#07 去過の桜美



家まで送って言ってくれることになり、ワンボックスカーの中で僕はうなだれた。



美桜さんがあの九頭見と付き合っているなんて聞きたくなかった。しかも付き合い始めたのはつい先日のことだっていうし。もう訳がわからない。つまり、美桜さんは僕の話を信じていないってことになる。だって、九頭見は莉愛と浮気をしていた張本人なんだぜ?

九頭見自身も結婚をしている身で莉愛とホテルに行ったんだから、国が違えば姦通罪で死刑になってもおかしくない重罪だ。



「なに怒っているんスか?」

「別に怒っていないですよ」

「姫のことッスよね」



運転手さんは僕たちの話を聞こえないフリをして、ただハンドルを握っている。ソファのような豪奢な後部座席に身を預けて、僕は流れる車窓の外を眺めた。



「別に」

「蒼井さんは姫のことなにも知らないッスよね」

「それはそうだけど」

「姫はッスね、それは蒼井さんに肩入れというか……珍しく懐いているというかッスね」



そういえば医学部の取り巻きに対する対応と僕のそれとでは雲泥の差がある。医学部の前では近寄りがたいお嬢様だけど、僕の前ではただの女の子。そんな感じの印象を受ける。



「ウチも不思議なんッス。んッスけど、なんで姫が蒼井さんをそんなに信用できるのか」

「それは僕だって知りたいですよ」

「ウチの口から言うのも気が引けるんスけど、姫はああ見えていじめられっ子なんッスよね」

「美桜さんが? あんなに明るい性格なのに?」



僕のような陰キャならまだしも、どう見ても陽キャで光属性の美桜さんがイジメられるなんて信じられない。イジメているヤツはどういう神経をしているんだろう。



「小学校ではそんなことなかったみたいッスけど、中学、高校はもうヒドイもんでしたよ」

「……なんでまた。美桜さんは頭が良くて、優しくて、面白くて……みんなの中心にいるような人なのに。金持ちだし」

「そのすべてが気に入らない人が世の中にはいるッスよ」



美桜さんには内緒にしてほしいという条件で白鷺さんは教えてくれた。



美桜さんは星満宮家の血筋を引く者として、学校からも丁重に扱われたそうだ。あの性格だから自分が金持ちだということを隠さずに中学時代を過ごしていたが、まずそこが気に入らないという理由で無視されはじめた。そんな中、近寄ってくる人もいたがみんなお金目当てだったり、将来の地位を約束してほしいという下心があったり、心を許せる友達は一人もいなかったそうだ。それでも男子からはモテたし、毎月のように告白されていた。それがイジメに拍車をかけた。



エスカレーター式で高校に入学するとさらにイジメはエスカレートして、美桜さんはだんだんと心を閉ざしていく。そんな中、唯一の救いだったのがアニメやマンガ、ラノベだった。どんな苦境にも負けない登場人物たちとともに冒険の旅に出たり、異世界転生したり、はたまたラブコメをしたり。



「悲しいですね」

「ウチが姫に雇われたのは大学一年生のときッスから。当時力になることはできなかったッスけど。一応、姫のことを第一に考えてケアに徹したんッスけど、姫の心はいまだガチガチッスからね」

「そんなスースー言っている人がケアって、信じられないんですけど」

「ブラック企業マンに言われたくないッス。ていうか、なんでウチには怖気おじけづかないんッスか?」

「ブラック営業マンだからな? ってうか白鷺さんにはオーラがないから」

「そんな正直に言われても……。いや、いつの間にか敬語ですらなくなっているじゃないッスか。まあいいッス。それで姫の高校時代は陰キャまっしぐらッスよ。家ではゲーム、マンガ、ラノベ放題で休日はパジャマのままゴロゴロッスからね」

「美桜さんが? 信じられない。あ、ってことは、さっきの“メルブライン家のご令嬢”はまさしくその結果?」

「そうッスよ。ていうか蒼井さんも陰キャだったんッスよね。これからは姫の相手してくださいよ?」



それは構わないけど、美桜さんは九頭見と付き合っているんだから、九頭見にお願いすればいいんじゃないかと思う。九頭見がいるのに僕が美桜さんの相手をするってなんだかおかしい話だし、付き合っているなら自分をさらけ出してもいいんじゃないかって思……いや、僕も陰キャなことを莉愛には隠していた。人のこと言えないか。



「ウチはこう見えて忙しいんスから」

「待て。なんで僕が陰キャだってわかった?」

「姫に近づく人を調べないわけないッスよ。小学校でのあだ名は『闇ウサギ』で、中学校での唯一の友達は陰キャ仲間の『友部くん』。友部くん曰く、『あいつはオタクだから俺と一緒にするな』で、田舎に引っ越してから入学した高校では、友達ができずに修学旅行の班分けであぶれて、仕方なく仲良くもない班に入れられる。ホテルでは班のメンバーに部屋に鍵を掛けられて廊下でしゅんとしているところを先生に見つかり、部屋に戻すとイジメられると判断した担任のおっさん先生と部屋をともにした伝説があるとか」

「待って。この短期間でなに調べてくれてるの?」

「今のはほんの一部ッス。面白いところを抜粋しただけッスからね?」

「胸を張って言うな。っていうか、個人情報どうなってるの?」

「とにかく、蒼井さんは姫にちょっかい出せるほど、度胸が据わっているとは思えないッスよ」

「でもそれが詐欺師ってもんじゃない?」

「詐欺師なら『明後日死にます』なんてアホな近づき方しないッスからね」

「……確かに」

「それにそんなアホな蒼井さんになんで姫は心を許したのかってとこッスよね。これはもうわからないッス。とりあえずの結論として、姫は蒼井さんに共感を得たんじゃないかってことで納得することにしたッス。解せないのはもう諦めるッス」



共感を得たって、強引すぎないか。とはいえ、美桜さんが僕に心を許す理由を近くにいる白鷺さんがわからないのに僕がわかるはずがない。美桜さんに訊いてもはぐらかされるだけだし、本当によくわからないお嬢様だ。



「ところで九頭見と本当に付き合っているの?」

「なんだか質問多いッスよね。九頭見のことはウチからはなにも言えないッス。姫に口止めされているので。ごめんッス」



すごくモヤモヤする。美桜さんがどういうつもりで九頭見と付き合っているのか今すぐにでも訊きたいところだけど、二人がどうなろうと僕にはなんら関係がないことで口を出す権利がない。結局、僕は美桜さんにとってどんな存在なのだろう。



友達? 知り合い?



アパートの前で降ろしてもらって、車に軽く会釈をする。あまり隙を作らないほうがいいという美桜さんの忠告通り、あくまでも大学の教授が送ってくれたということになっている。そのために窓を開けて手を降るようなことを白鷺さんはしなかった。



スマホを見ると莉愛からのラインが大量に溜まっていた。ラインが来ていることに気づいてはいたけど、返信する気にならなかったから放置してしまっていた。でも、美桜さんの付き合う条件にはとりあえず莉愛と付かず離れずの関係を維持しなきゃいけないし、ここで既読スルーするわけにもいかない。



メッセージを返そうと思っていたところで電話が掛かってきた。もちろん相手は莉愛だ。階段を上り、部屋の鍵を開けつつ電話に出た。



「もしもし?」

『あぁ、もう。ライン見てないの?』

「ごめん。例のゼミの共同制作で大学にいたから」



大学にいたということは嘘ではない。というか、美桜さんのことはとりあえず忘れよう。ポロッと口に出してしまうとすべてが台無しになってしまう。



『へぇ、そうなんだ』

「言っておくけど、二人きりってわけじゃないからね?」

『別に疑ってなんかないって。それよりも今週末は予定空いてるよね?』



なぜ空いている前提で話すんだろう。自分の予定に合わせるのが当たり前みたいな言い方をするのが四葉莉愛という人。自分を一番にしてくれないと拗ねる性格なのは前からだけど、よくよく考えたら単なる自分勝手じゃないか。



「まあ、空いてるよ」

『だよね。あのね、ゴールデンウィークの予定を決めたいなって思って。だから明日、家に行っていい?』

「あ〜〜〜」



来てほしくない。片付けや掃除をしていないし、来てもらっても間が持たない。それに手を触れていいことは条件の中に入っているけど、莉愛がそれ以上のことを望んだ場合、僕が拒めば怪しまれてしまう。莉愛のことだから、『あたしのこと嫌い?』なんて言って怒りを爆発させて好感度が激下がりそうだ。



『ごめん。うちは散らかっているから、莉愛に来てもらうわけにはいかないよ』

『あたしは全然気にしないよ。それともうちに来る?』



どちらにしても同じだ。そうじゃなくて場所を作って提案するしかない。



『それよりももっといい場所あるから行かない?』

『え? どこどこ? 昨日のイタリアンみたいな場所?』

『秘密。明日また連絡するから楽しみにしてて』

『え〜〜〜気になっちゃう。わかった。今は聞かないでおくことにするね。サプライズ楽しみだなぁ〜〜』



なんだかハードルを上げてしまったかもしれない。困ったな。だからと言って美桜さんにお世話になるわけにはいかない。これ以上の借りはなるべく作らないようにしたいところなのに、まさか昨日と今日に引き続き、明日も美桜さん頼みじゃさすがにまずい。



「じゃあ、また明日」

『うん。また明日ね。春兎くん』

「うん、莉愛」



やっと解放された。どっと疲れてベッドに飛び込んだ。すると追撃のラインが来る。



『すきすきすきーっ』

『僕もだよ』



もうラインは見ないようにしようと思って、スマホの画面を下にして放り投げた。そうだ、美桜さんからなにかメッセージが入っているかもしれない。PCを開きテンドライブのフォルダをクリックしレポートファイルを開く。



履歴を見るとついさっき更新されたばかりだった。つまり、美桜さんがメッセージをくれているということ。早速確認すると“『チェリブロ』明日は予定ありますか?”だった。



“『ラビット』たった今、クローバーから誘われました”

“『チェリブロ』そ。分かった”

“『ラビット』ゴールデンウィークの予定を決めたいみたいです”

“『チェリブロ』どうするつもり?”

“『ラビット』考え中ですね”

“『チェリブロ』お泊りはなしで。日帰りはオッケー。一日か二日はわたしに貸してくれると嬉しい”

“『ラビット』なにかあるんですか?”

“『チェリブロ』就活生パーティーの下準備をしたい”

“『ラビット』それならそちらを優先します。いつにしますか?”



こんなやりとりで、五月六日と七日は美桜さんと打ち合わせになった。スケジュール帳に書き込んでいく。やっぱり自分のタスクは紙媒体に書き込むほうが充実感を味わえる気がする。紙の手触りもいいし、頭の中が整理されるみたいでいい。ただし、美桜さんの名前は直接書き込んでいない。あくまでもゼミの合同制作打ち合わせとだけ記入した。



さて、問題は明日のサプライズだ。サプライズって莉愛が勝手に言いだしたことだけど、そう言われるとやらざるを得ないじゃないか。まったくめんどくさい。



翌日は大学をサボって(そもそも単位は足りているからサボりではない)、莉愛と駅前で待ち合わせをした。莉愛は今日もガーリーなコーデで待ち合わせの改札前に駆けてきて、色々な意味で目立っていた。着ている服が莉愛のために作られたんじゃないかってくらいに似合っている。胸元にリボンのついたくすんだピンクのワンピース。スカート丈は膝上だ。それにニーハイにブーツ。



美桜さんとは真逆だ。いや、比べるのが間違っているんだけど、なぜか脳裏に美桜さんが真っ先に浮かんできてしまう。



「おまたせ〜〜待ったよね」

「うん。ちょっとね」

「え〜〜。時間通りだよ」

「大丈夫。五分くらいだから」

「それでどこに行くの?」



この際だから僕のお気に入りのお店に行こうと思っている。マスターがアニメ好きで僕はお酒が飲めないものの、カウンターでノンアルコールのカクテルを飲むのが好きだった。常連さんとも仲良くなって、アニメ話で盛り上がったし、なぜかゲームが置いてあって、お客さんが少ない日はマスターと対戦をしていた。



問題は、僕が陰キャでオタクだということを莉愛に伝えていないこと。高校の時はひた隠しにしていたからバレていないと思うけど。白鷺明日音さんには速攻でバレたけどね。いや、あれはバレたというよりも調べられたのか。



「僕の行きつけのお店」

「そうなんだっ! 楽しみっ!」



だが、店に着くなり莉愛は不機嫌になった。







ラビットの手記〈スケジュール帳より想起〉



美桜のサインに気づかなかった日。


今考えると美桜はたくさん、僕にサインを送っていたのだなと思う。

例えば、メルブライン家のご令嬢の話や、白鷺さんの「いじめられっ子だった」話。

でも全然わからなかった笑。


白鷺さんの話も『あの時』のことを指していたのだろうし、そもそも僕が気づいているものだと思って話していたんだね。


どうりでおかしいと思った。


もっと直接的に言ってくれればよかったのに。それなら思い出せたと思う。


美桜はいつでもイタズラ好きだから、許すよ笑。




2025年6月13日

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