命への言葉
それから一眠りして、夜が明けるとスヴェンはまず一人でレイギスに向かう。同じ時間に起きて荒らされた畑を修復していたティアーナはそちらに夢中なようで、付いてくるとは言わなかった。
昼前に戻り、今度はティアーナを連れて森の方へと行く。畑を元通りにしないと気が済まないのか彼女は若干嫌がったが、頼み込むと付いてきてくれた。
スヴェンの家から少し離れたところにある森はまだ殆ど人の手が入っておらず、獣道しかないが、それほど深いところまで行かなければ危険は少ない。
足元に転々と続いていく足跡、森に入るまでは何かを引きずったような後を辿り、先へ先へと進む。
春の森は生命に溢れ、鳥や虫の声、それから人の領域では滅多に見ることのできない草花が咲き誇っていた。
ティアーナもそれらを見て感じることはやはり嫌いではないようで、森に入って少しすると不機嫌な様子も消えていた。
「足元がぬかるんで歩きにくいわ。乾いてからでは駄目だったの?」
「ぬかるんでいるから都合がいいんだ。足跡が消えずに済む」
「足跡? ……ああ、昨日の連中? やっぱり殺すの?」
「なんでそんなに好戦的なのかな、君は」
呆れながら少し森の中を歩くと、やがて開けた場所に出た。
森の中の木々を無理矢理切り開いて作られたような空間には、建築の知識も技術もないような素人がどうにかこうにか立てたような掘っ立て小屋が幾つか立ち並ぶ。
「これじゃあ強い風が来たら倒れてしまうだろうに」
「風以外にも殴れば一撃よ」
「……怒ってるのはわかったから、もう少し柔らかくしててもらえる?」
ティアーナは小さく頷く。
適当に当たりを付けて、小屋の一つの戸を叩く。
中から返事は帰ってこなかったので、勝手に扉を開けた。
「な、なんだてめぇは! 勝手に人の家に入りやがって、ぶっころ……!」
小屋と呼んでもいい大きさの家の中は、最低限の家具しか置かれていない。部屋の最奥にある寝具の上で、不格好に包帯が巻かれた亜人の男が凄む。
「ユーグであってるよね?」
昨晩は暗かったので姿には不安があるが、その声は彼のものだ。何よりもスヴェンと、その後ろに立つティアーナの姿を見て固まったことからも間違いはない。
「て、てめ……! 何しに来やがった! 他の連中には指一本触れさせねぇからな!」
寝具から転がるように降りたユーグは、枕元に転がっていた短剣を手に取りこちらに向ける。
しかしそんなものではスヴェンはともかく、ティアーナに対して手も足も出ないということなどは昨日の内にわかっているだろう、その切っ先は小さく震えていた。
「別に君達を害しに来たわけじゃない。他に怪我人は?」
「はんっ、なんでそれを教えてやらなきゃならないんだよ」
スヴェンは鞄から治療薬を取り出すと、それをユーグの足元に放って渡す。
青色の液体が入った瓶を手に取って、ユーグはそれをしげしげと眺めた。
「法薬と呼ばれる薬品だ。精製に手間がかかるが、治療の魔法と同等の効果がある」
「意味がわからねぇ……」
「つまりすぐに痛みも傷も消えるってことだよ。昨日は彼女が少しやり過ぎたみたいだからね」
「……当然の報いよ」
胸の下で腕を組んで憮然とするティアーナに、スヴェンは苦笑した。
「薬は人数分ある」
「何が目的だ?」
「まずこれで傷を治療して、それから昨日襲ってきた人達を集めて欲しい。君達にやって欲しいことがある」
「ふざけんな! なんで俺達が帝国の犬の言うことを聞かなきゃならねぇんだ!」
頭の上にある耳と、腰の辺りから生えている尻尾を逆立てて反抗するユーグ。
「……どちらかというと犬は君の方だと思うけど」
「うるせぇ!」
「これは君達の為でもある」
「……なんだと?」
「そもそもこの森も、ここまでは立派な帝国の領土だ。そこに勝手に住んでいるのだから、いつ立ち退かされるかわかったものではないだろう?」
「だから、なんでてめぇらに従わなきゃならねぇんだよ!」
あくまでも反抗しようとするユーグに対して、スヴェンは残酷な現実を突き付ける。
「それは君達が負けたからだ」
「……て、てめっ……!」
「確かに帝国は無茶とも呼べる領土拡大を実行した。従わなかった者達とは争いになったし、多くの血が流れただろう。でも事実、君達はそれを止められなかった」
ここ数年で行われたオルフェリア帝国の急速な領土拡大は、もともとこの地に住んでいた者達以外にも周辺諸国、更には内部にまで不満を抱く者が出てくるほどに性急なものだった。
それでもスヴェンは、それは帝国にとっては必要なものだっと思っているし、流れた血を悼むことはしたとしても決して間違いだけではないと思っている。
「勝てばいい、とは言わない。でも帝国にはそうするだけの理由があって、戦争による犠牲という対価を支払ったうえでその正義を執行した。結局、敗北した君達は間違っていたことになる」
「だったら、戦争で死んだ俺の親父やおふくろに同じこと言ってみろ!」
「死者に語る言葉なんかないよ。僕からすれば、君達が何故恭順しなかったのか不思議でならないんだから」
「文化や誇り、俺達が積み上げてきた歴史を踏み躙ろうとした奴に従えるかよ!」
「……君達みたいな立場の人はみんなそう言うよ。それで、自分達で命を捨てておきながら敵討ちだ、復讐だと始まるんだ」
「喧嘩売りに来たみてぇだな! 買ってやるぞおい!」
勢いよく立ち上がろうとしたユーグだったが、傷の痛みに加えて、ティアーナが強く床を踏み鳴らしたことで勢いを削がれて再び座りなおした。
「話が逸れたね。僕は君のご両親を悪く言うつもりはない。ただ彼等に彼等に掛ける言葉はないよ。君が言った通り、他の誰かが奪ったものを受け取っている僕がそれを言ったところで、薄っぺらい言葉でしかないからね」
「……だったらなんなんだよ?」
「提案だ。ご両親にはなくても、君に掛ける言葉はある。今の生活をよくしたいだろう?」
「俺達を買収するつもりか?」
あくまでも敵対する態度に、スヴェンは思わず苦笑した。
「人聞きが悪い。労働の仕組みは知ってるだろう? 僕が君達を雇う。当然、対価を払ってね」
スヴェンの態度から、それは嘘ではないと薄々思い始めてきたのだろう。ユーグは座り込んで俯いている。
「……だが、俺達は亜人だ」
「それがどうかしたかい?」
「亜人が人間様と一緒には働けねえよ。嫌がる奴だっているだろうが」
「いるかも知れないね。でもそれを何とかするのも君達次第だ」
「どういう意味だよ? さっきからアンタの言葉は、小難しくて俺の頭にはちっともちゃんと入ってこない」
「まずは僕と一緒に来てほしい。君の頭には、口で説明するよりも直接見てもらった方が早いだろうからね」
腕を組んで、ユーグはしばらく唸っていたが、やがて観念したのか非常にゆっくりとではあるが、腰を上げたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます