(後編)幸せが再び訪れる


 テレーズの病室に戻り、扉を軽く叩いてから開けると、風が吹き抜けていった。目を凝らすと、栗色の長い髪が風で揺れている。

 眠っていた女性は背中を向け、窓に両手を添えていた。


「鐘塔、なくなったのね。何も聞こえない」


 都市の中央にあった鐘塔が崩れ落ちたあの日以降、鐘の音は聞こえていない。

 扉を閉めて、マチアスは近づく。


「エリアーテ団長から聞いた話によれば、あの鐘は石を調整するために建てられたものだった。定期的に鐘の音を鳴らすことで、都市内にある石を活性化させていたらしい。そして生み出し続けている石についても、異常がないことを人間たちに伝えていたんだ」

「そう。なら、石が壊れた今、鐘がなくなっても問題はないのね」


 テレーズは振り返り、窓枠に背中を付けながら、微笑を浮かべた。


「ねえ、行きたいところがあるの」

「さっきまで眠っていたのに、突然どうした」

「落ち着いたら行きたかった場所があって。お兄ちゃんが絶賛していた場所に連れて行って欲しいの。たぶんこの時期なら咲いているはずよ」


 笑顔で言われ、そこで冷たく断れるほど、マチアスの心は強くなかった。




 * * *




 筋肉を衰えさせないように、適度に彼女の足などを動かしていたが、さすがに目覚めた直後に行くのは医者が許さなかったため、三日後に延期された。


 雲一つない、綺麗な青空が広がる日だった。二人でのんびり目的地まで歩いていく。 


 一週間に及ぶ百周年記念行事は、既に始まっている。

 明日からマチアスは警備に付く予定だが、今日までは無理と言って、休みにさせてもらっていた。


 お菓子や食事処では、いたるところで記念用の料理が振舞われていた。

 それをテレーズはじっくりと眺めている。美味しそうなケーキを見たときは目を輝かせて、「帰りに寄ろう」と何度か念押しで言われた。


 街の飾り付けも華やかになっている。

 石が使えなくなったことの衝撃はあったが、それよりも目の前のお祭りを楽しむ気持ちの方が勝っているようだ。


「百周年を前に、この都市を形作った石がなくなってしまうなんて、皮肉なものね」

「逆にこれから始まる新しい時代の節目になるんじゃないか? 石に頼らない発展し続ける都市を。有限なものは、いつかはなくなる。だから切り替えて、進むしかない」


 テレーズは目をパチクリとして、こちらを見てくる。そしてにこりと笑った。


「そういう考えをする、マチアスのことが好きよ」


 不意打ちで胸が熱くなるようなことを言うものだから、いちいち反応に困っていた。

 彼女は通りの先にある、内壁があった向こう側、ゼロ街をぼんやり眺める。


「石の深部を見た時に教えられたの。内壁はあの石を護るために、人々が意図的に作ったものだった。だから石がなくなって、護る必要もなくなったから、消えたんだと思う」

「そういう意味があったのか……」

「まさか砂になるとは思わなかった! 被害が少なかったのも、本当に奇跡ね」

「ちなみに、それを片付ける労働力も必要になったらしい。新たな労働が生まれるのはいいことだと、新聞に書かれていた」

「何事も考えようね」


 石の意識は必死に叫んでいた、なくなれば発展が止まると。

 しかし、現状を見る限り、おそらく悪いことばかりではない。

 ただ、これからの行いが評価されるのは、未来の話だ。今はただ、その日その日を大切にして、よりよい日にしていくしかないだろう。


 テレーズは歩きながら、大きく伸びをした。


「それにしても私って調整者っていうより破壊者じゃない? 必死に学んでいたものを自分の手で壊す羽目になるなんて! 酷い話よね……」


 溜息を吐いて、肩を小さくする。マチアスは残念そうな彼女の顔をちらっと見た。


「逆に知識があったから、綺麗に壊せたんだろう。資源団の予想だと、破壊した時の崩壊の規模はもっと広かったらしい。最悪、内壁より内側が半崩壊することも覚悟していて、避難警報を発令したそうだ。それを抑えられたのは、力だけではなく、中身も知ろうとしたテレーズだからだろう。立派なことだよ」


 俯いていた彼女の頭を軽く撫でる。彼女は顔を上げ、嬉しそうな顔をしていた。




 テレーズが行きたいと言った場所は、都市の中でも自然が豊かに広がる、八区の公園だった。

 休みの日に都市内の様々な場所に遊びに行っていたギルベールが、時々訪れたと言っていた場所だ。


 そこの一角に白い花を付けた、愛らしい花々が一面に咲き誇っていた。

 伸びた花茎には、鈴のような形の花が十個ほど咲き、その茎に添えられるように葉が二、三枚ついている。

 テレーズはそれを見て、感嘆の声をあげて、駆け寄っていった。


「すごい! こんなにたくさんの花があるの、初めて見た!」

「管理されている公園だから、まめに手入れをしているみたいだ。その花の名前は?」

「スズランよ。寒さに強くて見た目以上にたくましいけど、この季節にしか咲かないの。ホプラ街の外れでもあった花で、とても可愛くて好きな花なのよ」


 テレーズがちょこんとスズランに触れる。すると花の鈴がゆらゆらと揺れていった。


「ギルベールさんとの思い出の花か? ペンダントもその絵柄だったよな」

「ええ、お兄ちゃんと一緒に摘んだ花。花言葉も素敵なの。きっとこの都市もそうなるはずよ」


 テレーズは立ち上がり、髪を揺らして、マチアスに向かってはにかんだ。


「幸せが再び訪れる」





 鐘の音はもう聞こえない。

 だが、薄明の時に聞いた、あの音はいつまでも二人の記憶の中に残るだろう。


 新たな都市のはじまりと共に。




 了 



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薄明を告げる鐘の音 桐谷瑞香 @mizuka_k

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