凍てつき丸

@hirabenereo

凍てつき丸

 わたしはつるぎを持っていた。

 それは冷え冷えとした青い刀身の大剣グレートソードで、ひと薙ぎすれば吹雪を呼ぶ魔法のつるぎ。その名も"凍てつき丸"。

「カッサンドラ!」

 後ろから走り込んできた太陽神の僧侶クレリックゴートがわたしを助け起こす。わたしは彼の完治ヒールの信仰呪文を断って、自分の傷口に手を当てると癒しの手レイ・オン・ハンズを使う。みるみる傷は癒えてゆき、わたしはまだ戦える。

「その呪文は、後に取っておいて」

「わかった」

 ゴートは5フィート下がって盾を構え、目の前の巨大な黒いドラゴンを見上げた。

「きっと必要になるわ」

 わたしは"凍てつき丸"を杖にして立ち上がる。見えない魔法の手で持ち上げられた盾が、わたしを守るように追従して浮き上がるのを確認して、わたしは剣を構えた。

 わたしの横を雄叫びを上げながらひげもじゃの小柄な戦士が突撃していく。ドワーフの恐るべき狂戦士だ。彼が怒りに我を忘れるのも無理はあるまい。目の前のこの巨大な黒竜ブラックドラゴンこそが、彼の故郷を滅ぼした憎むべき仇敵、シュバルツバルトなのだから!

「待て、セブンガー!」

 背後からエリフの魔法使いブラックスタッフが、彼にしては慌てた声で秘術呪文を唱える。

 わたしには理解できない古代エルフ語の詠唱のあと、ドワーフであるセブンガーの身体がまるで巨人のように大型化する。巨大化エンラージ・パースンの呪文だ。彼の握るただでさえ巨大なドラゴン殺しの大斧も、より重さと大きさを増す。

「ありがてぇ!」

「冷静になれ! 奴はもうお前だけの敵ではないのだから」

 かつてはいがみ合っていたエルフの言葉に、巨大化したドワーフが素直に頷く。

「だが、奴の首だけは俺がもらうぞ!」

 セブンガーがきっと黒竜を見上げる。

『できるつもりか、小僧』

 ドラゴンがにぃ、と口の端を歪める。多分笑ったのだろう。なまなかな戦士であれば、おそらく本能的な恐怖心を引き起こされて震え上がったに違いない。だがわたしたちはここに来る前に、ゴートが祈りとともに振る舞ってくれた神の食事ヒーローズ・フィーストをとっている。暖かな肉と酒の味。そしてそれとともに交わした、きっと生きて帰るという約束が、わたしたちの心が恐怖に折れることを防いでくれた。

「あったりめぇよ……ドワーフはな、エルフと違って、嘘ってもんをつかねぇんだ」

 セブンガーがそうつぶやき、もはや長さだけで15フィートはあろうかという巨大な斧を握りしめる。北の国で人々を苦しめていた霜巨人フロストジャイアントから奪った大業物だ。

 ドワーフの口から、低いドワーフ語の唄が流れる。父祖を讃え、恨みを忘れず、怒りを呼び起こす唄だと聞いたことがある。激怒バーバリアン・レイジに入るのだ。

「いくぜ、嬢ちゃん」

「嬢ちゃんはよして!」

 わたしも"凍てつき丸"を構え、前に走り出す。

「カッサンドラ。君も巨大化エンラージ・パースンを」

「あー……わたしは結構」

 頭だけで馬ほどの大きさにもなろうかという黒竜が翼を広げ威嚇する。威嚇するということは、もはや後がないということだ。

 わたしたちがこの竜を倒しに来たのは他でもない。敬愛する女王の魂を救うためだ。

 この邪悪な黒竜にして恐るべき魔法使いであるシュバルツバルトは人間の王国を脅かし、その女王の魂を盗みとった。いまそれは、あのドラゴンの背後に見える邪教の祭壇に捧げられている。その高潔な魂をもって、暗黒竜の女王をこの世に呼び戻そうという。

 しかしその恐るべき企みはブラックスタッフとゴートの呪文によって露見した。このドラゴンにとって不運だったことは。

「わたしが、つるぎを持っていたことだ!」

 わたしは守護神格である"白金竜"の名を叫んで突撃した!


 奴は空を飛ぼうとしなかった。

 それは油断だったのかもしれないが、結果としては正しかった。なぜなら事前の相談で、すでに透明化の指輪リング・オヴ・インヴィジビリティをはめた小人のアクセルが、ドラゴンの宝物の間を縫って祭壇に近づいていたからだ。

 小人と言っても身長は4フィートほど。すこし腹の出たいい年のおじさんだ。ただのおじさんではない。名うての盗賊であり、わたしたちの頼れる仲間だ。彼はもしドラゴンが飛び立ったなら、すぐに女王の魂の入った魔法の壺を掠め取って逃げてくる段取りになっていた。逃げ切ることが目的ではない。ドラゴンを地上に引きずり下ろすためだ。あの魂がなければ儀式は完遂できない。奴は必ず壺を取り戻すために舞い降りるはずだ。

 しかしその心配は杞憂に終わりそうだった。

 ドラゴンとて解っているのだ。

 ここでわたしたちを殺せなければ、自分の計画は実行できないということを。

 これまでもわたしたちはやつの計画をいくつもくじいてきた。わたしたちがいなければ、奴はもっと早く計画を完遂できたはずだ。

 巨大化エンラージ・パースンに続いて鋭刃ドロレス・ブロウの呪文を受けたセブンガーの斧が、がっしとドラゴンの腕に食い込む。だがいくつものオークの首を取ってきた大斧も、ドラゴンの丸太のような腕を切り飛ばすことはできない。両腕の鉤爪、牙、両方の翼についた鋭い棘、そしてしなる尾が逆襲とばかりにセブンガーに襲いかかり、さばききれなかったドワーフの狂戦士をずたずたにした。もし不屈インドミタビリティの呪文がかかっていなければ即死しただろう。

 後ろに控えていたゴートが進み出て完治ヒールを唱える。そのゴートにぐうっと首を伸ばす黒竜。

「いけない!」

 僧侶クレリックとして経験を積んだ彼とは言え、その頑健さではセブンガーには遠く及ばない。わたしは伸びた首に素早く"凍てつき丸"を突き立てた。柔らかい喉が破け、血が吹き出す。したたった血が地面に落ち、強酸性の煙を上げるのを見て、わたしは叫んだ。

「伏せて! 息吹ドラゴン・ブレスが来る!」

 "凍てつき丸"をうけてのけぞったドラゴンは、そのまま大きく上体をそらしてから、かっと口を開けわたしたちに強酸のガスを吐きかけた。わたしは思わず口元を押さえる。魔法の甲冑が煙を上げた。しかしそれだけだ。秘術の輝きがわたしたちの身体を包んで守る。ブラックスタッフの酸からの守りマス・レジストエナジー・フロム・アシッドの呪文は確実に効果を上げていた。

 意気軒昂となった仲間たちは一気にドラゴンに殺到する。

 セブンガーは足を止めての連続攻撃を繰り出し、アクセルはスキを突いて巨大な脚の間に駆け込んで鱗の小さい柔らかな部分めがけて魔法の短剣を滑り込ませる。わたしは大声で敵の注意を引きながら祝福の刃ブレス・ウェポンを投射した"凍てつき丸"を振るった。

 酸が効かぬと解ったのだろう。ドラゴンは邪悪な魔術師としての実力を示そうとする。

『天にありしあまたの星々よ。我が招来に応じよ。焼け付く鉄槌となりて降り注げ……』

 ドラゴン語の呪文とともに上空がにわかにかき曇る。暗雲が立ち込め、周囲が小さく振動した。反重力リヴァース・グラヴィティの呪文……違う。

流星メテオ・スウォームだ!!」

 呪文を理解したゴートが叫ぶ。敵が黒竜であることは解っていたゆえの酸からの守りマス・レジストエナジー・フロム・アシッドの呪文だ。しかし、流星メテオ・スウォームによる炎と衝撃には対策していない。秘術呪文最強の攻撃魔法だ。わたしは"凍てつき丸"が炎から守ってくれるが、すでに傷ついた仲間たちが耐えられるかどうか。

『死ね! 矮小なる定命のものよ!』

 黒竜シュヴァルツバルトが力の言葉を解き放つ。

 しかしその呪文は発動されなかった。

 空に立ち込めていた暗雲は、突然現れた大渦に吸い込まれて消えてゆく。最高潮に高まった魔力は、そのことごとくが渦とともに雲散霧消した。

「馬鹿め、大長虫グレートワーム。この私が呪文への備えを忘れると思ったか」

 ブラックスタッフがエルフ語で言ったあと、いやみったらしくドラゴン語で言い直してみせる。決闘魔法陣デュエルウォードはブラックスタッフの得意とする魔法で、視界内で起動した魔法に対して反射的に解呪ディスペル・マジックによる呪文相殺を可能とする。無駄になることもあるが、エルフはいつも「無駄になるならそれが一番いいのさ」とうそぶいて対策を怠らなかった。それが今、最高の場面で生きた。

「ゆけ、友よ! 恨みを晴らせ!」

「おうよ!」

 セブンガーが大斧を掲げてドラゴンの巨大な身体を駆け上がり、困惑するドラゴンの眉間に斧を突き立てた!


 ◇◆◇


 きーんこーんかーんこーん、という間の抜けたチャイムの音が戦場に響き渡った。

 20の目を上にして止まったサイコロ(と、言っても1から20まで出る小ぶりのボールのような20面体サイコロだ)を睨んだわたしたちは、それからちらっと上座に座っている吉田くんを見る。彼は眼鏡のつるにちょっと触れて、ふーっと一回ため息をついてからぱっと顔を上げ、芝居ががって宣言した。

「よし、そのセブンガーの攻撃がトドメだ! ドラゴンは呪いの言葉を残して地面に倒れる!」

 それから声色を作る。

「おのれ、我が計画をことごとく……貴様らを、貴様らを先に殺しておくべきだった……!!」

 放課後の図書館にわたしたちの安堵の吐息と歓声が広がった。窓から差し込む夕日は赤くて、遠くにカラスの鳴き声と野球部が日暮れギリギリまで練習している声が聞こえる。白いカーテンが風をはらんではためいた。

 わたしは隣のえりちとハイタッチしてから、やっぱりお芝居っぽく興奮気味に言う。

「あなたが殺した人々の無念を思い知りなさい。白金竜は見ておられるのです」

 えりちもほっぺを赤くしながら続けた。彼女は大興奮。そりゃそうだ! だってこの敵は彼女が一年前にゲームをはじめた時にキャラクターの背景として作った敵なんだから!

「あたしはドラゴンの頭を蹴って言うよ! おお我が祖先よ! 父上! 母上! この竜の血を捧げましょう! 俺は……この日のために今まで戦ってきたのだ!」

「よくやった、友よ。と、セブンガーの肩に手を置きます」

 と、言ったのはけいちゃん。彼はエルフの魔法使いブラックスタッフを演じてくれた。相手の呪文を封じたのはまさしくファインプレー! もっとも一番の功績は、この放課後の図書館で集まれるように先生に交渉してくれたことだけど。

「ね、ね。もちろんドラゴンの財宝もあるし、王国からも褒美がもらえるんだよね?」

 と、野中くん。彼はハーフリングの盗賊アクセルを演じていたが、演じてるっていうよりもそのまま同じ人って感じ。

「もちろんあるさ。でもそれは次回にしようよ。そろそろ先生が鍵を閉めに来ちゃう」

 吉田くんが言って、テーブルの上の方眼紙から大きな四角いボール紙に描いた黒竜シュバルツバルトをクリアフォルダに戻した。

「あ、ほんとだ……」

 わたしも自分で描いた聖騎士パラディンのコマを取り上げる。

 高さ4センチちょっとで幅2センチちょっとの厚紙に描かれた聖騎士パラディン。これがわたしだ。白金竜っていう神様に守られた女戦士カッサンドラ。一生懸命描いたコマはこれで三代目で、ランダム・トレジャー(敵を倒した時に出てくる財宝。すごくたくさんの一覧表の中からサイコロを振って何があったかを決める。何が出るかはお楽しみ)の中から出てきた魔法の剣をもらったのが嬉しくて、先々月描き直したのだ。青いペンで描かれた、輝く氷の剣。

「それに、わたしはこの"凍てつき丸"があれば、これ以上の財宝なんていらないわ」

 わたしはそのすてきな剣に名前をつけた。

「マコチー、その名前さぁ」

 興奮冷めやらぬという感じでえりちが笑ってお約束のツッコミ。毛皮をまとって斧を構えたドワーフの絵は、わたしが描いてあげたものだ。コマはわたしのと同じように、消しゴムの切れっ端に切れ目を入れて立たせてある。

「かっこ悪くない?」

「えー? かっこいいよ!」

「だってもともとの名前、フロスト・ブランドでしょ。そっちのほうがかっこいいって」

「そうかなぁ。ビルボの剣も"つらぬき丸"だし、"なぐり丸"とかもかっこよくない?」

「アラゴルンの剣はアンドゥリルじゃん」

「魔法の剣と言えばストームブリンガーだよ。読んだ?」

「あれ読みづらくって……」

「指輪物語を最初で挫折しなかったなら大丈夫だって」

「ダークリパルサーは?」

「おいおい」

 わいわいと言い出すわたしたちに、片付けを促しながら吉田くんが苦笑した。

「音村さん……カッサンドラにとって大事な剣なんだから、名前は自由でいいよ。そんなことより、実は悪の計画はまだ終わってなかったんだぜ……」

「マジか!」

 僧侶のゴートとして膨大な呪文を駆使する大内くんが前のめりになる。

「やっぱりな。先週見つけた密書、差出人がシュバルツバルトだと筋が通らないと思ったんだ!」

 落ち着け、と言いながらも思わず片付けの手が止まるわたしたちだったけど、とうとう先生が鍵を閉めに来て強制中断。

「じゃ、また明日ね!」

「んじゃなー」

「マコチー、帰りにコンビニ付き合って」

「なんで?」

「一番くじ引きたい。マコチー引きいいから」

「またぁ?」

 わたしは笑って、教科書と、それからカッサンドラ――もうひとりのわたし! を詰めた学校指定の通学カバンをかついだ。


 ◇◆◇


 わたしこと音村真おとむらまことがその遊びと出会ったのは中学一年生のときで、友達のえりちに誘われてだった。

 えりちはすでにゲームで遊んでたわたしの幼馴染のけいちゃんが好きで、けいちゃんがやってるっていうゲームに混ざりたかったらしい。わたしはその付き合いだ。

 ゲーム。それはゲームなんだけどちょっと不思議だった。ゲームっていうとわたしはコンピュータで遊ぶ……マリオとかそういうのしか思いつかなかったし、もっと言えばファミコンじゃないゲームはトランプくらいしか知らなかった。でもそのゲームはもちろんファミコンじゃなくて、別に勝負がついたりするようなものじゃなくて……なんていうか、昔けいちゃんたちとやったおままごとみたいだった。「じゃあわたしおかあさんやるね!」みたいな。

 参加者は自分のキャラクター(そのゲームの中で使うコマみたいなもの?)を自分で作って、そのキャラクターに、ゲームマスターっていう……お話だとかを作る開発者みたいな役割の参加者……かな……まぁ、そういう語り役みたいな人の出してくる無理難題(!)をクリアさせていくっていう……なんとも一言で言い難い遊びだった。

 そこでわたしたちはキャラクターたちを操作して、まるで外国のおとぎ話みたいな、剣と魔法の世界を冒険するのだ。

 それが『テーブルトーク・ロールプレイング・ゲーム』だっていうことは始めてからしばらくして知った。名前なんてどうでも良かったし、成り立ちに興味もなかったから。

 最初はけいちゃんのお兄ちゃんが、主催者であるマスター役をやってくれた。

 えりちにとってはけいちゃんの家に堂々と入れるんだから、きっと天国だったんだろう。わたしからしたら、今は学年でもかっこいいなんて言われてるけいちゃんがおねしょしてる時代を知っているんだしで別にどきどきしたりしない。けいちゃんちの家具も見慣れたもんだ。

 けいちゃんのお兄ちゃんは一つ年上で、けいちゃんの同級生(同じ学校のわたしも知ってる男の子たち)を相手にそのゲームをプレイしていた。

 最初はえりちはもちろんかわいい女の子のキャラクターを作って、わたしは彼女にちょっと気を使って、お兄ちゃんが作ってくれた男の戦士ファイターをそのまま使っていた。

 それから一年くらいして、お兄ちゃんが高校受験に専念したいから、と持っていたルールブックだとかサイコロを全部わたしたちにくれて、わたしたちはその配分とこれからどうするかを考えた。

 ルールブックは一冊六千円くらいするからおいそれとは受け取れないし、でもこれがないとゲームができない。誰かの持ち物にしたらその子が部活とかで来れないときには遊べない。そのころにはわたしたちはみんなゲームの虜になっていた。えりちもそう。多分けいちゃん目当てって感じじゃなくなってて、他の男の子ともケラケラ笑って喋っていた。わたしもそうだったけど。

 そこで、知恵者(お兄ちゃんがマスターをやっていてくれたゲームでは、魔法使いを使っていた)の吉田くんがいいことを思いついたんだ。

 けいちゃんは図書委員だったから、もらった本を一旦図書館の蔵書という形で学校に置いてしまって、放課後の図書室の隅っこを先生に頼んで使わせてもらうのだ。

 わたしたちはみんなで先生に交渉しにいって、「サイコロを使う? お前ら学校は勉強をするところだぞ……」と言う先生に一生懸命説明した(『Song&Silence』というえりちが間違って買っちゃった英語の追加ルールブックは、英語の勉強にもなるという説得力を増すのに大いに役に立った。実際は一部のキャラクターをパワーアップするルールのところしか読んでなかったからあまり勉強の役には立たなかったけれど)。

 そうしてわたしたちは、覗きに来たクラスのお調子者の野中くんを加えた六人で、新しい冒険をはじめることにしたのだ。

 前はえりちもわたしも大内くんもお兄ちゃんが作ってくれたキャラクターを使っていたから、今度は最初から自分で作ることにした。もうルールも解っているし。

 分厚いハードカバーのルールブックや、それを図書室でこっそりコピーした束(回し読みは使いにくかったし、家に持って帰りたかったから)と格闘して、何日もかけてわたしは一人のキャラクターを創造した。


 カッサンドラ。

 名前は、図書室にあったギリシャ神話の本から引っ張ってきた。

 彼女はエルフと人間のハーフで、聖騎士パラディンとして森にやってきた父とエルフのお姫様だった母が出会って恋に落ちて生まれた子なんだ。お父さんもお母さんもカッサンドラを愛してくれたけど、お父さんは人間だからやっぱり早くに亡くなってしまう(エルフは不老長寿の森の妖精族だ)。カッサンドラは、森に残って欲しいっていうお母さんを振り切って、お父さんの生きていた世界を見たいから、と、仕立て直したお父さんのよろいや剣を身に着けて森を出て人間の世界にやってきたんだ。

 カッサンドラはまじめな性格で、お父さんの信じていた神様である白金竜に仕える聖騎士パラディンだ。聖騎士にしたのは、前のゲームでやってた戦士君が攻撃しかできなくてちょっと寂しかったから。聖騎士は成長すれば信仰呪文を使うこともできるし、悪を討つために神様の力をぶつけるっていう一撃スマイトという攻撃を使うことができる。わたしはルールブックのまだ手の届かない能力のところを読んでわくわくした。

 彼女はまじめな性格だから野中くんのお調子者な盗賊ローグとはいいコンビになりそうだったし、大内くんの作ってきた太陽神の僧侶クレリックゴートとは宗教談義で盛り上がれそう。

「あれ? また前衛にしたの?」

 と、えりちが言うけど、わたしはこの悪い奴と剣で戦って大暴れできる役割が大好きだった。だって現実ではそんなこと絶対できないから! わたしは現実ではただの女子中学生で、それもどっちかっていうとおとなしい部類に入るほうだった。

 そう言うえりちが作ってきたのは髭もじゃのドワーフ(人間より小柄だけど筋肉ムキムキな鉱山だとかに暮らす種族)の蛮族戦士バーバリアン。前のゲームではけいちゃんに見せたかったのかかわいい女の子だったけど、横でべらんめぇ口調を作って暴れていた大内くんのハーフオークが羨ましかったみたい。

「セブンガーはね、ドワーフの村の出身でね、その中でもきっての乱暴者で部族の鼻つまみ者だったの。でもある日、すっごい大きなドラゴンに部族を皆殺しにされちゃって、一人だけ生き残ったんだ。だからセブンガーは……俺はあいつをぶっ殺すために世界を放浪してるってわけよ」

 ここでえりちは気分を出して低い声色を使った。かっこいい! わたしもやろうっと。

「それはいいな」

 と、マスターとしてこれからみんなのためにお話を作る役割を引き受けてくれた吉田くんがふんふんと頷く。

「そのドラゴンはボスとして使えそうだ」

「でも『ホビットの冒険』と同じになっちゃわない?」

 野中くんがちゃかす。お調子者に見えた野中くんだったが意外と真面目に取り組んでくれていて、先週はあれを読んだよ、今はこれを読んでる、と、ゲーム世界につながるような小説やマンガを読み漁っている。

「それを言ったらマコチーの聖騎士パラディンだって、アラゴルンっぽいじゃん」

 えりちが口を尖らせるので、けいちゃんが間に入った。

「いいじゃんか。それに実際やったらぜんぜん違うものになるから大丈夫だよ。だってアラゴルンは女の子じゃないし、トーリン・オーケンシールドには……オホン。私みたいな賢く偉大なエルフの魔法使いの仲間はいなかっただろう?」

 けいちゃんが出してきたのは、エルフの魔法使いウィザードだ。名前のところにはブラックスタッフ、と書いてある。けいちゃんが言うには、彼はすごいいやみったらしい性格で、本当はエルフ語の名前なんだけど、高貴なエルフの言葉は野蛮な人間や、ましてドワーフ"なんぞ"(本当に言った!)には発音できないだろうから共通語の名前を名乗っているんだそうだ。

 けいちゃんのキャラクターと喧嘩になりそうなキャラクターになっちゃった、と困惑するえりち(まだけいちゃんのことが好きだったのか、とわたしはちょっと驚いた)に、わたしはそれとなく助け舟を出す。

「最初は仲が悪くて、でもだんだん仲良くなっていいコンビになるなんてすっごく素敵じゃない? ほら、ギムリとレゴラスとか、ディードリットとギムとかもそうだしさ」

「そうだね! エヘン。しなびたアスパラみてぇなエルフだな。"まじない"だかなんだか知らんが、せいぜい俺の足を引っ張るんじゃねぇぞ」

「驚いた。酒樽が喋ったぞ」

 と、早速えりちとけいちゃんが掛け合いを始める。どこかで読んだり見たりしたのの真似だけど、でもなんだかそれだけで剣と魔法の世界に来たみたいな気分になる。ファンタジー世界にアスパラはあるのかな? ないといいな。嫌いだから。

「そうだなぁ。でも確かにドラゴンが火を吐く竜だと、野中の言うように"まんま"かもしれないから……ここはブラックドラゴンにしよう」

 吉田くんは、マスター用のおどろおどろしい表紙のついたモンスターがいっぱい載ってるルールブックをめくって見せてくれる。そこにはカラーの挿絵で、ずる賢そうな顔をした黒いドラゴンが描かれていた。うねる角が前を向いていて、ドクロに皮を貼り付けたような頭が不気味だ。落ち窪んだ眼窩の奥では黄色い目玉がらんらんと輝いている。確かに悪そう。

「こいつがセブンガーの仇敵ってわけ?」

「そう。ひょっとしたら、白金竜の聖騎士パラディンであるカッサンドラにも関係させられるかもしれない……ブラックドラゴンは白金竜のライバルである暗黒竜の女王に従っているはずだし……」

 早速吉田くんはゲームの構想に取り掛かっているらしい。

 ちらっと見えた敵のヒットダイス(モンスターの大まかな強さ)は、見たこともないくらい大きかった。こいつをやっつけるには、わたしたちもかなりレベルアップして強くならないといけないだろう。長丁場のキャンペーン・ゲーム(同じキャラクターで長い物語を進めるゲームのこと。途中でキャラクターたちはどんどんレベルアップして強くなるの!)の予感に、わたしたちはわくわくした。

「あ、マコチー。コマの絵を描いてよ」

 えりちがハサミで厚紙を切り出してわたしに寄越してきた。

「いいよ。どんな感じ?」

 わたしは比較的絵が上手だった。と、言っても自慢するほどじゃないけど……。でも、こうして頼まれるのは嬉しい。

 ゲームは……中でも一番盛り上がるモンスターとの戦いは、方眼紙の上で行われる。マス目に区切られた紙が戦場だ。そこにわたしたちは自分のキャラクターを降り立たせて、マスターの繰り出すモンスターと戦うのだ。かっこいい金属製のメタルフィギュアもあるけどすごく高価だし(少なくともわたしたちのお小遣いにとっては)、イメージにぴったりするのがなかったりするので、わたしたちは厚紙に絵を描いてそれを消しゴムの切れっ端に差し込んで立たせることで自分のコマを作っていた。

「髭が針金みたいに尖っててね、角の付いたかぶとをかぶっててぇ……身長くらいある斧を持ってるの!」

 わたしは描きなれない髭のおじさんを苦労して仕上げてえりちに渡した。本で読んだバイキングをイメージする。難しい。わたしはどっちかって言うと少女漫画っぽいほうが得意だったから。

「そうそう! こんなかんじ!」

 えりちは頬を赤くして喜んでくれて、ちょっと自信のなかったわたしも嬉しくなる。

 それからわたしは、自分のためにハーフエルフの女の子を(ちょっと気合を入れて)描いた。

 きらびやかな甲冑を纏っていて、髪はすてきな金髪。盾は持っていないけど代わりに両手持ちの剣を持っている。よろいなのにおへそが出ているのは、ちょっと大内くんを意識したからかも。この間大内くんが買ったから遊ぼうって持ってきたゲームの本(二冊で対戦するものだった)では、これよりもっと肌もあらわな女性たちが剣を振り回して戦っていた(なお、大内くんはその後しばらくエロウチくんと呼ばれてからかわれた。彼はこれが外国のゲームを元にしていて実際に面白くプレイできるものだと主張したし、ゲームは結構盛り上がったけれど、でもえっちな本だという評価は不動だった)。

 大内くんは別にイケメンってわけではなかったけど、優しかったし勉強も結構できて、わたしはちょっと好感を持っていた。でもそんなことは、描き上がったカッサンドラを見ると吹っ飛んだ。

 我ながらよく描けているし、なにより、そこにはわたしがいた。わたしじゃないけど、これはわたしだ。わたしは野暮ったいしそんなに美人ってほどじゃないし、なにより運動は大の苦手。でもこのわたしは違う。

 このわたしは青空の下で草原を駆け回って、剣を手にして縦横無尽に暴れまわるんだ。

 金髪をなびかせて快活な感じではきはきしゃべる。青い目の美人(魅力は14もある!)で、でも自分の容姿なんか気にかけていない。だって彼女の本分は、おひさまにきらめくつるぎを取って悪と戦うことなんだから!

 わたしは図書室の隅っこで一人、そんな自分の姿を想像して興奮した。


 ◇◆◇


 わたしたちは週に一回か二回、図書室に集まってカッサンドラやセブンガーたちの冒険を楽しんだ。

 本当は毎日だってやりたかったけれど、マスターである吉田くんが次のお話を考えてくれるのを待たなきゃいけない。それはもどかしい期間だった。でも休み時間に廊下の隅っことかでゲームの話をするのは楽しかった。

 クラスの女の子たちのグループからは怪訝な顔で見られたけど、わたしもえりちも多くを語らなかった。だってテーブルはもういっぱいだったし。

 女の子グループでカラオケに行ったりするよりも、けいちゃんや大内くんと吉田くんの作る世界の中で剣を振るったり魔法を使ったりする方が楽しかった。

 とは言え付き合いもある。

 学校祭の後、みんなでカラオケに行った帰りには、えりちと二人で「ゴブリンの洞窟が恋しいよぉ!」と笑ったものだった。

 学校祭と言えば、野中くんが余ったダンボールで剣と盾を作っていて、それが羨ましくてあとでこっそり(野中くんは女の子グループからは評判が良くなかった)借りて、携帯で写真を撮ってもらった。なんだかカッサンドラに近づけた気分がして楽しかった。

 お小遣いを半年貯めてルールブックも買った。基本のルールブックは見せっこしたりコピーしたりしていたから、聖騎士パラディン僧侶クレリックのための魔法とか技とかの載っている追加ルールブックを選んだ。お値段五千八百円。ゲームショップでそれをレジに置いた時、ちょっと誇らしい気分になって、わたしはフンスと鼻を鳴らしたっけ。おかげでわたしのカッサンドラは新しい魔法を使えるようになったし、白金竜さまについてもくわしく載っていた。あぁ、ドラゴンの本も欲しいなぁ!

 最初は酒場で出会って、村人を悩ませるゴブリンを退治したり山賊を追い払ったり殺人事件を解決したりしていたわたしたちも、だんだんレベルアップしてもっと強いモンスターを相手にすることが多くなった。牛頭の大男ミノタウロス、人面のライオンでサソリの尾とコウモリみたいな翼を持つマンティコア、乱暴者の霜巨人フロスト・ジャイアント

 お話もどんどん複雑に絡み合う。えりち……じゃなかった、セブンガーの仇敵であるブラックドラゴンはシュバルツバルトっていう名前を与えられて、カッサンドラの守護神である白金竜さまの敵である悪の竜神を復活させようとしていて、カッサンドラのお父さんはその計画とずっと戦ってきていたらしい。それで、エルフと協力して一旦は封じ込めたんだけど、ブラックスタッフの兄弟子が実は悪者で、シュバルツバルトと協力してエルフの封印を解いてしまったの! それでセブンガーの村が最初に滅ぼされちゃったってわけ。そのままだったら今頃世界は滅んでいたんだけど、暗黒竜復活に必要なアイテムを偶然にもお調子者の野中くん……じゃなかった、アクセルがスリ取っていたからさぁ大変……。

 最初は村の周りしかなかった地図もどんどん大きくなって、わたしたちは自分たちの生活している学校と同じくらい、この別世界が大好きになった。ひょっとしたら、現実の世界よりももっともっと!

 カッサンドラがそれを手に入れたのはそんなあたりで、シュバルツバルトの手下の比較的小さな(でも強敵)ドラゴンをやっつけた時だった。


 その冒険は吉田くんが忙しかったから、ちょっと合間に挟んだみたいな冒険で、ほぼ戦闘だけだった。だから特別なお話はなかったし、吉田くんはこれと言って財宝を予めは考えていなかった。

 そんな時のために、ゲームにはランダム・トレジャーがある。わたしたちはみんな、この何が出るかわからない財宝の表が大好きだった。だから吉田くんには悪いけど、彼が申し訳なさそうに表を出してくる事があると、みんな大喜びしたものだ。

「すごいな」

 わたしがサイコロを振って、表を見ていた大内くんがひゅーっと口笛を吹いた。

「フロスト・ブランド・ソードだ」

「え、なになに?」

「攻撃すると冷気の追加ダメージがあって、周囲の魔法じゃない火を消したりできるんだって」

「へぇ!」

「でもこれ、大剣だからカッサンドラにしか使えないね」

「やったじゃんマコチー! やっぱ引きいいなぁ!」

 わたしは渡されたルールブックの一節を読み直す。イラストはないけれど、わたしの脳裏には青く冷えびえと輝いていてドライアイスみたいな煙をまとった大きな剣が浮かび上がった。その刀身は半透明で、まるで氷を削り出したかのよう。ひと薙ぎすれば周囲の炎はさっと消えてしまうし、魔法の炎であっても合言葉を唱えれば消してしまえる。もし持ち主が炎にさらされれば、この魔法の剣は冷気を噴射して持ち主を守ってくれるのだ。

 それは(空想の中で)びっくりするほどしっくりと、カッサンドラの手に馴染んだ。

「面白いな!」

 吉田くんは早口になって興奮気味に言った。

「そうだ、このドラゴンはシュバルツバルトに命令されてその剣を守っていたことにしよう」

「ってことは、この剣は奴にとって重要なんだね?」

「そうさ。なにせ……(ここでちょっと吉田くんは考えた)かつて暗黒竜と戦ったある聖騎士パラディンが携えていた名剣なんだからね!」

「あ! それって!!」

 わたしはぱっと顔を上げた。

「ひょっとして、わたしのお父さん?!」

「その通り!」

 吉田くんは頷いて、言った。

「その剣に名前をつけてあげてくれ。この世にたった一振りの、聖騎士パラディンカッサンドラのためのつるぎだよ」

 彼は「次にこの剣が出たら振り直しね」と注釈をつけることを忘れなかったが、わたしは聞いていなかった。

 青く輝くわたしの剣。

 その名も、"凍てつき丸"!


 そんな楽しい冒険は、でもやっぱり空想の世界で、わたしたちの時間は確実に進んでいた。

「ごめん、ちょっと母さんに塾を増やされちゃってさ」

 と、けいちゃんが言い出したのは、中学三年生になったあたりだった。

「兄ちゃんもそうだったし……これからはあんまり遊べないかも」

「えー……」

 えりちが口を尖らせる。

「けいちゃん、月高だっけ」

「あそこなら歩いて通えるから、母さんがそうしろって」

「レベルどう?」

「この間の模試だと、もうちょっとレベルアップしないとなぁ……」

 けいちゃんは苦笑した。

「吉田は?」

「俺? 俺は南行くよ」

「いや、そうじゃなく。塾とかさ」

「行ってるけど、普段からやってれば無理しなくても大丈夫」

「うわ、ムカつく」

 涼しい顔で進学校の名前を出して言う吉田くんに、野中くんが笑う。

 ゲームが縁で知り合ったこの仲間たちは、こと勉強の面ではみんなばらばらだ。だからきっと、みんなが揃ってこうして遊べるのは多分中学の間だけだろうって思った。高校はばらばらになっちゃうだろう。

 えりちはけいちゃんよりももっと厳しいけど、なんとか月高に行くって勉強を増やしている。わたしは家に近い平岸にしようって思ってるし、大内くんはバス通いになるけど清田か東かって言ってた。野中くんはまだなんにも考えてなくて、今まさに先生から呼び出しがかかっている。

「ゲーム、どうしよっか」

 わたしたちは、やっぱりそれが気になった。

 お母さんに言わせると、高校受験は今だけしか出来ないけど、ゲームはいつでもできるでしょ! なんだけど、でもやっぱり気になる。カッサンドラは邪悪な黒竜をやっつけたけど、でも実はその背後には異次元から来た悪魔たちがうごめいていたんだ。そいつらをやっつけないと、この世界はもっと危ないことになってしまうんだから。こんなすごいゲームができるのは、今だけって気がしていた。

「俺はやってもいいけど……伊藤(けいちゃんだ)や谷口さん(えりちのことだ)は、塾増やすんでしょ」

 吉田くんが腕組みをする。くやしいのは彼ももちろん同じだろう。だってこの世界は彼の世界なんだから。小さな村とその周辺だけしかなかった地図を、みんなが好き勝手に出すアイデアをまとめてどんどん大きくしていったのは、マスターである彼だ。今また、ついに異次元の世界にまで手を伸ばそうとしている。

「うん……」

 けいちゃんとえりちは申し訳なさそうにうつむく。最初にこのゲームを教えてくれたけいちゃんのお兄ちゃんのことを思い出した。きっとお兄ちゃんもくやしかっただろう。考えてみればあの世界も、ぜんぶお兄ちゃんが作ってくれたんだった。

「い、いや、いいんだ。仕方ないよ」

 吉田くんが慌てて二人をなだめた。

「うまく時間を見つけてさ、卒業までになんとか最終回まで進めよう。構想はもう……」

 彼は重い空気をなだめようと、おどけて自分の頭をこつこつとつついた。

「ここにあるんだ」


 でも結論から言うと、そうはならなかった。

 空想の冒険よりも現実の挑戦はもっと差し迫っていて、歯ごたえがあった。あぁ、こんな問題集なんて"凍てつき丸"で一刀両断できたらいいのに!

 問題集に赤いフィルムをかけながら、わたしは、これで魔法の範囲を切り抜いたら便利だな……、なんてことを考えたりした。

 えりちとけいちゃんは一緒の塾に通うようになって、なんだか親密になっていった。わたしも塾には通ったけど、家から近い別のところにしたから、えりちやけいちゃんとは別の友だちと一緒。おかげでわたしは、カッサンドラや白金竜さまについて考えることは次第に減っていった。受験には多分、そっちのほうがいい。

 わたしの本棚の一番いいところにあったルールブックとコピーの束は奥に押しやられて、日本史と英語の参考書に置き換わって、勉強机の見えるところに飾ってあった三人のカッサンドラのコマを、わたしはため息をついて机の引き出しに仕舞った。

 彼女の物語はまだ終わっていないけど、でもいつかきっと。

 わたしは机の引き出しに、"凍てつき丸"を勇ましく掲げるカッサンドラを見送って、再び赤い問題集に立ち向かった。


 努力のかいあって、わたしたちは無事中学を卒業して、予定通りばらばらの高校に進学した。

 吉田くんは会うたびに続きをやりたがったが、予定はなかなか合わなかった。

 けいちゃんとえりちはお付き合いしてるらしいし、野中くんは高校の友達とゲーセンに行ったりしている。大内くんは高校でゲーム仲間を見つけて新しいキャンペーン・ゲームをはじめたって言ってた。

 わたしはと言えば、高校ではゲームをする友達には巡り会えなかった。

 もちろん、ちゃんと探せばいたのかもしれない。でも、女の子たちのグループのつながりは中学のころよりも強くてそっちが忙しかった。新しい高校生の世界はそれはそれで楽しかったし、帰り道に寄り道したり、かっこいい先輩の話をしたり、お小遣いを増やしてもらったからたまに街にみんなでショッピングに行ったり。それもあって、わたしはだんだんとカッサンドラのことを忘れていった。

 空想の中の草原と青空と、恐るべきモンスターたちと、頼りになる仲間たちと、鉄と炎と、神秘と冒険と。

 そして"凍てつき丸"と。

 残念だけど、わたしはそんなにゲームに没頭することができなくなった。

 お友達の付き合いも、勉強も、生活もぜんぶ大変で、空想に首までどっぷり、なぁんてどだい無理なんだ。

 カッサンドラの物語は完結しないまま、わたしは彼女から遠ざかった。


 ◇◆◇


 それから十年ちょっと。

 大学を経て、わたしは地元の旅行会社に就職した。そんなにお給金はよくないけど、このご時世あるだけマシだ。

 もうえりちやけいちゃんと会うこともめったにない。近くには住んでるはずだけど。うまくいっていれば、そのうち結婚のお知らせくらい来るだろう。うまくいっていなかったら……まぁ、初恋なんてそんなもんだろう。

 吉田くんは東京の大学に行ったっていう話を聞いたのが最後で、もう音信不通。

 わたしはこの通り、普通の社会人になって日々を暮らしている。


「あれ」

 わたしは事務所のパソコンでツイッターをぼんやり眺めていた。所長の方針で、暇な時には好きにインターネットを見ていていいことになっている。「旅行会社なんだからアンテナは高くしておけ」というのがその弁だ。

 ツイッターにはリツイートだとか、あるいはフォローしてる人のお気に入りがタイムラインに出てくる機能だとかで、見慣れない情報やつぶやきが目に入ることがある。

「うっわ、懐かしい!」

 わたしはどこからか流れてきたつぶやきに貼り付けられた画像を見て目をぱちぱちした。

 それは中学のころ、夢中になって遊んだゲームだった。

 見た目は随分違うけれど、きっと同じものだ。

 それは外国のプレイ風景らしくて、方眼紙の上に小さな人形がいくつも並んでいた。人形は一回り大きな怪物と勇ましく戦っていて、近くには見覚えのあるボールのようなサイコロが写っている。

「まだあったんだぁ……」

 そりゃそうだ、と思うけれど、でもわたしの感想はやっぱりそれだった。

 それはもうすっかり遠い世界の遊びになっていた。

 今のわたしにとって、ゲームはスマートフォンで遊ぶパズルゲームだったし、遊びは女友達とショッピングに行ったり流行りの映画を見たりだ。あ、ランドに行こうって約束してたっけ。秋物の服見ないと。

 だからここで懐かしいゲームを見てもわたしは、あ、懐かしいな、くらいの感想しか抱かなかった。

 わたしはすぐに、今年の秋物の参考にするためにウェブストアのページにジャンプした。


 それからしばらくした、ある水曜日の帰り道のことだった。

 その日は早く仕事が終わったので、たまに行く服屋さんに寄ることにした。お目当ては秋物のアウター。それもあんまり高くないやつ……でもかっこ悪いって思われたくない。できればこう……センスの光るやつがいい。

 そこはいわゆるブランドものではなくて、ちょっと変わった服が安い値段で出ているお店で、あまり接客がしつこくない。そこが気に入って、わたしはたまに顔を出す。見るだけでもいいし、気に入ったら、五・六千円くらいなら買ったっていい。そのくらいなら失敗してもそこまで痛くはない。

 古いビルのワンフロアの半分くらいがそのお店で、前に来たときは残りの半面は改装中だった。別なお店が入るんだろう、と思っていたら、今日いくとそこはあかあかと明かりが灯っていて、すでに改装工事を終えた後のようだった。

 何のお店が入ったんだろう。

 前はエスニックアクセサリーなんかを並べるテナントが入っていた。このビルの下の部分がパチンコ屋さんになって以来、(わたしにとっては)入りにくくなってしまっている。それを覆すような素敵なお店だといいけど……。

 お店自体はそんなに大きくなかった。

 でもわたしは、思わずそのテナントの前で立ち尽くした。

 ガラスのショウ・ウィンドウには、色とりどりの小物が並んでいる。それはあるいは六面体、あるいは八面体、それから二十面体のサイコロで、高校生くらいの男の子が真剣な顔で手に取っては一個づつ試し振りをしている。

 本棚にはずらりとハードカバーの本が並んでいた。そのうちいくばくかの背表紙は英語だ。文庫もある。

 別の本棚にはカラフルなボックスが並んでいて、いくつかはわたしも見覚えがあった。大内くんだ。確か大内くんがあの農園の絵が描かれたボックスを学校に持ってきて先生に怒られていた。同じものかな?

 わたしはほへーっと口を開けたまま店内に入る。

 懐かしい。

 昔えりちやけいちゃんとこういうお店に来たっけ。そうだ、追加ルールブックを買ったんだ。あのころは高くてぜんぜん手が出なくて、お小遣いを貯めて買ったんだった。

 アマチュア作成のカードゲームがずらっと並んでいる。

 あのツィートが流れてきたことといい、流行ってるのかな?

 ひょっとしたらわたしが離れていただけで、ずーっと続いていたのかもしれない。

 きょろきょろと見回しながら店内を歩く。店員さんはちょっとかったるそうに、品物をごそごそやっていた。透明のブリスターパックに入った小さな金属製の人形が壁にいくつも掛かって売っていて、わたしは一つを手に取った。それはやけに勇ましくて洋画のマッチョマンみたいで、これがイメージに合わなくて自分で描いたのを思い出す。あれ、どこにやったっけな。

 いつのまにか、わたしはすっかりお目当ての秋物のことを忘れていた。

 懐かしい思い出がワッと押し寄せてきて、ワクワクするよりもなんだかどきどきしてくる。心の置き場に困る感じがする。あのころのわたしは、いまのわたしを想像できただろうか。中学生だったわたしは、自分が大人になるなんて想像もできなかった。別世界の冒険についてはあんなに色鮮やかに想像できていたのに。今はその逆。来年のこと、将来のこと、親の老後のこと、現実の未来が目の前に次々現れる。それに慣れてしまったからか、今、あのころのようにファンタジー世界を空想しようとしても、なんだかうまくいかない。色鮮やかだったそれはふわふわして、どこか遠くに行ってしまった気がした。

 わたしは心の置き場に困るこの感覚を、あぁ、これは寂しいんだ、と思った。

 あの遊びと楽しみは、もちろんお金にもならないし何の役にも立たないあの趣味は、わたしから遠くへ行ってしまった。わたしがどこかに追いやってしまったんだ。代わりに近づけたものに価値がないなんて思わないけど、でもあの思い出は青く遠く輝いていて。

 あぁ、あの時持っていた剣はどこに行ったろう。

 なんていう名前だっけ。


 お店の奥から笑い声が聞こえてきて、わたしは顔を上げた。

 奥の方にはいくつかのテーブルがあって、学生さんや、あるいはいい年のおじさんたちがテーブルを囲んでいた。ほとんどのテーブルではカードを積み上げて何かのゲームをやっている。

 一番奥のテーブルでは、わたしと同世代くらいかちょっと上くらいの男女(男性の方が圧倒的に多かった)が集まっていて、そのテーブルには。

 そのテーブルには。

 そこには草原があった。そこには青空があった。そこには恐るべきモンスターたちと、きっと頼りになるだろう仲間たちがいて。それから鉄と炎と、神秘と冒険があった。

 広げられた方眼紙はわたしたちが昔使っていたものよりカラフルで、暗い洞窟の地面が描かれていた。それはつるつるしていて、きっとあの傍らにある水性ペンで書き込みができるっていう寸法だろう。

 方眼紙の上には、今は小さな子鬼の人形がいくつも踊っている。知っている。あれはゴブリンだ。昔何十匹とやっつけた。思ったより手強くて命からがら逃げ出したこともある。たまに狼を連れていて、わたしたちはおおいに苦しめられたものだ。

 そのゴブリンと戦うのだろう。甲冑に身を包んだ戦士や、青いローブをまとった魔法使い、腰をかがめて弓を構えた盗賊がそれぞれポーズを取っている。もしあのゴブリンを相手にするなら、きっと魔法使いが活躍するはずだ。ブラックスタッフの唱える眠りスリープの呪文には何度も助けられた。エルフの血を引くわたしには効かなかったからまずわたしが突っ込んで引きつけた所に眠りスリープの呪文をかけるのがお定まり。たまに主導権ロールの関係でわたしと一緒にえりちのセブンガーも突っ込んじゃって魔法がかけられなくなることがあって、その時はみんな笑いながら苦戦するのだった。

 どのくらいぼんやりしていただろう。

 そのテーブルの男性が一人、こちらに気付いたようでぺこりと会釈してくれた。わたしも慌ててちょっとだけ頭を下げる。

「あの」

 彼はにこやかに言った。おだやかな物言いだった。

「もしよかったら、ちょっとやって行きませんか?」

「え?」

 彼の意外な申し出に、わたしはきょとんとした。

「あの、今やってるところじゃ」

「あぁ。これから始めるところなんです」

「お邪魔してもいいんですか?」

「もちろん!」

 わたしの知ってるゲームはもっとどっぷり遊ぶものだった。決まった仲間がいて、長い物語を作っていくような……。だから「ちょっとやって行く」なんてピンとこない。

「昔やってらしたんですか?!」

 わたしがそう言うと、彼は目を輝かせた。うっ! そんなにがっと来られると少し困る……。わたしは半歩下がってハンドバッグを握った。いや、これで殴ったりするつもりはないけど。

「そういうゲームももちろんありますよ! でも今やってるのは飛び入り歓迎のゲームで……ええっと……説明難しいな……やっぱりちょっとやって行かれませんか?」

 彼はなかば強引に、わたしを席に座らせた。

「あ、あの、よろしくお願いします……」

 わたしが言うと、差し向かいに座った、わたしよりちょっとだけ若い女性がにこにこ頷いて同じように挨拶してくれる。

 目の前のキャラクター・レコード・シート(キャラクターについてのすべてが書かれた記録用紙)はわたしが知っているものとは書式が違う。

「えぇと……筋力、敏捷力、耐久力、知力、判断力、魅力……」

 でもだんだん思い出してくる。

 ゲームマスター役はさっきの彼だったらしい。人当たりの良さそうな男性だ。彼が言うには、わたしが昔遊んでいたゲームの新版だそうだ。

 もう他の人は自分の操るキャラクターを決めていたから、わたしは残っている出来合いのキャラクターから自分の操るキャラクターを選ぶ。

「もちろん、慣れれば自作もできますよ。よかったら来週からは作ってみますか? 今日選んだキャラを改造したりしてもいいですし……」

「はぁ……」

 どうやら彼らは毎週ここでゲームをやっているらしい。

 いい年の大人がだ。

 わたしはそれにびっくりした。

 さっき感じていた寂しさは、いつのまにかなりを潜める。ひょっとして。ひょっとしてこれはどこにも行っていなかったんじゃないかしら?

 わたしは彼の出してきてくれたキャラクターシートのうち一枚に目を止めた。

聖騎士パラディン……」

 筋力15、敏捷力10、耐久力14、知力9、判断力12、魅力14。特殊能力は癒しの手レイ・オン・ハンズ神の一撃ホーリィ・スマイト、それに信仰呪文。

 昔は見慣れていた記述がいっぺんに飛び込んでくる。

 引っ込み思案でどちらかと言えばおとなしいわたしが好んでいたのは、剣を持って悪者と戦う戦士。それもちょっといろいろできる聖騎士パラディン。悪を憎んで正義と世界のためにその剣を振るうんだ。彼女の名は……。

「あ、聖騎士パラディンにしますか? はじめてなら戦士ファイターがおすすめですけど……」

 気を回してくる彼の言葉を遮るように、わたしは言った。

「カッサンドラ! 彼女の名前はカッサンドラです!」

 もちろん、昔の思い出をこの見知らぬ人たちにぶつけるのはよくないだろう。そんなことはわかっている。でもわたしは、この真新しいキャラクターシートの名前の欄に、彼女の名前を書き込んだ。彼女。ううん。わたしの名前を。


 これは趣味だ。

 これは遊びだ。

 わたしたちには当時もっと大切で喫緊の課題があって、やらなきゃならないことや、もっと楽しいことがあった。

 それが悪かったなんて思わない。女の子同士のグループだって楽しかったし、うっかり受験に失敗していたらと思うと、きっと面倒なことになったろう(ひょっとしたらそれはそれで楽しかったのかもしれないけど)。

 でもある時ふっと戻りたくなった時。

 ある時ちょっとだけもう一人のわたしに呼ばれた時。

 あのゴブリンの洞窟が恋しくなった時。

 テーブルでは早速ゲームが始まっていた。わたしたちは初対面だったけど、酒場で知り合ってすでに何回か一緒に冒険をしているっていう設定。目の前の女性はドワーフの|魔法使い >ウィザード]]で、他の仲間はエルフの[[rb:盗賊ローグと人間の僧侶クレリック。小さな村に立ち寄ったわたしたちは、村人を悩ませるゴブリンの集落を退治することを請け負った。報酬について食い下がるドワーフに対し、わたしは善をなすことの大切さを説いてみせて、テーブルの仲間はちょっと笑った。大人にとってはきれいごとに聞こえるけど、でもここは空想の世界だもん! ところがゴブリンの集落には、お定まりの狼ではなく、なんと熊が飼われていて……。

 テーブルの上の洞窟では、思いもよらない死闘が展開されて、わたしたちはすぐにサイコロの目に一喜一憂。だって熊は大きすぎて、眠りスリープの呪文が効かなかったから。

 わたしはカッサンドラが大声を上げて必死に剣を振るっている姿が想像できた。あのころみたいに。きっとちょっとだけおへその出た甲冑で。

 趣味も遊びも、どこかに行ったりしない。

 遊びたくなった時、いつでもまた戻ってくることができる。

 ギリギリの戦いを制して、わたしたちはその日のゲームを終えた。

「来週でもいつでも、また来てください」

 マスターをつとめてくれた彼は言った。

「もちろん、来てくれたほうが嬉しいですけど」

「あたしはまぁ、子供次第かなー」

 ドワーフの魔法使いを演じていた女性が、ペットボトルのお茶を飲み干して笑った。

「水曜日は旦那に預けてるんだけど、急に熱だしたりするからなぁ……」

「そうなんですか?」

「まぁリアル大事だからさ」

「そりゃそうですよ」

 と、後片付けをしながらエルフの盗賊が頷く。

「うまく折り合いつけて、楽しんでかないと」

 ははぁ、とわたしは思う。

 わたしが今日、こうして再びゲームを楽しむことが出来たのは、別に運命でも偶然でもない。

 彼らのような人たちが、ごく普通に、ごく自然に、無理なく趣味を楽しみ"続けて"いたからだ。

 カッサンドラはずっと待っていてくれた。それはわたしの中にであり、またある意味で彼らが彼女を守っていてくれたのだろう。

 それはわたしがその気になればいつでも手の届くところにあって、そして今、確かにわたしは手を伸ばし、その手は届いている。

 わたしはハンドバッグから手帳を取り出してぱらぱらめくった。

「あのぅ……」

 それから、おずおずと声を上げる。

「来週って、この続きですか?」

 テーブルの彼らが、まるで中学生みたいな顔で笑った。


 今日、わたしは秋物のアウターの代わりにA4版が入るちょっと大きな茶色いかばんと、それから基本ルールブックのセット三冊をまとめて手に入れた。大人の財力を行使して、わたしはフンスと鼻を鳴らした。カードは偉大だ。

 家に帰ったら机の引き出しを探してみよう。

 あのころに描いたカッサンドラを探してあげよう。追加ルールブックもあったはずだ。版上げでデータは変わっているけど、きれいなカラーイラストがいっぱい載っていたはずで、わたしは久しぶりにそれを見たいと思った。サイコロもあるはずだ。そのままになっているなら、ピンクのポーチに入っているはず。

 ひょっとしたらもうないかもしれない。でもわたしはきっと寂しくならない。

 あの世界はずっとわたしを待ってそこにあったんだから。

 空想の中の草原と青空と、恐るべきモンスターたちと、頼りになる仲間たちと、鉄と炎と、神秘と冒険と。

 わたしはすっかり暗くなった帰り道で、あのころと同じ冒険の詰まった重い鞄を胸に抱いて、ぴょんとはねた。


 わたしはつるぎを持っていた。

 それは冷え冷えとした青い刀身の大剣グレートソードで、ひと薙ぎすれば吹雪を呼ぶ魔法のつるぎ。その名も"凍てつき丸"。

 きっとそれだって、わたしを待っていてくれるに違いないんだから!

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凍てつき丸 @hirabenereo

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