第3話 報

 蔡晧さいこうの剣が晦師茗かいしめいの胸元を掠める。

 もしも一瞬でも反応が遅れたら、晦師茗かいしめいの胸には剣が刺さっていたことだろう。


「その動きと先程の話。やはりお前は連剣門の生き残りだな? そして、この道観の男たちを殺したのもお前で相違ないな?」


 最初から怪しいと思ってはいたが、やはりこの男が犯人だったのだ。

 蔡晧さいこうは剣を構え直し、口の端を引き上げる。


「あの男どもは奥義書を狙う悪党と戦うためだと言って、この道観に押しかけた。道観にいた道士達はみな男達に殺され、私が辿り着いたとき目にしたのは、酒盛りをする男どもと、足元に倒れた道士達の死体。道観を守ることができなかった観主は首を吊って死んでいたのだ!」


 晦師茗かいしめいに剣を向け、蔡晧さいこうの表情は怒気に満ちていた。道観の惨状を目撃した彼は、あまりの非道な行いに怒り、男たちに剣を向けたに違いない。

 つまり観主に見立てたあの人形は蔡晧さいこうが実際に見た光景であり、それを晦師茗かいしめいに同じものを見せてやりたかったのだ。恐らく殺された道士や観主達は、既に蔡晧さいこうが埋めてやったのだろう。


(道理で雲泰門に奥義書を狙う者が来なかった訳だ)


 目の前の男が全て倒してしまったのだから。


「貴様が雲泰門を混乱させるために流した噂のせいで、罪のない人々まで犠牲になった!」


 晦師茗かいしめいは奥義書を狙う悪人ではあったが、道観の人々のことは流石に気の毒に思った。まさか噂を流したことが原因でそのような酷いことが起こるとは思わなかったのだ。

 それでも万に一つ、奥義書を奪うのを止めろと言われたとて、決して彼は止めなかっただろう。


「成る程。道観の者たちには気の毒なことであった。しかし悪事を働いたものはお前が全て殺した。確かに儂は奥義書の噂を流したが、悪いのは殺した者達だろう?」

「身勝手な言い草だ。奥義書泥棒の貴様らしい」


 晦師茗かいしめいは懐に入れた匕首に手をかける。


「待て。この嵐の中で、無駄な体力を使いたくはない。……どうだ、儂と取り引きをしないか?」

「取り引きだと?」


 蔡晧さいこうは聞き返す。


「そう。儂は知っての通り世にある奥義書を集めておる。その一つをお前に譲ろう。どうだ? 悪くない取り引きだろう」


 晦師茗かいしめいの提案を、蔡晧さいこうは鼻で笑う。


「奥義書を集めるためならどんな汚いことでもする貴様が、奥義書を一つ譲るだと? 笑わせるな。奥義書一冊のために人の命すら軽んじる者が、みすみす奥義書を手放す筈がないだろう」

「なにっ」

「十五年前。かつてお前は一夜の宿を求めた傷ついた旅人を装って、一門を皆殺しにしたな。他でもない、奥義書を奪うために。善意で迎えてくれた父や母や仲間たちに対して、あのように惨いことをするとは。私はあれからずっと、お前に復讐することだけを目標にここまで生きてきたのだ」

「若造が。お前の父すら儂の敵ではなかったというのに、その儂を討とうというのか? やめておけ」

「卑怯者がほざくな。奪った奥義書が不完全だとも気づかず十五年も喜び勇んで生きてきたくせに」

「なんだと? どういうことだ」


 晦師茗かいしめいの表情が気色ばむ。『連舞五式』に記されていた技は奥義書の名の通り五つ。それを不完全などと言うのは奇妙なものだ。

 蔡晧さいこうはそんな晦師茗かいしめいの動揺を見透かしたように口の端をあげる。


「それすら分からぬから、お笑い種だというのだ。『連舞五式』はもともと全てを記してはいない。全てを会得するには最後の技が不可欠なのだ」

「ならば最後の技はどこにある?」

「私だけが知っている」


 口からの出まかせかもしれぬ。

 しかし、本当に最後の一つがあるというのならば晦師茗かいしめいの取るべき道はただ一つ。

 この男に残りの奥義書の在りかを吐かせること。目の前にいるのは自分とは一回り以上違う、若造なのだ。『華剣絶鬼』の異名を持つ晦師茗かいしめいにとって、それは造作もないことである。

 晦師茗かいしめいは迷いなく、今度は懐の匕首を蔡晧さいこうに向けて投げつけた。


「愚かな」


 蔡晧さいこうが匕首を剣で払い落とす。

 隙ありとばかりに晦師茗かいしめい蔡晧さいこうの心臓に目掛けて掌打を打ち込んだ。若造風情が己の掌を受けきれるはずがない。きっと避けるだろう――そう読んでいたのだ。

 けれど蔡晧さいこうは体を寸分も捻らず、晦師茗かいしめいの掌を正面から受け止めた。

 激しい奔流が二人の間に駆け巡り、内力と内力とがぶつかり合う。二人の内力はほぼ互角かあるいは相手が一段上。簡単に押し切れると思っていた晦師茗かいしめいは内心驚いていた。


(まだ若造と思ったが、よもやここまでとは……!)


 そんな晦師茗かいしめいの動揺を察したかのように蔡晧さいこうが冷たく言い放つ。


「私は父や仲間たちの仇を討つことを支えに、今まで生きてきたのだ。奥義書に目がないお前のこと、同じように他門派の奥義書を狙うに違いない、そう踏んでずっとその日が来るのを狙っていたのだ。天候がここまで崩れたのは予想外だったが、お陰で橋を落とす手間も省けた」

「やはり奥義書が白紙だったのはお前の入れ知恵か。小童風情が、生意気な」

「笑止。その小童をいなすこともできない宗主とはお笑い種よ」

「たわけ!」


 内心の焦りを見透かされ、更にはあざ笑われたことで晦師茗かいしめいは激高した。素早く手を引き、法衣の中に忍ばせておいた剣を取りだす。間髪入れずに『百花迅雷』を繰り出すと、蔡晧さいこうは鮮やかな動きでその剣筋を弾く。


「っ……なんと……」


 ここまでやるとは、と思わず声が出かけたが、彼のなけなしの誇りがそれを押し止めた。しかし同時に、目の前の青年の圧倒的な強さに薄ら寒い感情を覚えている。生きた年数でいえば二十は違う筈。にもかかわらず、男の内功は晦師茗かいしめいが今まで培ってきたものの比ではなかった。

 今のままでは勝てない。

 直感して晦師茗かいしめいは焦った。


「どうやら手詰まりのようだな、晦師茗かいしめい。ならば一つ賭けをしないか?」

「賭け、だと?」

「そうだ。貴様は私と最後の勝負を、奪った『連舞五式』で勝負する。私は――『連舞五式』の最後の技でお前に挑む。そうすれば――どちらか生きて残った方が完全な形の『連舞五式』を会得出来る」


 恐らく蔡晧さいこうは自信があるのだ。華剣絶鬼と呼ばれた晦師茗かいしめいを前にして、彼は勝ち残る自身がある。

 しかし、晦師茗かいしめいとて長年江湖で生きてきた。一回りも年かさの違う若造に負けるつもりなど無い。


「いいだろう。約束を違えるなよ」

「無論だ」


 晦師茗かいしめいは剣を構えると、そして蔡晧さいこうに飛び掛かった。


    * 


 剣が折れ晦師茗かいしめいは大地に伏す。瞠目した表情のまま、彼は蔡晧さいこうを見つめている。

 晦師茗かいしめいは奥義書に記された五つの技を会得していた。仮に蔡晧さいこうが最後の一つを会得していたとしても、一つで五つの技に敵うわけがない、そう考えていたのだ。ところが結果は歴然、晦師茗かいしめいは敢え無く露と消えた。

 驚愕の表情を浮かべる男を見下ろし、蔡晧さいこうは静かに語り掛ける。


「最後の一つは奥義書を奪う者を倒すために父より口伝で伝えられた、五手五招式全ての技を打ち破るただ一つの技。奥義を会得し、その奥義を破壊する術を知り『連舞五式』は完成するということ」


 しかし晦師茗かいしめいはその言葉に応えることはなく、見開かれた瞳は既に光を失っていた。


「ようやく。完全な形で『連舞五式』を後世に残すことができる。……連剣門を再興することができるのだ」


 蔡晧さいこうは格子窓の外に目を向ける。先程までの豪雨が嘘のように雨は小降りへと変わり、雲の端には青空が覗く。

 血の臭い残る広間から一歩踏み出すと、蔡晧さいこうは足早に道観から立ち去った。

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因果応報にして、報いを受ける ぎん @tapoDK5W0gwakd

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