妖精さんと一緒
ガンガンと窓が叩かれる音でスヴェンは目を覚ました。
いつもはそれで飛び起きるところだが、今日のそれは隣の部屋で起きている出来事なので、些か余裕を持って起きることができた。
枕代わりにしている読み終わった本から頭を上げ、布団の代わりに身体の上に被せておいたもう着ない服を除ける。
昨晩はティアーナに寝室兼自室のベッドを使わせ、スヴェンは隣の物置となっている部屋で雑魚寝をしたのだった。
目を擦りながら、廊下に出る。それから隣の部屋の扉をノックするが、返事はない。代わりに激しく窓を叩く音と、叫ぶような声が響いてい来るだけだった。
どうやらティアーナはもう起きて何処かに行ったようだった。今日は一日物置の整理をして、ティアーナの家具を買いに行こうと思っていたのに、朝から予定が狂ってしまった。
鍵など当然かからない扉を開けると、カーテンの向こうでは、掌程度の大きさの影が踊っていた。
「今開けるから、硝子を割らないでほしいな」
「早く開けなさいよ! 今日という今日はアタシの要求を呑んでもらうんだからね!」
「いやぁ、それはどうかな」
カーテンを開けると、硝子一枚を隔てて小さな人型が現れる。
掌に乗る程度の大きさの、緑色の髪と目をしたその生き物は、背中から生やした透明な羽を忙しなく動かして飛んでいる。
「おはよう、チコリア」
「おはよう人間。さ、中に入れてお茶を出してちょうだい」
「お茶は切らしているんだ。珈琲ならあるけど」
「あんな泥水を飲ませるつもり!」
以前飲ませた時の味を想像して、苦々しい顔で舌を出すチコリア。
スヴェンは窓を開けると、彼女は羽をはためかせて部屋の中に侵入し、それからくんくんと鼻をひくつかせた。
「アンタのじゃない人間の匂いがする」
「アルバンが来てたからね。前に会ったことがあるだろう?」
「ああ、あの人間らしい人間ね」
妖精という種族が皆そうなのかは知らないが、チコリアは非常に感情が表情や仕草に出やすい。
アルバンに対していい感情を抱いていないのは、そのしかめっ面から簡単に読み取ることができた。
「人間らしい人間?」
「そう。欲望塗れで、嘘を吐く、自分のことしか考えないしそのために他者を犠牲にすることに何の疑問も抱かない。まさしく人間よ」
「あれはあれで結構いい奴なんだけどね」
チコリアとアルバンは面識はあるといっても一言二言会話をした程度だったはずだ。果たして何がそこまで嫌われる理由となっているのだろうか。
「妖精はね、心に敏感なの。邪なことを考えたりしてる奴のことなんかすぐにわかるんだから」
頭の中に疑問に丁寧に答えてくれた。成程、心に敏感というのは伊達ではないようだ。
「でもそれだけじゃないわね。何かしら、この香り。懐かしいっていうか……」
ティアーナのことを話すかどうか悩んでいると、チコリアは頭を振って、「ってそうじゃない」と話を切り替えた。
「さぁ、今日こそアタシの要求を呑んでもらうわよ。他の妖精達を説得して、報酬もちゃんと用意してきたんだから」
「いや、別に報酬がどうのの話じゃないんだって」
「聞いて驚きなさい! 何と花の蜜一年分よ!」
「……しかも要らないし」
そんなものを貰っても困る。消費しきれないし、そもそもそれが価値を持つのは妖精の間だけだ。
「さあ、首を縦に振りなさい。アタシ達大地の妖精の生活環境を整えるために、この辺り一帯の大地を肥えさせるのよ。大地を深緑のマナで満たし、作物を育てて命のサイクルを作るの」
「無理だよ。そもそも一人でできることじゃないでしょ、それ」
「何よ。人間っておっきい図体してるくせに役に立たないのね」
「なら人間より大きい種族に頼むことだね。大きさで解決するのなら」
憎まれ口に憎まれ口を返し、少し大人げなかったかと言ってから反省する。
「お願いよぉ。今のアタシ達には族長がいないの。そんでアタシがその代理をやらされてるから、手ぶらで帰ったら視線が痛いのよぉ」
もっともチコリアは全く気にしていない様子で、頼み込むようにスヴェンの周りを飛び回る。
「駄目ならせめてクッキーを頂戴」
「なんでクッキー?」
「ご馳走を持って帰ればお茶を濁せるからよ」
何ともしょうもない理由だった。
「残念だけどクッキーは切らしてる。人里まで行かないと手に入りそうにないね」
「じゃあアタシはどうすればいいのよ! アンタの仕事はここでアタシ達の頼みを聞くことなんでしょう?」
「……違うよ。僕の役割は君達が国境を超えないかどうか監視すること。そして必要ならば多種族との円滑な交流のために交渉をすることだ」
オルフェリア帝国軍国境駐在高等官。
何とも物々しい、しかし全く意味のないその肩書がスヴェンに帝国より与えられた栄えある役職名だ。
勿論こんな珍妙な役職名を持っているのは帝国広しといえどスヴェンのみ。その仕事の内容は先程チコリアに語った通り。
つまるところ地方に飛ばされた所謂閑職というやつだ。
「うー、せめてクッキー! クッキーが食べたいの!」
最早どちらが本題なのか判ったものではない。ひらひらと耳元を飛び回りながら叫ばれるのは、なかなかに応える。
「わかったよ、わかった。ちょうど街に出る用事もあったことだし。クッキー買ってくるから」
こうして折れてしまう自分が嫌になる。昨日のティアーナの件といい、どうにも押し切られると弱いのが自分の欠点だ。
ぐいと伸びをして、身体を動かすように適応させる。それから扉を開けて部屋の外へと出た。
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