第40話 いい人止まり、北欧系ギャルの秘密を知る②


 ……愕然とした。


 三十六。

 いくらなんでも、多すぎる……


 その数字は、残酷な一つの事実をオレに提示する。


 つまり、オレはこれまで三十六回、燐を初対面として扱ったのか。

 燐はオレに、三十六回忘れ去られたのか。

 

 最悪だ。

 なにが、助けになりたい、だ。

 なにが、燐を救わなきゃ、だ。

 

 オレも、加害者だったんじゃないか……


「ごめん、オレ……」

「謝ることじゃないってェ。みんなそうなんだから」


 彼女は、イヒヒと笑う。

 その様子は、あまりにいつも通り過ぎた。

 それがオレの心をさらに苛む。


「でも……オレは燐のこと、ずっと傷つけて……」

「それは違うよ。むしろ、純くんはあーしを救ってるんだから」


 そう恥ずかしげもなく言い切ると、燐は懐古するように高い空を見上げる。


「何度忘れられたって、無視されたことは一度もない。毎回初対面なのに、必ずあーしを助けようとしてくれる。こんなに優しい人がいるんだ〜って、あーし、会うたびに感動してた」

「そんなことは――」

「普通じゃないんだよ。純くん」


 有無を言わせない呟きに、オレは口を閉ざさざるを得ない。


 以前、燐に言われた一言が、さらなる重みを伴って返ってきた。


 ――普通の人は、あーしを見ても遠巻きに眺めるだけ。

 

 彼女が晒されてきた『普通』の数を、オレはなめていたのかもしれない……


「それにね。忘れられるのも、悪いことだけじゃないんだよ?」


 彼女のキラキラした視線が戻ってくる。


「それこそ純くんがどれだけ優しいかはそれで知れたし、あと、後悔してもすぐやり直せるから、思い残しがないんだ〜。去年の冬は雪合戦したし、春はお花見したし、夏は花火もスイカ割りもできた! 楽しかったなァ……」

「でも、オレにはその記憶がない……」

「あーしが覚えてれば、それで充分」


 明るく笑うのが。

 どこまでも悲しくて――


「だから、これはこれで楽しい生活ってわけ」


 燐は、自分の悲惨な人生をそうまとめた。


「住めば都? だっけ。そういうやつだよ。こんな生活でも、思いやってくれる人さえいえば、それで充分」

「そんなわけないだろ……」


 オレは呻くように呟く。

 知らぬうちに、強く歯を食いしばっていた。

 世界の理不尽に対して、怒っていた。


「え〜? 意外とそうなんだってェ」

「違う」

「でも生活もさぁ、外で寝るのだってゴミ漁るのだって、慣れちゃえばへっちゃらだし〜」

「強がりだろ……」

「そうだよ。強がり」


 ハッとして顔を上げると、隣に座る少女は静かで深い怒りを発していた。


「……ツライに決まってるよね。夏は熱中症になるし、冬は凍死しかけるし、ゴミ漁りは恥ずかしいし悔しいし、鍵もない小屋で寝るのは泣くほど怖いよ。当たり前じゃん。それで強がりって言われたら、アタシはどうしたらいいの?」


 オレに向けられたのは、初めて見る彼女の激怒した表情だった。


「原因も理由もわからないんだよ? 何もできない。時間が経っても解決しない。なら、少しでも明るく考えて、受け入れるしかないじゃん! そうしないと、生きていけないんだから!」


 彼女の剣幕に、気圧される。

 オレの隣で落ち着いていた湯たんぽが、驚いて逃げていく。


「ご、ごめん。オレ、全然わかってなかった……」

「許さない」


 彼女は憎々しげにオレを睨む。

 そして、勢いのままに捲し立て始めた。


「覚えてないと思うけどさ。純くん、いっつも自分の絵を描いてってお願いするんだよ。だから、そのたびアタシも描いてあげてるの。でも、完成するころにはあーしのこと忘れてて、受け取ってもらえたことなんて一度もない。何枚も何枚も何枚も何枚も、描いては仕舞い込んで、描いては仕舞い込んで……今日の文化祭だってさ、ずっと立ってるアタシをみんなどんな目で見てたと思う? ひどいよ、本当に……」

「ごめん……」

「ひどいよ……みんなひどいよ!」


 溜まりに溜まった愚痴が、怒りが、マグマのように吹き出し続ける――


「せっかく仲良くなった人も、ちょっと会わなかっただけで『初めまして〜』とか言ってくるしさ! 助けてあげるから待っててねって言った人は、アタシを置きざりにして帰ってこないしさ! それで文句言ったって、最後はアタシしか覚えてない……なんだよ、みんなして……ひどいよ……」


 荒れ狂う燐の頬には、透明な涙が幾筋も伝っていた。


「ごめん」


 オレには、それしか言える言葉はなくて。


「……やだよ、もう」


 流れ続ける涙を乱暴に拭っても、止まる気配はなく……


「忘れられたくない……忘れられるのは……ツラいよ……」


 燐は、突然オレの服を引っ掴むと、顔を埋めて泣き始めた。


 心が張り裂けるような痛々しい嗚咽が、誰もいない公園に響いていた――



――――――――――――――――――


次回、いい人止まり、整理します。

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