2023年12月27日

 歌人の枡野浩一に<殺したいやつがいるので しばらくは目標のある人生である>という短歌がある。

 詩人らしいスパイスの効いた描写であるが、下の句を「しばらくは」と時計仕掛けにしているところに深みとコクがある。「殺意」というともすれば一生寄りすがっていけそうな激情は、所詮「しばらく」という短期的なエネルギーにしかなり得ない。あるいは「しばらく」でも人が生きていくための推進力になりうるとも読める。



 「9・11」は、ウォール街のホテルから歩いて10分ほどの距離だった。

 グランド・ゼロと呼ばれた跡地には、全米1位の高さを誇るワンワールド展望台がそびえ、破壊されたツインタワーの敷地跡には巨大な滝のモニュメントが観光客を集めていた。失われた一人ひとりの名が刻まれた60メートル四方の中へ止まることのない膨大な涙が轟音を立てて落ち続けていた。

 そのすぐそばに建てられた9・11メモリアル・ミュージアムは、街はニューイヤーのカウントダウンに向けて浮かれるているというのに朝から長蛇の列である。


 2001年は私が旅を諦めた年だった。

 世界は旅客機がビルに吸い込まれる映像を見て以来微笑みを忘れた。それまで戦争とはどこか遠い地のニュースであったが、テロによって変わらぬ日常が当たり前ではないことに迫られるようになった。

 我々はまだ9・11の延長線上にいる。中東からの特派員レポートやクリスマス市に車が突っ込んだという速報だけでなはない。それらの起点となった9・11について、アメリカ人はどのように消化し続けてきたのか。



 9・11メモリアルのみやげ物屋の軒先に、「EVER FORGET 9/11」とプリントされたTシャツが風に揺れていた。信じられないことに、隣接する路上には<Halal Food (イスラムの教えに則った食品)>という派手なキッチンカーが売り声を響かせていた。

 よくもまあと腕を組んで眺めていたが、誰も石などを投げつけていないところを見るといささか心配しすぎたようだ。22年が過ぎた今、ケバブ屋の屋台がひっくり返されていない現状を祝うべきなのかもしれない。


 それにしてもアメリカ人の国旗好きにはいささか驚かされる。

 中規模以上のビルの玄関はもちろん、地下鉄の車両ごとにも大きな星条旗が貼り出してある。「ピーピーうるせぇなぁ」と不敬なことをいうのは私ぐらいかもしれないが、とにかく街中のいたるところでスターズ&ストライプスが我々を見下ろしている。もし山手線の各車両に日の丸が掲げられていたら戦慄を覚えるだろう。

 しかし「愛国心」という三文字を放送禁止用語に指定している日本人には分かるまい。昨晩乗ったThe Rideという市内観光バスにしても、ツアーの締めくくりにフランク・シナトラの「New York, New York」を合唱させられた。青空にたなびく星条旗を背景に字幕を当てたものを大画面で映し、ガイドの手拍子に合わせて観光客全員でアメリカへの忠誠を誓わせる。私のように与しやすい人間は恥もなく外れた調子で声を張り上げていたが、隣から「(一体何なんだ?)」という中国語を聞いた。彼らはうんざりした顔で、窓の外に映るタイムズスクエ派の光の渦を眺めていた。


 トランプ政権以降加速したアメリカ・ファーストにおいても、いまだに米軍37万人が海外基地に展開している。防衛予算は2023年だけでも中国の約3倍にあたる7600億ドルを投じ、星条旗に痰唾を吐く連中を殺害対象にしてきた。

 そうした旺盛さを頼りにしてきた日本人としては、地下鉄の車両ごとに張られた星条旗を笑ってもいられない。



 殺したいやつがいるので しばらくは目標のある人生である――。


 しかし人を殺してはいけないという法律はどの国にも存在しない。あるのは不法行為に対する罰則のみである。

 ただそれはあくまで秩序を前提とした平和な日々のみ通用する公平さであって、一旦銃を取り合ってしまえば、「しばらく」などと生ぬるいことは言っていられない。飛行機を乗っ取り、たとえ殺したい奴らを死滅できなかったとしても、その精神に長く尾を引く恐怖を与えんと、己もろとも吹き飛ぶ覚悟を誓う。

 

 コロナ禍以降、人々はますます専門家の複雑な解説を疎ましく思うようになった。感情に訴えかける分かり易さを好むようになり、「ムカついたらブチのめしてしまえ!」と煽る配信を支持してきた。

 その結果大統領にまで昇りつめたドナルド・トランプの次期再選が有力視されはじめている。情報の膨大さがこうした単純明快さを量産したともいえるだろう。

 ただこれだけ哲学や歴史を学んでもなお、我々は殺し合いに対する有効な道徳を持ち合わせていない。キリストもブッダもその救済においては失敗した。しかしそれはアメリカに限らずであり、陳腐な正義とヘイトに満ちた砲弾が今日も無差別に誰かを殺している。


 オサマ・ビン・ラディンの殺害が区切りになったアメリカ人もいれば、今も強烈な自制を求められている人もいるだろう。9・11のモニュメントにたたずみ、愛とは知性にしか宿らないことを想う。

 そうした重苦しさの中で、<殺したいやつがいるので しばらくは目標のある人生である>とつぶやいてみる。今日、そのニューヨークは曇り空だった。

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