第42話 北欧系ギャル、過去を語る②
「アタシって、子供のころから変な子でさ。妖精が見えたんだ〜」
燐が口にしたのは、それこそおとぎ話に出るような、架空の生き物の名前だった。
「小さくて、かわいくて、いつも私の周りでやかましく話してる子たちでさ。アタシは、その姿を見たまま、感じたまま、絵に起こしてたの。アタシの絵は、彼女たちとコミュニケーションを取るための道具だったから、描いたら描きっぱなし。どこかに出すなんて発想もない。でも、ママはそれを大事にアルバムに残しててさ。ある日偶然それ見た親戚のおっちゃんが、この子は天才だって言い始めたんよね。んで、勝手に公募に出しちゃって、すぐ落ちるだろうって思ってたら、ポンポン進んで賞まで取っちゃった。大人向けの公募だったのに」
「凄いな……」
「全然だよ。続かなかったからね」
燐は鼻を鳴らしてあざ笑う。口調は、突き放すように冷淡だった。
「確かに、みんなアタシのことを、凄い、天才だ、って持ち上げた。アタシの家には芸術系の人なんていなかったからさ。もう親族揃ってワッショイワッショイって感じ」
外の街では、信号待ちの車がテールランプで赤い数珠を作っている。
その光景を、肩肘をついてつまらなさそうに眺めながら、燐は続けた。
「でもそれで、期待に答えないと、って気負うようになったころには、妖精はアタシの周りからいなくなった。きっと、心が成長しすぎたんだね。おとなしい、平凡な絵しか描けなくなった。賞なんか当然取れない。でも、ママもパパも、アタシへの期待をやめなかった。おじいちゃんもおばあちゃんも、叔父さんも叔母さんも、名前も知らない親戚もみんな、アタシの将来を楽しみにしてた。だから、朝も夜も、絵だけ描いた。期待ハズレみたいに思われるのが怖くてさ。絵だけが、アタシと人を繋ぐものだと思って、頑張った」
そう言って、苦笑する。
「でも、頑張れば頑張るほどわかるんだよ、自分の天井っていうのが。どんどん行き詰まって、苦しくなって……で、逃げた。絵画教室からも、公募からも、ぜーんぶ逃げた。高校は美術科に入ったけど、本当はもう絵なんか描きたくなかった。だから、学校はサボり始めた。ついでに、二つ結びしてた髪も下ろして、膝下だったスカートも思いっきり上げた。笑っちゃうよね? ザ・反抗期って感じ?……でも、アタシにとってそれは必死な行動だったの。誰にも期待されたくない、誰にも見つけられたくないって、本気で思ってた……そういうお願いが、叶っちゃったんだろうねェ」
声の明るさとは裏腹に、彼女の腕は小刻みに震えている。
オレは、少しも身動きが取れなかった。
「あ、なら罰でもないか。誰かがワガママを叶えてくれたんだもんね。感謝しないと」
彼女は、笑っていた。
自嘲するように。
自衛するように。
テーブルの上に置かれていたドリアは、もうすっかり冷え切っている。
オレは、苦々しさに歯を噛み締めた。
これが、理不尽なこの事態を納得するために、彼女が考え出した『理由』。
逃れられない現状を、耐えて、躱して、逸らして生きていくための『ストーリー』。
「あ、こんな話聞かされても困るよね。ごめんね、ダラダラ喋って。食べよ? ポテト冷めちゃうよ?」
燐は、テーブルの真ん中に置かれたままの皿を指さしながら、自分のドリアにも手をつける。
「なぁ」
「うん?」
「この話、今までのオレにはしたのか?」
燐のスプーンの動きがちょっと止まる。
「……んーん。ここまでちゃんと話したのは初めてだよ」
「なら、今回で終わらせよう」
オレの言葉に、燐は目を点にする。
空いているほうの手を、遠慮するように顔の前で振る。
「で、でも、もう一年も経って、ある程度受け入れてるっていうかさ。純くんと一緒にいられれば、アタシはそれでいいんだけどな」
「灯里のことで悩んでたとき、助けてくれたのはお前だろ」
オレは逃げようとする燐の双眸をしっかりと見据える。
直感が告げていた。
今、彼女を逃したら、次は絶対に来ない……
「大事な人にはちゃんと向き合えって教えてくれたのも、お前だ」
「だ、大事って……純くん恥ずかしいこと言うじゃ〜ん……」
「次はオレが助ける番だ」
考える前に体が動いて、オレは燐の傷だらけの手を取っていた。
「ふぇっ……⁉」
「確かに、夢みたいな話だとは思う。でも、絶対に見捨てない」
両手に燐の手を握り、想いを真っ直ぐに伝える。
定まらなかった燐の瞳が、ようやくオレと合わさった。
「でも……これ以上純くんを付き合わせても……」
「なぁ。オレの絵って、もう完成してるか?」
「え……? う、うん。できてるけど……」
「今日、くれるか?」
燐はわずかに息を呑んだ。
「……小屋に戻ったら、渡せる」
「全部ほしい。過去の分も含めて、全部」
「わかった……あの、ありがと……」
オレは、彼女の心に直接届くように、握る手に力を込めて言った。
「絶対に助けるから」
渾身の言葉は、返ってこない。
対面の燐は、呆気に取られたように目をしばたたかせていた。
「純くんってやっぱり……」
「おう」
「どこまでも……いい人だよねェ……」
「なんだそりゃ。バカにしてるのか?」
「してないよ。だから好きになったって話」
そう言って、燐は深々と頭を下げた。
「よろしくお願いします」
再び顔を上げた燐は、オレに優しく笑いかける。
向かい合ったオレは、思わず苦い顔をしてしまった。
そのほほえみには、彼女の諦めが見え隠れしていたから……
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次回、いい人止まりが『ょずくゐなゅぽり』を理解します。
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