赤くなる女教師

 僕たちは、何が原因で頬が赤く染まったかを考えてみた。血(返り血)、熱、飲酒、告白を想定してみた。


(3)彼女は血で頬が赤く染まった。

 

 She blushed with her blood on her cheeks.  G翻訳

 As for her, cheeks turned red with blood.  W翻訳

 Her cheeks turned red with blood.  MB翻訳


 香月先輩が、ふふ、と笑った。

「翻訳ソフトの『はが構文』に対する処理の仕方がよくわかるね」

 なるほどそこがツボなのか。但馬先輩や御子神先生と同じだ。香月先輩がそう思うなら、これはやはり意識しないといけないことなのだろう。


 「はが構文」というのは、「……は……が……だ」という文のことだ。

 日本語独特の言い回しで、外国人が日本語を勉強する際に最初につまずくところだ。助詞の「は」や「が」は主語として用いられることが多い。それが二つも入っていて、主語にこだわる言語文化の外国人は混乱するのだ。

 ここでは、G翻訳は「彼女」を主語とし、W翻訳とMB翻訳は「頬」を主語として英文をつくりあげた。

 「はが構文」は「が」がついている方が主語で、「は」がついているのはトピックと言われる。日本語は主語よりもトピックを重んじる言語で、まず最初にトピックを語るのだ。


彼女はというと(彼女に目を向けてみれば)血で頬(主語)が赤く染まった。


という意味なので、もっとも忠実に訳しているのは、「As for(~については)」を冒頭に使ったW翻訳ということになる。まさに直訳だ。


 しかしくどい。「彼女の頬(Her cheeks)」を主語にしたMB翻訳の方がすっきりとしている。すがすがしい態度だ。

 しかし「彼女は」と始まっている文なので、そのまま「彼女」を主語として作ったG翻訳も良いのではないかと香月先輩は言った。日本語をそのまま英語にするのではなく、英語らしい表現にしたとも言えるらしい。

「ひとつ問題があるとしたら、誰の血なのかという点だね」香月先輩は言った。「この翻訳だと『彼女の血(her blood)』となっている。どうもG翻訳は誰の血かをはっきりさせたいようだ。彼女の血ということは、彼女自身が頬を切られたりしたのだろうか。僕は彼女が刀をふるって返り血を浴びたのを思い浮かべたのだが」

 そこで返り血にしてみた。


(4)彼女は返り血で頬が赤く染まった。


 Her cheeks were red from the return blood.  G翻訳

 As for her, cheeks turned red in victim's blood.  W翻訳

 Her cheeks turned red from the blood.  MB翻訳


 G翻訳の主語が「頬」に変わっている。

「実に興味深い」香月先輩が感心している。

 なお、「返り血」はreturn bloodという英訳の方が多かったが、W翻訳のvictim's bloodもなるほどと思わせる。

 そしてMB翻訳に至っては、「with blood」が「from the blood」になっただけだ。これってどうなのだろうか。


 その後も僕と香月先輩は、「頬が赤く染まった」原因に飲酒だとか熱が出てとか彼の告白でとか入れて翻訳ソフトにかけてみたが、ほとんどが「Her cheeks turned red」となってしまった。

 どうも「頬」を入れてしまうとそうなるようだ。

「顔が赤くなるのは、blushかflushを使うのが良いと僕は思うけれどね。照れて恥ずかしくなったのなら特に。相手に赤くなっているよというときは、You're blushing!で良いようだ」


 そうした話を香月先輩としていたら、ひとりの女性教師が現れた。高等部の英語会話表現を教えている白砂しらさご先生だ。新卒新任の非常勤講師でわが御堂藤学園の卒業生でもある。

 ちなみに高等部三年の但馬先輩はこの先生を女神と崇めている。

 但馬先輩が中等部一年の時に白砂先生が高等部三年生で、しかも文芸部に所属していたらしい。

 その頃から白砂先生に可愛がられていると但馬先輩は言っている。あくまでも自己申告であって、本当に白砂先生が但馬先輩を可愛がっていたかどうかはわからない。

 というか、嘘だろう。但馬先輩の勝手な思い込みだ。

 しかし但馬先輩の女神という表現は間違っていない。

 ストレートのロングヘアが銀髪に見える。染めていない黒髪なのだが、細く繊細な髪は日の光があたると輝くように反射して銀色のように見えるのだ。

 ハーフだかクオーターだからだという説もあるが顔立ちは純日本人だ。美人教師が多いとされる我が校にあっても白砂先生はさながら異世界人のようだった。

 その白砂先生を見た瞬間、香月先輩の目が一瞬大きく開かれたのを僕は見た。

 実は香月先輩は年上の女性が好きなのだと僕は思う。群がる女子生徒には見向きもしない癖に、女性教師に対しては紳士のふるまいをとる。そしてそれは白砂先生が相手だと特別だった。

「何か困ったことがあるようですね」香月先輩が白砂先生に言った。

「まあ、そうなんだけれど、どうしてわかるのかしら?」

「Because you look blushed!」

 白砂先生が思わず両頬に手をあてた。

 ほんとうに赤くなっている。

 たらしだ。香月先輩は天然のたらしだ。

 僕はしばらくの間、脇役に甘んじたのだった。

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僕は英語ができない はくすや @hakusuya

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