第四章 銀髪美少女よ、頼むから離れないでくれ

第39話 いい人止まり、北欧系ギャルの秘密を知る①


「ちょっと待てって。なにか知ってんのか? 説明してくれよ、燐!」


 再三の問いにも無言を貫いた燐は、公園に着くと、ようやく口を開いた。


「説明もなにも、さっき言ったことがすべてだよ〜」


 近場のベンチに腰掛けながら、彼女は言う。


「それじゃ、なにがなんだか……オレが正常なわけあるかよ……!」

「混乱するのはわかるけど、まず、信じてほしいな〜。おかしいのは純くんじゃなくて、あーしのほうなの」

「……なんでそうなんだよ。オレの頭の問題なのに」


 記憶の不具合。

 燐の言葉。


 すべてが理解不能で、まるで世界から煙に巻かれているように思える。


 燐は、疲弊したように――実際、オレを待ち続けて疲れ切っているのだろう――息を吐くと、隣の席をポンポンと叩く。

 オレは渋々そこへ座った。

 風が、梢にわずかに残る枯れ葉を揺らしている。


「純くんって、おとぎ話とか好き?」

「は……?」

「今からメルヘンなお話をするけど、最後までちゃんと聞いてね」


 そう前置きすると、燐はまるで昔話を読み聞かせるように、訥々と語り始めた。



 * * * 



 ――昔々あるところに、ひとりの女の子がいました。


 女の子は、高校一年の秋から、周りの人たちがおかしくなっていることに気づきました。

 人々が皆、女の子に初めて会ったように挨拶するのです。 

 

 近所の人、親戚、先生、友達と、段々、女の子のことを忘れる人たちが増えていきます。

 しまいには、女の子の両親までが女の子のことを忘れ、言いました。


「私たちに娘なんかいない。気持ち悪いから出ていけ」


 と。


 女の子は途方に暮れてしまいました。

 お財布に入っていたのは、わずかばかりのお小遣いだけ。

 これでは生きてはいけません。

 女の子は、近くの公園で野宿することにしました。


 散歩中の人も、お巡りさんも、お役人さんも、福祉施設の人も、女の子を見ると、皆心配して声をかけてくれました。

 ですが、誰も、女の子を覚えておくことができないので、女の子を守ってはくれません。

 そのうち、女の子は助けを求めるのを諦めて、独りで生きることに決めました――



 * * * 



「そして、今このお話を聞いたアナタも、そのことをすっかり忘れてしまうでしょう。なぜなら、女の子に関わることは、誰の頭からも消えてしまうのですから……おしまい」


 彼女は、静かに口を閉じた。

 まるで、話すことに慣れすぎたような、意図的に感傷を省いたような、あまりにも空疎な昔話だった。


「今のって……」

「純くんがおかしいんじゃない。みんなそうなんだよォって話〜」


 女の子は、虚空を見つめたまま、他人事のように答える。

 その顔には、おかしな話をしたという恥じらいも、嘘を突き通すための虚勢も見当たらない。


 まるで、すべてを諦観しているかのように。

 彼女は、遠くの空を眺めていた。


 オレはそのとき――腹を立てていた。


 ふざけた話だと思う。

 到底、信じられるストーリーではない。


 こんなものは、まさに彼女が自分で言った通り、メルヘンなおとぎ話だ。


 ……実際に、体験していない限りはそう思ったろう。


 文句の代わりに心の底から湧き上がっていたのは、ゾッとするような実感だった。


 もしあのとき、瑛一が差し入れをして灯里に連絡を取らなかったら……

 もしあのとき、灯里と文化祭を回らなかったら……

 もしあのとき、らいむがオレたちに声をかけていなかったら……


 オレは、燐のことを綺麗さっぱり忘れ、平然と彼女のいない生活に戻っていたはずだ。


 確信がある。

 そんな自分が、恐ろしい……


「……なら、どこまで嘘だったんだ」


 オレは、震えを抑えて、なんとか尋ねた。


「結局、親御さんはちゃんといるんだな」

「あ、うん。元気〜。娘はいないって言う親を親と呼んでいいなら、だけどね」

「素性を全然話さなかったのは……」

「ほら、変に連絡取られたりしてもさ、時間を無駄にするだけだし。人生を有意義に使うための、時短術ってやつ〜?」


 嫌なライフハックだった。

 知ってると便利な小技みたいに言うな。


「それに、怖がらせちゃうしね〜」


 燐は、ついでのように付け足した。


「……親をか?」

「うん。だってさァ、初対面の子供が急に現れて、お母さんって呼んでくるんだよ? そんなのホラーだよね。祟りかなにかだと思うよ。実際、そう言われたし。だから、あーしのなかでも親はいないことにした。そのほうが互いに幸せだから」


 考えるだに壮絶な内容なのに、彼女はずっと朗らかだった。

 まるで、とっくの昔に受け入れているかのように。


 たった十六、七の少女が、突然親から化け物扱いされ、誰も助けてくれず、覚えてもらえず、ひとり野外で暮らし始める。


 オレなら、そんな状況で一年も生きられただろうか……


 励ますべきなのか、黙るべきなのか、そもそもオレに言えることがあるのか……

 

 答えを探し求めていると、不意に足元にふわふわしたものが触れた。

 見ると、湯たんぽがオレの足に体を擦り付けている。

 

 オレは……なにか慰めが欲しかったのだろう。

 身を屈めて彼を持ち上げ、餅のように伸びるその茶色を膝の上に乗せた。


 すると、彼は突然、フーフーと威嚇を始めた。


 オレに対してではない。

 彼の怒りの矛先は……燐だった。


「イヒヒ、そんなに怖がらないでよ〜」


 彼女が頭に手を伸ばそうとすると、彼女の飼い猫はより背中を丸め、激しく毛を逆立てて怒り出した。

 まるで、初めて会う相手かのように――


「……猫も、お前を忘れるのか」

「そうだね〜。でも、これもいつものことだよ。忘れられては、威嚇されて、また懐かれて、忘れられて。それでも、毎回私の布団に潜り込んでくるんだから、笑っちゃうけどねェ」


 オレは、膝の上でムニャムニャと言葉にならない呪詛を唱える猫を見下ろす。


 ――嫌な直感に、心がざわめいていた。


 忘れられては、懐かれて、また忘れられて……?


「なぁ、まさかとは思うが……」


 それは、本当に猫だけか……?

 どうしてオレが、この猫と同じじゃないと言える……?


「もしかしてオレたち、初対面じゃないのか……?」


 達観していたような燐の瞳が、驚きにゆっくりと見開かれた。


「……うん。そうだよ」


 燐は、静かに頷く。


「純くんは、今まで三十六回、アタシを忘れてる」



――――――――――――――――――


次回、いい人止まり、愕然とします。

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