第20話

 それから三日後。

 昼間の如く、燦々とたくさんの明かりに照らされていた通りを麦穂と翔吾、そして匡人は歩いていた。麦穂は鮮やかな金魚が泳ぐ浴衣姿だ。それを見た翔吾は淡い静かな微笑みを浮かべ、匡人はスマホを片手にそんな翔吾を揶揄った。

 明かりの下には色とりどりの屋台が並ぶ。

 賑やかな夏祭りだ。麦穂は屋台を眺めながら物欲しそうな目で言葉をこぼした。


 「焼きそば、食べたいです。あとたこ焼きも」

 「ハア……ちょっと待ってろ」


 翔吾が屋台の方に歩いて行ったのを見て、麦穂は神社の境内を少し離れ川沿いの道にずんずんと向かって行ってしまう。匡人は慌てて麦穂を追いかけた。


 「ちょっと麦穂ちゃん! どこ行くんだよ」


 大通りから抜けただけで、随分と人が減った。そこで、麦穂はふと足を止めて、振り返る。


 「答え合わせをしましょうか」


 真剣に麦穂は匡人を見つめている。その瞳は静かに凪いていた。匡人は額に皺を寄せて、怪訝な声を出した。


 「は? 麦穂ちゃん、いきなりどうしたの?」

 

 麦穂は気にもせずに淡々と言葉を放つ。 

 

 「ひったくりから強盗までこなす犯罪組織に計画を授け、指示していたのは貴方ですね」

 「……ッハハ、ハハハッ麦穂ちゃん面白い遊びを考えたね」


 匡人は目に涙さえ浮かべて笑うと、ゆっくりと髪を掻き上げた。今も愉快そうに口角が上がっている。しかし、その目は笑っていなかった。


 「おそらく一年前の、教唆犯も貴方です」

 「…………麦穂ちゃん、もうそれ飽きたなぁ」

 「私は大真面目ですよ」


 麦穂が表情をピクリとも変えずに言うと、匡人はすとんと表情を落とした。そして口の片端を歪めるようにあげると言った。

 

 「大体さぁ証拠はあるわけ? なんで俺だと思ったのさ」

 「勘です」

 「アッハハハハハ」

 

 麦穂が断言すると、匡人は腹を抱えて笑った。

 

 「勘ンンーー? よくそれで人を犯人呼ばわりできるよね、麦穂ちゃんって面白」

 「犯罪組織のコードネーム。あれは、ギリシャ神話を表していますね。ディーはディオニューソス、酩酊の神。アルはアルテミス、狩猟の女神。コレーは冥界の女王ペルセポネーの別名。アンは……おそらくアンゲロス、使者の女神。…………そして、ボスはゼウス。だとしたら……黒幕は知恵の神メーティスじゃないでしょうか」


  匡人は表情を無くすと、口を開いた。

 

 「……知恵の神ならアテネだろ」

 「貴方なら知っているはずですよ。メーティス、名は知恵の意味。「叡智」や「思慮」及び「助言」を意味する知性の神です」


 ゼウスの最初の妻だったが、ガイアの『ゼウスとメーティスの間に生まれた男神は父を超える』と言う予言を間に受けたゼウスに子を身籠ったメーティスは飲み込まれた。飲み込んでしばらくしてゼウスは痛みに耐えかね、斧で頭を叩き割るように命じた。すると中からすでに成人し、甲冑で完全に武装した女神が飛び出した。これがアテナだ。

 この後、メーティスはゼウスの体内で善悪を予言するようになったという。


 「自分が一番頭が切れる参謀だと言いたいんでしょう。ゼウスを操っているのは自分だと。なかなか、よくできていると思います」

 「……それだけ? それだけで俺が犯人だって言いたいの」

 「証拠になるものはありますよ。その、手に持っているスマホです」

 

 麦穂は指を指すと、匡人は思わず後ずさった。

 

 「今日、勝哉くんは熱でこないと翔吾くんが言いましたね。それは嘘です。正確には警察に捕まったんです。だから、匡人くんが今指示をしている相手は、お仲間になりすました警察ですよ。今やり取りしている内容は十分証拠になると思いますね」

 

 「…………ハハハ……ハハッアハハハハッ」

 

 匡人は大きな笑い声をこぼした。のけぞり大笑いしている。そして少しの沈黙の後、顔を上げた匡人は髪を掻き上げ、気味が悪いほど綺麗な笑顔で言い放った。 


 

 「そうだよ、俺だ。メーティスは俺さ」


  

 くくっと笑いを噛み殺す。何が面白いのか異常に上機嫌だ。しばらくして、顔を上げた匡人は口を開いた。

 

 「あのさあ、麦穂ちゃんは何が目的なわけ。そんなに俺を捕まえたいの?」

 「自分が気になって確かめたかっただけです」

 「ふーん。でもさ、それで問題なく帰れると思ってるの? 俺は本来口封じしとかなきゃ気が済まない性格なんだけど」

 

 「そのための俺だろ」


  

  声がして、匡人は目を丸くした。匡人の背後には、もう翔吾が歩み寄っていた。


  「……なるほどね。どうりで堂々と俺を追い詰めるわけだ。護衛がいたかぁ……翔吾、お前もずっと誘おうと思ってたんだ。ピッタリだと思わない? 戦いの神に」

 

 麦穂の方に視線をやりながら匡人は言う。

 

 「わかりませんね。私にとってはアレスというよりムーサですから」

 「ムーサ……英語でミューズ。翔吾は麦穂ちゃんのミューズってわけね」

  

 ミューズはギリシャ神話では、詩人などの芸術家に感性を与えてくれる存在として信仰されてきた。ムーサはインド・ヨーロッパ語の考えるという意味の単語が語源とされている。ちなみに「インスピレーション」という単語はミューズが耳に息を吹き込むという意味だ。

  

 

 「お前なら乗ってくると思ったんだけどな。特に麦穂ちゃんに会う前のお前は。退屈してただろ? 毎日がつまらなくて、何かでかいことが起こらないか探してる目だった」

 「昔の俺だったら興味を示してたかもな」

 

 「はは、そうか。……俺はさ、ずっとお前が嫌いだったよ」


 爽やかな笑顔で、翔吾に向かって匡人は毒を吐く。


 「俺ん家、貧乏なのは知ってるよな。母さんは朝から晩まで働いても、今の俺の学費を払うので精一杯。いくら俺の成績が良かったとしてもとても大学になんか行けやしないのさ。最初から俺の進学なんて、とんでもないと思っているわけ」


 翔吾は黙ってそれを受け止めていた。そんな翔吾に匡人はさらにヒートアップするように、ペラペラと言葉を続けた。

 

 「……お前が、ありがちでおめでたい悩みを打ち明けるたび、俺は心の底からイライラしたね。決まったレールの上しか歩めないからなんだよ。歩けるレールがあるだけありがたいだろってな。俺には恵まれたやつの独り言にしか聞こえなかった。…………あーあ、バレてせいせいするね。あの勝哉のバカにも付き合わなくて済むし。俺はお前らを友達だなんて一ミリも思って無かったのさ」


 匡人は髪を掻き上げ、笑いながらそう言い放った。

 

 「嘘だな」

 「嘘ですね」

 

 そこで初めて麦穂と翔吾の声が被る。匡人は反論されるとは思ってなかったのか、目を丸くした。


 「今までの友情が全て偽物だったとは俺は思わない」


 翔吾が真っ直ぐに匡人を見て言う。翔吾には何か確信があったようだった。その瞳は決して逸らさない。

 

 「本当に嫌っていたら、仲間にしようなんて思わないと思います」


 と麦穂は告げる。匡人はそんな二人を見て、呆れたように笑った。


 

 「ホント、君たちバカだろ…………でもなんでだろ、敵わないって気持ちが沸き起こってくるのは」



 

 「…………決めた、自首するよ」







 

 霧の濃い朝だった。波止場を麦穂と翔吾は歩いていた。麦穂はセーラー服。翔吾はブレザーを着た制服姿だ。麦穂が手を後ろで組みながら、頬を緩めて言う。

 

 「私、画家を目指すことにしました。今、美大に受かるための画塾に通っているところなんです。学校にもちゃんと通い始めたんですよ」

 「そうか……俺は、画商になることにした」


 絵画の売り買いを専門とするバイヤーで。画家から作品を仕入れ展示し、販売する仕事だ。全く無名の画家や、まだ世間に知られていない将来性のある若手の画家を発掘し、その作品を売り出すという人もいるらしい。

 それを聞いた麦穂は飴玉みたいな薄茶の瞳をキラキラさせて言う。

 

 「画商!! いいですね。翔吾くんにぴったりです。見る目ありますもんね」

 「お前が言うなよ」

 「ふふ。なんか将来が楽しみになってきました。私、彼氏とデートってやつしてみたいんですよね」

 「は、彼氏!? 誰だよそいつ!!」


 翔吾は一瞬固まって、悪態もつけないほどショックを受けた。

 

 「え、翔吾くんですけど」

 「は!?」

 「そういえば、言うの忘れてましたけど好きですよ、翔吾くん」

 「…………は!?!?」

 

 












 

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絵描き娘と不良 一夏 茜 @13471010

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