【30日目/完結 天地(後編)】
生首のコスドラスと灰色鳥が天に上るのを見送って、ドナトス修道士は悲しみと寂しさで押しつぶされそうでした。
しかし泣いてばかりもいられませんでした。
天から鐘の音が響いた後に、巨大な黄金の光の帯が出現したので大騒ぎになったからです。
はっきりと天使の姿を見たのはドナトス修道士とホノリウス5世だけでしたが、無数の光の球が天地を行き来する光景と、天から響いた不思議な声は大広場に駆け付けていた何人かが目撃したり聞いたりしました。
人々はホノリウス5世がなぜ怒り狂っているのかは理解できませんでしたが、教皇が「天使に目を癒された」と告白し、ドナトス修道士も「天使が天に上るのを見送ったのです」と話したので更に騒ぎになりました。
結局、ドナトス修道士と怒りがおさまって落ち着いたホノリウス5世が深夜に密かに打ち合わせをして生首のコスドラスと天使に関する筋書きを決め、これで押し通す事にしました。
『ドナトス修道士が、旅の途中でコスドラスと名乗る天から落ちてしまった生首の天使と出会いました。
天使は天に還りたいが飛べないし方法がわからず困っていました。
そこでドナトス修道士が、教皇の国まで行って教皇に会って天に祈ってもらえば良いと助言しました。
2人は長い旅をしてようやくこの国にやって来ました。
教皇は深夜自分の所に突然現れた生首の天使の訴えと願いをききました。
そこで大聖堂まで連れて行き玉座前で祝福を与え、外に出て夜明けの空に祈ったところ、天使たちが生首を迎えに来て彼は無事に還っていきました。
その際に感謝として天使たちが教皇を癒してくれたのです』
(ドナトス修道士が連れていた灰色鳥は、大広場からいつの間にか飛んで行って姿を消した事にしました)
ホノリウス5世がコスドラスに向かって「騙された!詐欺師!」と怒って叫んでいたのは、大聖堂内で遠くから数人に目撃されていましたが(不思議な事に生首のコスドラスはただの輝きとして見えていたようでした)、そこは「私の未熟さのせいで、天使の威光に圧倒されて錯乱してしまったのだ」とのホノリウス5世の厳かな反省でうやむやになりました。
コスドラスのおかげで<隙間>は使えなくなり、魔術を行ったり研究するための隠し部屋まで扉が開けられた状態で発見されて、異端の疑いをかけられそうになったホノリウス5世でしたが、ドナトス修道士が機転を利かせ「ホノリウス5世は教皇として神の威光を高め、悪を退けるために魔術や魔導書を研究しているとお話されていました」「天使であったコスドラスとも馬車の中で難解な教理に関する対話をされていました」と真面目な顔でかばったので、いずれホノリウス5世が魔術に関する研究書を執筆して公的機関に提出する事で決着しました。教皇が若い頃から大秀才で博識なのは有名でしたし、異端者が天使の癒しを受けられるはずが無い、と皆が考えたおかげもあります。
そして、なぜか『影』を呼び出す事も出来なくなったホノリウス5世は、絶対にコスドラスの仕返しだと内心で愚痴を言っていましたが、同時に気が楽になったのも確かでした。
ホノリウス5世は結局『教皇総会議』に天使を呼ぼうとした計画は完全に諦めました。天使のコスドラスに見せられた、嘘をつくことなど何とも思っていない冷淡さ、更に天から出現した天使達の姿の予想以上の荘厳さは自分の手に余ると嫌というほど思い知らされたからです。
「コスドラスの言った通りにするのは非常に癪だが、私に有利になるように今回の騒動と奇蹟をとことん利用させてもらう」
ホノリウス5世の言葉にドナトス修道士は内心安堵しました。
ドナトス修道士はようやく立ち直りました。
コスドラスが、自分が天に上った後の世界が穏やかであるように、ドナトス修道士のために願ってくれていたのをホノリウス5世の話から知ったからです。
……修道士である彼が生きていきたいと願う世界を穏やかにする。それが私の恩返しです。
ホノリウス5世の所に胴体がある状態で出現したと聞いて、眠っている自分が抱きしめられたのは夢ではなくコスドラスだったのかと思い至りました。
あの時、コスドラスは「ありがとう」と感謝して火傷の傷を癒してくれました。最後までドナトス修道士の事を考えて心を砕き、天使の力を使ってくれたのです。
別れの時、コスドラスと約束しました。前に進むと。
ならば、これからは修道士として世界を穏やかにするために歩いて生きて働こう。
ドナトス修道士は空を見上げて改めて決意しました。
そうして「恩返しは派手な方が有り難みが増すのさ」というコスドラスの言葉を思い出して、くすりと笑いました。
やがて、フィアクル修道士が教皇の国に到着しました。コスドラスが入っていた聖遺物箱を王立修道院から取り寄せるのに日数がかかったせいです。おかげで天使の奇蹟を見そびれたと大いに嘆かれました。
久しぶりにコスドラスの聖遺物箱を見て、ドナトス修道士はまた泣きそうになりました。彼はずっとこの箱と一緒に旅をしてきたのです。
ホノリウス5世は、既に聖遺物に対する執着心も無くなっていたのでドナトス修道士に箱を返しても良いと言いましたが、結局話し合って「白の大宮殿」の宝物庫で大切に保管してもらう事にしました。
そこでフィアクル修道士が謁見室で厳かにホノリウス5世に「生首の天使が入っていた箱」を献上し、自分は生首のコスドラスを診察して薬も処方したが天使とは全く知らなかった、ホノリウス5世の目を診察したが確かに傷が完治していると証言してから、さっさと王立修道院に戻って行きました。
しかし帰る前に彼はドナトス修道士にこっそり話す事がありました。
「取り上げられたら困るので、あなたにだけ教えますがね。実は最近、強烈な薬草の匂いで目が覚めたら、私の寝台の上に色々な種類の貴重な薬草や珍しい薬草が山積みになっていたんですよ。つまり私は薬草に埋もれていたんですね。以前コスドラスにねだった薬草もありましたから、彼が治療の礼に高山から摘んできてくれたのかもですよね」
ドナトス修道士は驚き、そして間違いなくコスドラスはフィアクル修道士にも律義で奇抜な恩返しをしたのだろうと2人で笑い合いました。
残る問題はコスドラスが解決すると約束した対立教皇の件でしたが、こちらは思いがけない形で進展しました。
コスドラスが天に上って半月ほど経った頃。
突然、一台の馬車が「白の大宮殿」の止まったかと思うと、中から髪を振り乱しやつれた顔の聖職者が飛び降り、裸足で門の前に立ちました。
そして「私は教皇ホノリウス5世に謝罪するためにやって来た」と叫び、警備の者達が駆け付けて取り囲んでもその場から動こうとしません。
何と彼は対立教皇になろうとしていたエミリオ司教だったのです。
さすがに仰天したホノリウス5世が急いで首脳陣と共に謁見室で謁見すると、彼は教皇の前に跪き涙ながらに告白しました。
自分こそ教皇にふさわしいと思い、対立教皇の計画を進めていたが、ある日の深夜に恐ろしい幻覚を見た。
眠っていると突然天使の群れに取り囲まれ、連れ去られて天地を焦がす恐ろしい業火の中を引きずり回され、金色に輝く首だけの異様な天使に「このまま正統な教皇に歯向かうならば、貴様はこの世界に堕とされ永久に燃やされる。救われたければ、今すぐにこの国を出て教皇ホノリウス5世に謝罪に行け」と恐ろしい声で命じられ、目覚めても恐ろしくてたまらず、そのまま着の身着のままで出奔して来たのです。そして何日も馬車を飛ばし、何とか到着する事が出来たのだと。
側にいたホノリウス5世の配下の者が、教皇はつい先日天使の癒しを受けたのだぞと教えると、エミリオ司教はますます激しく泣き謝罪しました。
ホノリウス5世は、とりあえず謝罪を受け入れ厳かに赦しを与えました。
詳しい事情はエミリオ司教を医師に診せて落ち着いてからという事になり、その場は終わりました。
皆はまた教皇への天使の奇蹟だと興奮して話し合っていたので、謁見室を出るホノリウス5世が少しだけしかめ面になっているのに誰も気づきませんでした。
後でホノリウス5世の私室で詳しい顛末を聞いたドナトス修道士は不謹慎とは思いつつ、笑ってしまいました。
エミリオ司教が幻覚を見た時刻は、コスドラスがホノリウス5世の寝室に現れるよりも前だったのが分かったのです。つまりコスドラスは天使の力で(多分他の天使にも協力させて)脅迫してエミリオ司教が震えあがったのを確認してから、教皇に対立教皇の件は自分が解決すると宣言したわけです。ホノリウス5世は肩の荷がだいぶ下りたとはいえ、やり方が詐欺師だとぶつぶつ文句を言っていましたが、ドナトス修道士はコスドラスらしいなと思いました。
対立教皇をたてる計画は、肝心のエミリオ司教が突然逃走しホノリウス5世の元に戻った事でやがて内部分裂が起こり、「教皇の国」やよその国を巻き込む事なく終息に向かう事になります。
ようやく騒動の余波もおさまったある日の昼下がり。
ドナトス修道士とホノリウス5世は大宮殿の中庭で陽光を浴びつつゆっくり歩きながら話しをしていました。
ドナトス修道士は、連日の訪問客や査問に対応するために、ずっと教皇の客人として客間に滞在していましたが(従者のマリヌスとはすっかり親しくなりました)、それもようやく終わりとなり明日から『白の大宮殿』内の礼拝堂に修道士として勤めることになっていました。しかし、ずっとは勤めない、出席するようにホノリウス5世から言われている『教皇総会議』までと自分から申し出て許可を得ていました。
「『教皇総会議』は来年には行われる予定だが、終わったらどうするのだ?どこかの修道院に入るなら、私が幾らでも後見になるぞ」
「ありがとうございます。実はもう一度旅に出たいと考えています。まだ世界を広く知って見て学びたいですから」
「……そうか、まあ旅が出来るのも若いうちだ」
ホノリウス5世はしばらく黙って樹々が揺れる明るい庭を眺めていました。
「君から渡されたコスドラスの過去の覚書をじっくり読んだが、あらためて彼には悪い事をしたと後悔して反省もしている。言い訳にしかならないがあの時は私も色々と焦っていたからな。一応直接の謝罪が出来たのは良かったが。しかしコスドラスには入念に仕返しをされたようでもあり、全力で助けてくれたようであり。結局彼の考えは今でも理解しずらいな」
「多分、コスドラスは教皇に反発はしていましたが、実は心配もしていたのだと思います。教皇へ最後に叫んだ言葉はお父上に関する事でしたね」
「父親の顔を見てやれ、アントニウス…か」
ホノリウス5世はぽつりと呟きました。
「私と父はずっと確執があった。父が私を殺そうとして剣で切りかかってきた時に完全に訣別した。あの夜から父の顔は見ていない。そして私は今でも父を許してはいない。父に一族の恥と言われた憎しみと、死ねと言われた時の恐怖を忘れてはいない。だが父は老い、私に会って謝罪したいと言い、剣でつけられた左腕の傷は癒されて消えてしまった…」
ドナトス修道士はホノリウス5世に関する噂を思い出し、教皇が魔術を行っていたのも関係があるのだろうな、と考えました。けれどそれはもう過去の話です。
「教皇、心の傷と憎しみは天使の奇蹟でも癒せませんし、無理に消す必要はありません。でもコスドラスは、自分と違って教皇にはまだ機会があると示したかったのではないでしょうか?」
「そうだな。だが、もしかしたら私へのとんでもない嫌味かもしれんぞ」
ホノリウス5世は大きく息を吐いてから、苦笑しました。
「しかし、コスドラスとの出会いから今までを思い返すと、まるで突飛なおとぎ話だな。口の悪い奇妙な生首と偶然知り合い、散々揉めて、脅したり脅されたりして、騙されて隠し事も全てばらされて、そして生首は天使に連れられて天に去り、だが最後は彼のおかげでほとんど何もかも上手くいった。まだめでたしめでたしとは言えないかもだが」
ドナトス修道士は微笑みました。
「教皇は世界で唯一の地位にある方です。せめてあなた様ぐらい、おとぎ話のような幸せを感じてください」
ホノリウス5世は驚いたようにドナトス修道士を見て、それから初めて心の底から楽しそうに声をあげて笑いました。
あくる年、予定通りに『教皇総会議』が盛大に開催されました。
大聖堂の玉座に最高の正装姿で着座したホノリウス5世は、天使への祈りが通じ、奇蹟の癒しを受けた教皇だと大聖堂を埋めた聖職者たちから熱烈に賞賛されました。参加していたドナトス修道士は不思議な生首との旅を語り、皆に天使と生首への感謝を祈ってもらいました。
議題として、2度と対立教皇のような問題が起きないように全ての聖職者が一致団結する事が話し合われ、今は謝罪の為に大聖堂で下働きをしているエミリオ元司教が天使に見せられた恐ろしい幻覚について熱弁をふるい、偽教皇を立てようとした国王を厳しく非難して総会議の場は大いに盛り上がりました。
何日も続いた『教皇総会議』の最後の行事として、大聖堂で教皇ホノリウス5世が直々に祈りを捧げる大規模な祭儀が執り行われました。
着席しようとしていたドナトス修道士は、俗世の人々のために設けられた一角の最前列に教皇の義妹のヨハンナの姿を見つけました。その隣に居る、ホノリウス5世と似た面差しの男性は弟でしょうか。ではその男性が手を取り支えている、祭壇を見上げる威厳のある老人は…。
祭壇に上がったホノリウス5世はしばらく3人の姿を見下ろしていましたが、特に表情を変えずに祭儀を始めました。
大聖堂に響く教皇の厳粛で美しい祈りの言葉を聞き共に祈りながら、ドナトス修道士は心の底から、ああ良かった、と思っていました。
ホノリウス5世は父親をまだ許していないのかもしれません。
それでも教皇は…アントニウスは父親の顔を見ましたよ、とドナトス修道士は心の中でコスドラスに話しかけました。
こうして『教皇総会議』は無事に終わり、やがてドナトス修道士が礼拝堂の務めを終えて再び旅に出る日がやってきました。
世話になった人々や新しく知り合った仲間は、皆別れを惜しんでくれました。
ホノリウス5世にも面会し、お礼と別れの挨拶をしました。以前より表情が少し柔らかくなった教皇はとても残念がり、いつでも自分を頼れと言ってくれたのでドナトス修道士は心から感謝しました。
教皇の国の国境の広い草原にドナトス修道士は一人で立っていました。
これからまた旅が始まるのです。
…だがお前は地上で生きていく。
…いいな、その手足でしっかりと歩いて前に進め。
以前と違うのは、友の思い出があることです。
ドナトス修道士は懐の小袋を握り締めると、空を見上げ、足を踏み出しました。
まだ神様の教えが天と地を覆っていた時代。
ドナトスという名前の若い修道士が杖を持ち、少しの荷物を背負って新しい旅に出ました。
おわり。
生首と修道士【web公開版】 高橋志歩 @sasacat11
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