2023年12月28日

 船首にへばりついていた人々が霧の先を指差して騒ぎ始めた。自由の女神は、松明を掲げてすぐそこにすくっと立っていた。この地を目指したヨーロッパ脱出組のような騒ぎを、皮肉屋の私は争ってスマートフォンをかざす彼らの背中を切り取ることでその偉大さを持ち帰ろうとした。


 自由の女神があるリバティ島へのフェリーツアーには紆余曲折あった。そもそもは滞在初日の朝イチに拝む予定だったが、肝心の初日を寝過ごしている。

 1泊数ドルの安いベッドを渡り歩いてきたはずだが、忘れられた20年が私を極めて神経質な人間に仕上げてしまった。ふかふかの枕がうなじに馴染まず、明け方まで寝返りとため息を繰り返していた。気付いた時にはすでに朝11時を回っており、リバティ島への船はすでにマンハッタンに戻ってきた後だった。

 その後一時間もかけてどうにか予約変更を認めさせたが、いざ明日と意気込むと今度は硬めのベッドスプリングが気になり始めてしまい、結局ノートパソコンに向かいながら朝を迎えた。おかげでフェリーの揺れに誘われてこの物騒なニューヨークで居眠りをする始末である。万事がこのような調子であり、20年越しとなった楽屋裏はエナジードリンクの空き缶だらけであった。


 そんな憂鬱な旅の宿となったホテル「インディゴ」は、地下鉄ウォール街駅から徒歩5分のところにある。インディゴ(=藍色)という割に全体が臙脂色をしている。


「ブルックリン橋からの眺めはいかがでしたか?」


 この短編で唯一セリフのある人物として登場するのがフロント係のジョセフ氏である。このアイオワ州デモイン出身の親切な男は、疲れた顔でエレベーターから現れる私を見るたびに親しげに声をかけてくれる。

 最終日のニューヨークは小雨。今朝はブルックリン橋をレンタルサイクルで渡る予定だと返すとジョセフ氏は笑顔を見せた。彼はボルチモア出身の同性パートナーとブルックリンでアパートを借りており、毎日そこから自転車でマンハッタンに渡っているという。


「自転車なら15分ぐらいですが、ブルックリン橋は歩いて渡ることをおすすめします」


 ジョセフ氏の助言通り、橋のたもとに自転車を停めると、観光客の流れに身を任せて歩き始めた。カバンの中からイヤホンを取り出すとガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」を再生した。

 ブルックリン出身のジョージ・ガーシュインがこの曲の依頼を受けたのは、ちょうど100年前1923年冬のことだ。当初多忙を理由に断ったらしい。ところがある日ブロードウェイのビリヤード場で遊んでいたところ<ガーシュインは作曲を引き受けた>という記事を目にする。すぐさま抗議の電話をしたが逆に泣き落とされしぶしぶ了承したらしい。

 当初「アメリカン・ラプソディー(アメリカ狂詩曲)」と名付けられたこの曲は、兄アイラの提案で「ラプソディー・イン・ブルー」に変更された。〈ブルー〉とは憂鬱な気持ちを表す方の意であり、その後ブルーノートスケールとして確立される黒人ジャズの半音階がふんだんに登場する。

 チェコの大作曲家ドヴォルザークは、アメリカ独自の音楽スタイルを確立してほしいと特に請われてニューヨーク音楽院の学長として招かれた。そのドヴォルザークが描いたニューヨークは外国人らしい冷ややかさや批判に溢れているが、ラプソディーインブルーには地元ならではの希望や躍動が新しい試みの中に溢れている。


 クラリネットのワァーンと泣き出すような曲の出だしを聞きながら、ブルックリン橋の奥に霞むマンハッタンを眺める。削った鉛筆のような垂直のビルが、低く垂れ込んだ雲を押し上げるように密集している。

 なぜそれが<憂い=ブルー>なのかと聞かれれば、それは人それぞれだろう。ブルックリン橋までレンタルサイクルを飛ばしてきたが、その途中でうずくまったホームレスを何件か見ており、そのうちのひとつには白い布が被せられていた。この人生は何を軸として生きていくか難しい。雲間に隠れたビルのてっぺんばかり見ていたらこの街では犬のフンを踏みつけてしまうし、猫背になって下ばかり見ていたら視界はホームレスと変わらない。

 ラプソディー・イン・ブルーを聴く限り、そんなブルーはほとんど香ってこない。1920年代の喧騒は楽しくて楽しくて仕方がないという無邪気さで、大衆広告の大袈裟な見出しであり、街には人が溢れ、生産と消費を繰り返す大工場のリズムが続いている。しかしところどころ主張してくるピアノソロの問題提起に足を止められる。このままでいいのかとも聞こえるし、芥川が遺した“ぼんやりとした不安”というものにも感じる。


 結局は居場所の問題なのだろう。黄金色にきらめく摩天楼も、笑いと感動を謳うブロードウェイもそこに居場所を感じなければやはり窓の外は今日もブルーだ。

 雨に濡れたブルックリン橋に頬杖をつく。

――そろそろコトコトと小鍋が踊る我が家に帰ろう。妻と和解できるだろうか。娘たちは土産物屋で買った自由の女神のぬいぐるみを喜んでくれるだろうか。何もわからないと首を振る。だがここは俺の居場所ではない。

 見上げると、霞の向こうに続くニューヨークの摩天楼に雲の隙間に一条の陽が差し込んでいた。

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