レイギスの街

 それからティアーナが作業を終えたのは、既に日も高くなるぐらいの時間だった。




「で、何処に行くつもりなの?」




 チコリアが去ってからスヴェンも草むしりを初めとした畑の再建を手伝ったのだが、ティアーナの半分も働いていないというのにもう全身が悲鳴を上げていた。




「街へね。物を売って、それからちょっと君の分の家具を買いに」




 さして興味なさそうに頷いて、ティアーナは支度を整える。どうやら街で買い物をするよりも土いじりをしている方がいいらしい。


 荒れ果てて使い物にならなかった畑は、二人で作業したおかげで半分程度は見れるような形になっていた。風で流れてきた石や木を退かし、雑草を引き抜き、ティアーナが土に力を与える。


 スヴェンには見た目、何が変わったのかはわからなかったが、彼女が満足そうにしていることから何らかの変化があったのだろう。


 スヴェンは予め準備しておいた革製の、少し大き目な鞄を背負う。




「持つ?」


「いいよ。僕にだって男としての体裁がある。女性に荷物を持ってもらうのはちょっとね」


「いつでも根を上げていいわよ。おぶってあげるから」




 力仕事であまり役に立てなかった手前、言い返すこともできなかった。


 丘の上のスヴェンの家から真っ直ぐに伸びた道を辿り街道を進むと、しばらくして遠くに重なり合うように建物が見えてくる。


 帝国最北西の町、レイギス。


 かつては魔物や亜人、この辺りを拠点としていた他部族に怯えながら暮らしていた人々は、帝国軍の支配を受け入れ今はその庇護の元に生活している。


 彼等が代償として差し出したのは情報。それによって帝国軍はこの周辺に点在していた反乱分子を難なく排除することができた。


 煉瓦造りの建物が並ぶ町並みは、決して賑やかではないが素朴で親しみやすい雰囲気が漂っている。石畳の道をゆっくりと進む馬車にはこの辺りの鉱山で取れる宝石を加工した装飾品を初めとして、古くから地域に伝わっている民芸品の多くが帝都への交易品として乗せられていく。




「馬車に乗せられ、外も見せられないまま通り過ぎただけだったけど、こうして見ると賑やかね」


「そうだね。でも決してうるさくはない。僕は帝都よりはこの街の雰囲気の方が性に合ってるよ」


「わたしはもう少し静かな方がいいわ。人が多いところはどうしてもね」




 暗に帰りたがっているのだろうか。彼女の真意はわからないが、手早く目的を果たすに越したことはなさそうだった。


 本当は街を案内しようとも思っていたのだが、彼女としては畑の方が気になるらしい。


 スヴェンは表通りを進み、一直線に目的の店に辿り付く。




「いらっしゃい!」




 扉を開けて中に入ると、景気のいい声が響く。


 店の中には様々な薬品が所狭しと並べられていた。傷薬や原因、用途に合わせた解毒剤、熱冷ましに精力剤。果ては惚れ薬などという怪しげな物まで置いてある。




「おう、先生じゃないか!」




 店番の男、スヴェンよりも二十ほど年上になる髭面の男の名はチャドといい、この町でずっと薬売りをしている。




「お久しぶり。品物を卸したいんだけどいいかな?」


「大歓迎だよ。先生の持ってくる薬は安いしよく効くしで、評判がいいんだ」




 持っていた鞄を上げて、ラベルが付いた瓶を幾つも並べる。主に患部に塗る傷薬を初めとして、後は日常で必要になる鎮痛薬や布に染み込ませて腰や肩に乗せておくと腰痛や肩こりを取る薬もある。




「いやぁ、先生の棚に物がないと露骨にがっかりする客もいるからよ」


「随分と物が減ってるみたいだけど。何か事故でもあったの?」


「最近亜人の盗人が出始めてな。街の連中で自警団を結成して見回ってるんだが、この間正面から出くわしちまって怪我人が出たんだよ。幸い死人は出てないが……」


「帝国に連絡はしたのかい?」


「したけどあんまり期待できなさそうだな。死人が出ていない以上兵団を派遣することはできないから、駐在の兵士と協力して何とかしてくれってよ」


「犠牲が出てからじゃ遅いだろうに。なんで僕に連絡してくれなかったんだい?」


「いやぁ、だって先生見るからに荒事は苦手そうだしなぁ。俺達で対処できなくなったら行こうって言ってたんだよ」




 悪びれる様子もなく、チャドはそう言った。


 確かに言われてしまえばその通りだが、一応とはいえスヴェンも帝国軍人だ。正義感に溢れているわけではないとしても自分が世話になっている街の事件ぐらいは解決する義務があると考えている。


 言いたいことを押さえながらカウンターに薬を並べていくと、チャドはそれらを一つ一つ吟味して紙に買値を書き込む。スヴェンからは一切値段の提示はない。




「傷薬はこんなもん。鎮痛薬はちょうど切らしてたからこのぐらいで買わせてもらうよ。後はこっちだ」


 薬一つ一つの値段が書かれた紙を上から下まで眺めてから、スヴェンは満足そうに頷く。


「問題ないよ」




 そこに書かれていた値段は仕入れ値の相場の凡そ三分の二程度の額だった。




「いやぁ、助かるぜ。先生の薬は安いし効き目もいい。どうやって作ってるのかを教えてくれれば完璧なんだけどなぁ?」


「残念だけどそれは教えられないよ」


「ま、そしたら商売あがったりだもんな。先生も人間だ、多少は儲けたい欲もあるだろ」




 最初から断られることはわかっていたのだろう。チャドは気を悪くした様子もない。




「それは否定しないけどね。何よりも僕はちゃんと調合しているわけではなくて、錬金術を使って作っているから、なかなか人に教えられるものじゃない」


「おっと。難しい話はよしてくれ。俺は数字の計算は何とかできるがそれ以外はさっぱりなんだ。それよりももっと面白そうな話題があるじゃないか」




 代金を取り出して、スヴェンに払いながら、チャドは面白いものを見つけた子供のような笑顔でスヴェンに詰め寄る。




「さっきから物珍しそうに店内を見てる別嬪さんは先生の連れだろ? いったいどういう関係なんだよ?」




 どう答えたものかと逡巡する。


 ティアーナは嫌がるかも知れないが、チャドはこの町の顔役でもあり、信頼できる男だ。彼に名前を覚えておいてもらった方がこれから先一人で町に来たときなどは役に立つだろう。




「彼女はティアーナ。……関係は、ええと、なんて説明すればいいか難しいな」


「ありのままを言えばいいわ。一緒に暮らしているのならばそれは家族なのでしょう?」


「へぇ!」




 嬉しそうにチャドは頷く。




「先生も隅に置けないねぇ! こんな嫁さん、何処から貰ったんだい?」


「いや、家族ってのはそう言う意味じゃなくて……」


「照れるな照れるな。なんだぁ、みんなでいい歳なのに結婚はしないもんかと噂はしてたが、しっかりとやることやってんだな」




 ばんばんとスヴェンの肩を叩きながら、チャドは嬉しそうにしていた。悪い気はしないが、誤解を解くのはなかなか面倒そうだ。




「用が済んだのなら行きましょう?」




 近付いてきたティアーナが、腕を引っ張る。




「お、お熱いねぇ! じゃあ俺も馬に蹴られなうように引っ込むかね。また来てくれよ、先生!」


「え、いやちょっと。と、取り敢えず何かあったが僕に報告をお願いします!」




 誤解を解く前に、スヴェンは引きずられて店を後にした。

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