【30日目/完結 天地(前編)】

怒りつつ、生首のコスドラスを追って大聖堂から大広場に出たホノリウス5世は、ドナトス修道士の姿を認めてそちらに歩き出しました。

その時、大きな灰色の鳥が飛び立ったのに気が付きました。

あれは、ドナトス修道士が連れていた奇妙な鳥です。

飛ぶ事も鳴く事も出来ず、大人しく歩き回るだけだと聞いていたのがなぜ急に?と思いつつ空を見上げたホノリウス5世は、大聖堂の遥か上の空が金色に光り始めたのに気づきました。

太陽の光ではありません。

不思議な鐘の音はいつの間にか止んでいます。

コスドラスへの怒りは一瞬忘れて、ホノリウス5世は身構えました。


「コスドラス、灰色鳥は急にどうしたんでしょう。鐘の音のせいでしょうか?」

ドナトス修道士は腕に抱えたコスドラスに尋ねます。

「それもあるだろうが、それだけじゃない。天があいつを呼んでいる」

「天が?」

「俺は天に上るために天を呼んだ。灰色鳥は逆に呼ばれている。不思議な事もあるもんだ」

コスドラスは呟きました。

「もしかしたら大昔に天から落ちた鳥なのかもな。天には色々いるらしい。俺が天使に頼んで天を呼んだのと合図の鐘の音で、灰色鳥は自分の素性を思い出したのかもしれない。あの鳴き声は自分で天を呼んだんだろう」

「こちらの言葉を理解しているような、不思議な鳥でしたからね」

「そうだな。これから門が開く。俺は灰色鳥と一緒に天に上ることになりそうだ」

ドナトス修道士は言葉に詰まりました。つまり灰色鳥もいなくなってしまう…。

「コスドラス、灰色鳥も天に上ると私の事を忘れてしまうんでしょうか」

ドナトス修道士が元気なく言うと、コスドラスは意外な事を言いました。

「いや、灰色鳥は天使じゃない。もしかしたら地上で暮らしていた間の事を覚えたままでいられるかもしれない」

「…そうだと私も少し嬉しいです」

「俺もそうでいてくれると嬉しいがな…一緒にいられるかはわからんが」


雲を照らす金色の光がますます強くなり、やがて大きく広がり始めました。

いきなり、巨大な光が地面を照らし、空と地面を黄金色の巨大な光の帯が繋いだように見えました。

ホノリウス5世は驚いて後ずさりました。

「何だこれは…!」

何の物音もしませんが、大聖堂と大広場は黄金の光に眩しいぐらい照らされ始めました。


大聖堂の屋根にいた灰色鳥は、金色の光に照らされて大喜びで鳴き声を上げました。これで空の上に行けます。

修道士と生首に教えてやろうと大広場を見下ろした灰色鳥は、首をかしげました。どうして下の2人は悲しそうなのだろう?

特に修道士は泣いているようです。

灰色鳥は羽ばたきました。


コスドラスが笑い出しました。

「迎えは派手にやってくれと頼んだが、ここまでとは思わなかった!これは、天使たちが天地を行き来するための光の帯だ」

「行き来するためにですか?でも天使は、羽があるから空を飛べるでのは?」

「天使にも色々あるんだよ。俺みたいに羽が無い天使もいるし、羽があっても飛べなかったり飛びたがらない天使もいる」

「そうなんですか…」

では、コスドラスはあの光の中を天使に抱えられて天に上るのか…いよいよ近づく別れにドナトス修道士はまた泣きそうになりました。


その時、天から何か大きな板を叩くような音が聞こえました。

同時に、巨大な黄金の光の帯の中を、無数の煌めく幾つもの光る物体がゆっくりと空から降りてきました。

ドナトス修道士は思わず叫びました。

「天使が降りてきました…物凄い数だ…」


天のどこからか、朗々とした威厳のある声が響いてきました。

……天の門が開き天と地が繋がった。

……天使が上る。

……地上より天使が天に上る。


ホノリウス5世はただ呆然と天使の群れを見上げています。

彼らに話しかける事など、全く思い浮かばない様子です。


ドナトス修道士は、腕の中のコスドラスを見ました。

コスドラスは微笑みました。

「これでお別れだ。あそこまで連れていってくれ」

「わかりました」

ドナトス修道士は、巨大な光の帯に近づいていきました。さすがに足が震えます。

急に、灰色鳥が舞い降り、ドナトス修道士と並んで歩き出しました。

旅の間、いつも灰色鳥はこうやって歩いていたのです。

ドナトス修道士は足を止め、そっと頭を撫でてやりました。

きっとこれが最後でしょう…。

「お前も、天に上るんだね。元気で…どうか私の事を忘れないでいておくれ」

灰色鳥は、羽を大きく広げ大声で鳴いてみせました。

何の心配もいりませんよ、という風に。

ドナトス修道士は微笑みました。


光の帯に近づくと、金色の光の中を飛び漂う天使の群れが無表情にこちらを見ろしています。どの天使も個々の区別がつきにくいぐらい光り輝いていますが、不思議と眩しくはありません。

コスドラスが言いました。

「ここまででいい。あとは俺が自分で動く」

「…わかりました」

ドナトス修道士はコスドラスをもう一度しっかり抱きしめました。

「コスドラス…傷への癒しを感謝します…私は決してあなたを忘れません。あなたが私を忘れても、あなたは私の友です。毎日神に祈ります。あなたが天で穏やかであるように…」

コスドラスは、少しだけ泣きそうな表情を浮かべました。

「ドナトス、俺は天に上りながら歌を歌う。俺の歌が聞こえなくなった時が天使になった時だ…その後はもう泣くな」

コスドラスはドナトス修道士の胸に額を強く押し付けました。


「お前は、永遠に、俺の最高の友だ」


次の瞬間、コスドラスはドナトス修道士の腕から飛び出しました。

まるで何かを振り切るかのように。


「よーし灰色鳥、俺を乗せて走れ!」

コスドラスが叫ぶと、灰色鳥が走り始めました。

地面を飛び跳ねたコスドラスが背中に飛び乗り、灰色鳥は大広場を走ります。

以前、生首と灰色鳥は何度もこうやって草原を走り回ったのです。

灰色鳥とコスドラスは少し離れた場所で立っていたホノリウス5世に近づいていきました。

我に返ったホノリウス5世が怒鳴りました。

「コスドラス!天使は来たがこれからどうするのだ!お前はどこへ行く気だ!」

ホノリウス5世の前を灰色鳥が横切りコスドラスが陽気に叫びました。

「天使には会わせてやっただろう!もうこれでお終いだ!それより、最高に美味いぶどう酒を飲ませてくれた礼をしてやるよ!」

「なんだと!?」

「父親の顔を見てやれ、アントニウス!」

コスドラスはるホノリウス5世に笑いかけました。


灰色鳥は方向を変えて全力で光の帯に近づきました。

コスドラスは大声で最後に言いました。

「さらばだ、ドナトス!」

ドナトス修道士も大声で叫びました。

「さようなら、コスドラス!」


灰色鳥は、そのまま光の帯に飛び込みました。

コスドラスが力強く叫びました。

「さあ飛べ、灰色鳥!」


生首のコスドラスを背中に乗せて灰色鳥は羽を広げて舞い上がると、黄金色の光の中を上へ上へと飛び始めました。

その灰色鳥を天使の群れが取り囲み、支えるようにして一緒に舞い上がりながら声を揃えて称えます。

……天使が上る。

……地上の天使が天に上る。


コスドラスは金髪をなびかせ大きな声で歌いました。

旅の途中で時々歌った、一番お気に入りの古い歌です。

歌を聴いていたドナトス修道士の笑顔を思い出します。

お人好しで石頭で心配性のドナトス。

泣けない自分の代わりに泣いてくれたドナトス。

ああ悪くない旅だったな、とコスドラスは思いました。

やがて視界が金色の光の洪水に覆われていきます。

それでもコスドラスは歌い続けました。


コスドラスの歌声が少しずつ遠ざかりながら空から聞こえます。

ドナトス修道士は両手を握り締めてひたすら空を見上げていました。

天に上っていく光り輝く天使の群れの姿と共に、黄金の光の帯も地面から遠ざかり、輝きも薄れていきます。


ふっとコスドラスの歌声が聞こえなくなりました。

そのあと灰色鳥の鳴き声が聞こえ、また微かに聞こえ、そして全ての音が聞こえなくなりました。


また天から声が響きました。

……天の門は閉じられた。


その声と同時に、金色の光が雲に吸い込まれるようにして完全に消えました。


天使達はコスドラスと灰色鳥と共に天に去って行きました…。


周囲が太陽に明るく照らされました。雲は消え、青空が広がっています。


大広場に大勢の人が集まって来る気配がします。

ドナトス修道士が、泣き顔を見られないように急いで涙をぬぐっていると、すぐ側でホノリウス5世の大きな呻き声が聞こえました。

驚いてそちらを見ると、ホノリウス5世が両手を顔に当てて呆然とした表情でこちらを見ています。

「左目が見える…いや両目が…!あの生首、最後に私に何をした!」

ドナトス修道士は、思わず笑顔になってしまいました。

「コスドラスの恩返しですね」

ホノリウス5世は地団駄を踏んで怒りだしました。

「何が恩返しだ!勝手に癒して大嘘つきの詐欺師が!あいつが天使なんて私は絶対に認めんからな!」

駆け寄ってきた侍従長などに取り囲まれだしたホノリウス5世から離れると、ドナトス修道士はひとりで大広場の中央に歩いて行きました。


なんだか体の中が空っぽになってしまったような気分です。

生首のコスドラスの地上での旅は終わり、灰色鳥は一緒に行ってしまいました。

友がいなくなった自分はこれからどうしよう…。

うつむいて立っているドナトス修道士の心にコスドラスの言葉が響きました。


…お前は、永遠に、俺の最高の友だ。


コスドラスは最後に最高の友と呼んでくれました。

でも…。

また泣きそうになって慌てて顔を上げたドナトス修道士は、少し離れた場所に灰色の大きな羽根が落ちているのに気が付きました。

灰色鳥の羽根です。

ドナトス修道士は急いで近寄ると拾い上げました。

そして、コスドラスから贈られた花飾りを入れた小袋を懐から取り出すと、灰色鳥の羽根を入れそっと握り締めました。

何だか暖かいものが手のひらから流れ込んでくるような気がします。

ドナトス修道士が朝の空を見上げるのと同時に、大聖堂の鐘が鳴り始めました。


こうして生首のコスドラスは天に上り、天使になりました。


(後編につづく)

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