわからない。



「僕って本当は泣き虫じゃないですからね?」



あんなブラック企業にいても泣き言なしで働いてきたんだから、そこはちゃんと主張したい。



「そんなに目を真っ赤にして言われてもね。ウサギって寂しくて死んじゃうでしょ。これからはわたしが付いているから、いつでも来ていいからね?」

「……はい。え?」



え。なんか今うまいこと言ったなって感心したけど、爆弾発言しなかった?



まあ、いいや。とにかく続きを話そう。どこまで話したんだっけ。ああ、そうだ。莉愛と連絡を取り合って告白をされたあたりまでだ。



九頭見くずみね……あの男」

「九頭見龍太を知っているんですか?」



九頭見と僕は九頭見物産で知り合ったけど、まさか美桜さんと知り合いだったなんて。なにかの因果かと思ったけど、九頭見物産のような大手企業の御曹司なら、星満宮家のご令嬢が知っていても不思議ではない。



「あぁ、まあ、うん。それよりも今も四葉莉愛さんから告られているんでしょう?」

「はい。断ろうかと思っています」

「付き合っちゃえば?」

「え? でも、それじゃまた同じ展開になって、浮気されて傷つきたくないし」

「浮気させちゃえばいいじゃん?」

「は?」



美桜さんの予想外の反応に困る。浮気させちゃえばっていったい……?



「九頭見物産に就職する前に四葉莉愛と九頭見龍太を引き合わせて、どうなるか見てみたらいいと思うの。四葉さんと九頭見が出会って恋の化学反応がなにも起きなければもう一度信じてもいいと思うし、また浮気をするようなら」



美桜さんの瞳がキラリと光った。鋭い眼光はまるで先を見据えているような、怜悧れいりな顔をしている。



「仕返ししちゃえばいいんじゃないかな?」

「仕返し……なるほど。でも、そんなにうまくいきます?」

「もし蒼井くんの未来が真実なら、未来まで行かなくても四葉さんと九頭見は反応する可能性があると思うよ?」

「でもそのときの気分やタイミングだってあるし」

「それで……浮気をしたら仕返し作戦遂行なのだっ!」



そんなやる気満々で握りこぶしを作られても。



たとえばお酒の勢いでそういう関係になって、あとになって『なんであの人と……』なんて話は結構聞くし、莉愛と九頭見の出会いのタイミングがズレたら二人はなにも感じないんじゃないかって予測する。いや、そうであってほしいという希望的観測だ。



「でも、まず引き合わせるってどうやってですか?」

「それはわたしがなんとかする。最高の雰囲気で最高のタイミングを用意できればいいんでしょう? だって、女の子って運命って言葉とか状況に弱いから……ふふふ。これは絶対にうまくいくと思う」



とはいえ、現実はそう甘くない。莉愛は一途な子だったはず。高校の時も彼氏はいたけど浮気をしている様子はなかったし……いや、そもそも浮気は人知れず逢瀬するものだから単にバレなかっただけなのか。それか僕が知らないだけで、そういうことは頻繁にあったとか?



考えたくもない。



「蒼井くんはさ……仕返ししたい? するならわたしもがんばるよ?」

「それはしたいですよ。悔しい思いをしたまま死んで……あいつらはその後も関係は続いているって思ったら、ムカムカしますし。でも、美桜さんは僕のためになんでそこまで……?」

「仕返し作戦実行は蒼井くんのためだけじゃなくて、わたしのためでもあるから」

「えっと……そうなるんですか?」

「うん。それは追々おいおいね。それじゃあ四葉莉愛と付き合う上での条件を」



莉愛と今までどおり付き合ってはダメだと美桜さんは言う。仕返しするからにはそれなりの作戦を練り上げて、最後の最後にどん底に落とす必要がある。ただし、莉愛が浮気の素振りを見せずに一途に僕と付き合うのなら作戦は白紙に戻すらしい。浮気をしていないのに今後浮気をするだろうという推測だけでは言いがかりに過ぎないからだ。



美桜さんの案を要約。



1.四葉莉愛に触れていいのは手まで。それ以上は後々にわいせつ等をでっち上げられて物的証拠として不利になる可能性がある。同意書を取らないで性交をしたと訴えられると作戦のすべてがひっくり返る可能性があるということ。それと『莉愛は蒼井春兎が大好き』という感情を最大限高めるように努力すること。これは最後に仕返しをしたときに威力を発揮するからだ。とはいえ、付き合いはじめて最初は嫌われるように仕向けると美桜さんは言う。



2.自分磨きを惜しまないこと。とにかく周囲の女子にモテまくるように徹すること。またどんな状況でも自分は見られているという自覚を忘れないようにすること。ムダ毛の処理から肌ケア、そして髪型、服装に気を使い常に清潔感を保つこと。また、大学では色々な人に良い人だと思われるように努力すること。これは『蒼井春兎というモテ男が彼氏』という莉愛の承認欲求を満たすため。結果的に莉愛は浮気をした際に僕を捨てることがなくなると美桜さんは断言する。



3.美桜さんと僕の会話は絶対にバレてはいけない。女子は敏感であるために知らない女とのスマホのやりとりはすぐにバレるらしい。そこでやり取りにはパソコンを使う。ラインやメールではなくテンドライブに『レポート』と題して鍵付きのファイルを作り交換日記的な活用をする。一行でもファイルが更新されれば相手側のファイルも更新されるために、メッセージをやり取りができるのだ。ただし、『ある場所』で話すことはできる。むしろ、その『ある場所』を拠点として作戦会議を実施する。



「レポートなのにファイルに鍵が掛かっている理由は、統計を作る際のアンケートを集計した結果、どうしても個人情報を扱っているためだって言い訳が聞くでしょう?」

「なるほど。確かに個人情報の取り扱いも含めてのゼミレポートはありますからね」

「うん。それにスマホじゃないんだから、わざわざテンドライブの中身の隅々までチェックするなんて発想はないと思う。たとえパソコンを開けられたとしても鍵のかかったレポートのファイルをチェックしたいっていう恋人を蒼井くんはどう思う?」

「すごく気持ち悪いですね」

「四葉莉愛は承認欲求の塊みたいだから、そういう目で見られたくないって思うのは必然なのね。だから四葉莉愛が見ることはないと思う」



スマホでやり取りしない理由はよくわかった。



「最後に重要なことを話すね。『ある場所』のことについて」

「はい」

「わたしと会う場合は大学の中で」

「……はい? 人多いですよ?」

「大学の中でわたしの使える秘密の部屋があるの。それに外で二人きりで会っていたら、浮気をしていますって言っているようなものでしょう?」

「でも、大学の中は……噂が立ちますよ?」

「大学の敷地内に教職員の使う棟があるのは分かる?」

「はい。大学院のとなりの建物ですよね?」

「そう。そこで待ち合わせれば大丈夫だと思う。行く理由は教授に質問がある、とか呼び出された、とかでいい。そこの最上階は星満宮せいまんぐう家……というか、わたしの部屋だから絶対に誰も入れないの」



まさか、噂は聞いたことあったけど本当に存在していたとは思わなかった。大学のどこかに星満宮家のプライベートルームがあるという話で、そこの部屋だけ大学の他の部屋とは別世界の豪華絢爛ごうかけんらんなのだとか。昭和の頃に大学に通うのもめんどくさい星満宮家の息子が大学の中に部屋を作っちゃったとか噂がある。



「じゃあ、やりとりはテンドライブで、ですね」

「そうね。わたしは入院中に作戦に穴がないか考えておくね」



一週間後、美桜さんは無事に退院をした。美桜さんはすぐに大学に復帰をしたみたいで学食で見かけたけれど、僕と二人きりのときのような印象はなく、いつものお嬢様に戻っていた。僕を見ても軽く会釈をするだけ。


そんな中、キャンパスでは僕が美桜さんにフラれたという噂が立っている。だが、そんな話がどうでもよくなるほど、ある噂がまるで吹き荒ぶ嵐のように大学中に巡っていた。



「美桜さんが羨ましいですわ」

「俺は残念で仕方ないよ。まさか美桜さんが結婚を前提にお付き合いだなんて」

「……星満宮家の血を引く者として仕方ないことですもの」

「そうよね。でも、あの御方ならふさわしいんじゃないかしら」



美桜さんは結婚を前提としたお付き合いをはじめたらしい。別に美桜さんをなんとも思っているわけではないけど、少なからずショックだった。僕はまだ美桜さんとそこまで親しいわけではないから訊くわけにもいかない。




でも、なんだろう。胸がチクチクする。







ラビットの手記 〈スケジュール帳より想起〉


美桜と時間を共有することになった大切な日。


美桜に彼氏ができたと聞いて落胆した日。でもまだ自分の気持ちには気づいていなかったし、この頃の僕は美桜のことを高嶺の花だと思っていた。だから、受け入れるしかなかった。


今思うと作戦を実行したかったのは美桜のほうだったんだね。

あの『』とは週一回食事だけをする関係だったのを後から知って、安堵したことも今だから言える。指一本触れさせないから安心して、と笑った美桜は本当は辛かっただろうって思う。


もう一度過去に戻れたら、今度はこう言うよ。



『美桜がどんな選択をしたとしても、僕は美桜を信じるし支える』



明日はいよいよ結婚式だね。一緒に『』をぶっ飛ばそう笑。




2025年6月13日



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