不幸少女と幸運のチョコレイトおじさん+αの旅立ち。

 トン、と音を立てて足を留める。

 窓から差し込む朝日が部屋を照らしている。机と椅子とベッドと、それと荷物を整理するおじさんと。


「おじさんっ、準備できましたか?」


 ホットチョコレイトの香りを胸いっぱいに吸い込んで、甘い息を短くこぼしながらおじさんを呼ぶ。

 心は軽く、身体も軽く。全身が軽く声も弾み、つい気分も舞い上がってしまう。


「見ての通りまだだ。セリーゼは……ずいぶんと元気だな。良いことだが」

「う……」


 急に恥ずかしくなる。頬が熱い。……けど。


「い、いいんです。おじさんと一緒で嬉しいんです、から」


 こうして同じ朝を迎えられて、同じ日々を過ごしていけるのが嬉しいのだから仕方ない。

 おじさんは少女を見て、ほんの微かに口角を上げて笑う。


「あぁ、そうだな。俺もだ」


 微笑み合い穏やかな気持ちで待っていると、自然と昨日のことが思い浮かんでくる――――。

 

 

 

 魔人との戦いが終わり、おじさんが空まで少女を迎えに来てしばし。

 感極まった少女が抱き着いて泣いたり、冷気操作の制御が崩れて極寒になったりとあったが今は落ち着いている。


 空高く、風のない凪いだ世界で雪に降られながら話をする。

 話と言っても、そう大したものではない。

 一番大事な話は既に終えた。だから話すのは日常的な、それこそ二人らしい普通のこと。


「……セリーゼ」

「はい」

「本当に、喋れるようになったんだな」


 どこか感慨深そうに、微かに口角も上げて言う。

 確かに嬉しいことではあるが、そこまでしみじみされてもと少々恥ずかしくもなる。


「えと……はい」

「よかったな」

「……はいっ」


 言葉に詰まる。

 何か言おうと口の中をもごもごさせ、結局何も言えず目を逸らす。おじさんはずっと穏やかな表情をしたままだ。


 言いたいことなんていくらでもあったはずなのに、こうして向き合って話せるようになると上手く言葉が出てこない。

 何を言えばいいんだろう。助けてくれてありがとう、一緒にいてくれてありがとう、見捨てないでくれてありがとう、寄り添ってくれてありがとう……。抽象的な感謝もあれば、手を握ってくれたことやチョコレイトをくれたこと、寂しい時、悲しい時にすぐ気がついてくれた直接的な感謝もある。


 おじさんには、この短い間で数え切れないほどの貰い物をしてしまった。文章だけじゃ伝えきれなかったたくさんのありがとうは、言葉でだってそう簡単には伝えきれない。

 どうしよう、どうやって、何から言えばいいんだろうと思っていたら。


「――いいんだ」

「ぁ……」


 そっと、少女の頭に温かな手が乗せられる。

 口から弱い声が漏れる。


「いいんだよ。ゆっくりでいい。喋れるように、声が出るようになったからって焦らなくていい。セリーゼ、君には君の歩みがあるんだ。今すべて伝えようとなんてしなくていい。時間をかけて、いつか君の思いをすべて伝えてくれ」

「……はい……ありがとうございます、おじさん」


 なんだかすごく嬉しくて、またじんわりと涙が滲んでくる。くしくしと目元をこすり、他所を向いてくれていたおじさんの気遣いに嬉しくなる。

 落ち着いた様子の少女を見て、おじさんは空気を変えるようにと話を切り出す。


「今更だがセリーゼ、怪我はないか?」

「大丈夫、です。おじさんは?」

「俺も大丈夫だ。よく耐えてくれた。セリーゼに渡したチョコレイトも役に立ったようでよかった」

「はい……。とても良い翼になってくれています」


 ゆったりと動く翼はおかしな浮力を発生させているが二人とも気にしない。チョコレイトでできているという時点でおかしいのだ。気にするだけ無駄である。


「俺が言うのもなんだが……よく飛べたな」

「チョコレイトの兵士さんが全部やってくれましたから」

「なるほど……」


 頷くおじさんは、しげしげと少女の背に生える純白の翼を眺める。


「しかし、なぜ白く?」

「えっと……時間があったので」

「そうか。まあいいが……白の方が好きなのか?」


 ふむ、と頷き自身の翼を見てからもう一度少女を見る。

 チョコレイト色の翼と、真っ白な雪色の翼と。同じものでも色が違うとなかなかに印象が変わる。


「えっと、はい」

「そうか。なら俺もそうするか。君には伝えていなかったがチョコレイトにはホワイトチョコレイトという種類もあるんだ。生成するチョコレイトを変えれば翼の色も容易く……セリーゼ?」

「むぅぅ……」

「ホワイトチョコレイトは嫌いだったか……」

「ち、違いますっ」


 無意識で頬を膨らませたセリーゼを見て微妙に落ち込むおじさん。

 慌てて首を振るも、本心を告げるのは恥ずかしくてすぐには口に出せない。


「えと、あの……」


 じっと自分を見つめてくる穏やかな瞳に顔が熱くなる。

 ぎゅっと目をつむり、気恥ずかしさを乗り越えて言葉を作る。


「その、白い翼はわたしとおじさんの、二人の力でできたものなので……。二人で作ったものだから嬉しかったんです」

「……そういうことか」


 呟き、ちらちら目を逸らす少女の頭にそっと手を置く。

 寂しがりなセリーゼらしい理由に、優しい気持ちになるおじさんである。


 雨と雪と、そもそもの肉体とで冷たい髪を撫でながらおじさんは続けた。


「なら。セリーゼ、俺の両翼も雪化粧してくれるか?」

「ぁ、は、はいっ!」


 ぱぁっと表情を輝かせる少女と、わかりにくく微笑むおじさんを白雪が彩っている――――。

 

 

 

「――セリーゼ?」

「え、は、はい。……おじさん?」

「あぁ。セリーゼ、準備ができたぞ」

「あっ……」


 少しぼんやりとし過ぎてしまっていた。

 おじさんが心配そうに少女を見つめている。


「えっと、大丈夫です。……行きましょうかっ」

「ああ。行こう」


 扉を開ける。

 一歩前に出て、いつもより広い視界に気づく。そうだった。いつもはおじさんの後ろにいたんだった。

 自分から扉を開けられるくらいに気持ちが上向きになっているということではあるんだけど……。それはそれとして、急に不安がこみ上げてくる。振り返り。


「お、おじさん」

「どうした」

「あの、わたしより前を歩いてくれませんか?」

「ふむ」


 頷き、何を言うでもなく前を歩いてくれる。さらりと撫でられた頭に手の温もりが残る。

 おじさんの後ろに隠れ、きゅっとコートをつまむと途端に気分が落ち着いてきた。これがチョコレイトパワー……。


「行くぞ」

「はい」


 部屋を出て、宿を出て、街を出る。

 街の東門から先、立派な石橋の左右遠くまで湖が続いている。湖面に太陽光が反射し眩しい。青く澄んだ水面に淡い風が流れさざ波を立てる。


 青空遠く、雲一つない大空に太陽が輝いている。穏やかな気風の、清々しい朝だった。


 思い立って振り返り、燦然ときらめく一等に高い建物――クリスタルパレスを見やる。


 もうあの建物も見納めかと思うと寂しいような嬉しいような。

 結局、クリスタルパレスには三回も行くはめになった。苦手な都市長にも三度会うこととなり、昨日言われたあれやこれやで苦手意識がさらに強まってしまった。


 

『君たちには本当に助けられたよ。やれやれ、まさか魔人の魔法が意識誘導型の洗脳魔法だったとはね。微弱だからこそ障壁も貫通し、半獣人であるユーカリ以外全員洗脳されてしまったというわけさ。はっはっは……本当に申し訳ない』

 


 少女は完全に忘れてしまっていたが、そういえば魔人と戦う前に人間に追われたりもした。その原因が魔人の魔法であり、街の人間は皆それに引っかかってしまっていた……らしい。すべて終わった後に聞かされたが、あまり詳しくは覚えていない。

 むしろその後の。


 

『おれ、超がんばった、です。オジさん。チョコレイトくれ、さい』

『……まあ構わんが』

『よっしゃぁ!!!!』

 


 というやり取りの方が新鮮でよく覚えている。ユーカリがめちゃくちゃに、それはもう飛び跳ねるほど喜んでいたのが印象に残っている。

 少女が同じ立場でもチョコレイトはぴょんぴょん跳ねて喜ぶと思うので、その時もふんふん頷いていた。あの半獣人とは仲良くなれそうだ。


 

『いやしかし、それにしてもオジくん。君はすごいな。不幸の星についてが私の推測・・・・とはいえ、こうも容易く出会った魔人を退けるとはね。やはりこの街に住まないかい?』

『――――推測?』

『ん?あぁうん、そうだそうだ。伝え損ねていたね。不幸の星は私が歴史書を読みギフト所持者の生を辿った結果、そうなんじゃないかなぁーと思って名付けたものなんだよ。だから色々言ったが深く考える必要はないと――おやセリーゼくん。オジくんを連れてどこへ行くん』

 


 今でも思い出すとむかむかする。あの都市長、本当にろくなことを言わない。


「セリーゼ?」

「おじさん」

「ああ」

「わたし、シスイの都市長さん苦手です」

「あぁ……。そうだな。……俺もだよ」


 二人で苦笑し、もう一度だけクリスタルパレスを見て歩き出す。

 橋を渡る途中、そういえばと少女が口を開く。


「おじさん」

「なんだ」

「シスイに渡すチョコレイトって、わたしもお手伝いするんですよね」

「そうだな。都市長には最高のチョコレイト菓子と言ってしまったからな……」

「……子供たちの支援、都市長さんはちゃんとやってくれるのでしょうか」

「それは大丈夫だろう。腐っても国を治める人間だ。……そうだな。国の支援を受けるためにも、俺たちは最高のチョコレイト菓子を作らなければならん。セリーゼ、俺のチョコは冷蔵冷凍系だけは出せない。氷菓は任せるぞ」

「はい。……けどわたし、そんなに力のコントロールできませんよ」

「だろうな。だがまあ大丈夫、時間はあるんだ。ゆっくり……ナナノクニで落ち着くまで、時間をかけて制御を学べばいいさ」

「……はいっ」


 緩やかに、少しずつ。

 ゆっくりゆったりと歩みを進めていく。


 シスイ湖の揺れる水面のように、静かに穏やかに。

 行く先は寒く、昨日の雪景色が当たり前になるような厳しい環境が待っているかもしれない。


 それでも少女の心は軽かった。

 羽のように、翼のように、空を飛べてしまいそうなほどに心も身体も軽かった。


 理由は単純、確信があるからだ。

 これから先、おじさんはもう少女を置いてどこかへ行くことはない。一人ぼっちになることはない。同じ屋根の下――は予定だからまだわからないけれど、同じ時間を過ごしていくことは約束してくれた。

 当たり前で普通な日常を一緒に過ごしてくれると、そう約束してくれた。


 一緒にご飯を食べて、一緒にホットチョコレイトを飲んで。

 お出かけをして、散歩をして、買い物をして、たくさんたくさんお話をして。寝る時は手を繋いだままあたたかさを分けてくれる。


 そんなような生活が夢でも幻でもなく、きちんとした未来として存在すると確信があるから。


 だから少女は、一切の重みを感じさせない足で歩くことができた。

 

「――おじさん」

 

 すれ違う人がいないことを確認して、おじさんの隣に進む。ちらと横を見て目が合い、ちょっとだけ恥ずかしくなるのを無視して。

 

「わたし、もう幸せです」

 

 足を止めず、そっと伝える。

 

「もう十分に幸せですけど……少しだけ我儘になっちゃいました」

 

 おじさんは少女が何を言いたいのか察し、ほんの少し口元を緩める。

 

「これからもずっと……ずっと、わたしを幸せにしてくださいね」

 

 数秒の沈黙が流れた後、おじさんはただ短く。


「あぁ」


 と、笑って頷いた。

 少女はにっこりと柔らかな笑みを浮かべ、小さな我儘を口にする。ずっと言いたくて、でも迷惑かなと遠慮していたこと。返事はなく、ただただ二人を繋ぐ人の温もりがすべてを物語っていた。


 そうして、大きな橋の中間まで差し掛かったところで、おじさんはそろそろいいかと呟く。

 少女はこくんと頷き、聞いてはいたがやはり緊張もするとドキドキしながらそれを待つ。


 合図はおじさんのチョコレイトだ。手に持ったいつも通りの小さなチョコレイトを空に投げる。軽く放り投げたにしてはぐんぐんと高く伸び、風に乗ってどこまでも飛んでいく。

 とうに見えなくなってしまったチョコレイトを探していたら、ぶわりと強烈な風が吹く。


「――遅かったな」


 おじさんが告げた相手は、風と共に現れた、全身チョコレイト色の男だった。

 目だけ、男の目だけは特別で、瞳孔だけが色抜きされたように白く染まり、光彩の色が人間と異なり紫色になっている。他はすべてチョコレイト色だ。髪も、服も、そして肌も。色の濃淡はあれど、すっかりチョコレイトに馴染んだ男――――魔人がそこには立っていた。


「……ちっ」

「ひぅ……」

「おい、セリーゼが怖がっているだろうが」

「はぁ?ふざけんな。そのガキも超人だろうが。負けて惨めな魔人程度に怯える超人のガキがいるかよ」


 不機嫌に眉をひそめて言う魔人に、おじさんは無言でチョコレイトを投げつけた。


「く、何投げてやがる!もったいねぇだろ!!」

「……すっかりチョコレイト中毒のようだな」

「は……はぁ。くそ……なんでオレがこんな目に……ちきしょぉ、甘ぇなぁ……」


 魔人。既に名はない。

 一度死に、おじさんのチョコレイトで半強制的に蘇ったこの男はチョコレイト中毒である。比喩でもなんでもなく、実際にチョコレイトを食べ続けないと死ぬ。真の意味で中毒であった。


 毒づく魔人だが、ひたすらにチョコレイトを食べて舐めてとしている姿からは恐怖など感じない。微妙に口元が緩んでいて、義務でチョコレイトを食べているだけではないと見える。

 まあおじさんによりそうした体質に変えられたので、チョコレイトは美味しく感じるようになったのだが。


 ぶつくさと文句を言う魔人にチョコレイトを投げ餌付けしつつ、改めてとおじさんは男を紹介する。


「セリーゼ。この魔人が俺たちの新しい仲間だ。君の護衛でもある。定期的にチョコレイトを摂取しないと死ぬから、欲しがっていたら分けてやってくれ。セリーゼのことは自動で守るよう仕組んでおいたが、意思は縛っていないんだ。文句を言ってきたら絶食させてやれ。泣いて謝るぞ」

「は、はい……」

「おい!どういうことだよ!仕組むだ縛るだ聞いてねぇぞ!」

「言ってないからな」

「く、くそぉ……反射的にチョコレイトを掴むオレの手が憎らしいっ」


 湖上に投げてもサッと掴みに行くのは驚きを通り越して感心すら覚える。

 あれだけ強くて怖かった魔人ではあるけれど、見た目も変わってセリーゼの好きなチョコレイトっぽくなっていて、見ていてほんわかしてきた。あとチョコレイト好きなところも嬉しい。


「えと……な、なんてお呼びすればいいのでしょうか?」

「こいつは一度死んだからな。生まれ変わってまだ名前はない」

「前の名前じゃ、だめなんですか?」

「オレは一度死んだ。同じ名前なんて使ってられねぇよ。お前らで適当に決めてくれ」


 チョコレイトを口に放りながらそんなことを言う。名前に興味などないのだろう。半ば投げやりだ。


「ならチョコ蔵」

「ふざけんなてめぇ!」

「適当でいいと言っただろう」

「ぐ……くそ、おいガキ――あぁくそ、セリーゼとか言ったか。お前が決めろ」

「え、えと……」


 おじさんを見て、優しく頷かれたので考えてみる。

 チョコレイト。紫色。チョコレイト色。光魔法。分身魔法。チョコレイト魔法。


 キーワードを抜き出してみる。

 好みな単語はチョコレイトとムラサキとヒカリ。これを組み合わせると……。


「チョコヒレンさん……」

「いいじゃないか。これからよろしく頼む。チョコヒレン」

「どう考えてもチョコいらねえだろ……ヒレンな、ヒレン。オレの名前はヒレン。決まりだ。この話はこれで終わり。わかったな?」

「ああ。チョコヒレン」

「ヒレンさん、よ、よろしくお願いします」

「……はぁ」


 溜め息をつき首を振り、口の中でチョコレイトを転がしながらヒレンは歩き出す。

 おじさんと少女より数歩前を、怠そうにしながら進んでいく。


 最初は緊張してどうなることかと思ったけれど、これなら平和にのんびりやっていけそうだ。微笑するおじさんの手をそっと掴み、セリーゼも同色の、年相応に可愛らしく明るい笑みを浮かべて歩き出す。足は軽く、心も軽く。


 陽光きらめく湖都市を背景に、少女とおじさんの旅は続く。

 ナナノクニまでもうしばらくの旅ではあるが、二人の――二人と一魔人の旅路はこれまで以上にチョコレイトで彩られていく。

 

 普通で特別な幸せを噛み締め、甘く甘いチョコレイトを転がし、離さないよう離れないようにと手を結び。

 確かな足取りで歩を進める二人の姿を、天地に輝く二つの太陽が優しく見守っていた。




 (了)

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不幸少女と幸運のチョコレイトおじさん【旧題:可哀想な女の子がおじさんのチョコレイトで救われて幸せになるお話】 坂水雨木(さかみあまき) @sakami_amaki

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