第三章 不穏は忍び寄る

第14話 黄泉竈食(試し読みはここまで!)

 ――お役目を果たしなさい。


 誰かの声がする。


 ――当主様の魂を導きなさい。


 低く、言い聞かせる声がする。


 目の前には顔に白布を被せられて横たわる男女。


 その亡骸の前に供えられている人形。


 ――当主様の魂はここに。


 ――黄泉路に決して迷わぬように。


 ――降りかかる厄を流し去るために。


 人形を受け取り、洞穴の前に立つ。


 これを為さねば己に意味はない。もはや帰る場所もない。


 だけど、もし失敗したら? 両親の魂を送り届けられなかったら?


 自分は一体、どこに返ればいい?




『――若旦那様!』




 幼い少年の声。


 それと同時に雛の意識は現実へと一気に浮上した。




「……え?」


 まるで全力疾走をした後のように息を荒げながら、雛は目を覚ます。ぱちぱちと何度もまばたきをする視界に広がるのは、骨組堂の一室の天井だ。


 そこでようやく自分が見ていたものが夢だと理解し、雛は頭を押さえながら起き上がった。


 あの声は何だ? 彼は、誰だ?


 記憶をたぐろうとしても、夢の内容は徐々に薄れてしまってわずかな手がかりもつかめない。


「……俺の欠けた骨ってやつなのかな」


 桐子が言っていたことを雛は思い出す。




『雛も欠けた骨が早く戻るといいね!』




 ここに来るのはどこか欠けたものばかり。それなら自分も? 何かを忘れているのか?


 雛は思い悩みながら、枕元に置いていた両親の人形を抱きしめた。


 まだ分からないことが多すぎる。だけど今はまず、父さんたちの魂を探したい。そのためには形代サマと継喪のために働かないと。


「……よし!」


 気を取り直すと雛は立ち上がり、布団をまとめ始める。部屋の隅には昨夜見た時にはなかった着物がたたんで置いてあった。おそらくこれを着ろということだろう。


 雛はそれを何気なく持ち上げ――嫌そうに顔を歪めた。


 手早く着物に袖を通し、帯を締める。もう一枚の鮮やかな着物はとりあえず羽織っておいた。そして、一緒に置いてあったもう一本の帯と両親の人形をひっつかむと、雛は廊下に飛び出した。


 継喪がいつもいる部屋は昨日のうちに教わっていた。骨組堂の入口にほど近い土間の部屋。そこの板戸を開け放ち、雛は声を張り上げた。


「女物じゃねーかこれ!」


「おや。よくお似合いですよ、雛」


 悪びれもせずに言いながら、継喪はぱちぱちと拍手をする。


「お似合いですじゃないんだよ、なんで女物なのさ!」


「仕方ないでしょう。誰かさんがあっちへフラフラ、こっちへフラフラするものですから、できるだけ目立つものを選んだだけです」


「だからって女物!」


「まあまあ、もう一つ理由はあるのですよ」


 継喪は雛の持つもう一本の帯を指さした。


「そちらは子負い帯です。あなたの人形を常に背負うのに便利でしょう?」


 特に色染めもしていないその帯を、改めて雛は見る。たしかにこれであればいつも両親の人形を身につけて自由に動き回れるだろうけども。


「まさか子負い帯とセットだったから女物買ってきたってことじゃないだろうな」


「ははは。そのまさかです。察しが良いですね」


 いけしゃあしゃあと言う継喪に雛は言いたいことが多すぎて、ぐぐぐと顔を歪めながら逆に言葉に詰まってしまう。やがて雛はがっくりと肩を落とした。


「まったく……まあいいよ。人形のこと、気にしてくれてありがと」


 一応希望を聞いてくれたことだしと、雛は継喪に礼を言う。


 今度は顔を歪めるのは継喪のほうだった。


「は? なんだよ、その顔」


「お礼とか言わないでくれませんか、気持ち悪い」


「言うに事欠いてお前さあ……」


 あまりに性根が捻くれている継喪に雛はあきれた目を向ける。


「なんなの? 素直になったら死ぬ病気なの?」


「あなたの能天気さに怖気が走っただけですよ。本当に気持ち悪いです」


「性格が悪すぎる……」


 むしろこちらのほうが怖くなってしまいながら、雛は子負い帯で人形を背負おうとする。人形はちょうど人の赤ん坊ぐらいだ。うまくやればちゃんと背負えるのだろうが、何分初めて背負い帯を使う雛はなかなかうまくできずに格闘してしまっていた。


「はあ……。雛、こちらに来なさい」


 手招かれるままに継喪に寄っていくと、継喪は雛の手から帯と人形を取り上げた。


「この程度ができないなんてまったく無能な……はい、これでよろしいでしょう。早く自分でできるようになってください」


 一言二言余計なことを言いながら継喪は雛の体に人形を固定する。少し体を動かしてみたが、ずれる様子もない。


「ん。あんがと、継喪」


 また素直に礼を言うと、継喪はとてつもなく嫌そうな顔になった。


「気持ち悪い!」


「そこまでかよ……」


 鳥肌が立ったのか継喪は自分の腕をさすっている。いくらなんでも人間不信にもほどがある。


「うるさいですよ。まったく……雛、アナタには今から朝食を作ってもらいます」


 気を取り直したのか、偉そうに継喪は雛を見下ろしてくる。


「朝食? 俺、料理なんて……」


「はあ、やだやだ。最近の若い魂は料理もできないとは」


「はあ?」


 明らかな挑発だったが雛は思わず乗ってしまった。継喪はにやりと笑う。


「お、俺だってやればできるし」


「ええ、ええ。こんなのアナタには簡単ですものね?」


「簡単に決まってるだろ! 今に見てろよ!」


「よろしい。まあ、手伝ってあげなくもありません。――泥よ、ここに」


 ぱんぱんと手を叩きながら継喪が言うと、土間の土が持ち上がり、手のひらにちょうど乗るぐらいの小さな泥人形が三体できあがった。


「お前たちは雛が妙なことをしないか見張っているように。わかりましたね?」


 泥人形たちはまるで命が宿っているかのように、ぴこぴこと手足を動かして継喪の言葉に応える。


「えっ、かわいい……」


「何をぼさっとしているのですか。泥たち、台所に案内してあげなさい」


 継喪が再び手を叩くと、泥人形たちはとてとてと足音を立てながら雛の周りにやってきて、その足をぐいぐいと押し始めた。当然、十倍以上の体格差がある雛の体はびくともしない。


 その微笑ましさに雛は口を押さえた。


「かわいい……ずっと見ていたい……」


「ぴきー!」


 いつまでも動こうとしない雛に泥人形たちは抗議の声を上げる。


 うんうんと頬を緩めてそれを観察していた雛だったが、背後に迫ってきていた継喪によって頭を片手でわしづかみにされた。


「何を、サボっているのですか!」


「痛い痛い痛い!」


 ギリギリと頭蓋を握りしめられ、雛は悲鳴を上げる。


「遊んでいないでさっさと働く! ほら早く!」


「ちぇ、はーい……」


 今度こそ泥人形の先導で雛は台所に向かい始める。


 台所は骨組堂の奥まった場所。裏庭に面した位置にあった。当然のようにコンロや冷蔵庫があるわけもなく、雛は台所の入口で立ち尽くす。


「まさか、火をおこすところからやれってこと?」


 台所に置かれている鍋や食器をあらためていく。どれも新品同様に綺麗で、焦げや汚れは一切ない。


 もしかしてこれ、普段は使っていないんじゃ……?


 そんなことを思いながら、とりあえず雛は裏庭の井戸から水を汲んでくる。桶をぶら下げて戻ってくると、泥人形たちが食事の材料をどこからか持ってきてくれていた。


「お、ありがとなー。これ、全部使っていいのか?」


 こくこくと泥人形は首を縦に振る。雛は材料を前に「よし」と気合いを入れた。


 米を洗い、水に浸して、火にかける。火はかまどの前で困っていると、泥人形たちがつけてくれた。彼らにお礼を言ってから、わかめを水で戻し、豆腐を切る。


 そこまで順調に手を動かしたところで、雛ははたと気づく。


「……俺、こんなに料理できたっけ?」


 記憶の中の自分は、どこにでもいる男子高校生だったはずだ。


 たしかに生まれた家は旧家と言ってもいいほど大きい。だけど、だからこそ幼い頃に家事の手伝いなんてしたことはないし、両親が実家を出て、一緒に都会に行ってからも、手伝いなんて数えるほどしかしたことがない。


 なのに、なぜか体が覚えているかのように、見る見るうちに朝食はできあがっていった。


 白米。味噌汁。漬物。


 簡単なものではあるが完成した食事に、雛は満足げに鼻を鳴らす。


「まあ、俺にかかればこんなものよ」


「ぴー!」


「ぴきーっ!」


 足下で三体の泥人形たちも一緒に喜んでくれている。


 彼らの頭を指先でうりうりと撫でてから、雛は朝食を乗せた盆を持ち上げる。


「これ、形代サマに持っていけばいいのかな。お前ら、あいつがどこにいるかわかる?」


「ぴきっ!」


 泥人形は元気よく返事をすると、台所を出て雛を案内し始めた。


 裏庭に面した縁側を歩き、奥から数えて二番目の部屋。ふすまで閉ざされたその部屋の前で泥人形は立ち止まる。どうやらここが目的地のようだ。


「ありがと。お疲れ様ー」


 三体の泥人形を順番に撫でてやると、泥人形たちは照れたような仕草をした後、パタパタと縁側を走って去っていった。


「形代サマー? メシ持ってきたぞー」


 投げやりにふすまの向こうに声をかける。しかし、返事は戻ってこなかった。耳をすましてみても物音もしない。


「いないのか……?」


 雛は一旦盆を下に置き、ふすまをそっと開けてみる。家具がほとんど置かれていない畳敷きの殺風景な部屋。その奥で、形代は文机に向かっていた。


「いるんじゃん! 返事ぐらいしろよ!」


 すぱんとふすまを開けて、雛は盆を形代のそばに持っていく。


「朝飯作ったぞ。どこに置けばいいんだ?」


 形代は何も答えず、手元の台帳らしきものをめくった。雛には視線ひとつよこさない。


「おい、聞いてる?」


「……」


「なあったら」


「……」


 何度話しかけても反応を返さない形代に、雛は徐々に苛立ちが募っていく。


「いらないのか? いらないならいらないって言えよ」


「……」


「返事しろって!」


「……」


 なおも返事をしない形代。とうとう堪忍袋の緒が切れた雛は、勢いよく立ち上がった。


「もういい! これは俺が食うからな! まだ台所に残ってるから食うならそっちを――」


 そこまで言ったところで、雛の持っていた盆は形代によって奪い取られた。


「――黄泉竈食よもつへぐいも知らないのか」


 突然知らない単語を出され、雛は動きを止める。形代は感情を感じさせない目で雛を覗き込んだ。


「逝くことを望むか、返ることを望むか。お前はまだ選んでいない」





【試し読みはここまで!】

【続きは12/15に富士見L文庫より発売の「黄泉平良坂骨組堂」でお楽しみください!】

富士見L文庫作品ページ

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【試し読み】黄泉平良坂骨組堂 黄鱗きいろ @cradleofdragon

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