第41話 北欧系ギャル、過去を語る①


 容赦なく吹き荒ぶ夜の風が、体を冷やす。


 燐がようやく落ち着いたのは、もう日が沈みかける頃だった。


 オレは、泣き疲れてボロボロの燐を連れて、近くのファミレスに移動した。

 土曜夕方のファミレスは混雑していて、賑やかだ。

 店内を走り回る子供とその親たち、キンキンと騒ぐ小学生軍団、文化祭を抜け出したうちの学生も、所々に座を占めている。


 彼らは、平凡で、普通で、何の憂いもなさそうで。


 オレも数時間前までそちら側だったのが、信じられない思いでいた。


 

 対面に座る燐が、一足先に届いたドリアをゆっくりと口に運ぶ。

 病み上がりのようなその弱々しさは、これまでの活発な様子が嘘だったかのようだ。


 いや、実際嘘だったのかもしれない。


 明るく振る舞うために残していた力は、涙とともに流れてしまったのか……

 彼女の額には、憔悴の色が浮かび、一気に何歳も老けたように見えた。


 だが、オレは現状をもう少し知らないといけない……


「悪い。ちょっと、聞いていいか」

「うん」


 燐は、コクンと首振り人形みたいに頷く。


「オレの記憶って、いつもどのくらい保つんだ?」

「関わりかたによるよ。ちょっと話した程度なら一時間だし、毎日その……強い刺激を与えると、よく覚えてもらえる。アタシ、純くんの記憶に残るために、実は色々やってたんだよ……」

「刺激って……それ、もしかして……」


 嫌な予感に顔を引き攣らせるオレに、燐は淡く微笑む。


「例えば、最初にお風呂を借りるのとか。あれ、鉄板ネタなんだ〜。そうすると、安定して記憶に残るから。最初は本当にドキドキしたけど……」

「待て待て。じゃあ、初対面でやたらベタベタしてきてたのも……」

「……本当はアタシ、得意じゃないんだよ、ああいう積極的なの。ちょー奥手が頑張ってやってただけ」


 彼女は、わずかに耳を赤くして手元に目を落とした。


「な、なら……! 会っていきなり告白してきたのも、風呂になかなか入らないのも……全部、必要な手順だからやってたってことか……」

「そう。本当は毎日お風呂入りたい」


 オレは思わず眉を押さえてしまう。

 

 今までの不自然な行動は、三十七回の出会いのなかで最適化された行動だったんだ。

 

 そうだ、彼女は言ってたじゃないか。

 オレにしかこんなことはしてないって。


 嘘なんかじゃなかったんだ……


「とにかく、覚えてもらうためには、できるだけアタシに触って、関わってもらう必要があったの。ごめんね、無理やり抱きついたり、ちゅーしよとか言ったりして……気持ち悪かったよね……」

「んなことないけどさ……」


 むしろ役得なとこあったけれども。

 そんなオレの心の声には気づかない燐は、力説する。


「でもね? どれだけ頑張っても、今回みたいに一ヶ月も覚えてたことなんてなかった。今日、純くんが正門に走ってきたときは、正直ビックリしたよ。絶対絶対、思い出さないと思ってた」

「なのに、待ってたのか……」

「うん……」


 燐が、俯いたまま呟いた。


「だって、新しい服、見てほしかったから……」


 そのいじらしさが、オレの胸が締め付ける。


 それだけのために、思い出すともわからないオレを待っていたのか……

 門の前で、何時間も立ち尽くして……


「よく似合ってる」

「……ありがと」


 はらと花が落ちるような恥ずかしげな笑みが、いたたまれなかった。


「燐がその……今の生活になったのって、去年の秋からなんだよな」


 尋ねる最中に、店員がオレの注文したポテトを持ってきたので、オレはぼかして質問をする。


「うん。ちょうど丸一年くらいだね」


 燐はスプーンで食べかけのドリアを弄びながら答えた。

 オレ同様、燐も食欲はあまりないようだ。


「そっからずっと、あの公園で暮らしてんのか」

「ううん。最初はそれこそ、支援してくれる施設に泊めてもらったりしてたよ。でも、最後は絶対『勝手に住み着いてた女』になって、追い出されちゃうから」

「なるほどな……」


 オレは眉を顰める。

 確かに、人から忘れられては、公的機関に頼ることさえ困難か。


 金もない、住所もない、知り合いは自分を忘れていく……

 燐がどうしてホームレスでいたのか、ようやく合点がいき始める。


 彼女の場合、本当にそれしか選択肢がなかったのだ。

 

「わかんねぇけどさ。忘れられ始めた時期に、なにかあったのか? なんかキッカケとか、原因とか、思い当たることは……」

「それが、特にないんだよね……だって、変なこと過ぎてさ。原因だって、あるのかどうか……」


 言葉尻が、力なくしぼんでいく。

 そりゃ、そうだ。

 特定の人間がピンポイントで世界から忘れられるなどという事態は、いわゆる超常現象の部類だ。

 原因も、キッカケも……解決策だって、あるという保証はない。


「最初は夢かな〜、なんて思ってたけど、全然醒めないし。だから、これはきっと、罰なんだろうなって今は思ってる」

「罰?」

「うん。アタシが逃げた罰」


 燐は、すっかり暗くなった窓の、なにもない一点を見つめている。


「昔ね、絵で賞をもらったの」


 ポツリと、独り言のように言った。



――――――――――――――――――


次回、北欧ギャル、過去を語ります。

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