50マイルの笑顔
ミドリ/緑虫@コミュ障騎士発売中
0マイル
幼馴染みの聡太に突然声を掛けられたのは、中学の卒業を控えた三月のある日のこと。
夕日が眩しい、公立中学校からの帰り道。聡太に「話があるからちょっといい?」と誘われて、家の近所にある公園に向かった。子供の頃二人でよく遊んだブランコに、隣り同士に座る。
子供の時は飛びそうな勢いで漕いだけど、中三ともなるとそんな子供っぽいことはできない。
聡太はズボンだから漕げるけど、私はスカートだからさすがに憚られるし。
中学に上がったばかりの頃は、小学校からの習慣で一緒に登下校していた。だけど、お互い部活が始まってからは機会も減った。
そのまま三年になり引退しても会ったら挨拶をする程度で、以前のように互いの家に行って遊ぶこともなくなっていた。
メッセージアプリでくだらないひと言とスタンプを送り合ってはいたけれど。
だから余計、「何の話だろう」と不思議だった。用があったら、いつもみたいにメッセージを送ればいいだけなのに。
キイ、と金属が擦れ合わさる音を立てて、聡太がゆっくりとブランコを漕ぎ始める。
すっかり男の顔に変わってしまった聡太の横顔を、無言で眺めた。
「……ななみ、うち、引っ越すことになった」
「――えっ!? いつ! どこに!?」
ガシャンと音を立てて、立ち上がる。ゆらりと前後に揺れている聡太は、目を伏せたままぽつりと答えた。
「……さ来週。東京に行くんだ」
「嘘!」
と、聡太が地面に足をついてブランコの動きを止める。俯いたまま、ボソボソと続けた。
「俺の通う高校には下り電車一本で行ける駅だって。父さんの転勤もあって、単身赴任なんかしたらすぐに太って身体壊すの分かってるからって、母さんが」
この町は横浜という名は付いているものの、世の中の人たちが印象を持つ観覧車や高層ビル、中華街とは縁遠い西の最果てにある、大して何もない片田舎だ。
交通の便もあまりよくないし、駅から一歩離れれば畑と住宅と小さな商店しかない、そんな場所。
ここで育った私にとって、東京という言葉はあまりに遠すぎた。
「そんな……」
なんとなく、聡太はずっと隣にいるものだと思っていた。だからこそ余計に、隣から聡太がいなくなるという事実が信じられない。
聡太が、ゆっくりとこちらを振り返る。
夕日に照らされたまだ幼さが少し残る顔で、私を凝視した。
日頃はどちらかというと寡黙で穏やかに微笑んでいる印象の聡太が見せる強い眼差しに、言葉が詰まる。
「中学に上がってから、ななみと遊ぶ機会が減っちゃってさ。誘いたかったけど、中学の奴らがすぐ噂するからななみが嫌かなって思ったら、三年も経っちゃった」
「聡太……」
だから周りの友達には、私達はただのお隣さん同士で仲良くなくて、メッセージのやり取りもしてない風に装っていた。
私と聡太の仲を、彼らの都合で邪魔されたくなかったから。
「ななみ、俺さ」
「う、うん」
いつもは小さく笑っている聡太の顔が、今はやけに真剣そのものだ。いつの間にかカラカラになっていた喉を潤す為に唾を呑み込むと、ごくん、と思ったよりも大きく響いた。
「調べたんだ。俺が行く場所と、ななみがいる場所の距離」
「うん……?」
聡太の緊張したような声色と話の内容とのギャップに、つい首を傾げる。
「大体80キロあった。マイルに換算したら50マイル」
「なんで換算したの?」
「できる限り数字を小さくしたくて。まあ距離は変わらないんだけど」
どういう意味だろう。聡太は一体何を伝えようとしているのか。何故かドキドキと高鳴り始める心臓の音に気付く。いつの間にか期待している自分が、恥ずかしくなった。
聡太が、スーッと長い息を吸い込む。
そして、言った。
「俺、この先もななみといたい」
「……へ?」
間抜けな声が、ぽかんと開いた私の口から漏れた。
聡太は、ブランコからゆっくりと立ち上がると、私の前に立つ。
小学校までは私が見下ろしていたのに、今では見上げないといけなくなった聡太の顔。
「ななみ本体との距離が50マイル離れても、笑顔でいたい。だから……心の距離は0がいい」
「本体って」
聡太の言い方がおかしくて、思わずプッと吹き出した。笑いと同時に、涙も溢れ出す。
「な、ななみ!?」
聡太の慌てた顔がぼやける。生まれてからずっと隣にいたから、聡太がどんな表情をしているかは想像できた。
グスグスと泣き続けていると、聡太が遠慮がちに私の肩に手を置く。そろりと、もう片方の手で頭を撫で始めた。
子供の頃、泣き虫な私を慰める為によくしてくれた、懐かしい仕草だ。
「聡太……」
「う、うん」
「本体、ちょくちょく0マイルになりに行ってもいい……?」
「――ッ!」
頭頂に拭き掛かる聡太の息が、泣いているように細かく震える。
「お……俺も、会いに行く。沢山、しょっちゅう……!」
「えへ、へへ……っ」
「ななみ……!」
顔を上げると、泣き顔の聡太と目が合った。
どちらからともなく身体を寄せ合うと、恋愛成就の嬉しさに、クスクスと笑い始めたのだった。
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