鳥を囲む籠
西野ゆう
第1話
停滞することへの恐怖。
彼女はそう語ったが、私の目にそれは随分と背伸びした答えに思えた。私自身も人に対してそう言えれば、少しは成長した男として格好もつくのかもしれないが、私同様に彼女のそれは、未成熟な者が持つ好奇心でしかない。それでも彼女は笑顔で語る。
「定職」という考え方が薄れてきた日本は、自分にとって好都合なのだと(一度ニューヨークへも渡ったが、見事言葉と文化の壁に撃沈したらしい)。
「だからね、ここにも長くは居れないと思うんだ。季節をひとめぐりしたら、きっと次の住処に移ってるんじゃないかな」
彼女がこの小さな港町にきて、夏と秋が過ぎて冬も本番。もうすぐ新しい年を迎えようとしている。彼女の宣言が本当ならば、梅雨の長雨に流されるように、この町から次の住処へと流れて行くのだろう。
「だからね、別にオーナーが悪い訳じゃないから。私はずっと飛び回っていたいんだ。命が尽きるその時までっていうと大袈裟かな。でもそのくらいに思ってる」
私は彼女の言葉を信じた。信じなければ、私自身惨めだからだ。
きっと、これまでも同じ言葉を何人かの男に伝えてきたのだろう。「飛び回っていたい」という言葉を口にした時に、彼女は窓の外を見上げていたが、その目には過去の風景が映っているようだった。
この町には春まで……。
彼女という自由奔放な鳥を囲む籠がどこかにないものだろうか。
まるで水場を小さく跳ねまわる小鳥のように、私の城である小さな宿で仕事をこなす彼女を見て、漫然と考える日々を送るのだった。
そして、私の願いが悪魔を呼び寄せてしまったかのように、世界中の人々が、望まぬ形で鳥籠に囚われた。
季節がもうひとめぐりしようとしても、事態は変わらない。むしろ目に見えぬウイルスが、地球上に存在する権利を高々と宣言しているかのようで、我々は羽どころか脚ももがれ、私の城も陥落寸前だった。
「オーナー。私、ずっとここに居てもいいかな? まだ去年の話、有効……かな?」
完全に不意打ちだった。「宿を閉めようかと思う」と切り出した私に向けて放たれた彼女からの返事に、私は相当厳しい表情を見せてしまったのだろう。彼女は私の言葉を待たずに項垂れてしまっていた。
「いや、有効もなにも、宿は閉めちゃうんだよ? その先のこともはっきり決められてないのに……」
私の目に、彼女だけは何ももがれておらず、次の極めて長い旅に向けて羽を休めているだけに見えていたこの数ヶ月、私はただ彼女の羽の手入れを手伝っていた。
「それにさ、確かに元通りというのはもう無理なのかもしれない。でも、それに近い状況にはじきになるさ」
「それは私もそう思うけど。だけど……」
彼女は窓の外を見る目の輝きのまま、客のいないダイニングルームを眺め、その目を私へと向けた。
「気づいたら、居心地のいい籠に囲まれてたんだもん」
鳥を囲む籠 西野ゆう @ukizm
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