40-4 その手を伸ばして アンジェ初陣
「来たか、ルネ!」
「アンジェ様ダメっ!」
マラキオンの狂喜じみた声とリリアンの悲鳴が重なるのを聞きながら、アンジェは空中を駆ける。
(出来るだけ、注意を引き付けるのよ)
(アンダーソンさんのことを忘れるほどに……!)
「マラキオン! お前はわたくしが狙いなのでしょう、リリィちゃんを離しなさい!」
もういちいち恥じらっている場合ではない。アンジェはミスリル銀の短剣を月の形に構える。フェリクスに下賜された短剣は、その日のうちにルナが何度か稽古をつけてくれた。剣に魔法を込めるやり方。魔法の系統やら術式やら細かい注意点は様々あれど、結局のところそれは当事者の想像力と意志の強さが物を言うのだと言う。思い出すのよアンジェリーク、祥子が見てきたたくさんのコンテンツを! アニメ、漫画、ゲーム、何でもいい、神作画の戦闘シーンでキャラクターはどんな風に動いていたか!
「そうだ、ルネ、我が許に来い!」
大講堂の尖塔に立っていたマラキオンは両手を広げ、アンジェを正面から見て哄笑した。アンジェはリリアンの方を見たくなるが堪える、目線を送るだけでもエリオットへの注意を促してしまうかもしれない。空中を駆けるにはそれなりに集中力がいる、あの化け物の許まで真っ直ぐに走り切るのだ!
「やっ……!」
未熟なのは重々承知している! 振り下ろした剣はマラキオンがかざした前腕に当たった、鈍い感触と重い音がしたが、それで魔物が顔色を変えるわけでもない。
「無駄な抵抗などしてくれるな、ルネ……」
「やっ! はっ! たぁっ!」
胴を薙ぐ、袈裟懸け、胸を突く。この魔物は自分とどれほどの体格差なのだろう、見上げるような大男だ。身長はアンジェの倍もあるだろうか? 腕や足を覆う体毛が、剣が当たるたびに少し抉れる感触がする。奴はまだ一歩も動いていない、どうしたら引き付けることが出来るの。
「そなたが余と共に来ると誓えば、セレネス・シャイアンの小娘の命は助けてやろう!」
「アンジェ様っ!」
リリアンの叫びと共に、アンジェの足を掠めて光の矢がマラキオンを襲う。マラキオンは顔をしかめてその矢が腹に当たる前に手で弾き飛ばした、唸りを上げて振った腕がアンジェにも当たり、アンジェは空中を何メートルも吹き飛ばされる。
「アンジェ様っ!?」
「……大丈夫よ!」
どこかにぶつかるか落ちるかする前に、姿勢を直すことが出来た。ずいぶん飛ばされてしまった、大講堂から五十メートルも離れただろうか? 視野が広いので辺りを見回すが、エリオットの姿は見えなくなっていた。講堂の周りには来賓が集まって騒然としている。
「みなさん、危ないわ、お逃げになって!」
空中を走りながら叫ぶアンジェに来賓はどよめいた。あれはセルヴェール嬢だ! 魔物がアカデミーを襲ったというのか、一体なぜ! 結界が機能していないのか? マラキオンの爆発するような哄笑があたり一帯に響き渡る、アンジェは全身に魔力を込め、風よりも速く跳躍する、がつん! マラキオンがかざした手にミスリル銀の刀身が食い込んだ、魔物はニヤニヤしながらアンジェに手を伸ばしてくる。アンジェは身を翻す、自分に向かって伸ばされた手を攻撃する。鈍く重い手応え、マラキオンのニヤついた目線は変わらない。
(新年会でフェリクス様と対峙した時は、もっと恐ろしい攻撃だった……)
(……本気ではないのだわ……!)
(わたくし如きと侮っているのか……取るに足らぬと嬲るつもりなのか……)
「さあ、ルネ、いい子だ、我が許に来い!」
「お断りしますわ!」
叫んだアンジェの脇すれすれを、リリアンが放った魔法の矢が掠めて行った。アンジェからはリリアンはマラキオンの肩越しに見える。少しでも引き離したいのに、魔物は大講堂の尖塔から一歩も動いていない。エリオットの青い髪が屋根よりもずっと向こうに見えたが、マラキオンの魔法が少年を追い立ててなかなかリリアンに近付くことが出来ずにいる。早く、早く。
(……リリィちゃん)
極限の状況のはずなのに、脳の隅に、怒れる紫の瞳がちらついて離れない。
(凛子ちゃんにヤキモチを妬いたって……)
目の前の魔物が凛子の名前を口にしたのは新年会の時だった。驚いてしまったアンジェにマラキオンが何をしたのかは思い出したくもない。ローゼンタールの講演会の時もその名を口にしていたような気がする。リリィちゃん、貴女が凛子ちゃんのことを聞いたのは講演会の時? ルナとイザベラ様は、貴女が凛子ちゃんじゃないかっていつか言っていたのよ。リリィちゃん、どうして凛子ちゃんにヤキモチを妬くの? 視界の隅にストロベリーブロンドがひっかかる、ちらりとそちらを見るとリリアンがマラキオンめがけて光の矢を放つ、その顔は疲労が色濃く、光の矢もずいぶんと細く小さい。
「ルネ、安藤祥子、我が許に来るのだ! 凛子が待っているぞ!」
「くっ……!」
マラキオンの腕がアンジェに迫り、アンジェはその手をミスリル銀の短剣で弾いた。空中で踏ん張りがきかずにまたしても吹き飛ばされる、リリアンが悲鳴を上げ、だが悲しそうに顔を歪めているのが見えた。マラキオンが哄笑しながらリリアンの方を向く、いけない! アンジェが精一杯伸ばした手は虚空にしか届かない、マラキオンの手から黒い炎が迸る、轟音がアンジェを覆って目が回るようだ。
「うあっ……!」
「ぐっ……!」
「リリィちゃん!」
リリアンの悲鳴が確かに聞こえた、アンジェは必死に走る。エリオットが吹き飛ばされて空中をきりきりと落下して姿が見えなくなる。黒炎が薄まると両腕で顔を庇ったリリアンが見えた、たくさんの鳥が焼け死んであたりに落ちていく。何もかもが焼ける酷いにおいに鼻をもいでしまいたくなる、リリアンの周囲の魔法防護が薄いガラスのように砕け、少女が屋根の上でくらりとよろめく。
「リリィちゃん!」
アンジェは駆け出したが、予感がして咄嗟に上に飛んだ。一瞬前までアンジェがいたあたりを黒い稲妻が貫く。稲妻はリリアンがへたりこんだ屋根のすぐ横を砕く、リリアンは呻きながら必死にしがみつく。その顔は青ざめて生気が感じられない、駆け出そうとしたアンジェの左足を、マラキオンの手ががしりと掴んだ。
「離しっ……リリィちゃん!」
アンジェは全身をくねらせ、ライトニングダッシュに全魔力を込める。全身を電流が駆け巡りばちばちと静電気が鳴るが、マラキオンの腕は離れなかった。アンジェを引き寄せる手を右足で蹴るがびくともしない、いつも狙う急所はまだ遠すぎる。リリアンがこちらを見て目を見開く、その紫の瞳が絶望に染まっていく。マラキオンの空いている手がリリアンに向けて稲妻を放つ、リリアンは手をかざそうとするが魔法が発動しない──エリオットが屋根の影から飛び出して、リリアンの身体の上に覆いかぶさった。
ズガァン!!!
「うがっ……!」
「リオ!!!」
「アンダーソンさん!!!」
少年は呻いたきり動かなくなった。その身体がリリアンからずり落ち、屋根の上をずるずると滑る。リリアンが悲鳴を上げてエリオットの腕にすがる。
「リオ、リオ、リオ! やだ、リオ、やだあ!」
リリアンは何か呪文を唱え、エリオットに手をかざした。白い魔法の光が少年を包み込むと、その身体がどんどん縮んでいく──アンジェのクラスの出し物のように。少年が身の丈三十センチほど、人形程度の大きさになったくらいで縮小は止まった、リリアンは小さくなったエリオットを抱え、ぼろぼろ泣きながら治癒魔法をかける。
「リリィちゃん、アンダーソンさん!」
「アンジェ様、リオを治したらすぐ助けますからっ!」
「違うわ、逃げて、リリィちゃん! 彼と一緒に!」
「でもっ……きゃああっ!」
マラキオンの魔法がまたしてもリリアンを襲った。それはリリアンがしがみつく屋根を完全に砕くと同時に、彼女をガラスのような球体の中に閉じ込めた。リリアンの声が聞こえなくなり、ガラス玉は空高く飛翔する。大講堂が音を立てて崩れ、来賓が悲鳴を上げながら逃げていく。
「さあ、捕まえたぞ、ルネ、セレナ! 二人とも余と共に来るのだ!」
「嫌だと……言って……いるでしょう!」
アンジェはマラキオンの角めがけて短剣を薙いだ。ガキィン! 金属質な音がして指先から肩の付け根までが一気に痺れる。マラキオンは口が裂けるのではないかと思うほど怖気が走るような笑みを浮かべ、アンジェの足をべろりと舐めた。
「さあ、もう無駄だ……大人しく余と共に来るのだ」
「嫌よ……リリィちゃん!」
空中に留まるガラス玉の中、リリアンは必死に小さなエリオットを抱えて治癒魔法を使っている。ああ、届かない、貴女を守りたいのに! あれだけ剣の修行をしてもまだ足りないのだわ、魔物には敵わない。何度振り下ろしてもこの忌々しい魔物を倒すどころか傷つけることすら能わない、なんて無力なわたくしなんでしょう! せめて、リリィちゃんとアンダーソンさんだけでも助けたいのに、誰か助けて、誰か! ──フェリクス様、お願いです、どうか!
「アンジェエエエッ!!!」
待ち望んだ声が、光の刃が空を切り裂く。振り仰いだ魔物の腕をかいくぐり、アンジェを捕らえる腕を、二の腕のあたりから一瞬で斬り飛ばした! 空中に投げ出されたアンジェは自分を掴んだままの腕を蹴るが、それはまだ意志を持ちアンジェから離れない。光の刃がほんの一瞬ひるがえり、アンジェの足に残った腕が刻まれ、ぼろぼろと崩れながら消えていく。強い腕がぐいとアンジェの手を引く、アンジェはその手に縋って空中で姿勢を立て直した。
「アンジェ、よく堪えた、もう大丈夫だ!」
風に靡く金髪、怒りに燃えてなお澄んで煌めく緑の瞳。構えているのは太陽のように輝く大ぶりの剣、制服の上から彼を守る白金の鎧と──その背に大きく広がる、薄く透けるような翼。
「お嬢! 助けに来たで~!」
フェリクスと、その肩に乗るディヴァ・ブレイズが、アンジェに向かってにこりと微笑んだ。
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悪役令嬢ですが百合に目覚めたので正ヒロインを籠絡させていただきます!〜婚約者様、百合に挟まるなんて言語道断でしてよ、潔く身をお引きあそばせ〜 金燈スピカ @kintou_spica
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