第33話 いい人止まり、北欧系ギャルを盗み聞きする②


 それは、湯たんぽへの独り言のようだった。

 彼女が抱き上げた猫に向かって話しかけている絵が脳裏に浮かぶ。


「灯里っちの応援してバカだねって? だってしょうがないじゃん。いつまでもアタシに付き合せてるわけにはいかないんだからさ」


 話しかけようと前に進んでいたオレは、自分の名前が出て足を止めてしまった。

 それに燐の一人称も違う……一人で話すときはそうなのか……?


 出ていくタイミングを逸してしまったオレは、道端で盗み聞きするしかなくなる。


「寂しいだろって? そりゃあ、寂しいよ。アタシの初恋の人だもん」


 誰も聞いていないと思っているからか、照れくさいことを堂々と言う。

 今のオレ、焚き火と同じくらい赤くなっているんじゃないだろうか。


「だから、他の人のものになっちゃうのは寂しいけど、仕方ないの。諦めないと」


 まるで自分に言い聞かせるような燐の声色は、いつもの悪戯な彼女とは別人のように大人びていた。


「純くん、うまくいったかなぁ……」


 燐が消え入るように呟いたとき、猫の不機嫌そうな唸り声とともに、軽い足が枯れ葉を踏む音がした。

 燐のがっかりした声が一緒に届く。


「あーあ、逃げちゃった。貴重な話し相手なのに。もうダメかなぁ……」


 ピョンピョンと軽快な足取りで、テント前から湯たんぽが姿を表す。

 彼は、棒立ちしているオレの存在に気づくと、しなやかに尻尾を揺らして去っていった。

 まるで、代わりにお前相手しろ、と言っているようだった。


 オレは、念のため来た道を戻ってから、さも今来ていますという足音を立てて、小屋前の明るい空間へ進み出た。


「燐」

「わっ……!」


 燐は、突然現れたオレを見て、驚いたように目を開けた。

 

「純くん⁉ びび、びっくりした〜。珍しいね、こんな夜に」

「あぁ、うん。ちょっと外出してたから」


 オレは答えながら、燐の傍に歩いていく。

 焚き火は地べたに直ではなく、拾ってきたのだろう一斗缶に、小枝を入れて燃やす形だった。

 火の暖かさが、晩秋の冷え込みを遠ざけてくれる。


「え、今の聞いてた……?」


 振り返ると、焚き火の色が移ったように顔を真っ赤にした燐がいた。


「今のってなんだ?」

「あ、あぁ! 聞いてないならいいんだ〜! 忘れて!」


 すまん、燐。全部聞いてた。


「それで、今日はどうしたの?」

「あぁ。お礼言わないとと思ってさ」


 オレは気恥ずかしさに頭を掻いてから言った。


「その、ありがとな。灯里とちゃんと話せって言ってくれて。燐に言ってもらわなかったら、ずっと気づかなかった」

「……仲直りできたんだ」

「おぅ。一応」


 オレが頷くと、燐は慈愛を滲ませるように微笑む。


「良かった〜。そればっかりが心配だったからさ」


 その仕草に、オレの心は静かな痛みを訴える。


 どうして、こんなに大切な子のことを忘れていたんだろう……

 ついこのあいだまでは、あんなに心を占めていたのに。


 本気で、病院に行ったほうがいいかもしれない……


「ねぇ、ところでそれなに?」


 袋麺を開けた燐が、オレのズボンのポケットを指差していた。

 その指の先では、涙の形のアクセサリーがぶら下がって揺れている。


 それは、今日灯里がプレゼントしてきた、忘れな草のお守りだった。

 帯に短く襷に長いそれを持て余した結果、長めのスマホストラップとして採用したのだ。


「あ、あぁ! これはなんか……文実の人がくれたんだよ。みんなもらってんじゃないかな、ハハ……」

「ふーん……?」


 曖昧な物言いをするオレに、燐の瞳が猫のように光る。

 彼女は、オレを試すようにじーっと表情を観察すると、

 

「灯里ちゃんからか〜」

「え、なんでわかった……⁉」

「かまかけただけだよ、純くん」


 撃沈した。

 燐のほうが数枚上手……というよりオレがあまりに下手なのだ。


 へこむオレを尻目に、燐はオレのスマホを抜き取って、しげしげと観察すると、


「ぼっしゅ〜」


 といって、ストラップを勝手に外し始めた。


「え、ちょ。なにしてんの」

「なんかムカつくから没収です」

「コラコラ……え、本気か?」

「背中押してあげたんだから、これくらいの意地悪は大目に見てほしいな〜?」


 悪戯っぽい言い方とは裏腹に、彼女の瞳は爛々と光っていた。

 その奥には、なにか得体の知れない強い意志が宿っている。

 絶対に渡してやらんという、頑なさ。

 オレは、その迫力に気圧されてしまった。

 

「……わかったよ。好きにしろ」

「やった。ありがと、純くん。叩き割って捨てよ〜」


 燐は別の女から送られたお守りを、ウィンドブレーカーに仕舞い込む。


「え、ちょ、好きにしろとは言ったが……」

「冗談だよ〜、冗談」

「そうか、よかった……」

「せめて売るし」

「やめろって……」


 炎の前で、ヒッヒッヒ、と笑うさまは、悪い魔女のようだった。


「あ、そうだ。純くん、なんか食べる〜? ちょうど今日カップ麺仕入れたんだ〜」

「いいよ。大事な食料だろ。それに、すぐ帰らないと」

「そっか〜」

「……燐さ、うちの文化祭とか来るか。来週の土日なんだけど」


 燐は少し驚いたようにオレを見上げる。

 用意してきた言葉とはいえ、女の子を誘っているという事実に、急に気恥ずかしさを覚えてきた。


「あの……お、お礼っていうかさ! 燐も、いつもの生活から離れられると、気分転換になっていいんじゃねぇかなって!」

「……うーん」


 燐はオレの予想に反して、曖昧な笑みを浮かべたまま、黙ってしまった。

 勝手に舞い上がったテンションが、急落していくのを感じる。


「やっぱ嫌か……? そりゃ嫌だよな、知らない学生がはしゃいでるとこに行ったってツラいだけ……」

「ううん、嬉しいよ。行きたい。けど……微妙なタイミングだなぁって……」

「タイミング? なにか用事でもあるのか?」

「あるというか、ないことがあるというか……」

「どういうことだ……?」

「まァ、いっか。じゃあ、土曜日行くね! 待ち合わせは、どこにする?」


 なんだかわからんが、自己解決してしまったらしい。


「あぁ、正門でいいかな。あ、場所わかるか?」

「うん、寮までいくときに通りかかったことあるよ。わかる」

「そっか。じゃあそこで」


 パキパキ、と銀の火鉢のなかで火花が爆ぜる。

 段々、火の勢いが弱まり、照度が落ちているような気がした。


「あのさ。時間を決めていい?」


 燐は、そんな焚き火を見つめながら、神妙な顔つきで言った。


「あ? あぁ、やっぱ用事か。いいぞ、何時がいい?」

「十五時」


 彼女の口から出たのは、意外な時刻だった。


「十五……? 随分遅いけど、午前中に――」

「十五時までに迎えに来て」


 それは、有無を言わさないような口調で。

 そのズレた指定にオレはわずかに笑ってしまった。


「なんだそりゃ。ちょっとシンデレラみたいだな」

「たしかに〜」


 彼女も彼女で、クスリと笑う。


「でも、ホームレスはガラスの靴なんて立派な物持ってないからね。いるうちに捕まえないと、もう見つからないから」

「わかったよ、ちゃんと行く。じゃあ、十一時に集合しよう。そのときは開祭式とか終わってるから」

「うん」


 彼女は無言で、小指を出す。

 その意味を悟ったオレは、指切りする。


「あーし、楽しみに待ってる」

「おう」


 燐は、柔らかく目を細める。

 その姿は、焚き火の残光に溶けていきそうなほど儚くて、切ない光景に見えた。


「……んじゃ、時間だから帰るな」

「うん、またね」


 彼女は、草の生えた地面に座ったままオレを見送る。

 振り返ると、いつまでもいつまでも、手を振っている。

 

 燐は今、どんなことを考えているんだろう……

 こんな場所に独り、置いていかれて。


 火に照らされた領域は、オレが足を運ぶほどに小さくなり、公園の闇に紛れ、消えていく。

 それはまるで、世界から燐の存在が小さく消えていくようだった。



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次回、いい人止まり、文化祭で青春を感じます。

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