後編
眩しい……。汗ばむ肌。
相変わらずの青すぎる空、そして灼熱。
深い森の中だというのに、しつこく絡みつく濃厚なる暑さに耐え切れず、マヌヤはベッドから身を起こす。
あれからもう、ひと月。
小鳥のさえずりよりも、さざめく葉音よりも、落ち着いた「あの子」の声。それをもう、何日も聴いていない。見ていない。
知らず知らずの内に、
マヌヤは虚無を覚えていた。
ここ最近、目覚めも悪い。窓を開け、太陽の位置を確認する。時刻はもう昼時を迎えていた。
「こんにちは」
と、その時。子どもではない太い男の声が、何度も扉越しから響いた。
「お初にお目にかかります」
デディを除いて、初めての訪問者。扉を開けると、そこには初老と思しき
「突然お尋ねをしてしまい、すみません。ご無礼をお許しください」
「私たちは――」
聞けば彼らは、イラド村の村長テオと巫女のアスティという名の者たちだった。
「それで。わざわざこんな所まで来て、わたしに何か用かい」
「はい。じつは……」
「どうか魔女様。我らイラド村をお救い頂けないでしょうか?」
マヌヤは思わず息を呑んだ。だがすぐに平静を取り戻す。
「その呼び方はやめとくれ。魔女はもう、引退したんでな」
「知っています。ですが貴方は、この世界に唯一の――」
懸念を覚えながらも。ひとまず遮断することなく、マヌヤはテオたちの話を傾聴することに決めた。
「イラド村はこのままだと、滅びてしまいます。長きにわたる日照りにより、畑は枯れ果て、井戸の水は尽き、一番の水源であるユタ川も干上がってしまいました」
テオたちの話から、イラド村は存続そのものが危ぶまれ、絶体絶命の状況とのこと。まあ無理もない。この異常気象だ。
と、その時マヌヤはふと、デディのことが気になった。
だが間を開けず、テオは続ける。
「この危機的状況を回避するために――」
「私たちは村の祭壇にて先月、崇高なる神に対し、献上の儀式を執り行ったのですが……」
表情を曇らせ、口ごもるテオ。
その様相を垣間見、マヌヤは言いようの無い何かざらついた異物が喉元を下降する、そんな嫌悪な感覚を覚えた。
「その……儀式とは、何じゃ?」
問うマヌヤ。するとテオに代わり、巫女のアスティが淡々とした口調で語り始める。
「はい。私たちは村の水不足、そして肥沃な土壌の再生を願うため、我が民の心臓を祭壇に捧げ、そして天に向け、村人総出で祈祷を執り行いました。……ですが」
「心臓……じゃと?」
急降下する血の気。口内の水分が消失し、マヌヤはかすれかすれに言葉を返した。
「はい。我がイラド村で古代から伝わる風習です。村が危機に瀕した際には、崇高なる神への
結果は叶わず――と、落胆した表情を浮かべるアスティとテオの二人。
この時既に、マヌヤには全貌が見えていた。
……だが。
これ以上はもう聞く必要はない。それでも確かめようと、マヌヤは意を決す。
「その捧げられた、心臓の主とは?」
「主ですか? ええっと」
「それはデディという村の少年です。デディは村では最年少。我ら人類を生み出してくれた神への供物として、若く純潔なる心臓を天に捧ぐのが
マヌヤの瞳は曇り、霞んでいた。
あの日。デディが言っていた誕生日の宴。初めてだと言っていた。だがそれは、デディを欺くための計略。おそらく宴は、最後の晩餐よろしく、誕生日にかこつけて行われたのだ。それは全て、デディの最後の
そう、か……。
やはり人間とは。
強欲で愚かな生き物。
マヌヤの中にあるのは、それだけだった。
「その儀式とやらは……これまでも成功していたのか?」
「それは……」
「まあ全てが確実に、というわけではありません。ですが代々伝わる」
「伝統ですので」
もう、よい。
マヌヤはそれ以上の追及はしなかった。
そして村長と巫女を
「いいじゃろう」
「ほ……本当ですか?」
「その子の代わりに、わたしが神通力を介し、村を天恵へと導いてやらん」
「大切な命を捧げたんじゃ。決して
ならば。了承したマヌヤは明日、イラド村へ
◆
来たる
久方ぶりに森を抜け、イラド村へと到着したマヌヤ。すると眼前には、ピラミッド状の祭壇がそびえ立っていた。その端々には
準備は万全、といった所か。とはいえ夜でもないのに、
「では、魔女様」
「……うむ」
祭壇へと登頂したマヌヤは、天に向け杖を振りかざした。
「タシカオ、ヲチ……マヤアハチ、タエマオ」
そして。詠唱の言葉を紡ぐ。
イラド村の民は総出で、
と、次の瞬間。
見飽きたほどの青天が黒々とした曇天に変わり、渦を巻くように続々と積乱雲が現れ始める。
「「「「あああああっ!!」」」」
すると村民から、高揚した歓喜の叫びが響き渡った。
「皆の者、祈れ!」
「足りぬ!」
マヌヤは村人に向け、声を荒げた。
「「「「「ははっ!」」」」」
魔女の告示に呼応し、テオやアスティ含む全員がその場に平身低頭。そして深々と祈祷を捧げる。
轟音を放つ空。するとマヌヤは再び杖を手に取ると、暗天に向け激しく振りかざした。
数十秒後。
立ち込めた厚い雲がギラギラと光を放ち、そして……。
ポツ。
ポツ、ポツ。
ポツポツポツ、ポツ。
ポツポツポツポツポツポツ……。
「っ、来た」
「来たぞ」
「ついに来たっ」
「雨だ!!」
直後。地上からさらなる歓声が沸き上がった。
空から降り注ぐ大量の雨粒。膝を屈したまま、両手を掲げ、歓喜する村人たち。その光景は、先月の儀式のことなど既に、忘却の彼方へ置き去りにしたかのよう。
「「「「「魔女様!! 万歳!!」」」」」
村人は皆、マヌヤに喝采を浴びせた。
絶叫する者。
哄笑を放つ者。
感涙する者。
役目を終え、祭壇を降りる。
村人たちによる
遠く。さらに遠く。
祭壇から離れ……やがて。
村の門へと差し掛かった、その時。
パチンッ。
マヌヤは指を鳴らした。
その。
直後。
歓声の色が変わる。
変わった。
より高く。太く。そして、生々しく。
天からの恵みに、感動し、
そんな彼ら、彼女らに対し。
振り返ることなく。
マヌヤは村を去った。
肥沃と化した地上へと降り注ぐ。
幾千、幾万、幾億もの雨。
『へえ。魔法を使えば、水さえも
『そうじゃ。でもそれは水魔法でも上級魔法。習ったとて、デディにはまだまだ先の話じゃよ』
果てしなく降り注ぐ雨。
気づけばその、雨粒一つ一つは。
魔法により、全て。
鋭利なる「刃」へと変化していた。
終
償雨 七雨ゆう葉 @YuhaNaname
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