エピローグ後編 白河さんから水野さんへ

「おかえりなさい!」


 家に帰るとすぐに汐織しおりが玄関にやってきた。


「ただいま」


 汐織しおりが背伸びをしている。


 俺は汐織しおりの唇に自分の唇を重ねた。


 朝と夜のこれは完全に日課になってしまっていた。


「えへへ、今日もお疲れ様です! 江尻えじりさん、昇進したんですね!」

「情報早くない?」

「お昼に本人から直接メッセージ届きました」


 汐織しおりが俺に携帯の画面を見せてきた。

 可愛らしい絵文字がいっぱい付いている。


「今度お祝いしないとですね!」

「うん、部門でも何かやりたいなぁって思ってる」

「私も個人的に何かしたいです!」


 空のお弁当箱をキッチンの洗い物のところに置いた。


「今日もありがとう、美味しかったよ」

「いえいえー。値下げの大根どうでした?」

「煮つけになってて美味しかったよ。値下げって言わなきゃ分かんなかったと思う」

「やった!」


 汐織しおりが小さくガッツポーズをした。


 料理に関しては本当に凝るようになってしまい、もうお店でも開けるんじゃないかってくらいのクオリティになっている。


 値下げで買ってきた商品をどこまで美味しくできるかを追求しているらしい。


「あれれ、もしかしてお悩み事ありますか?」

「分かるの?」

「なんたって大和やまとさんのお嫁さんになる女ですから」

「うーん……」


 本当はもうちょっと自分一人で考えたかったんだけどな。


 ……というか俺の中ではほとんど答えは決まってしまっているんだけど。


汐織しおりはさ、将来やりたい仕事とかはないの?」

「あるにはありますが……」

「えっ? なに? 教えてよ」

「料理が好きなのが分かったので調理師さんもいいかなぁと。あっ、でも保育士さんにも興味が! 他にも色々!」

「いいじゃん、いいじゃん。スーパーの社員とか言ったらどうしようかと思った」

「もちろんそれは選択肢としてはありますが!」

「あるの!?」


 汐織しおりの将来就きたい仕事はまだはっきりとは決まっていないようだ。

 

 大学ってそういうものを探す場所でもあるらしい。


 そこは思う存分悩んで欲しいし、自分の納得できる職業についてほしいと思っている。


「で、誤魔化しましたよね! 何かあったんですか!?」

「うっ」


 見抜かれた。


 ちょっとずつ……本当にちょっとずつだが汐織しおりが強くなっているような気がする。


「いや、俺にも昇進の話があってさ……」

大和やまとさんにもですか!?」

「うん、三つ選択肢があってさ。店長コースか、バイヤ―コース、それとも現場に残るエリアチーフかって話みたい」

「エリアチーフ?」

「地域全体のチーフみたいなやつ」

「すごい!」


 汐織しおりが小さく拍手をした。


汐織しおりはどう思う?」

「私ですか?」

「うん、二人のこれからの人生に関わることかもしれないから」

「うーん……?」


 汐織しおりが顎に手を添えて考え始めた。


大和やまとさんのやりたいことでいいと思います」


 ……が、あまり間を置かないで汐織しおりがそう答えた。


「プロポーズしてくれた日のこと覚えてますか?」

「そりゃ、もちろん」

「私、ちょっとだけ考えることがありました」

「考えること?」

大和やまとさんってお仕事嫌いだったんだなぁと思って」

「……仕事を好きになる人間は中々いないと思うよ」

「でも私はそんな大和やまとさんを好きになったわけで」


 汐織しおりが優しく俺に微笑んだ。


「今の私はスーパー店員の水野みずの大和やまとではなく、大和やまとさん自身のことを愛してます。だから、大和やまとさんが私の選択を尊重してくれているように私も大和やまとさんのやりたいことを尊重したいです。仮にお仕事やめたいって言ってもそれでいいと思ってます」

「そっか」


 急に気恥ずかしくなり目線をそらしてしまった。


 汐織しおりが正直な気持ちを俺に話してくれた。


「まぁ、実は決まっているんだけどね」

「エリアチーフでしょう? 知ってます」

「なんで分かるのさ!」

大和やまとさんなら現場に残りたいって言うんじゃないかなって。大和やまとさんの大好きな人たちがいる場所ですもんね」

汐織しおりはすごいなぁ……」


 エリアチーフ。


 俺が尊敬していた人がついていた役職。


 俺もその役職になって仕事をしてみたい。


 江尻えじりさんや綾瀬あやせさん。


 みんなとまだまだ仕事をしたい。


 みんながおじいちゃん・おばあちゃんになっても一緒に何かをやっていたい。


「けど、大和やまとさんのこと一番大好きなのは私ですからね!」

「分かってるよ、ありがとう」


 汐織しおりが俺に抱きついてきた。


 結局、汐織しおりの敬語はそのままだった。それはそれで汐織しおりらしくていいかなぁと思っている。


「思えばさんが値下げをミスってから色々変わったなぁ」

「それはもう言わないでくださいっ!」

「ううん、あのとき白河しらかわさんが値下げを間違えてくれて本当に良かった。白河しらかわさんから水野みずのさんがもらったことは沢山あるよ」

「チーフが値下げを間違えて良かったって言っていいんですか!?」

「ダメ」


 汐織しおりがとても幸せそうな顔で笑っている。


「さて、そろそろご飯にしましょう!」

「うん」

「あっ! でも――」


 汐織しおりが俺に抱きついたまま、ぐいっと俺の顔を覗き込んできた。


 白河しらかわさんの値下げミスから始まった俺たちの関係はまだまだ続いていく。


 小西こにじさんには小西こにしさんの、山上やまがみさんには山上やまがみさんの。


 綾瀬あやせさんもそうだし、三郎さぶろうさんもそうだ。


 江尻えじりさんにもこれから色々なことがあると思う。


 そして大木おおきさんも……。


 働いていれば、みんながみんなそれぞれの特別なドラマを持っているのだと思う。


 俺は現場に残ってそんなみんなのことを応援したいと思っている。


 ――それが最後までできれば。


 いつか師匠に勝ったと言える日が来るんじゃないかなぁ。


 隣にこの子がいてくれれば、それができるような気がしている。



「私、今度は赤いシールじゃなくて白いベールが欲しいです!」


「分かってるよ。だって、汐織しおりはこれから白河しらかわさんから水野みずのさんになってくれるんでしょう?」


「はいっ!」



 自分で言っておいて照れくさくなってしまった。


 俺の顔は、きっとあの日の値下げシールみたいに真っ赤になっていたと思う。











スーパー店員の白河さんは値下げシールをよく間違える


~FIN~ 






----------------------------------------------------

おわりに



 ここまでこの作品をお読みいただき本当にありがとうございました。 


 たくさんの応援をいただき、なんとかここまで書き切ることができました。


 そして皆様のおかげで何よりも私がこの作品を楽しんで書くことができました!


 白河さんという女の子を通して一人の青年がお仕事に前向きになる話でした。


 誰かに優しくなれるような、そんな作品になれれば幸いです。


 この作品にお付き合いいただき本当の本当にありがとうございました!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スーパー店員の白河さんは値下げシールをよく間違える 丸焦ししゃも @sisyamoA

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ