幕間
幕間1 魔性の君
グラントは、騎士団に所属している。否、つい先ほどまで、騎士団に所属していた。
どうして過去形なのか――それは、グラントは先ほど、上司に退職届を提出してきたからである。特に引き留められることも無く、軽く理由を問われただけで、グラントの退職は認められた。
引き留められなかったことに、まったくの不満が無いと言えば嘘になる。グラントは、自身が凄腕の剣使いであることを正しく自覚していたし、グラントの剣の腕前が非常に優れていることは、周知の事実だった。グラント自身が求められることはなくとも、グラントの腕前はいつだって評価されてきた。
――引き留められなかった。その事実は、グラントを、まるで「お前の代わりなどいくらでもいる」と言われたかのような気分にさせた。今まで積み上げてきた努力が、ガラガラと音を立てて崩れていくような感覚だった。
しかしグラントは、仕方がないことなのかもしれない、とも思ったのだ。
グラントの直属の上司にあたる人物は、まさしく魔性と呼べる男だった。剣術に優れていることはもちろん、魔法にも精通している。容姿に優れ、確かな血統のもとに権力を持ち、勉学に励み、向上心を忘れない。誰にでも丁寧に接し、尊敬の心を忘れない。
持って生まれた才能も、もちろん大きかったのだろう。だが彼は――ジョン・カマルという男は、それ以上に、並々ならぬ努力を重ねてきたのだろうということを、グラントは知っている。ジョンにとって、グラントなど、取るに足らない存在なのだろうと、そう納得した。
もっとも、ジョン自身がそれを「努力である」として認識しているかどうかは、グラントには分からなかった。なぜなら、剣を振るときの彼も、専門家と談笑する彼も、どんな彼もいつだって楽しそうだったからだ。
好きこそものの上手なれ、とはよく言ったものだ。ジョンに「どうしてそんなに努力ができるのか」と尋ねたところで、返ってくるのは「俺は努力なんてしてないよ」というセリフに違いないのだ。
努力を努力を思わない者こそが上達するのだと、グラントは痛感した。
そんな、いつだって楽しそうだったジョンの様子に陰りが見えたのは、ごく最近――ある人物が騎士団にやってきた後のことである。
彼女の名を、オニキス・オベール。オベール家の長女だ。オベール家は大商人の一家で、貴族の間では「成金貴族」だとか「混血」だとかと、蔑まれている一族である。
もちろん、グラントはそんな言葉を気に留めてなどいなかった。それはジョンも同様で、オニキスとジョン、グラントの三人は、すぐに仲良くなれた。
大貴族出身のジョンならともかく、ポッと出てきたオニキスが騎士団長の座に収まったことに、不満を抱く騎士は多かった。しかし、いつのことだったか、陰口を叩いていた貴族出身の騎士たちに、ジョンが「じゃあお前たちはオニキス団長に勝てるのか? 俺でも勝てないのに?」と言っている現場をグラントは目撃した。あの一件以来、騎士たちが表立ってオニキスに反抗することはなくなったように思える。
オニキスがスラム街の解放に向けて動いているという噂は、グラントの耳にも届いていた。
なにを無茶なことを、と思うと同時に、その計画にジョンが携わっているらしいという話を聞いたときには、どうにも胸が踊ったものだ。同時に、その計画についてグラントには何も聞かされていなかった時点で、グラントとジョンの住む世界が違うことを見せつけられたような気がした。
グラントは平民上がりの騎士だ。初めて出会ったのは貧民街の広場で、子供たちと「ちゃんばらごっこ」をして遊んでいる時だった。
「君、センス良いね」
グラントに話しかけてきたのは、当時、おそらく、まだ10にも満たない年の頃であろうジョンだった。
平民が着るような作業着を身に着けていたジョンだったが、それでも、その高貴さは隠しきれていなかった。だから、せめて失礼のないように、少しだけ苛つきながら、当時18歳だったグラントは、「どうも」とだけ返したのだ。
「良ければ、俺と手合わせしてよ」
グラントは、面倒なことが起こりそうな予感に、盛大に顔を顰める。
グラントは苛ついていた。幼い子供、それも貴族の子供が、ちょっと天狗になっているのだろう様が、見ていて腹立たしかったのだ。
この幼い貴族さまの周囲には、彼を持ち上げる下種な輩がうろついているのだろう。だから、幼いくせにこうも付けあがってしまうのだ――グラントは、この子供へ、ちょっと痛い目でも見せてやろうと思って、彼の提案を承諾した。
結果は、グラントの惨敗だった。
グラントには、ジョンの言った通り、それなりに才能があったのだろう。手合わせの最中に、貴族の子供に手加減されていることを悟った。
「ねぇ、良ければうちに来なよ。それなりに良い待遇を約束するよ」
貴族の子供は、まるで自分にはそれだけの権力がある、とでも言うかのようにグラントを勧誘した。
事実として、この時のジョンはすでに私兵を有する資格を持っていて、副官を引き抜く権限も持ち合わせていた。
グラントは、自分を打ち負かした少年を、みっともなく地面に尻もちを付いたまま見上げた。
少し長めの髪の毛は、銀を溶かしたかのような重厚な光を纏っている。青い両目は星空を閉じ込めたかのように深くも明るい色をしていて、瞳の中には一等星が輝いていた。
自身が汚れてしまうだろうに、地面を這う平民に躊躇いもなく差し出された手は、彼の在り方を象徴しているようだった。
グラントは剣が好きだった。剣が好きで、独学で剣技を身に付けた。
視界が滲む。グラントには、涙の理由が分からなかった。
「俺が、君に光を当ててあげる」
それが、ジョンとグラントの出会いだった。
――あのお方は、変わってしまわれたのだろうか。
脳裏に浮かんだ考えを、即座に否定する。
人は、そう簡単には変われない。ジョンは権力を手にして性格が変わったとのだと言う人もいるが、それには不自然な点が多すぎた。
ジョンははじめから権力を持っていたし、その権力を上手く利用していた。そんな人物が、たかが一国を手中に収めたくらいで、簡単に変わるとは思えなかった。
「突き止めてみせます」
ジョンの行動にはきっと、なにか深い意図があるはずだ。そして、ジョンの行動の鍵となっているのは、オニキス・オベールだろうと、グラントは考えていた。
「この恩、必ずや……」
あの人を助けたい。昔からひとりで背負い込んでしまう悪癖を持っている方だった。だから、今度は、自分が――。
まずは、オニキス団長に会いに行かねばならない。ジョン・カマル――あのお方を止めることができるのは、オニキス・オベール、ただひとりなのだ。
グラントの旅路は、まだ始まったばかりだった。
転生したので真の悪役になろうと思う~推しで悪役な相棒の死亡フラグ、叩き折らせていただきます~ Yuki Mamiya @mamiya_yuki
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