第43話 いい人止まり、すべてを理解する


 その日、寮の自室に帰ってきたオレは、机の影に身を屈めて分厚い紙束を引っ張り出した。

 

 ――ょずくゐなゅぽりを忘れるな。

 

 そんな共通のメッセージが記された、謎の紙片たちだ。


 オレは床に座り込み、以前、燐が発したセリフをじっと回想する。


 ――純くんはこの人のこと思い出せた系〜?

 

 彼女はこの文字列を見て、『この人』といった。

 彼女の置かれた不可思議な状況を鑑みるに、彼女はオレよりも世界を正しく認識できている可能性が高い。

 であれば、オレは自分自身の認知のほうを疑うべきなのだろう。


 オレが忘れた人間なんか、一人しかいない。


 オレは、紙片を適当を数枚取る。

 意味不明に見えるこの『ょずくゐなゅぽり』が、実際には人の名前であるならば。

 真のメッセージを文字の奥に推測するのは容易だった。


 ――田村燐を忘れるな。


 もしこの推理が正しければ、芋蔓式に別の謎にも解が出る。

 

 なぜこの紙束が、オレの部屋で眠っていたか。

 

 燐との出会いを繰り返した三十六回のうちの、どれかのオレの仕業だったからだ。

 

 ある日、燐を忘れかけていることに気づいた彼は、パニックに陥った挙げ句、メッセージを書き殴り、壁に貼りまくったのだろう。

 忘れたくない一心だったのだ。

 それなのに、翌日のオレはそんな努力さえ忘れ、謎のメッセージが壁一面に並ぶホラーじみた光景に恐怖する。

 そして、すべてを剥がして、部屋の奥に押し込んだのだ。

 

 合っているという自信がある。なぜなら、すべてオレだから。

 

 つまりこの紙束は、過去のオレの、努力と敗北の証だったわけだ。


 皮肉な答えに、オレはこめかみを抑えた。

 それにしても、不自然な事象だった。

 記憶をなくすどころか、名前の読み取りでさえできなくなるなんて。


 まるで、誰かが燐をこの世から隠そうとしているかのようだ……



   ◇



 そこまで理解していたくせに、結局オレが始めたのは、メッセージの再生産だった。


 一度失敗したと分かっていても、可能性があるのなら、やるべきだ。

 オレが今回思い出したのだって、わずかな運の積み重ねだったのだから……


 手近なノートを引っ掴んでは、ページを破り、記憶にない過去の自分と同じように、メッセージを書きつける。


 ――田村燐を忘れるな。


 そして、量産したそれが充分量に達したら、壁に無心で貼っていく。


 今更気づいたが、一枚書いてコピーすればよかったんだな……

 普段ならすぐ思い至りそうなのに、一度も疑いをもたなかった。

 心は納得したつもりなのに、体は思いの外、この異常事態についていけていないらしい。


 財布に金がなかった理由に思い至りながら、大量の紙を無駄にしているその最中。

 部屋に、ノックの音が軽やかに響いた。

 

「おーい、純。いるー?」

「どうぞ」


 扉が開いて、瑛一の声がするりと入ってくる。


「純、今日どこに行ってたの? 灯里がプンプンしながら探して――」


 と言って、言葉が止まる。

 振り返ると、ドアの先では親友が電池切れしたロボットのように停止していた。

 

 青ざめた顔で、オレと紙片だらけの壁に釘づけになっている。


「……純が、ついにおかしくなった」

「まぁ、そう見えるかもな。本当は世界のほうがおかしいんだけど」

「あわわわ……」


 オレは、作業中の手を止める。


 ちょうどいい。

 確認したいことがあったのだ。


「あのさ、瑛一。オレ、最近ある女とよく会ってたんだが、覚えてるか?」

「え、なにそれ……いつの間にそんな罪作りなことしてたの……?」

「同い年で北欧系クォーターでホームレスやってる奴なんだけど」

「幻覚まで見えるように……」


 瑛一は手を口元に持ってきて、ワナワナ震え始める。


「この話、前にもお前にしてるんだが、覚えてないか?」

「初耳だよ……」

「本当か? よく思い出して」

「本当だって! 友達がそんなヤバい話してたら、忘れるわけないって!」

「だよな」


 諦めて、作業に戻る。

 瑛一はそんなオレを、倫理に反する人造生物でも見せられているかのように、恐ろしげに見やった。


「……ダメだ、完全に壊れてる。純、一緒に病院いこう? ね?」

「おう、今度な」


 生返事を返すオレに、瑛一はしばらく心配げに佇んでいたが、しばらくして部屋を出ていった。


 バタンッ――と扉が閉まり、再び部屋は一人になる。


 やはり、この世界の誰も、燐の存在を覚えていないらしい。

 燐にまつわる話すらもだ。


 恐らく、今の世界で、燐と昨日の話ができるのは、オレ、ただひとりなのだろう。

 そんな状況では、友人に引かれようが、病人扱いされようが、気にしてはいられない……

 

 部屋の四面を、未来の自分へのメッセージで埋め尽くし終わる。


 最後に、オレは机に置いていた質の違う紙を手に取った。

 帰寮前に燐から受け取っておいた、水彩画だ。


 オレをモデルに描かれた絵は、過去に描いてもらった分も含め、全部で十枚あった。

 合計九回も受け取るのに失敗してきたという事実に心苦しさを覚えながら、それを壁のど真ん中に貼りつける。

 自分で書いたメッセージよりも、ずっと力があるような気がした。


 まだ、少しやれることはある。

 部屋の改造が終わったオレは、公園で撮った燐との写真を、スマホのロック画面に登録した。

 そして、アラームを一時間ごとに設定する。

 アラームのテキストには『思い出せ!』と書いておく。

 こうすることで、一時間に一度、記憶をなくしていないか確認できるという寸法だ。


 逆に言えば、思いついたのは、そのくらいだった。


 理由のわからない記憶喪失に抗える手段など、確立されているわけがない。

 すべては賭けだ。

 

 どうか、効いてくれ……!


 オレは、様変わりした自分の部屋に向けて、ただ、祈るしかなかった。



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次回、いい人止まりが北欧ギャルと徘徊します。

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