第54話 いい人止まり、選ぶ①


「純くん……!」


 燐が体当たりするようにオレに抱きついてきた。

 小さな頭がオレの胸板にぶつかり、痛みを感じる。


 痛いってことは……終わったんだよな……?


「さて、よくやったのぉ」


 声に振り返ると、ベッドの端に座る女王が、肩肘つきながら不満そうに手を叩いていた。


「お主は最後まで手を離さなかった。驚きじゃ」

「……とか言いながら、今も幻覚の途中じゃないだろうな」

「用心深い奴じゃのぉ……わらわの負けじゃ。もう『良い』ぞ」


 『良い』というまで手を離すな、というのが、ニァブが最初に提示したルールだ。

 つまり、今この瞬間、この戦いの勝利者はオレに決まったのだった。


 オレはようやく安堵の息を漏らした。

 ただ、念の為、燐の手は絶対に離さない。


「しかし面白いものを見たのぉ」


 女王は、首を傾けながらケラケラと笑い立てる。


「お主、大事な女が二人もいるのか。助平な奴よの」

「なんとでも言え。勝負に勝ったんだから、燐の呪いは解いてもらうぞ」

「あ? なにを言うておるのじゃ?」


 ニァブはまた訳のわからぬことをとでも言いたげに眉を顰めた。


「今のは、わらわを起こしたことへの償いが済んだだけじゃ。燐の話などしておらん」

「んなっ……」


 オレは絶句した。

 絶望が脳内に渦を巻く。

 燐を取り返すには、ここから更に、この化け物と交渉しなければならないということだ。

 今受けて立った勝負の破壊力を考えると、次もまた勝利できるという自信はない……


「さて、燐。お主はこちらに来るんじゃよ」


 女王は、その非の打ち所もない手を燐に向かって揺らした。


「い、嫌です……」

「その男は、いずれ必ずお主を忘れる。いくらこやつの近くにいようとも、お主の思いは決して叶わぬ」

「……嫌」

「契約じゃ」


 女王の瞳が強く光った。

 途端に、燐の手がわずかに緩む。

 オレは、行かせないように彼女の手を強く握った。


 このままでは、まずい……

 魔法のようなものを操る化け物相手では、燐は今すぐにでも攫われてしまうだろう。

 しかし、こんな理不尽な魔物に、生身の人間ごときがどうやって戦えば……


 一瞬気弱になった心を、オレは叩き起こした。

 オレが諦めてどうするッ!

 諦めなかったから、ここまでこれたんだろ!

 燐のために、最後まで手を探すんだ……

 この状況をひっくり返せるような、起死回生の一手を……


「ププッ! どうしちゃったの純、暴れ馬みたいに立ち尽くしちゃって! お尻ピンピン!」


 キンキンした声に見上げると、ピルィーがオレの周りを煽るように飛んでいた。

 喩えが真逆すぎるだろ。

 あとペンペンだ。

 イラッとしたオレは小妖精を捕まえようとして――閃いた。

 そういえば、コイツが教えてくれたことがある。

 それが女王にも効くなら、あるいは――


「……オレの記憶は面白かったか、女王」


 美しく大あくびをするニァブに向かってオレは尋ねた。


「おぉ、寝起きの余興としてはなかなかだったぞ」

「そうか」


 オレは言質を取ってから、名乗りを上げるように告げる。

 地上でピルィーが口にした言葉。

 そのルール名を。


「妖精の掟、第十二」


 女王の動きが、ピタリと止まった。



――――――――――――――――――


次回、いい人止まり、立ち向かいます。

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