〜Epilogue〜2024年1月8日

 1月4日午後ニューヨーク・アッパーウェストサイド96丁目駅で、地下鉄同士が正面衝突し26人が負傷したというニュースが入った。

 たしかにニューヨークを後にした直後だっだけに間一髪だったが、20年越しの夢となった今回の旅の感想を聞いた周りは、「なんだかあまり楽しそうではなかったな」と口を揃えていった。

 まずは地下鉄の悪臭と舌打ちしたくなる複雑さである。ニューヨークの地下鉄は古く、どの駅もホームレスが大きなビニール袋を引きずりながら歩いており、車両もよく選ばないと乗客同士の言い争いに巻き込まれかねない。

 極めつけは駅名で、例えばマディソンスクエアパーク付近に行くにも、「23丁目」という駅が異なる路線で5つもある。よく注意しないと地上に出てから数ブロック歩かなければならない。プラットホームには次の駅を示す掲示もなく、観光客が4日程度で感覚を掴むにはあまりにも高度なゲームであった。

 小言は地下鉄に限った話ではない。空港や観光地には機嫌の悪い体育教師のような係員がふてぶてしい顔で座っており、その命令口調のおかげで実にわかりやすいイングリッシュではあったが、不慣れな観光客に手を差し伸べようという親切さはどこにもない。


 しかしである。そもそもの失敗は旅程そのものにあったことを認めなければならない。二度と来れないかもしれないという貧乏性から、4日間にあまりにも詰め込みすぎてしまった。

 クリスマスという国民の祝日を挟んでいたため緻密に組み上げないと何も起こらない旅となっていたが、放浪のバックパッカーを名乗ってきた者としてはあまりにも趣の違う旅になってしまった。


 私小説『ノンストップ・アクション』シリーズの行間を埋めてきたのは、迷子による無駄足と暇な人間観察である。現地についてから観光案内所でシティマップを拾い、午前中はカフェやバーで店員とバカ笑いし、午後も人恋しさに安めの食堂に入っては話し相手を探す。夜も早々に宿に戻ってポストカードや日記を埋めて過ごす。

 これが私のスタイルであり、そうしたデタラメさこそ私にとって最も重要なスケジュールであり、美術館や観光地はそれでも時間が余ればという程度であった。ポケットに雑に突っ込んだ現地通貨の使い道はせいぜいタバコ代と軽食代程度だったのであまり神経質になったことはない。

 さすがに貧乏学生の旅というわけにも行かず、44歳らしい清潔感は整えることができたが、あまりにもフォーマットを意識した形になってしまった。いきおい治安の悪さやスケジュールを破壊する無駄足にいちいち殺気立ち、果たしてニューヨークという世界都市をどこまで肌で感じられたか疑問である。


 それでも大学時代に諦めてしまった夢を20年ぶりに叶えるというストーリーに多くの方が応援してくれた。これはどうしても決着しなければならない事項だった。しかしシリーズを鮮やかにしてくれたラブロマンスも恐らく発生しないことも承知していた。では、この小編において何を伝えたかったかといえば「とりあえずやり遂げました」という事実報告のみである。

 これは自分にとっては非常に重く、慎重な決断だった。その日朝犬の散歩をしていてふと思いつき、今しかないと航空券とホテル代を含んだ30万円を振り込んだところまでは軽快だった。ところがその日の午後パスポート申請に池袋まで自転車を走らせている途中どうにもならない疲労感に襲われ、危うく路上で寝転がりそうになった。

 何もしないことに慣れきっていた20数年にとって、SNSに打ち上げた「最後の夢を叶える」という言葉は、口にするだけでも十分負担だった。SNSや知人友人に「ニューヨークのクリスマスをお届けします」と喧伝してきたのは、観客を増やさないと重力に負けてしまいそうだったからである。

 そしてニューヨークに行って、戻ってきた。想像していた通り、帰国後すぐに高熱を出した。年明けからすぐに新しい職場への出社が決まっていたにも関わらず、体は年末の疲れを引きずったままである。そういうわけで「ニューヨークはどうでしたか」と聞かれても、どのように景色を切り取ったらよいかわからず、縷々とニューヨークの嫌味を述べるに至っている。


 <旅することは生きること>と残したのは作家アンデルセンである。

 彼が他人の迷惑を推し量る能力に欠けた人物であり、訪問先の知人宅で勝手に長期逗留を決めてそこの家族に白眼視されていたエピソードはかつて紹介したことがある。その家族に彼の名言として伝えられている言葉を聞かせてみたいものだが、果たして旅をすることとは、他人に迷惑をかけることと同義なのだろうか。

 44歳になってまでその答えが出ないことに戸惑いを覚えるが、人生は楽観的であることに限る。他人に迷惑をかける事に慎重になりすぎるのも考えものだ。くだんのニューヨークの地下鉄正面衝突に巻き込まれてしまいたかったとため息をつく事のほうがよほど大迷惑である。



2024年1月8日、朝日眩しい書斎にて


 

 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ノンストップ・アクション〜From the New World~ マジシャン・アスカジョー @tsubaki555

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ