魔人とチョコレイト。

 天上の空に強い風が吹いている。

 暗雲は心なしか色を薄めたように見え、遥か空彼方から際限なく雪を降らせてくる。


 おじさんと少女の二人組は、押し寄せる風雪を浴びながら魔人との攻防を繰り広げていた。

 既に展開していたチョコレイトの壁と鏡は崩され、散らばった甘菓子が宙に漂い動き回ってレーザーを受け止めている。


 二人のいる開けた空間を包む雲は見るからにその量を減らし、じっと見てみれば隙間から遠く下方に雲海が見えるほどだ。


「ハッハァ、おいおい、さっきまでの威勢はどうしたよ。寒さでチョコレイトも凍ってんじゃねぇか?ハハハッ!」


 魔人の攻撃は苛烈だった。

 あらゆる方向から飛んでくる光線。直線、曲線を織り交ぜた軌道の読めない攻撃。

 殺傷力が高く、おじさんはともかく少女は当たると大部分が致命傷になる。

 鏡で防げるものと防げないものに分かれており、単調な防御に任せるわけにはいかない。

 さらに厄介な攻撃として、目に見えない光爆があった。


「オレの光爆ライトニングバーストを見せたからにはガキ諸共死んでもらうぜ。まあ最初から殺すつもりだったがな」


 嘲りながら言う魔人の姿は相変わらず見えないまま。

 光線だけでも対処が大変なのに、爆発する寸前に一瞬ピカリと明滅するだけの光爆はより厄介だった。


 爆発といっても光線と同じ類の攻撃なので、触れた部位は消滅する。

 絶対に避けねばならず、だというのに予兆がほとんどないため避けにくい。


 現状、光線はチョコレイトを動かしてすべて防ぎ、光爆は即座に距離を取って避けることでなんとか対処していた。幸いにも光爆の炸裂範囲は狭いため逃げに徹すれば範囲外に出るのは容易い。途中光線が襲ってくるため途轍もなく避けにくいが。


 反撃は冷気を利用した局所凍結と、音速チョコレイト弾の二種だ。


「――鬱陶しい雪だな。ガキの方を先に殺すか?」


 ぱっと目の前が光った瞬間にその場を離れる。雪化粧した翼が自動で羽ばたき、おじさんに引っ張られるようにレーザーを掻い潜って退避した。

 途中別の光爆に巻き込まれおじさんの腕が溶け落ちたが、すぐに周囲の・・・チョコレイトを回収して身体を再生させる。


 ぶつくさと文句を言う魔人を無視し、少女とおじさんはほぼ防戦の戦いを続ける。


「……ふぅぅ」


 少女は短く息を漏らし、垂れて凍り付いた冷や汗を手で払い落とす。

 今のは危なかった。


「……」


 ちら、と隣のおじさんを見て、いくらかの尊敬の念が出てくる。

 正直、もう色々と手一杯だった。


 自分はチョコレイトの操作とちょっとした冷気の放出だけで限界だというのに、おじさんはこれに自力での高速飛行と策の組み立てを加え、さらに多種の反撃まで行っていたなんて信じられない。

 やっぱりおじさんはすごい。


「……ハァ、面倒くせぇ。毒使いのくせに防戦能力は無駄に高いとかふざけんじゃねぇよ。チッ、さっさと殺すか」

「っ」


 まずいと、そう感じた瞬間にもうそれ・・は始まっていた。


「ハハ、おせぇよ。下等種にここまで使わされるとは思わなかったが、それもおしまいだ。じゃあな、ガキと揃って仲良く死んどけ」


 光の連鎖が視界を埋め尽くす。

 どうやら推察は間違っていたらしい。光爆が小規模なのはそう見せかけるためだけの嘘で、本当は超広範囲まで爆発を広げられるようだ。


 前も後ろも、上も下も右も左も。どこを見ても光が瞬いている。

 少し時間はかかるようだが、そんなものは全方位包み込み相手を囲いから逃さなければ関係がない。


「おじさんっ……」


 きゅっと隣の男の服を強く掴み、厚くチョコレイトを張って名前を呼ぶ。

 さすがにだめかもしれない。間に合わないのかなと――いいや、おじさんを信じると決めたのだ。おじさんならきっと――――。


「――――あ?」


 そんな間の抜けた声と共に、光が収まっていく。

 風が弱まっていく。雪が穏やかに降り始める。


 少女はおじさんを――おじさんの姿を模ったチョコレイト人形を見やる。

 人形はワンテンポ遅れて頷き、少女の頭に手を置いた。


 嬉しいが、その手にいつものあたたかさはない。


「おじさん、待ってます」


 こくりと頷く人形に頷き返し、少女は男を待つ。雪降る天上で、誰とも知れぬ神様に祈りを捧げて待ち続ける。

 

 

 ☆

 

 

「――お前、どうしてここにいやがる」


 戦慄を含ませた魔人の声を聞き男は――――おじさんは、静かに窓の側を離れる。


「答えろ」


 音を立てず歩き、魔人の座る椅子の対面、小さな机を挟んだ向かい席に座った。


「……上空にいた俺は分身だよ。魔人、お前の使った分身魔法に似たようなものだ」

「なに……」

「お前は気づかなかったようだが、本体はセリーゼの降らせた雪に紛れ都市まで降りさせてもらった」

「……人間の大きさで雪に紛れられるわけねぇだろ」

「俺の身体は特別性でな。出せるチョコレイトのサイズにまで分割することができる」

「ハッ……オレ以上に化け物かよ、てめぇ」


 男が手のひらに出したチョコレイトを見て魔人は舌打ちする。

 前回のように咳をすることもなければ血を吐くこともない。だが、ここにいるのは人間を超越した自己保身主義の魔人だ。自分の身体のことは自分がよくわかっていた。


「……まんまとオレはお前の策に嵌められたってわけか」

「ああ。もうわかっていると思うが、既にお前の体内には俺のチョコレイトが回っている」

「うるせぇ。どうやって入れやがった」

「都市全域に広げた」

「は?」

「微粒子として雪に混ぜ、僅かな接触で魔人の――お前の魔力に反応するよう仕掛けた」

「……じゃあ何か。オレの体内の毒は他の人間全員に等しく入っているって言うのか」

「ああ。無害だがな」

「お前、本当に人間かよ」

「人間だよ。少し進化しただけの人間さ」

「……ハ、なんだよ。オレが相手してたのは狂った化け物……いや、超人種か。なら負けるのも仕方ねぇわな」


 街の一角、どことも知れぬ一般家屋の中で、一人と一魔人の会話は続く。


「毒の原理は?」

「血液、魔力の凝固。肉体の凍結」

「くくく、最悪の毒じゃねぇか」

「もう身体も凍ってきているだろう?」

「ハッ、言うまでもねぇ」


 椅子から立ち上がろうとすらしない姿を見れば、回答を聞くまでもなかった。


「魔人、この街に来た目的は何だ」

「あぁ?今さらどうでもいいだろうが」

「またお前のような奴に来られても困る」


 真顔の男を見て、魔人はくつくつと笑う。


「ハハハ、あぁそうかよ。だがお前の心配は要らねぇ。オレは一人だ。劣等共と違って、オレは群れるほど弱くねぇ」

「目的は?」

「チッ、話を聞かねぇ野郎だ……。オレは頭の足りねぇ馬鹿共とは違うからな。人間の戦争を支えるのは後方支援だってわかってた。そのために魔物を連れてこそこそ隠れてつまらねぇところまで来たんだ」

「後方国家まで行かなかったのか?」

「笑わせんじゃねぇ。てめぇも超人種ならわかってたんだろ。潰す価値も意味もねぇよ」

「……まあ魔人から見ればそうだろうな」

「んで、山崩しと同時に都市攻めもしようと思ってたんだが、連れてきた役立たず共のせいでトンネルから離れるはめになった」

「あぁ、やはりアレはお前の仕業だったのか」

「違ぇよ。オレじゃねぇ。無能な魔物がアホやったせいだ。だがまあ……オレもただの人間と見縊ってお前に殺されるんだから、魔物共を笑えねぇな」


 乾いた笑いを漏らす魔人に、男は何も返さなかった。

 ただじっと椅子に座る魔人を見て、相手の体内に巡らせたチョコレイトを感じ取り目を細め、ぽつりと呟く。


「……そろそろか。魔人、お前が散々毒だと文句を言うチョコレイトだが、死ぬ前に飲んでいくといい」

「くそが。拒否権なんてねぇだろ」

「まだ腕は動くか?」

「魔人を舐めるんじゃねぇ」


 チョコレイトで作られたカップにホットチョコレイトを注ぎ、魔人がそれを口元に運ぶ。

 震える手でゆっくりと飲み干し、口元を皮肉気に歪めて笑う。


「ハッ、甘ったりぃ。これだからチョコレイトは嫌いなんだ……。チッ……口の中が気持ち悪ぃぜ…………」


 その言葉を最後に、目を閉じた魔人は動きを止める。

 呼吸を止め、鼓動を止め、時を止める。


 凍り付いた肉体は既に生命の気配を失い、ただの人の形をした氷としてその場に残っていた。


 じっと、氷像を見て。

 男は考えていた。未来を――セリーゼの未来を考えた時に、より良い選択があるかもしれないと思ってしまった。


「……」


 この行為は、人間という種族にとって裏切りに近いかもしれない。だが、おじさん自身は既に人間も魔人もどうでもよかった。ただ自分やセリーゼ、他の哀れな子どもたちだけが世界の中心にいる。その中でも、特にセリーゼという少女の比重は大きい。

 偶然だ。ただのなんでもない、たまたま気が向いただけの出会いでしかない。だがそれでいいと思う。もしかしたら運命だったのかもしれないし、ただの偶然でしかなかったのかもしれない。


 どちらでもいい。

 おじさんが少女を助け、少女がエゴに塗れたおじさんの手を取ったことだけが真実で、現実で、現在だったから。


「……」


 おじさんは氷像に近づく。

 特別なチョコレイトを生成する。新しい毒のチョコレイトだ。食べさせたことのある相手などいるわけがなく、しかも直前とはいえ死者が相手だ。どうなるかは作成者のおじさんにもわからない。


 どちらに転んでもいいと思う。それこそ、目の前の魔人という存在に任せようと思う。

 

 見た目普通の四角いチョコレイトを氷に押し付け、溶け込んだ後にがらがらと崩れるそれを見てから窓に向かう。


「――行くか」


 呟き、背に一対の翼を作り雪の都市を駆け昇っていく。


 チョコレイトの羽ばたきにより強い風が吹く。

 開け放たれた窓から吹き込む風が粉々になった氷粒を拾い上げ、冷たい紫の残滓を空の果てへ連れて行く。


 魔人の痕跡などどこにもなかったかのように、ただただ、冷たい寒風が音のない部屋を吹き抜けていった。



 ☆

 

 

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