後編
「はぁ……」
残業を終えて一人寂しい帰り道。
けれど、私が踏みしめている場所は夜が来ても明かりが絶えない繁華街で。
「あぁ……」
お酒で火照った身体が、冬の夜風で少しずつ覚まされていくような気がする。
……明日からちょっとお酒、控えようかな。
「……」
今から家に帰れば、六時間は寝れる。それで、また明日から頑張ろう……頑張ろう。
――るろん
「っ!」
懐かしい音に背中を撫でられたような気がして、優しい音のする方を振り返った。
「こんばんは! えっと……! 大学生のういです! ここで歌うのは初めてです! お願いします!」
「……路上、ライブ」
……そっか。この場所だったよな。彼に会ったのって。
三年前。大学生のときに何か月かだけ付き合っていた、私が……で、フッてしまった、夢を追う男の子。
元気にしてるのかな? ……って、私が言うのはおかしいじゃん。
だって、私から終わらせたんだから。
……けれど、彼のことは、あの音は、今でも鮮明に思い出せる。
あぁ……! ダメだダメだ!
目の前の女の子の歌と、体中を巡るアルコールが感傷に浸らせてくる。
「はぁ……帰ろ」
白い息を吐きながら、千鳥足で駅へと向かおうとした、そのときだった。
『デビュー、おめでとうございます! アキラさん!』
「えっ」
頭のなかに浮かんでいた名前が雑踏の中に紛れて聞こえ、私は歩み始めた足を止めた。
そして、その声がした方を……見上げた。
『……ありがとうございます』
『いや~! 私、本当に感動しました! これ……デビュー曲なんですよね⁉』
『ええ……まぁ』
電気屋のビルに掲げられた大型のモニターにはあの時よりも……少しだけ大人になった笑みを浮かべるあの人が映し出されていた。
「あき、ら」
心音が、大きくなっていく。
『特に歌詞がヤバい! 刺さりまくるなどと、ネットで話題になっていますが!』
『お恥ずかしい限りです』
照れながら「あのギター」を大事そうに抱えて、微笑む。
『何かに影響を受けたとかはあるんですか?』
『……そう、ですね』
『聞いても大丈夫ですか!』
『はい……えっと……失恋ですね』
心臓がぎゅっと捕まれたように痛む。
『その経験が、アキラさんに大きな影響を与えていると?』
『そうですね……それまでは、中学生のラブレターみたいなのしか歌ってなかったんですけど』
「……っ」
いやでも、彼が語るのは私じゃないかもしれない。
だって、あれから三年も経ったんだ。
私にはなかったけど、彼には……新たな出会いや恋があってもおかしくないんだから。
『……その時の気持ちを歌にしたんです』
『それは……すごくきれいで切ない恋だったんですね』
『……まぁ。でも、後悔は……ありません。それがあったから、僕は今ここにいるから』
「……あきら」
『それでは歌っていただきましょうか!』
『はい……っ』
彼は立ち上がって……懐かしい笑顔を、カメラに向けた。
『これまでは、誰かに届いてほしいと考えながら、それっぽい言葉を並べて曲を作っていました。けど、この歌は違います。僕の大切な人に向けて作りました』
……だめだ、この歌を聞いてしまっては。これを聞いたら私は……っ。
この場から離れてしまおうと思ったけれど、それができなかった。
『僕の、大切な気持ちを閉じ込めて歌います。聞いてください――』
***
柑奈が家を出ていってどれだけの時間が経っただろうか。
まだ一時間のような気もするし、もう何日も何週間も時間が流れた気がする。
「……あぁっ」
心を抉られるように出来てしまった喪失感は、いままでに経験したことのない初めての痛みだった。
……これまでの、生きがいだった「あの音」にも触れられないくらい。
俺はもともと人付き合いが得意ではなかった。相手の感情を読むなんてこともわからないし、誰かと付き合うなんて……わからないことだらけだった。
だから、この半年未満の時間は俺にとって初めてのことがいっぱいで、何にも変えられない、大切な時間だった。
けど……俺に特別をいっぱいくれた彼女は、もう手を握ってはくれない。
誰でもない俺自身が、傷つけてしまったから。
机の上にあるネックレスを見るたびに胸が締め付けられる。
……大切に、できるだけ大切にしているつもりだった。
「……っ」
でもやっぱり、行き場のなくしたこの思いを埋める方法は、俺にはわからなかった。
柑奈と歩いた場所に彼女の影を探しながら彷徨った。
誰かの温もりを求めた。
柑奈の匂いを、別の匂いで上書きするように、毎日のように誰かと身体を重ねた。
……けど、この寂しさを紛らわせるのなら、誰の温もりでもいいはずなのに、俺の心はずっと柑奈のそばにあった。
「最低」
「それって他の女を思いながら私に好きって言ってたってこと?」
「もう二度と連絡しないで」
……そうだよ、俺はそんなやつなんだよ。
仕事もろくにせず、夢だけ大きく語って……明日なんてどうなってるかわかんないんだよ。
「……柑奈」
新しい季節が巡ってきても、自然とその名前を口にしてしまう。
あれから、もう一年も経ってるのにな。まだ柑奈を探してしまう。
……そんな先の見えない未来は、やっぱりどうしようもなく、息の詰まるようなものだった。
***
「って……」
足の踏み場もなくなってしまった暗い部屋で、床に転がっていた何かにつまずいた。
「あ……」
それは、あの日から、ずっと使っていない、ギターで。
俺から、大切な人を切り離した、大切なものだった。
「……」
なんとなく、チャックを開けて、ギターを取り出してみる。
すると、ばさばさという音を立てながら、一冊のノートが足元に落ちた。
「……」
なんでだったっけ。
俺が歌う理由って。
俺が創る理由って。
あの時、柑奈よりも音楽を優先していた理由って……
そんなことをぼんやりと思い浮かべながら、ノートのページをぱらぱらと、めくった。
「……っ」
あぁ。そっか。そうだっただろ……
幼いころのアルバムをめくるように開いたそのページには……
柑奈のために歌いたかった「あの時」の想いが刻まれてあった。
「……創らなきゃ」
自分を奮い立たせるように呟いて、机に向かう。
書こう。柑奈への想いを。
「……っ!」
殴り書きで溜まりに溜まった行き場のなかった気持ちをノートにぶつけていく。
……もっと好きと言えばよかった。
……もっと大切に抱きしめればよかった。
……もっと柑奈だけを見ていればよかった。
けど、ごめん。
いまの俺にはちゃんとわかる。だって俺にはやっぱり。
「音楽しかないんだよ」
どれだけ馬鹿にされても、音楽に触れているときだけは俺は俺でいられた。
モノクロだった気持ちに色を付けることができた。
こんな俺に、夢を与えてくれた。
だから歌うことは、創り続けることは、俺の生きるすべてなんだ!
「……書けた」
そんな痛々しい想いをメロディーで彩る。
「……久しぶりだな」
抱きかかえたギターにそっと微笑みかける。
――るろん。
優しい音に背中を押される。
食事も睡眠もとらず、時間なんて忘れて、何日も何日も、ただひたすらに、この一曲に命を注いでいく。
へたくそな生き方しかできない俺の気持ちを伝えるために、リストカットのような行為を繰り返す。
「できた……」
そして、机の上のネックレスをポケットにしまい、あの場所へと駆け出した。
***
今にも雪が降り出しそうな夜空の下、自分に出せるだけの力を使って走り続ける。
その空気感はまるで俺と柑奈の出会ったあの日みたいだった。
出会った日、柑奈は「私の気持ちを見つけてくれてありがとう」と俺に言った。
けど……違う。見つけてもらったのは、俺の方だ。
応援してくれるキミが横にいたから俺は創り続けることができた。夢を見られた。
だって、俺の歌いたかった物語には、いつも柑奈がいたから。
できることなら今すぐ、この気持ちを、大切な人に歌いたい。
いや、でも。今この声が届かなくても。
いつかこの歌を夜の光にのせて、柑奈の心に届けたいなんて、そんなことを願う。
「その前に……」
力いっぱい、けれど優しい音を奏でるように、大事なギターを鳴らす。
近くを歩く人々が、こっちを向いて立ち止まる。
「聞いてくれ……俺の歌を……」
もしかしたら、この先、俺が歌うことで誰かを喜ばせることや、傷つけることがあるかもしれない。
けど、それでいい。俺は、そういうものが歌いたい。
だって、これは俺にしか歌えない物語なんだ。
彼女の笑顔が脳裏に浮かんでくる。
けど、もう涙は流さない。だって、俺の行くべき道は見えたから。
「……とりあえず今は前を向くよ」
集まってきた観客に聞こえないようにそっと呟く。
……けどやっぱり、今でも好きだ。
ちゃんと柑奈の声を聞いてれば、俺たちはすれ違わずにすんだのかな?
……また会えるよな。もし、会えた時はあの時のごめんと、ありがとうを言わせてください。
そして、深く深呼吸をして、この小さな世界に向かって、叫ぶ。
「俺の! 大切な気持ちを閉じ込めて歌います! 聞いてください!」
彼女に届けと願うように、右のポケットに入ったネックレスを握り締める。
「『路上で咲いた恋心』
***
家に帰ってきてすぐ、私はベッドに倒れこんだ。
脳を支配していたはずの酔いは、もうない。
だって、大切な思い出を宝箱に入れて、そっと鍵をかけるような、そんな歌を聞いてしまったから……
「わかってたよ……自分の気持ち」
彼に出会った日、「私たちは似てるね」と言った。
それは、私にも夢があったから。
……あきらと同じ、音楽っていう夢が。
けれど、私には才能はなかった。
高校三年間の軽音楽部でそれがわかってしまったんだ。
「……すごいね、あきらは」
あの日、へたくそな歌をうたう彼に自分自身を重ね合わせた。
それで、いつかきっと私みたいに諦めてしまうだろうって、だから支えてあげたいって思った。
……けど、あんたは全然そんなことなかった。
あの時、必死に見ないふりをしていたけれど、自分の気持ちがなんなのかわかっていた。
あきらをフッたのは、『嫉妬』なんだって。
私にはなかった、狂気じみた強くて真っすぐなあんたの「夢」に。
「はぁ……」
でも……出会った日、あきらの歌は私を肯定してくれたように感じた。
これまで、ずっとつっかえていた生きにくさに、答えを見つけてくれたような気がしたんだよ。
だから、好きになったんだと思う。
……もっといっぱい、話せばよかった。
ちゃんとあきらの音を聞いてれば、私たちはすれ違わずにすんだのかな?
あの時、一緒に歌ってれば、今も隣にいられたのかな……?
「ごめんね」
もし、もう一度会えるのなら、あの日のことをちゃんと謝らせてください。
それから、できることなら……もう一度……
「あきらの夢をみさせてよ……」
***
さらに五年後、とある男女ユニットが『この歌を、夜の光にのせて』という歌を発表した。
それが大ヒットソングになるのは、また別のお話。
(終わり)
――――
読んでいただいてありがとうございます!
この物語は前後編の短編になっています。
よかったら、☆、♡、フォロー、よろしくお願いします!
2月9日にYouTubeにて『この歌を、夜の光にのせて』のボイスドラマ作品を投稿しますであわせてお楽しみください!
この歌を、夜の光にのせて 音平デクム @otohiradekumu
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