第53話 いい人止まり、ゲームをする②


 空から降る白い肉の礫は、地表に吸い付けられるかのように猛スピードで加速して、駐車されていたトラックの天井に轟音と共に落ちた。

 勢いのまま跳ね上がり、雪の積もる地面に落ちて潰れる。


 積もった雪が鮮烈な赤色が染まっていく……


「灯里ッ‼︎」


 オレは反射的に叫んでいた。

 そして、気づく。


 自分の声が高い……


 それは、久しく忘れていた、声変わり前のオレの声音だった。

 自分の体を見下ろすと手も足も小さく、着ている服も当時のものだ。


 小学生の自分に戻っている……

 その意味は理解できなかったが、小さい心臓はバクバクと音を立てて鼓動していることはわかった。


 早く助けなけきゃ、灯里が死んじゃう――ッ!

 

 誰か、大人はいないのか。

 必死に周囲を見渡すも、雪に音を消された世界は夢みたいな静謐に満ちている。


 その間にも、赤い雪はみるみるうちにその範囲を広げ、灯里の顔から血の気が失せていく。


 手を離してはいけない。

 それを思い出す。

 でも、なにと手を繋いでいるんだっけ? なぜ離してはいけないんだっけ?

 ……思い出せない。


 どうしてオレは、こんなところで立ち止まっているんだ?

 灯里の命以上に大切なものなど、ないはずじゃないか。

 

 オレは、ついに一歩前へ踏み出す。


 その瞬間だった。


 ――あのときから私は、ずっと寂しかった。


 オレの足は、雪を踏み締めたまま、止まっていた。

 

 ……違う。

 そうだ。灯里は、生きている。

 

 灯里はこの日からずっと、オレが現実に向き合うのを耐えて待っていたんだ。

 その気持ちをなかったことにするなんて、オレにはできない。


「……これは、嘘だ」


 オレは、高い声で虚空に向かって告げていた。


 幼い灯里の肉体は、今や真っ青に変色し、生を感じさせなくなっている。

 それでも、オレの心は揺るがなかった。


「どんなことをしたって、騙されやしない。灯里とオレはこの日を乗り越えたんだ。オレたちは、とっくに前を向いてる」


 灯里が飛び降りた。

 その事実も、オレの罪も消えることはない。

 忘れることもきっとない。


 それでも、灯里が現実でオレを待ってくれているのなら。

 この後悔も、まっすぐに受け止める。


「……今駆けつければ、この女が飛び降りた過去をなかったことにしてやれるぞ?」


 まるで思考を読んだかのように、灰色の雪雲から甘ったるい声が降ってきた。


「いらない」

「お前が悪夢に苦しめられることもなくなる」

「余計なお世話だ」

「……そうか」


 雲は盛大なため息を落とすと、


「つまらんのぉ」


 灯里のいた白い景色が、さらなる白で上塗りされ始めた。

 雪粒が全て綿毛に代わり、下から上へ浮上を始める。

 見慣れた街並みは消え去り、見慣れない純白の地平線が姿を表す。

 

 オレの視界は、大人の高さまで戻っていて。

 繋いだ手の先には、燐がいた。



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次回、いい人止まり、選びます。

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