後編
町が拡大するよりも、縮小のペースの方が早い気がした。しかし実際には、拡大も縮小も同じ速度で進んでいた。
夜を越えて増えていた家が、逆に減っているだけなのだが、いつ終わるとも知れない繁栄の時期とは違い、終わりの日が計算できる分、一日が短く感じるようになっていた。
夕方に近づくにつれ、お別れの時刻が迫る。夜になればいなくなってしまう人々を、何人も笑顔で見送る。
あれほど遠かったマーサとの家も、日々近付いてきていた。小腹が空いたときにふらりと行ける距離から、寝坊しても朝ごはんにありつける距離、ちょっとした物を借りることができる距離、スープが冷めない距離。
お隣だったロジーの家が消え、世界にマーサとリズの家だけが残される。
あと二日でこの世界も終わりだと思いながら目覚めたとき、トントトトンと扉を叩く音がした。
リズは慌ててベッドから飛び起きると、リビングを走り抜けて扉を開けた。
吹き込む風に、甘いパンの香りが混ざる。リズは思い切り吸い込むと、ゆっくり吐き出した。
「おはようリズちゃん。パンを届けに来たわ」
「おはようございますマーサさん。良かった、買いに行こうと思ってたんです」
いつかと同じシチュエーションだったが、交わす言葉は違う。
マーサは勝手知ったると言った様子でリズの家に入ると、両手に抱えた大きなカゴをテーブルに置いた。籐のカゴには、溢れんばかりに焼き立てのパンが詰まっている。
「美味しそう!」
「今日で最後だからね。もし次の世界なんてものがあったとしても、明日一日はリズちゃん一人なわけだし。たくさんあってもリズちゃんなら食べきれるだろうと思ったら、こんなにいっぱい作っちゃったわ」
豪快な笑い声をあげるマーサに、リズはクスクスと笑いながら温かい紅茶をいれた。ウサギの模様があしらわれたカップをマーサに差し出す。
「あたしは今日で消えるわけなんだけど、リズちゃん……あんたさえ良ければ、今夜は家に来ないかい? 一人で残るなんて、やっぱり心配でね」
「ありがとう。でも、最初を見たんだから最後も見たいの」
マーサの視線が戸惑ったように揺れる。何かを言いかけて開いた口が、躊躇うように閉じられる。慎重に言葉を選んでいる様子に、リズは黙って待つことにした。
「町が拡大していたあの時、朝になれば人が増えているのが当たり前だと、誰もが思っていただろう? あの砂だって、永遠に上空から降ってくるもんだと思ってた。でも、実際はどうだい」
マーサが紅茶で唇を湿らせる。彼女の言葉に聞き入っていたリズも、一口紅茶を飲んだ。
「今では、朝になれば人が消えているのが当たり前だと思っている。でもね、リズちゃん。あたしは当たり前なことなんてこの世にはないと思うんだよ。もしも今夜、神様の気まぐれで家の消失が止まったら?」
この世界に、リズとマーサだけが残されることになる。
「あたしはね、それでも良いと思ってるんだ。いつ終わるのか知れない世界だけど、二人で仲良くやっていこうってね。……でも、神様の気まぐれが明日の夜なら?」
この世界に一人、リズだけが残されることになる。
リズは立ち上がると、扉を開けた。町が大きくなっていた時に聞こえていた喧騒はない。茶色い地面もいつの間にか白くなり、澄んでいた青い空は、青を二滴たらしただけの乳白色に戻っている。
拡大に伴い増えていた色が、縮小とともに白へと戻っていく。最後には、真っ白なだけの世界になるのかもしれない。
「それでも私は、世界の終わりを見届ける必要があると思うの」
揺らぎのない真っ直ぐな瞳に、マーサは小さなため息を吐くと、リズを強く抱きしめた。
白い天井に、まだぬくもりの残る布団。ひんやりとした床に素足をつければ、体温が奪われていく。
最初の日に軋んだ蝶番には、すでに油が差してある。スムーズに開いた扉に、甘いパンの香りがするリビングへと歩を進める。
籐のカゴからマーサのパンを掴み、頬張る。
もしもリズの考えが正しく、次の世界では初日に消えてしまう定めなのだとすれば、このパンは次の次の真っ白な世界でリズが最初に食べるものになるのかもしれない。
リズは伸ばしかけていた手を止めると、外の様子を見に行こうと席を立った。
隣にあったはずのマーサの家はなく、わずかに残った砂がリズの家の周りに薄く広がっている。空は初日と同じ、青を一滴たらしただけの乳白色で、じっと見ていると気が滅入りそうになるほど何もない。
リズは気が済むまでこの世界を目に焼き付けると、自宅に戻った。
ルースから渡された本を暗くなるまで読み続け、時間が来たらベッドに入り横になる。
明日目が覚めたとき、リズはこの世界に一人ぼっちで残されているかもしれない。
もしかしたら、みんながいる世界には行けず、全く別の世界に飛ばされているかもしれない。次の世界なんてただの幻想で、消えるだけかもしれない。
それどころか、明日が来ない可能性すらある。眠っている間、リズの周りではどうなっているのかなんてわからない。世界が広がっていても縮小していても分からなかったのだから、なくなっていたって気が付かないだろう。
目が覚めてみないと、どうなっているのかはわからない。
もしも目覚めることができず、明日が来なかったとしても、永遠を観測することができない以上、いつか目覚めて明日が来るのかもしれない。
永遠と言うのは、終わりがないから永遠なのではない。終わりが分からないから永遠と言っているだけなのだ。
きっといつか、どんな形であれ始まりは来るはずだ。
リズは自分に言い聞かせると、目を閉じた。ゆっくりと意識を手放し、深い眠りの中に落ちて行く。
リズの家が消え、最後に残っていた一粒の砂が地中へと吸い込まれる。
その先は、新しい世界に繋がっていた。砂と共に上空から滑り落ちてきたリズの家が、中心部に降り立つ。
ドスンと音を立てて地を揺らしたが、起きた者は誰もいなかった。
空から降っていた砂が止まり、最後の一粒が世界に落ちる。そしてそのまま、砂は動きを止めた。
時間の流れが止まったかのように、世界が凍り付く。
先ほどまで聞こえていたリズの規則正しい寝息も、ピタリと止まってしまった。
停止した世界の外側で、陽が昇る。しかし、起きて来る者は誰もいなかった。
そうして人類は永遠の眠りについた。
砂の国 佐倉有栖 @Iris_diana
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