2023年12月26日

 エンパイアステートビルから見渡したマンハッタンに少し赤みを足し、黄金色に輝く摩天楼を友人たちに送信した。

 アメリカ人が大好きな独立宣言文は第3代大統領トマス・ジェファーソンの起草である。<すべての人間は生まれながらにして平等であり――>の後には、生命・自由・および幸福の追求という不可侵の権利が与えられていると続く。

 ここでいう<幸福の追求>とは何か。多少大味な解釈になるが、概ね「富の追求」と理解してよいだろう。その後250年の繁栄がエンパイア・ステートビル86階からの景色であり、びっしりと敷き詰められた有り余る富の渦は凄まじい破壊力だった。

 しかしその垂直に積み重なったビルの影に覆い尽くされた路地には、スターバックスの紙コップを拝んで座り込んでいる人がおり、さらにその下を走るメトロ駅では今日も大きなビニール袋を引きずった人々が棲んでいる。世界の主要都市はほとんど見てきたが、これほど貧富が一緒くたになっている街は初めてである。


 とはいえ消費主義に諸悪の根源を置くのはやはり妥当とは思えない。

 長く非正規雇用として辛酸をなめてきた。汚れ仕事ばかり押し付ける横柄な天下り役員どもや「連休に家族で石垣島に行ってきました」と自慢する正社員たちが私をこういう考え方にさせた。ほんの少し席を詰めてくれればみんな座れるじゃないかと彼らの楽しそうな横顔を見るたびに思ったものだ。

 豊かさを否定する啓発本も増えてきたが、「ゆとり」と「諦め」をごちゃごちゃにした話しに騙されてはいけない。いつだって目の前にぶら下げられているのは、力ずくで奪い取らなければならないものばかりではないか――。


 しかしアメリカ型資本主義がたどり着いた1950年代のカウンターカルチャーは噛めば噛むほど味がする。

 富の追求というメインストリームからの脱却はここニューヨークから沸き起こった。アートや娯楽といったサブカルチャーが支えきれなくなったモラルを、フリーセックスやドラッグ、ラブ&ピースという「柔らかくて気持ちいいもの」が吸収しはじめたのである。連中は財産の確立を否定し、中古のバンにテントとギターを積み込んでアナキストを自称した。ベトナム戦争期にそうした風潮はピークを迎えたが、その根幹に東洋思想があったことは意外と知られていない。

 彼らは禅こそ「空虚を消費で埋めることを否定する思想」として担ぎ上げた。マンハッタンに居並ぶクライスラーやロックフェラーの高層ビルではなく、無を無として受け入れることで本当の自分が見つかると信じたのである。

 日本でのアメリカ型消費主義のピークは、1970年の大阪万博だった。しかし同年作家の三島由紀夫は「日本は他者から魂を借りてしまった」と泣き、日本刀を腹に突き刺して死んだ。太陽の塔の岡本太郎は、「進歩と調和は反比例している」と警告した。


 ニューヨーク五番街のクリスマスセールスは、25日が過ぎた今日も変わらず賑やかだ。変わったといえばそこに軒を連ねるTifanyやCartierから聞こえてくるのが中国語やヒンドゥー語になったことで、日本人としては一抹の寂しさはある。

 世界中に中指を立てたドナルド・トランプ氏のトランプタワーにもお参りした。金ピカのエスカレーターに乗り、階下でパシャパシャとフラッシュを炊く人たちにさらにフラッシュを浴びせて遊んでいた。


 人間に生まれた以上稼がなければウソだ。遠慮していては喰われてしまう。私は五番街の大げさなショーウィンドウを見てもなおそう思う。タイムズスクエを踊る光の渦を見ても、それを批判的に見るのは違う種類の貧しさだろう。

 しかし1950年代のニューヨークで若い世代を中心に「独立宣言文」にある幸福の追求への解釈が変わった。マンハッタン繁栄の信条となってきた消費主義を「自らを省みることのない欲望」と切り捨て、ヨガや仏教が説く無を通じて、膨張する不安に取り組もうとした。

 日本でも80年代にはそうした内面を見つめる若者が増えはじめた。しかし無とは生産と消費のような循環サイクルを持たないため、しばし極端な例を作る。その最たる例が1995年3月の地下鉄サリン事件である。村上春樹は『アンダーグラウンド』の中で「我々は麻原が差し出すジャンクな物語を嘲笑ったが、それに対し我々は一体どんな有効な物語を持ち出すことができるだろうか」と走り続ける我々に疑問をぶつけた。


 昔、姉と慕った人に「いつかニューヨークに行くのが夢だ」と語ったことがある。すると「夢は叶わないものを指す言葉だから<目標>と言い換えなさい」と諭された。今、そのニューヨークのタイムズスクエアでピザを頬張り、ビルの隙間に遠く浮かんだ月を眺めている。

 姉は晩年なぜかキリスト教に入信した。多くを期待された優秀な人だったが、そのプレッシャーに耐えきれず長く病んでいた。


――姉さん、ピザはチーズや具材をたっぷり載せたニューヨークスタイルのほうがオススメですよ。


 地位や富を捨て、無心に祈ることに救いを求めた姉の命日が近づいている。わざわざ言い直しをさせられた夢が叶った今、次に何をするべきか教えてくれる人はもういない。

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