大人になるということは。

多賀 夢(元・みきてぃ)

大切な人の、死

「旦那が急死した」――梨沙子からDMに連絡があったのは1時間前だった。


 お通夜はありふれた葬儀場の、家族葬用の小部屋で行われていた。

「瑠璃さん達は、私たち家族に良くしてくれたから」

 夫と駆け付けた私に向かって、梨沙子は笑っていた。快活で豪快な彼女は、今日も昨日と同じ明るい顔をしていた。

「ほら、挨拶してあげてよ。びっくりするぐらいキレイな顔でしょ」

 家族葬用の小さな部屋で、私は棺桶の中を見るよういざなわれた。まるで躊躇うであろうことを予想していたかのように、ぐいぐいと背中を押された。

 夫は顔をそらしたが、私は棺桶の扉から中を見て手を合わせた。

 顔は確かに死化粧されているが、首が見えないように大量の白ユリで隠されている。やたら早い納棺だなと思ったが、と悟った。

 言葉にならぬ感情に沈黙していると、背後から誰かの声がした。

「あんた、旦那さん死んだのによく笑ってられるよね。冷たくない?」

 数秒、梨沙子が息を呑むのを感じた。だけどすぐに別の誰かがやってきて、また明るい声で対応に向かった。

 私は声の主を探した。若いとは言えない見た目の女性だ、真面目に生きてきたような顔をしている。

 私は部屋から出るふりをして、彼女の背後を通りすぎなら呟いた。

「次はあんたの番でしょうに」

 女性は驚いたようにこちらを見た。私はどこかで見た顔に、しっかり目を見てお辞儀をした。



 その日の深夜、私はまた葬儀場を訪れた。

「やっほ」

 梨沙子は座布団を並べて棺桶の傍に横たわっていたが、私の声に驚いた様子で身を起こした。

「え、なんで?」

「だって同郷でしょ、私達。だったらこういう風習、絶対守ると思ったから」

 私と彼女はこの土地で出会ったが、たまたま同じ土地の出身だと後から発覚した。そういえばお互いの強気な気性は土地譲りだねと、旦那さんも含めて大笑いしたっけ。

 見渡したら誰もいない。それも察していた。なにせ、親友とは呼べない距離感の我が家に子供を預かってと頼んできたのだ。頼れる親類縁者はいないのだろう。

「子供は、うちの夫が見てる。あの子達って変にアイツに懐いてるから、今夜一晩くらいは大丈夫だと思うよ」

「そっか、ありがとう」

 梨沙子はいつもの笑顔を浮かべたが、そのままうつむいた。

「ねえ、私おかしいのかな」

「何が」

「旦那が死んだのにね、泣けないのよ」

 私は何か語ろうとして、いったん口を閉じた。思い付きを口にする前に、自分の過去をしっかりと思い出す。




 最初の葬式は確か7歳。死んだのは母方の叔父だった。死因は山からの転落死だった。

 いまだに土葬が主流の田舎だった。里の木こりが棺桶を完成させるまで、死体は客間の布団に寝かされていた。あざだらけの体は隠されることなく、死化粧もされていなかった。死後硬直で動かない体に無理やり白装束を着せて、合掌できないほど固く閉じた拳はロープでくくられて。

 泣いているのは母と祖母だけだった。それも、ほんの少し涙ぐむ程度。周りはむしろ騒いでいた。大人の男は、揃いも揃って酔っぱらってはしゃいでいた。

 知らないおっさんが突然泣いのは、深い深い墓穴を改めて覗いた時。そして、棺桶が収められてもう一人、土を被せるごとにもう一人。

 でも、最後まで泣かない、泣けない人がほとんどだった。私も、やっぱり泣けなかった。


 梨沙子の旦那の死は、あの時に似ている。

 あまりに突然で、あまりにも異常。更に、原因を自分に求めたくなる要素も揃っている。


 私はわざと、明るい声を出した。

「差し入れ持ってきた。つまみもあるよ」

 私は彼女の目の前に、コンビニで買った日本酒の小瓶と紙コップを置いた。

「飲もう。我らの故郷は、どんな時もまずは酒」

「え、でも、いいのかな」

 戸惑う彼女の様子に、私は彼女がそれほど死を経験していない事を察した。

「いいもなにも。うちの田舎は、寝ずの番も葬式も、法事だって必ず酒出るよ」

「あー、瑠璃さんちってすんごい田舎だっけ」

「そうそう。あいつらもう血液がアルコールだから。DNAだから」

「あはは。うちも、結構そうかも」


 灯されたロウソクを見ながら、私たちは静かに酒を飲んだ。話題は旦那さんのことではなく、子供のこと、生活のこと、社会のこと。

 思いついたように、梨沙子が紙コップに注ぐ酒の手を止めた。

「こういう話、旦那も一緒になって話してたら、違ってたのかな」


 私の脳裏をよぎる別の死。

 うつ病で自殺未遂を繰り返した、自分自身の記憶。


「どうだろね。自死の大半は、精神病が原因らしいし。病気だから、難しいんじゃないかな」

「じゃあ、運命なんだ。旦那のは」

 梨沙子の頬に、光るしずくが一本流れた。私は彼女にすりよって、背中をゆっくりさすった。

「少しずつ受け入れるごとに、きっと涙が癒してくれるよ。頑張らなくていいから。涙が出たら止めなくていいから」

 酒のせいもあるのだろう、梨沙子の嗚咽は激しくなっていった。私は彼女の背中をさすりながら、ふっと天井の向こうの空を想う。



 泣けなくて当たり前なのだ。

 泣くのは、安全な場所にたどり着けた証なのだ。

 優しいから涙が出るのではない、むしろ優しいからこそ守るべきものに立ち向かい、涙で心を洗う暇を見失う。

 だから、涙は後からやってくる。なにもかもが落ち着いて、やっと日常が戻るというその時に。


 そういう話を、梨沙子にしてあげようと思った。

 だけど結局、口をつぐんだ。

 今は寝ずの番、故人と過ごす最後の夜。

 語るなど野暮だ。それに私たちは、きっともっと多くの死を見ることになる。


 大人とはそういうもの、と心の中で呟いた。

 飲み込んだ酒が、妙に内臓に沁みた。

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大人になるということは。 多賀 夢(元・みきてぃ) @Nico_kusunoki

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