◆エピローグ
ドキドキ、ドキドキ。
早く休まなくちゃと思うのに、まったく寝つけなかった。
明日は日曜日。オープンの日だっていうのに、気が昂って寝れない。猫スタッフの皆はぐうぐう寝てるんだけど。
――そう、ついにオープンは明日。
SNSやチラシで宣伝はした。早瀬さんのいる動物病院にも広告を貼らせてもらった。大家の渡辺さんや佐田さんも知り合いに片っ端から声をかけてくれるっていう。野々村店長は自分の店だってあるのに、オープン初日は手伝いに来てくれるっていうんだ。
いろんな人に支えてもらって今がある。僕は眠れない中でもそれを噛み締めていた。
寝れないけど、体は元気だ。気を抜いたらガクッとくるかな。
僕は早くからカフェの仕込みを始めた。僕一人でやらなくちゃいけないことを思うと、そんなに凝ったものはないんだけど、サンドイッチの具材を刻んだり、パンにバターを塗ったり。
簡単なことをしてるだけなのに手が震えてる。
すーはーすーはー。
深呼吸をすると、いつの間にやら足元にトラさんがいた。
にゃあ。
何やってるんだいって呆れ顔だった。
「い、いや、ちょっと今から緊張してきちゃって」
すると、トラさんはいつもの調子でごく普通に、後ろ足で耳の裏を掻いた。
それから、言う。
店長なんだから、もっとどっしり構えてなよって。
「は、はい」
そうだよね。僕が店長なんだ。しっかりしないと。
少し休んで、それから店内をチェックする。……抜かりはない、はず。
開店は午前十時。あと一時間半で開店だ。
その時、僕のスマホが鳴った。野々村店長だ。
今から手伝いに行くからねって。ああ、忙しい日曜日に申し訳ないけど、心強い。
「来たよ」
程なくして、非常にわかりやすい言葉がインターホン越しに聞こえた。
「すいません、お忙しいのに。でも、助かります」
僕が急いで鍵を開けると、野々村店長はすでに黒いカフェエプロンを装着して待っていた。
「いいのいいの。お邪魔しまーす」
野々村店長が中へ入ると、皆が野々村店長をじぃっと見上げた。野々村店長の表情が緩む。
「はーい、こんにちは」
猫なで声というやつだ。いつもはキビキビ話すけど、猫が相手だとこうなる。
時々赤ちゃん言葉で喋ってる時もあるんだけど、無自覚かも。なんせデレデレなんだ。
忠さんはギャップが可愛いだろ? とか言ってくる。
にゃっ。
こんにちはって、チキが返す。
「お利口さんねぇ」
と、チキの頭をナデナデする。野々村店長の手は魔法の手。撫でられると、どんな猫もうっとりしてしまうんだ。やっぱり、チキもすぐに陥落した。
そこでふと、野々村店長はサラとルチアにも目を向けた。そうして、ふわりと微笑む。
「やっぱり、コタツくんに任せてよかったわ」
「え?」
急にどうしたんだろうと思ったら、野々村店長はにこやかに言った。
「サラとルチアの顔つきがここへ来る前とは違うもの。ここへ来て、ようやく落ち着けたのね」
顔つきが違う……。
あんまりよくわからない。二匹もきょとんとしている。でも、野々村店長は僕たちにさえわからないような、ちょっとした変化も拾っているんだろう。
僕に二匹を託したのは野々村店長だ。でも、僕がもし駄目だったらなんとかして二匹を引き取るつもりだったと思う。
だって、サラとルチアから聞いたオーナーの様子だと、行き場がないって判断したら保健所に連れていくという選択をしたかもしれない。野々村店長もそれを感じたから、親しくもない相手から猫を引き取ったんじゃないかな。
サラとルチアの本当の恩人は野々村店長なのかも。
「二匹を連れてきてくださって、ありがとうございます。どちらもとてもいい子ですよ」
僕が改めて言うと、野々村店長はフフ、と優しく笑った。
「コタツくんならこれからもきっと大丈夫。お客さんたちもこの店を気に入ってくれるわ」
「そうだといいんですけど」
本当にそうだといいな。
その後も、野々村店長が僕の至らないところを指摘していってくれる。
「コタツくん、ここの通路が少し狭いわ。もうちょっと机を寄せましょうか」
「あ、はいっ」
自分ではこれでいいかなって思っていたところも、別の誰かの目が入ることで違う意見がもらえる。オープン前に野々村店長に来てもらえてよかったな。
そうこうしているうちにオープン二十五分前だった。僕がチョイスした猫型時計の長針が左下にある。
「あああ、あと二十五分……」
僕が慌てちゃ皆が不安になるから落ち着かないと、と思うんだけど、皮肉にも僕より猫たちの方が落ち着いていた。
にゃあ。
一体、どんな客が来るんだろうなぁ、なんてハチさんがしみじみと言ってる。
トラさんはすでにキャットタワーのてっぺんでお昼寝中だ。
そうして、ついに――。
皆に支えられて、オープンの時だ。
僕はドキドキしながら扉を開いた。まだ誰もいないかなって思ったのに、店の前には早瀬さんと佐田さんとがいた。開店前に並んでいてくれたことに驚いてのけ反りそうだった。
「は、早瀬さん、佐田さん、おはようございます。今日は、ありがとうございます!」
声が震えそうだった。佐田さんはニヤニヤと笑っている。
「犬丸君、オープンおめでとう」
そう言って、早瀬さんを肘でつつく。早瀬さんは、大きな紙袋を持っていた。それを両手で僕に向けて差し出す。心なし照れていたように見えた。
「おめでとうございます。これ、お祝いのお花です」
紙袋の中には黄色とピンクの花が綺麗に飾られたフラワーアレンジメントが入っていた。僕は早瀬さんからそれを受け取る。
「ありがとうございます! お二人とも中へどうぞ」
僕のお客さん第一号と第二号だ。そう思うと胸が震えた。
「いらっしゃいませ。二名様ですね」
野々村店長が二人を席に誘導してくれる。二人が注文したのは、ブレンドコーヒーとカフェモカ、ロールケーキだった。
にゃあ!
うめママ! って言ってモカが佐田さんの足元にぴょんぴょん飛びついた。佐田さんも嬉しそうにモカを抱き上げる。
「あらモカ、大きくなったわねぇ」
佐田さんの家にいた時よりは少しくらい大きくなったかも。子猫の成長は早いから。
僕はカウンターで飲み物を用意し、それをトレイに載せると野々村店長に手渡しながら言う。
「子猫のモカはあちらのお宅から引き取ったんですよ」
「あらそうなの」
野々村店長は飲み物とケーキを運びながら佐田さんたちとにこやかに話している。チキもいつの間にやら佐田さんの膝の上にいた。そうこうしていると、二組目のお客さんが来た。
まだ若いカップルだ。高校生かな?
幼さを残した顔立ちだけど、意志が強そうな目をしている男の子。女の子はふわふわとした長い髪にベレー帽をちょこんと載せた小動物のような可愛らしさ。
デートにここを選んでくれたらしかった。二人とも動物好きなんだろうな。
「いらっしゃいませ」
僕が笑いかけると、男の子は照れたように頭を下げ、それから女の子に向き直る。
「ミヤビ、どこに座る?」
精一杯リードしている。微笑ましいな。
にゃ~。
ようこそようこそって、マサオが接客しに行った。でも、男の子が目を留めたのはマサオじゃなく、ハチさんの方だった。
「あーっ!」
急にでかい声を出してハチさんを指さした。ハチさんも目を瞬かせている。
「クロムだろ、お前!」
クロム……その名でハチさんを呼ぶなんて、一人しかいない。そうか、この子がショーゴ君か。
にゃあ!
ショーゴ、お前にまた会うなんてな! とハチさんもびっくりしながら飛んでいった。
「怪我をした後に急にいなくなるから、どうしたのか心配したんだぞ! でも、元気そうでよかったぁ」
店内、皆がきょとんとしていた。ええと、僕はハチさんから話を聞いているからとは言えないんだけど、カウンターから出て、ちょっとだけショーゴ君と話してみる。
「いらっしゃい。この子は後ろ足に怪我をしているから野良では厳しそうだし、僕が保護したんだ」
すると、ショーゴ君はまっすぐな目をして僕を見上げた。
「そうだったんですか。動物虐待してたヤツがいて、それでこの猫も怪我をさせられたんです。でも、無事だって知って安心しました」
「そっか。そんなことがあったんだね……」
ハチさんから聞いて知ってるけど、僕は初めて聞いたような顔をした。
あんまり長く話し込むと、ショーゴ君の彼女らしきミヤビちゃんが退屈してしまうので、僕は二人を席に案内しながら言った。
「この子のことは僕が責任を持って飼うから、心配要らないよ。ここの皆とも仲良くしてくれてるし」
「それを聞いて安心しました。俺、将来は獣医になるつもりです。今からいっぱい勉強して、絶対になります。それで、あんなふうに怪我をした子たちを助けられるようになります」
ああ、本当になんてまっすぐな子だろう。ハチさんが認めるだけあるなぁ。
なんかもう、お代はいいから、とかサービスしたくなっちゃうんだけど、オープン初日から採算度外視してちゃ駄目だろう。僕は二人から注文を聞き、そうしてテーブルから離れた。
ミヤビちゃんにはサラがようこそ、と声をかけた。うんうん、サラは空気の読める子だから。
ハチさんはショーゴ君のそばであれこれ話しかけている。まあ、伝わらないとしても、ショーゴ君も嬉しそうだ。
それからも、お客さんが何組か来てくれた。でも、それほど広いわけじゃないから、入れる数には限りがあって、入りきれなくて、また今度来ますねと言って帰られたり……それが申し訳ない。
ちょっと気になるのは、まったく接客しないで丸くなっているトラさん。
ナデナデも抱っこも嫌いなトラさんだって猫たちの紹介をパネルにして店内に貼ってあるから、お客さんたちはわかってくれている。
まあ、それはいいんだけどさ――。
なんか、お客さんが帰り際にキャットタワーのてっぺんのトラさんを拝んで帰るんだけど、どうした? 猫神様として崇め奉られているような。トラさん、貫禄ありすぎるんだよ。
そのうち、ショーゴ君たちが去ってから入ってきた、夫婦だかカップルだかどっちかなと思うような男女。
男の人は背が高くってひょろりとしている。ロックが好きなのかなって思うような革パンツが似合ってる。女の人はセミロング、小柄なんだけど溌溂としていた。
男性の方はあんまり乗り気じゃないのを引っ張ってこられたのかな。女性が男性の腕をグイグイ引きながら入ってくる。
「いらっしゃいませ」
僕が出迎えると、女性は男性に向けてにこやかに言った。
「そんな態度取っても駄目。ほんとは来たかったくせに」
「べ、別に俺は……」
口ごもった。隠れ猫好き。猫が好きとかカッコ悪いと思うのか、隠しているんだろう。強面っぽいけど絶対いい人だな、この人。
「シンヤ、ご飯をあげてた野良猫が最近来なくなったとかぼやいてたじゃない」
「そんなの、だいぶ前の話だろ」
「結構長いこと言ってたじゃない」
にゃ~。
はいはい、いらっしゃ~い。マサオが軽い調子でやってきた。
そこでハタ、と男性を見上げた。男性もまた、マサオを見て動きを止めた。
「ん? コイツ、似てるな……」
マサオが何かに似ている?
マサオ、心当たりあるの? と僕が目で問いかけると、マサオは珍しく難しい顔をして、にゃ~と鳴いた。
シロさん? でも、白くない。黒い。
そりゃ私服だからだよと突っ込みたくなったけど、耐えた。
もしかして、この男の人がマサオにいつもご馳走してくれていた料理人のシロさんなのかな?
お互い、確信がないっぽいけど、そうなんじゃないかな。マサオ、しっかり接客頼むよ……。連れの女性にはルチアが擦り寄ってくれる。
二人を席に案内すると、いつの間にか背後に佐田さんが立っていた。僕がびっくりしていると、佐田さんはフフフと含みのある笑い方をした。
「大盛況ねぇ、おめでとう」
「はい、ありがとうございます!」
「忙しいのに長居してごめんね。皆可愛くってついつい」
「いえ、モカたちも喜んでますよ」
猫好きを一番見分けられるのは猫たちだから。実際、皆喜んでる。
早瀬さんはまだ席にいて、僕と佐田さんが何を話しているのかを少し気にしている様子でもあった。
佐田さんはまたフフフと笑う。
「モカって名前、どう思う?」
「あ、はい。可愛いし、呼びやすいし、似合っていると思います」
思ったままのことを告げた僕に、佐田さんは不満なようだった。
「それだけ?」
「へ?」
それだけ、とは? 賛辞の言葉が足りないっていうのかな。
えーと、えーと、と僕が頭を絞っていると、佐田さんはそんな僕を見てまた笑った。
「いえ、ね。桃香が自分の名前に限りなく近い名前をつけたのよ。それについてちょっと考えてみてくれる?」
「あ、はい……」
とっさに思いつかなかったと言われた。僕が呼びやすいのがいいとか言ったから悪いのか。
言われた通りにちょっと考えてみたけど、佐田さんは僕の思考がずれていると思ったのかもしれない。早々に言われた。
「いくら猫の名前でも、嫌いな人に自分の名前に近い名前を毎日呼ばれたくないと思わない?」
そ、それは、一体どういう……。
僕は今日、オープン初日ということもあって、上手く頭が働かない。オーバーヒート気味だった。
頭が真っ白になった僕を感じたのか、佐田さんはため息交じりに言った。
「桃香は隙がないでしょ? しっかりしてるってよく言われるけど、そう見えるだけかもね。なんせ不器用な子なんだから」
佐田さんなりに広瀬さんのことを心配しているんだろうな。
隙がなかったり、言動が事務的に感じられたりすることもあるけれど、それはどう接していいかわからないからでもあるのかも。
「じゃあ、そろそろお暇するわね。頑張ってね。また来るから」
「はい、ありがとうございます!」
僕は二人を外まで見送る。佐田さんはさっさと車の方に行ってしまって、早瀬さんは僕に向かって丁寧にお辞儀をした。いや、それをするのは僕の方なんだけど……。
「今日はありがとうございました。とっても楽しかったです」
「いや、お礼を言うのはこっちですよ。今日は本当にありがとうございました。来て頂けて嬉しかったです」
そう言いながらも、僕は自分の心臓がドキドキ、バクバク主張してるのを感じた。
今日は僕の夢が叶ったオープンの日。
どんなことでもできそうな気がしてきた。この勢いに乗ってしまえばいい。
「あのっ」
急に声がでかくなった僕に早瀬さんは少し驚いたみたいだった。僕はそれを感じてわざとらしく咳ばらいをしてごまかすと、ちょっと声を落として言った。
「よかったら、今度食事にでも行きませんか?」
早瀬さんが固まったから、僕も固まった。
佐田さん、もしかして僕たちは大きな勘違いをしていたんじゃないでしょうか? と心の中で佐田さんを恨めしく思った。好意なんて見当たらないんですけど。
「よかったら、でいいんです。無理ならそれで……」
言い訳がましいことを言ってしまった僕に、早瀬さんは色白の頬を赤くしてやっとうなずいてくれた。
「はい、是非行きたいです」
そのひと言が聞けて、ほっとしたのと同時に天にも昇るような心境だった。――駄目だ駄目だ、まだ今日は終わってない。気を張って仕事しないと。
「コタツくーん、オーダー入ったわよ!」
中から野々村店長の声がした。
名前! 大声で名前で呼ばないで!!
「は、はい! 今行きます!」
早瀬さんに軽く頭を下げて、僕は店に戻った。
にゃっ!
テンチョ、忙しいけど楽しい! お客さんいいヒトばっかり! ってチキが目を輝かせていた。
前よりもずっと伸び伸びできる、ルチアもそう言ってくれた。
これからも、皆で力を合わせてこのカフェを盛り立てて行くんだ。
僕は胸のうちで改めてそう誓った。
猫カフェ『Camarade ―キャマラード―』おかげさまで満員御礼!
*The end*
猫スタ募集中!(=^・・^=) 五十鈴りく @isuzu6
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