第3話 人生という川をボートで恋でいく。あなたと。

 人は皆、人生の挑戦者である。


 ――Aを終えた以上、次はBへ。

 そして、いずれはCへ行かなければいけない。

 そう。そのためには、次なるステージへ行くためのレベルアップを――――。


 そんなことをのたまったのは、環だったんだかどうなんだか。


 とりあえず俺はいま自室で、レベルアップのための経験値を積む営みをしていた。有り体に言うと、環とキスをしています。はい。


 最近あいつ、上目遣いでもじもじしながらキスをおねだりをしてくるというチートスキルを手に入れやがってですね、そうされた俺はというと、いともたやすくテイムされたモンスターのように、あらがえずに屈してしまうのだった。


 いやもしかするとあれは、テイムではなくある意味俺がモンスターにされているのかもしれない……。


 いやだって、可愛いんだからしょうがないじゃないですか。俺の彼女。

 顔を赤らめながらチラチラ様子をうかがってくるんですよ。そりゃおいでおいでしますよ。そうやって飛び込んできた環を抱きしめると、柔らかくて気持ちいいし、いい匂いするし。あーかわいい。もーかわいい。


 で。そんなこんなで、そろそろ一線超えてもいいかな〜と思って、軽くソファに押し倒すわけです。

 そうすると環が、期待と緊張と、少しの不安が入り混じった目でこちらを見あげてくるわけですよ。目ぇうるうるさせて。小動物のようにプルプルと。頬を赤らめて。そりゃもーエンジンかかるじゃないですか!


 しかし!

 いくら俺の心のアクセルが全開フルスロットルになったとて、いかんせん環は初体験チュートリアル

 男の本能のままに好き勝手してはいけない!

 彼女大事に!

 優しくするんだ俺!

 と自らの理性を叱咤しったしつつ、「環…」と、そっと環におおいかぶさろうとしたその瞬間――。



 ぴんぽーーーーーーーーん



「……」

「……」



 ……今ここで。

 初めての二人での経験値稼ぎ協力プレイより大事なことなどあるだろうか?

 いや、ない。

 環が不安げに「……どうするの?」といいたげな様子で見つめてくるが、俺は「大丈夫」と言ってことさら安心させるように環の頬にキスをして、そのままブラウスの下から手を差し入れようとしたその時――、



 ヴーーーーっ! ヴーーーーっ! ヴーーーーっ!



 環のスマホも、けたたましく鳴り出した。



「……あっ! えっと…」

「………いいよ出な。俺、荷物受け取ってくるわ………」



 環の頭をポンと撫でて、玄関へと向かう。

 その背中が、どことなく影を背負っていたように見えたことは、みなさまお察しください…。


 玄関の扉を開けると、シロネコ宅急便のお兄さんが爽やかに荷物を渡してくれた。荷物は実家の母親からだった。

 おにーさんよ、そして母よ、なぜこのタイミングに……とうっすら思うが、俺が自宅で休んでいる間にせっせと働いているシロネコのおにーさんも、息子を思いやって荷物を送ってくれた母も、誰も恨めまい。

 うらぶれど、恨みは言わぬ、漢道おとこみち(?)なのだ。


 とかなんとか、訳のわからないことを脳内でのたまいながらリビングに戻ると、環がまだ誰かと電話をしていた。


「…うん、うん。わかった。じゃ」


 どうやらちょうど終わったらしい。あひる座りでスマホとにらめっこしている環の頭に、自分が戻ったことを主張するべく手を乗せる。


「だいじょぶ?」


 そのまま、わしわしと環の頭を撫でる。

 「わ、ちょっと、湯原……!」と怒りながらも、まんざらでもなさそうなところがまた可愛い。おっと、脱線した。


 手を離して環と向かい合うと、環は、気まずそうに俺の顔を見つめてきた。


 そして――――。


「湯原、あのね……」



 ◇



「……俺。前世もしくは今世でそんなに日頃の行いが悪かったのだろうか……」

「え、ちょお先輩。何ひとりごと言ってんすか」

「俺……、前世で魔王とかだったりしたのかな……」


 時刻は既に、21時少し前。

 フロアにいるのは俺と後輩の中谷なかたにのみ。

 ヤロー同士でわびしく残業しているのは、ここ数ヶ月、ビッグタイトルの新作リリースが立て続いたからだ。

 俺の所属する広報のあるフロアは管理部門の在籍フロアのため、月末月初こそテッペンまで残業する面々も多数いるが、月半ばだと閑散としている。


 これが開発フロアだと、企画や配信媒体によっては常にデスマーチのようなところもあるので、まあある意味恵まれていると言えばそうなのかもしれない。


「あれっ、ふたりともまだ残ってんの?」


 そう言って、俺と中谷に話しかけてきたのは、経理で俺と同期の海堂かいどう真衣まいだ。


「……そういう海堂こそどうしたんだよ」

「ちょっと、忘れ物しちゃって」


 言いながら、自分の机に近く海堂。探し物はあっさりと見つかったらしく、程なくしてこちらの方に近づいてきた。


「つって、めずらしーね湯原。最近ずっとノー残業キープしてたのに」


 目的を果たしてそのまま出ていくのかと思いきや、なぜかこっちに絡んでくる海堂。


「海堂さ〜ん。最近先輩、彼女ができたから残業しないで帰ってたんすよ? リア充ですよ、リア充」

「え、なに!? 湯原彼女できたの!? マジ!?」


 中谷が余計なことを言ったせいで、海堂が一気に食いついてきた。「聞きたい聞きた〜〜〜〜い!」と、残業に勤しんでいるひとの椅子をゆさゆさと揺さぶってくる。


「うっせえ。別に彼女ができたからノー残してたわけじゃないし。広報は波があるから、帰れるとき帰るようにしてただけだ」

「とか言って、時々スマホで彼女の写真みてるの、俺知ってますよぉ〜」

「おま……!」


 余 計 な こ と 言 う ん じ ゃ ね え!!!!


 案の定、「見たい〜〜〜! 見たい見たい見たい!」と海堂に食いつかれた。

 え、てか俺、トイレの個室とかでしか見てなかったと思うんだけど。

 中谷、いつ見てたの? 怖くない?


「よし! 飲みに行こう! 今行こう! すぐ行こうっ!!」


 もはや決定事項とばかりに海堂が腕を掴んでくる。どうやら、行くまでてこでも動かないつもりらしい。仕事を理由に断ろうと思ったのに、「先輩さっき、俺もうそろそろ帰るかなって言ってたじゃないですか」と、中谷に売られた。


「いいじゃん別に隠すようなことでもないしい〜〜! え!? 社内じゃないんでしょ!? だったらいいじゃん!! いいじゃんいいじゃん! 湯原のちょっとイイ話が聞きたい聞きたいぃぃぃぃ!!」



 時刻は21時ちょっと過ぎ。

 こうして、日本の飲食業の経済は回っていくのである――。



 ◇



「あはは! だっさ! 湯原、付き合って3ヶ月経つのに、まだヤってないの!? だっさあああああ!!」

「声でけーし! うるせーし!!」


 誰かこいつを黙らせてください!!!!


 会社からほど近い、なんでもお値段290円、お味もそこそこな居酒屋にて。

 目の前に座る海堂が俺を指差しながら爆笑している。

 疲れもあったのか、程よく酔いが回ったところで、気づいたら海堂と中谷によって、俺の近況をひととおり報告させられていたのだった。


「先輩……、ヘタレも大概たいがいですよ」

「お前もやかましーわ!」


 フライドポテトをさくさく食べながら、中谷が余計なことを言ってくる。てゆーかこいつ、よっぽどポテトが好きなのか、俺の記憶にある限り二皿目のポテトを、さくさくさくさくかじっている。こんどからポテト中谷って呼ぶぞ。


「え〜なになに? で、彼女処女なの?」


 海堂からの不意のツッコミに、違うともそうだとも言えず一瞬言い淀んだために、その一瞬で全てを悟られてしまった。


「え!? そーなんだ! まじウケるー!!」


 ケラケラと笑う海堂。そう言えば、こいつ飲むとこういうテンションなんだった……。最近は環との時間を優先して飲みがご無沙汰だったこともあって、こいつが飲むとこういうテンションになるってことをすっかり忘れていた。


「え、いいじゃないですか処女! 何にも知らない女子をイチから俺色に染めてくの、俺めっちゃ萌えます!!」

「でかい声で処女とかいうな! それとおめーの俺色に染めるはなんかアブノーマルそうで嫌だわ! あとポテト食い過ぎだわ!」


 まあ、気持ちは全くわからないわけでもないが、と内心思いつつ、相変わらずひょいひょいポテトをつまみながら話に入ってくる中谷の前からポテトの皿を奪う。「あー!先輩ひどいっすーー!」などと喚いているのを無視して、話を続ける。


「えーじゃあなに? 彼女を大事にするために我慢してるってこと?」

「って気持ちが全くなかったわけでもないが。……単にタイミングが合わねんだよ」

「ほほう」

「だからこう……、その……。俺だって先に進みたくはあるわけで……。まあ仮にだ。なんとなーくそんな感じの雰囲気になったりするじゃんよ」

「ふぉうふぉう!」

「中谷、近い。あとポテト飛ばすな。でまあ、いよいよか……! って思った時に、邪魔が入るん。いっつも」

「なによ邪魔って」

「だから、宅急便が来たりとか、突然テレビの電源が入って消えなくなったりとか、電話がなったりとかいろいろよ」

「え、心霊現象……?」

「無視すればいいじゃないっすかー」

「しようとするんだけどできねんだよ! しつこかったりなんだりで……。で、挙げ句の果てに、向こうの家族に俺と付き合ってることばれそうになったから、しばらく家で大人しくしてるって言われて……。まあ、あいつん家が良家イイオウチなのも、親が厳しいのも知ってるし、ちょうどそのタイミングで俺も仕事が忙しくなって…、って顛末てんまつよ」

「なに? 親に付き合ってること隠されてるの? プー、クスクス!」

「うっせ! いろいろあるんだよ! いろいろ!」

「は〜、しかし確かにそれは、なんか呪われてるとしか思えないような有様ですねえ」

「えぇ〜〜〜? 俺そんな呪われるような悪行した? 前世でなんか悪いことでもしたの?」

「やらかしたのは、前世じゃなくて今世かもね〜」

「俺、そんな日頃の行い悪い!?」


 嘘だろ!?

 お天道様に顔向けできないようなことはしてきてないつもりなんだけど!

 清廉潔白せいれんけっぱくに生きてきたつもりなのに! ……は言い過ぎかもだが、ふたりして「うーん……」とか考え込まれると、こっちも傷ついちゃうだろ!


「まあ、仕事はちゃんとしてると思いますよ。仕事は」

「そうねえ」

「仕事は……?」

「まあまあ、それはおいといて。結局、どれくらい会ってないの?」


 え、そこ置いておいて欲しくない、むしろ気になるんだけど。

 本当俺なんかした?

 まあでも、確かに今日の主題はそっちじゃないから、とにかく今はスルーすることにした。

 ……後日、改めてちゃんと問いただそう……。


「半月……? いや、もうそろそろ3週間経つか」

「ほー、で、会いたくて会いたくて震えてると」

「え、てか、3週間って別にそんな空いてなくないですか?」

「うっさいな! 付き合いたての3週間なんてまだ会いたいなって思う時期でしょうがよ!」


 という俺の発言に、海堂と中谷が「きゃ〜! 乙女〜!」と二人してはしゃぐ。

 照れ臭い自覚はあるので、照れ隠しと精神の立て直しに、ふたりを横目にビールをあおる。

 すると、海堂が呆れたように俺にのたまってきた。


「そんなに会いたいなら、会いにいっちゃえばいいじゃない」


 確かに。それが一番簡単ではある。

 別にちらっと顔見るだけでもいいんだし。

 ……でも。


「俺ばっかし会いたいみたいなの、嫌じゃん……」

「でたーーーーーーー!」

「女子ーーーーーーー!」


 またも中谷と海堂がふたりしてきゃいきゃい騒ぐ。こいつらふたりやたらと息合うなあと思いながら、またぐびりとビールを口に含む。


「……もともと、俺の方がこじらせてる自覚あるし。あいつそういう寂しいとか顔に出さないから」


 ……はいはいそうですよ!

 かっこつけましたよ!

 あわよくば向こうも、ちょっと寂しがってくれたらいいなとか思ったりしましたよ!


 でも実際そうだろ。自分の好きな女の子には、自分に会いたいって思っていて欲しいし、会えなくて寂しいって思って欲しいだろ。

 というか、家族に紹介してもらえないことに傷ついている上に、会えない寂しさを募らせた俺の、せめてもの意趣返しでもある。


「……なんだ。結局大好きなんじゃん」


 そう、少し酒でかすれた声でつぶやいた海堂に、俺が返事をできなかったのは、そのあと謎にテンションの上がった中谷が急に膝立ちになってあおり出したからだ。


「よっしゃ! 先輩! 飲みましょう!! うまくいかなくて悲しみに暮れる先輩のために、俺、今日はとことん付き合いますから!」

「ほんとうっせーわ! 余計なお世話だ!」


 と言いつつも。

 結局こうやって一緒にわいわい飲んでいるのは、まあなんだかんだ俺もこいつらの好意をありがたく感じているからだ。

 悪態つきながらも満更でもないなんて、我ながら面倒くさいやつだなとつくづく思いながら、ビールをあおった。



 ◇



「つーーーて、お前がつぶれてんじゃねーか!」


 結局あの後。

 終電間際まで飲んでしまった俺たちは、駅までダッシュして終電に飛び乗ることを諦めいさぎよくタクシーを拾った。


 ――まあ、全員家までの方向がなんとなく同じだったことも即決に至った理由でもある。


 中谷の家が一番近かったので早々に家の前で降ろし、残された海堂は俺にもたれかかって隣でむにゃむにゃ言っている。

 海堂の家が一番遠いので、とりあえず海堂(とタクシーの運転手さん)には申し訳ないが、俺を先におろしてもらって、あとはタクシーに海堂の家まで送ってもらおう。


「お客さん、そろそろですか」

「あ、はい。次の角左に曲がったら止めてください。……ほら、海堂起きろ。俺ここで降りるからな」


 俺の肩にもたれかかっている海堂をゆさゆさと揺さぶると、「んんぅ〜……、湯原ぁ……、ばぁ〜〜〜か」と言ってケラケラ笑いながら俺のあごめがけて軽くアッパーをかましてきた。


「こいつ……」

「お客さん、着きましたけど」

「あ、はい。ありがとうございます」


 俺が海堂に絡まれている間に、どうやら家に着いたらしい。

 海堂の家まで払うとすると、いくら置いてけばいいんだ……? と思いながら財布を探る。


「運転手さん、すいません。俺ここで降りるんですけど、一万円これでこの人お願いしてもいいですか?」

「えっ、お客さん……」

「あの、大丈夫です。こいつ、もどしたりとかないですし、大概たいがいちゃんと家に帰れるやつなんで」

「本当ですか……?」

「はい。堀川一丁目のあたりで起こしてくれれば……」

「なんだよ湯原ぁ! 帰んのかよーーーう!」


 タクシーの運転手に多めにお札を渡そうとしていると、寝ていたはずの海堂がしがみついてきた。


「ちょ……、おま」


 ぎわに絡んできた酔っ払いを引きがそうとジタバタすると、ふと海堂がぴたりと動きを止め、その後急にしらふに戻ったかのようにすっと身を離した。


「海堂?」


 何事かと思い、うつむいたままの海堂の顔をのぞき込もうと身をかがめた瞬間――、


すきあり」


 間髪入れず、俺の唇の端に暖かいものが重なった。


「……っ」


 それは、多分ほんの数秒のことだったと思う。

 突然のことに一瞬フリーズした俺が次に気づいた時には、海堂にタクシーから押し出され、地面に転がっていた。


 そうして、今まで泥酔していたのが嘘だったかのような様子で海堂が「運転手さんすいません。大丈夫なんで、もう出してください」とスッキリと言い放つ。


「海堂…」

「また、悪行あくぎょうつんじゃったね」


 婉然えんぜんと笑い、そしてその笑いを、ゆっくりと俺の背後に向ける。

 海堂がさらに笑みを深めたところで、タクシーのドアがばたりと閉まった。


 そうして、恐る恐る振り返った先にはーーーー。

 ここにいるはずのない、環の姿があった。



 ◇



「あ〜〜〜〜〜! またこの展開かよ!!!」


 公園の中を全力でダッシュする。

 いろいろと思うことはあるが、いま一番大事なことはただ一つ。

 環を捕まえることだ。


「おまえほんとに…! すぐ逃げんのやめろよ……! こっちが体力もたねんだわ!」


 しかも今は酒が入ってる分、つらさマシマシで死にそうなんだからな!

 真夜中の公園を走り抜けていく環。内心、まじ公園とか勘弁してくれと思う。この時間帯の公園に彼女一人置いてはおけないから、絶対に見失えない。かつ、インドア派のくせに無駄に足が早いので、捕まえるのにひと苦労だ。


 しかし運良く、環の抜けようとしていた出口が封鎖されていたため、躊躇ちゅうちょした隙を逃さず、すかさずホールドする。


「やだ……! 湯原、離して!」

「ぜってー離さねーし! ほら、落ち着けって」


 ぜいぜいと息を吐きながら、腕の中で半泣きでジタバタと暴れる環をなだめる。


「……つか、今回のは俺が全面的に悪いから」


 なおも暴れる環を抱きすくめながら謝ろうとするが、まったくその隙がなく途方に暮れる。


 まあ、キスされたところは完全に見られただろう。

 キスされたと言ってもぎりぎり頬だからノーカンにさせてもらいたいが。

 唇には当たってないし……!

 とはいえしかし、仮に俺が逆の立場だったとしても、絶対にいい気分にはならないよなあ……。


「……ったから……!!」

「ん?」


 腕の中で、環が何か言葉を発したのはわかったが、何を言っているかまではわからなかった。さすがに疲れてきたのか、抵抗が弱まってきた環をぎゅっと押さえ込み、少しでも環が落ち着くように背中をさすってやる。


「環?」

「私がもたもたして、ええ、えっちできなかったから……!」


 よく見ると、環が両目から大粒の涙を流していた。


「だからっ……、あんな女に寝取られるんだもん……!」


 悔しそうにぼろぼろと涙を流す環。

 不謹慎にも、その泣き顔にだいぶズキュンときてしまった。

 が、一旦それは押し隠し、環の誤解を解くため、きちんと説明をせねばなるまい。


「寝取られてねーし! 何もないです! あれはただの会社の同僚で、本当になんでもないから。飲み会の後、帰る方向が一緒でタクシー同乗しただけだから」

「でもキスしてた!!」


 あ、やっぱり見てましたか……。


「私とは、き……、キスするのも何ヶ月もかかったのに……! 他の人とはすぐできるんだ…!」

「さっきのは不可抗力だから!」

「ふかこうりょくならすぐできるの!?」

「え、不可抗力って意味わかってる!?」


 日本語通じねえ!

 あの状況で俺から海堂に積極的に攻めてったように見えないだろ!

 いや? 見えたのかな!?

 ちょっと不安になる……。


「油断した俺も悪いけど……、俺からしたわけじゃないから! 事故だから事故!」

「それにしたって。私がいなかったら、事故じゃなかったかもしれないじゃん」

「そんなことないって……!」

「湯原だって…、いつまでたってもえっちもできない、チュートリアルも終わってないような初心者女より、ガッツリやりこみ系のガチ勢女子の方がいいんでしょ!?」

「ちょ待て、それいろいろ語弊ごへいがあるからな!?」


 それだと海堂が明らかにヤリマン認定になってしまっているんですが!?

 いや、実際に海堂の男事情とか全然知らんから事実どうかは知らんけど……。

 いやいやいや。今はそれよりも、目の前の環だ。 


「環」

「…やっ」

「やじゃない」

「やだ」

「……ほんとにヤなの?」


 言って環の顔を覗き込むと、涙に濡れた瞳は躊躇ためらうようにしばし揺れ動き――。

 結局、恥じらうようにそっと伏せられた。


「……言っとくけど、さっきのは唇にキスされたわけじゃないからな」

「…………」


 それで許されるとも思わないが、一応、言うべきこととしては言わせてもらう。


「なあ。俺だってずっと、環に会いたいの我慢してたのに。久々に会ってまた喧嘩別れじゃ悲しすぎるだろ。そんなに嫌だったんなら、環が消毒しろよ」

「しょっ……」


 消毒――!?


 と、環が俺の腕の中で、みじろぎしながら見上げてこようとするのがわかった。


「そうだよ。俺だって、環と会えなくてずっと寂しかったし。いちゃいちゃしたいのも我慢してたし」


 俺が、あえてねたようにそういうと、腕の中で逡巡しゅんじゅんしたように震えた環が、微かに涙のあとが残る潤んだ瞳で、じっと俺を見上げてきた。


 ――かわいい。


 と、そこでむらっとしてしまう俺も大概たいがいだと思うが。


「……わかった」


 俺の胸元でそう、かすれた声で小さくつぶやいた環が、俺の唇の端に向かって、背伸びをしてキスをしてきた。



 ――そうして俺たちはその後、3週間ぶりにキスをした。



 大粒の涙が流れたせいか、久しぶりの環とのキスは、甘さの中にすこししょっぱさが混じっていた。



 ◇



「…ていうか、家厳しいのにこんな時間に出て来て大丈夫なのか?」


 深夜の夜道を、手をつなぎながら俺の家へと向かって歩く。

 聞くと環は、ずっと俺に会えてないのが我慢できなくなって、どうしても俺の顔が見たくなり、終電間際にも関わらず夜中に家を飛び出してきたらしい。


 もうなんか、そのエピソードだけで可愛さMAXで天元突破なんですけど……。

 可愛すぎでないですか? 俺の彼女。

 大丈夫? 俺、可愛い死しない……?


「多分バレないと思う。こっそり抜け出して来たし」

「本当かぁ……?」


 そんなやりとりで、ここしばらくモヤモヤしていた悩みがすっかり霧散してしまった。


 俺に会いたくて実家をこっそりと抜け出して来てくれるなんて天使か。

 そんなことで溜飲りゅういんが下がるなんて、我ながら単純だと思う。

 でも、泣きはらした目で隣を歩く、俺の彼女は今日も可愛い。


「あのさ」


 さりげなさを装って、声をかける。


「今日は、環がなんと言おうと帰さないから」


 繋いだ手が、ぎゅっと強く握られる。


「いい加減、誰かさんのチュートリアルも終わらせなきゃいけないし」

「わ、私はずっと、終わらせたいと思ってたもん……!」


 赤い顔で、環がうったえてくる。


 そう。始まりがあれば、終わりもあり。

 終わりはまた次への始まりなのだ。


 Aが終わったらB、そしてゆくゆくはCへ。

 しかし、本当に大変なのは、その後もずっと人生は続くということ。

 人生という大きな海を、あなたといでいくために。

 ずっとあなたと向かい合っていきたいと、俺は思うのだった。

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