◆7-6
サラとルチアをよく観察してみると、それぞれの個性も見えてくる。
サラは気がつくとよく毛づくろいをしている。それは懸命に。ちょっとでも毛が乱れているのは我慢できないんだろうな。いつも綺麗に身だしなみを整えておきたいらしい。うん、女の子だねぇ。
しっかりしたお姉さんってタイプだ。
ルチアはというと、そんなサラとよく似た性格なのかと思ったら、そうでもなかったのかもしれない。実は結構うっかりしている。
キャットタワーの下の段に飛び乗った時なんて、足を滑らせてそのまま落ちちゃったんだ。それを皆が目撃していたんだけど、ルチアは恥ずかしかったのか何事もなかったかのようにして歩いて去ったから、皆それには触れなかった。
寝ている時にはしまい忘れたのか、ペロンと舌を出したまま寝ていたりとかして可愛い。
ルチア自身は天然のつもりはないようだけど、天然だよね。
「うん……うん、そう。わかってるって。落ち着いたら招待するから待っててよ。じゃあね」
と、僕は通話を終えてポケットにスマホを押し込む。田舎の母親からだ。
体に気をつけて。本当に大丈夫なの? 人に騙されないようにね。
そんな言葉のオンパレードだった。
まあ、心配になるのは無理もないかもしれないけどさ。
一見もっともらしいことを言っている母さん。でも、コタツなんて名前をつける母だから。上品なお母さんね、なんていつも言われるけど、根っこは変わってる。そして、冷え性なんだ。
だから
そうして、オープンに向けて色々とやらないといけないことはあっても、僕は皆と遊ぶ時間は取るようにした。
コミュニケーションは重要だからね。
お客さんが猫スタッフと遊びやすいように、おもちゃなんかもいくつか用意してある。そのおもちゃをお披露目した。
「これどう?」
釣り竿の先にエビのマスコットがついたおもちゃを、僕は皆の前でユラユラさせてみた。皆、ハッと目の色を変える。トラさんだけはあくびしてたけど。
こういうのでたまとって遊べると思ったんだけど、そこで僕の予想外の出来事が起こった。
ブチ。
おもちゃを吊るしていた糸が呆気なく切られた。エビのおもちゃはというと、ハチさんの足の下。
にゃ、にゃあ……。
す、すまん。つい本気で……と、ハチさんが焦っていた。
いつもはクールなハチさんだけど、もともと野良だったから野性が目覚めたのか、おもちゃを本気で狩りにかかった。ハチさんの爪は鋭いなぁ……。
にゃあ。
それ頂戴って、モカがハチさんの足元ではしゃいでる。糸の切れたおもちゃでモカはキャッキャと遊び出した。
「いいんだよ、まだあるから」
指の間に六本の棹を挟み、同時に動かしてみる。
にゃあ! にゃあ! にゃあ!
皆が目を輝かせて飛びかかってきた。……あ、これ、僕一人じゃ無理かも。
オープンしたら、お客さんが遊んでくれるからね。
皆が野性に戻ったかのようにしておもちゃを手にした僕を追い詰めている間、トラさんはキャットタワーで優雅に寝ていた。我関せずを貫くトラさんはさすがだ。
皆で遊んでほどよく疲れた頃、僕はサラとルチアに向かって言った。
「あのさ、ちょっと抱っこさせてくれないかな?」
にゃ、にゃあ?
な、なんですか、急に? とサラが身構える。
ルチアも、にゃぁと小さめの声を出した。
私、太りましたか? って。
「いやいや、そういうんじゃないって。ただのスキンシップだよ。ほらほら、まずはサラからだ。おいで」
僕が両手を広げると、サラは緊張しつつもやってきた。店長命令だから逆らえないとか思ってるのかな。トラさんだったらバッサリ断ってくるけどね。
細身でしなやかなサラは軽い。僕は大事に抱き上げ、背中を撫でた。
こうして触れ合うことで僕の気持ちも伝わるといいなって思ったんだ。
僕は猫の言葉がわかるけれど、それだけじゃいけない。人間と人間は言葉が通じるのに、それでもすれ違いや誤解が生まれる。言葉にだけ頼ってはいけないってことだ。
じゃあ何が隙間を埋めるのかというと、こういう触れ合いなんじゃないのかなって。
僕にとって皆は仲間で、家族で、大切なんだよってことを、僕は言葉を用いずに伝えたかった。
前のオーナーの方針も、僕の思いも、猫たちを振り回しているという意味では同じかもしれなかった。それでも、わかってほしい。ここに馴染んでほしい。
ルチアのことも抱き上げると、大事に撫でて少しでも安心できるようにと願う。
これからはこうして皆で寄り添って生きていくんだから、信頼は何よりも優先したい。
次はあたしね、とモカが僕の前に並んだので、僕は希望者皆のことを抱っこした。それはとても愛おしい時間だった。
――それから。
「おーい、皆、ちょっと出ておいでよ」
僕は店の前に立つと、扉を開けて皆を呼び寄せた。
にゃあ。
暑いのになんなのさってマサオがぼやく。
夏の太陽の日差しが燦々と降り注ぐ中、僕は眩しさに耐えながら上を見上げた。ようやく屋根看板が取りつけられたんだ。これでグッとカフェらしくなった。そう思うと、感動で涙が込み上げてくる。決して眩しいからじゃあない。
「ほら、看板がついたんだよ。猫カフェ『Camarade ―キャマラード―』。これ、フランスっていう国の言葉なんだけどさ、『仲間』って意味なんだ」
モカは小さいから見上げても見えないだろう。僕はモカを抱き上げる。
他の皆は店の前に横一列に並び、精一杯首を持ち上げて看板を眺める。……傍目には奇妙な光景かもしれない。
にゃあ。
仲間、ね。とトラさんがつぶやく。
にゃっ。
いいね、仲間って。チキも喜んでくれた。
「サラ、ルチア。僕は君の前のオーナーみたいにはならないように気をつけるよ。オープン前に僕に大事なことを再認識させてくれてありがとう。うちに来てくれて、ありがとう」
二匹はきょとんとしていた。
僕が言いたかっただけなんだ、うん。
なんだかさ、もう感無量なんだけど、すべてはこれから。これから始まる。
でも、僕はこの瞬間をずっといつまでも忘れない。
嫌なことがあったり、逆に調子に乗ってしまったりした時には一度立ち止まってこの日のことを思い出したい。
僕はそんな思いを込めてもう一度看板を見上げた。
青い空に白い雲がくっきりと浮かび、その背景にクリーム色をした真新しい看板が輝いている。
これが僕の店――。
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