愛煙奇縁

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合縁奇縁


 雷鳴が何処からか聞こえる藍色の空模様。愛好する銘柄を一本口に咥える。肺に染み渡る紫煙。灰が手に迫ってくるこの感覚。

「ふぅ……」

 合コンなんて、参加するもんじゃないな。陽キャのテリトリーに足を踏み入れるべきではなかった。友人に誘われてきてみたが、話下手な俺は、所詮脇役。

「はぁ」

 零れ落ちたため息は、なんのため息なのか。大学生になり、高校までの自分と変わったと思っていた。しかし、所詮は社会の規定した節目。節目で簡単に人は変われない。それは普通の生活をしていては分からない。そのことに気づいたとき、人はこの上ない未熟、無情感を感じる。でも、きっと何か変わるはずと信じて俺は、息を深く吸って、吐く。

 この寂れたカラオケ裏の喫煙所は、俺の安息地だ。喫煙を始めて二年ほど経ち、姿形は板についてきたのではないだろうか。まぁ、誰に見せるわけでもないのだが。そんなことを考えていると鈴のような声が聞こえた。

「ねぇ」

「え?」

 自分に向けられた声に少し驚き、ためていた灰がぽろっと地面に落ちる。

「火貸してくんない?」

「え?あ、えっと」

「あははっ!そんな慌てないでいいよ。ここにあるじゃん」

 そう言って、声の主は煙草を咥えて顔を近づける。

「ゆっくり吸って」

 彼女に顎を固定され、俺はされるがままの状態になる。そして、言われた通り、ゆっくりと煙を肺に入れていく。まずい。彼女の煙草の甘ったるさが肺を侵食していく。

「火、ありがと」

「あ、いいえ」

「それにしても、シガーキスって結構むずいし、味が混ざるからまずいし、するもんじゃないね」

彼女は、けらけらと笑いながら話す。年は同じくらいだろうか。少し年上くらいなのだろうか。俺は、彼女が吐き出す紫煙に見とれていた。藍色の空から微かに差す光をすべて吸収してしまうような鮮やかな黒髪。そんな髪を引き立たせるかのような、ライトグレーで統一されたニット地のタートルネックとロングスカート。細くくびれた腰を強調する細い牛革のベルト。一言で済ませれば、綺麗なお姉さんだった。

………………

「辰樹。明日ってひま?」

 付き合ってからというもの、彼女は休日の前日から俺の家に来るのが日課だった。

「午後は授業取ってないし、午後からなら」

「そっかー」

「なに?仕事休みなの?」

「うん。だから辰樹とドライブデートしようかなって」

 あの日の出会いからもうすぐ一年、肌寒い季節がまたやってくる。

「今日お前も午後空いてるんだろ?近くにできたラーメン屋行こうぜ」

「いや、今日はパス」

「さては女だな?羨ましい奴め」

「さあ?」

 俺はシラを切って見せる。

 そして、タイミングを見計らったかのようにメッセージが飛んでくる。今から家出るね。いつも通り校門前の駐車場に行く予定だよ着いたらまた連絡するね。メッセージを見てにやけてしまうのは、俺の悪い癖だ。そのせいで、今も横腹をつつかれている。わかった。と短く返信を返して、残り30分ほどの授業に集中する。

「いつもはそんな真面目に聞かないだろ。これだから、彼女にお熱なやつは……」

 何様かは知らないが、イラっと来たので横腹をつつき返す。正午になり、教室を出ると、また彼女からのメッセージが届く。

 講義終わったかな?着いたよー。了解。今終わったとこだからすぐ向かう。

「駅まで一緒に行こうぜ」

「すまん。今日は無理」

「迎え来てんの?は?死ぬ?」

「真顔で言われると少し怖いからやめてくれ」

「じゃあ今度ジュース奢って貰おうかな」

「なんでだよ」

 結局正門まで友人にダル絡みされてしまう。駐車場まで付いて来る様子だったので、ジュースを奢ることと引き換えに開放してもらった。

「ごめん待った?」

 赤い86の助手席に乗り、桂花に尋ねる。

「ううん。全然。飲み物買っておいたから飲んでね」

 迎えに来てくれるときは、決まってこんな風に俺をもてなしてくれる。

「ありがと。今日の服って、出会ったときの?」

「よくわかったね。捨てる前に着納めしとこうかなって」

「そっか……よく似合ってる」

「えへへ……ありがと」

「じゃ、行こっか」

「お願いします」

 サイドブレーキを解除して、左手でシフトノブを1速に倒す。まるで揺り篭に揺られているかのように優しい桂花の運転が、俺は好きだ。一般道を少しばかり走って高速に入ると、桂花は慣れた手つきで灰皿の蓋を開ける。そして、咥えた煙草に火を灯す。

「窓少し開けるね」

「うん」

 左手に煙草を挟みながら、シフトノブの上で指を遊ばせている桂花を見つめる。何度も見た光景なのに、いつ見ても飽きないというか、見とれてしまう。

「そんなにたばこばっかり見るんだったら、吸えばいいじゃん」

「吸いますとも」

 そう言うわけじゃないんだけどな。と思いつつも、ちゃっかりポケットから取り出していた煙草を咥える。大学から一時間ほど車を走らせ、目的地であるらしい海ほたるに到着した。

「うー……やっぱり海の真ん中だとちょっと寒いね」

「同感。先飯いかない?お腹すいた」

「いいね!辰樹は何食べたい?」

「あったかいものがいいんだけど……ここは?」

 俺は店前にこれでもかというほどの食品サンプルが置かれている店を指さした。

「ここなら色々ありそうだね。ここにしよっか」

 お昼のピークを過ぎたとはいえ混んでいるだろうと思いきや、これが平日パワーというものなのだろうか、待ちもなく席に通された。

「どれにしよっかなー」

 独特なリズムで口ずさみながら迷っている桂花の姿を見て、笑みがこぼれてしまう。

「ねぇ、笑ったでしょ。私決まったから、もう店員さん呼んじゃうもん」

「ごめんごめん。けど、もう決まってるから呼んで大丈夫だよ」

 腹ごしらえを済ませ、二人で寒空の下で、紫煙をくゆらす。

「このあとどうする?」

 桂花がタバコの火を消しながら言う。

「モニュメント見に行こ」

「いいね!どこにあるの?」

「たぶん向こう」

 俺は、モニュメントがあるであろう方角を指さしながら伝える。

「うわっでっか」

「想像の倍はでかい」

「写真撮ろ!写真!」

「はい!チーズ!」

「ねぇ……辰樹の目、閉じてるんですけど……」

「ごめんって。もういっかい」

「今度は閉じないでね」

「はいはい」

「さむー。ねえ、足湯あるってよ!」

「いいね。寄って行こ」

「ふー……極楽ごくらく~」

「おばさんみたい」

「彼女に向かっておばさんはひどくない!?」

「そんな顔したって許さないから」

「どうしたら機嫌直してくれるの?」

「フードコートにあったジェラートで手を打とうじゃないか」

「仰せの通りに」

「うむ、くるしゅうない」

「こういうとこに来ると、他のとこでも売ってそうなのに何故かお土産とか買っちゃうよねー」

「マヨネーズプリン……」

「辰樹って生粋のマヨラーだよね」

「あのフォルムを見ると、どうしても買っちゃうんだよ」

「結構遊んだし、お土産も買ったし、そろそろ帰る?」

「あと一つだけ行きたいところがあるんだけど、付き合ってくれる?」

 桂花はそう言うと、俺の手を取る。

「もうこれ拒否権なくない?」

「あははっ!そうだね」

「ポスト?」

 どうやら、ここに入れた手紙は一年後に届くようになっているらしい。

「一年後のお互いに手紙書こうよ」

「今言えないこととかでもいいからさ」

「分かった。見たら許さないからな」

「お互い様でしょ」

「そういえば、桂花の住所ってどこだっけ」

「私も書き終わったし、自分で書いちゃうね」

「中身見るなよ?」

「分かってるって」

「よし、じゃあおうちに帰ろっか」

 タイムカプセルポストに手紙を投げ入れ、満面の笑みを浮かべて桂花は言った。

「帰りは俺が運転するよ」

「大丈夫だよ」

「明日はどうせ仕事でしょ?」

「明日も休み〜」

「俺も明日授業無いし、たまには良いじゃん」

「そこまで言うなら、お願いしちゃおうかな」

 陽が沈むのが早くなり、夕闇が迫る。

「鍵貸して」

「はーい」

 悴んだ手でエンジンをかける。

「これ」

 助手席に乗った桂花に、後部座席に畳まれてあったブランケットを手渡す。

「ありがと」

 照れ隠ししながらも嬉しそうにはにかむ桂花を横目にサイドブレーキを解除し、慣れた手つきでラジオを流し始める。

「じゃ、行くよ」

「お願いしまーす」

 辰樹が運転する時は、必ずと言って良いほどラジオを流す。彼のお気に入りのラジオDJがリスナーの悩みに乗っていた。

「未来のことなんて誰にも分からない。ただ、悩みを先延ばしにして、選択肢が無くなった時に悔いるより、選択肢があるうちに自分で決断して悔いる方が心の整理がしやすいと思うな。では、そんな貴方に勇気が出る曲を!」

 流れ始めた音楽が今の自分の気分には全く合わず、窓を開けて風の音でかき消した。

「暑い?」

車内の温度が暑くて窓を開けたのかと、辰樹が心配そうに聞いてきた。

「タバコ」

「わかった」

 視線も変えず、紫煙をくゆらす私と、羨ましそうに見つめる辰樹。

「私見てないで、前見て!前!」

「はいはい」

 少ししょげた顔で運転する辰樹が可愛く見えてしまう。窓の外を駆け抜けていく車の光はこんなに早いのに、煌々と光るスカイツリーは、ずっとこちらを見ている。辰樹が気ままに走らせる車の中から、外の景色をただ眺めるのが好きだ。アクセルの踏み方やブレーキの掛け方も丁寧で良い。高速を降り、信号で右折待ちになる。話題も特になく、沈黙が訪れる。

 私はラジオの音量を上げて、再びDJのトークに耳を傾ける。新しく発売したゲームソフトの話だった。

「あっ、俺もこれ買ったー。まだ前買ったゲームクリアしてなくてプレイできてないけど」

 相変わらず返事を求めない辰樹の発言だ。顔を見ていないが、楽しそうに笑っている表情が想像できる。

「ねぇねぇ、ゲームしようよ」

 突然返事を求められ、思わず辰樹の顔を見た。運転中で横顔だが、予想通りニコニコと笑っていた。高い鼻筋に、運転中だけ使用する可愛い丸眼鏡が掛かっている。

「ゲーム?」

「そうそう、車の中で出来る簡単なゲーム」

「いいけど、何するの?」

「簡単だよー」

 あのねー。と辰樹が続ける。

「次の信号が赤だったらキスして良い?」

「え?」

 想定の範囲外すぎる提案に、思わず声が裏返る。

「声裏返ってるし」

 桂花の新鮮な反応に、辰樹はクックと笑いを堪えきれずにいる。

「当たり前だよ!そんな突然言われたらさ」

「別にいつもしてる事だし、良いじゃん」

「で、どうする?やる?やらない?」

 楽しそうな声が桂花の返事を急かす。

「や、やる」

 うわずった声で返事をすると、辰樹はまた楽しそうに笑った。数分前まではまだ冷えていた手足も、今では心臓の高鳴りと手足に血が通って熱まで感じる。

「じゃあ次の角を右折したらスタートね」

 十字路の右手にガソリンスタンドがある。そこを大きく曲がり、ゲームはスタートした。住宅街のような道路に入り、今のところ信号は見当たらない。

「やば、ここどこ?」

「え?知らないの?」

「知らない!まぁナビつければ帰れるでしょ!」

 二人とも知らない道路を、ただひたすらに真っ直ぐ走る。そして、住宅街の突き当たりをまた右に曲がった。

 すると、遠くの方で信号機の光が見えた。

「あ、信号みっけ!」

 今のところ青く光っているが、信号まで百メートルはありそうだ。

「青だー!さてこのまま通れるでしょうか!」

 急に実況中継のような口調で喋る辰樹を横目に、息を呑みながら信号を見つめる五〇メートルほど近づいた。依然信号は進行を示している。

 四〇、三〇、二五メートル。

 このまま通過するのだろうと思っていると、信号が黄色に変わったところで辰樹は明らかに不自然にスピードを落とし始めた。そして信号は黄色から赤に変わる。

「今のはずるくない?」

「俺ってめちゃくちゃ安全運転だから」

「さっきまでそんな運転の仕方してなかったじゃん!」

「いいから、早く!信号変わっちゃうから」

 運転席へ少し身を乗り出し、辰樹の唇に触れる。ずっと隣にいたのに気付かなかった香水の香りに、心臓をつかまれる。ゆっくり顔が離れ、私の顔を見ると、赤い灯りに照らされている辰樹はニヤリと笑った。

「俺もタバコ吸いたくなってきた」

「残念、運転に集中して下さい」

え〜。と不満を垂れながら、アクセルを踏み込む辰樹を横目に、二本目のタバコに手をかける。

「あ!ずる」

「ちょっと待ってて」

 次の赤信号、私は仕返しの意味も込めて辰樹の顔に紫煙を吹きかける。桂花の吐いた甘ったるい煙が一瞬、辰樹を照らしている月を曇らせた。

「なるほどね」

 辰樹は、すべてを悟ったかのような顔でハンドルを握り直す。

「はい」

 彼女は口紅のうっすらと付いた煙草を差し出した。どうやら彼女は相合煙管をご所望のようだ。いつもの煙草よりキックの軽い香料せいで、甘ったるい煙が肺を侵食する。

「ありがと」

「いいえ。いつものと違うから美味しくないかもだけど」

「それよりちょっと寄り道出来ちゃったね」

「バカ辰樹」

 朝起きると部屋は静寂に包まれていた。カーテンの隙間から、眩しい朝日が差す。時刻は八時頃だろうか?俺らしいな。テーブルに置かれた、冷めきった飲みかけの珈琲。そして、ほのかに香る金木犀の香水の香り。

 つい数時間前までいた筈の彼女は、文字の書き殴られた付箋と、灰皿に口紅の付いた吸殻を残して消えていた。徐々に覚醒し始めた脳が、警告を発するかのように痛み始める。彼女との思い出が、走馬灯のように次々と脳裏に浮かんで行く。

 付箋には、ただ一言。「また、一年後」と書いてあるだけ。付箋の真意を聞こうと、桂花に電話をかけてみても、無機質なコール音が鳴るだけ。桂花の香りがまだ残るシーツに身体を沈め、彼女と交わしたシガーキスの味がまた、俺の脳内で反芻する。寝具には桂花の匂いが染み付いていた。別に臭いのではなく、洗剤でもない、その人自身の優しい、安心する香り。

「愛ってなんだよ、詐欺じゃねえかよ」

 愛を奪い去った君に吐き捨てた言葉は、もう届かない。桂花の残した吸いかけの煙草に火を付けて、肺に行き渡らせる。最後のキスは煙草の苦くて切ない香りがした。



辰樹へ

勝手に消えてごめんなさい。

今頃になって届いても、迷惑だったかな。前住んでた家も、もう引き払っちゃったから心配させたりしたよね。

~~~~~~

いつか行った温泉も、記念日に行ったディナーもすごく楽しかった。

いつか二人で見た映画に例えるなら、「辰樹の膵臓を食べたかった」かな。

またどこかで会えたなら、火貸してね。


               了

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