女子大生とマダムがキャンプするだけのお話

大宮 葉月

大学生とマダムがキャンプする話

「なつみちゃん。そっちのペグ打ち込んでくれる?」

 ライトバンからキャンプ用道具一式を降ろし終えた私は「はーい」と元気よく返事を返す。

 キャスケットを被りワインレッドのダウンジャケットを羽織った真理さんは額に薄らと汗をかいていた。

 富士山の麓にあるこのキャンプ場の現在の気温は10度を下回っている。テントの設営がどれだけ大変かを光る滴が物語っているようだ。

 受付で案内されたサイトは本栖湖を望む湖畔のエリア。

 ペグをハンマーで打ち込みながら、湖畔の向こうをちらりと覗き見る。

 湖面に漂うは青い水面に映し出される逆さ富士。

 空は快晴、風は少し肌寒く秋の香りがした。

 ハンマーを手に取る。

 湖からの強風でテントとタープが飛んでいかないように、堅い土の上にしっかりとペグを打ち付ける。

 骨組みが通ったテントが萎んだ風船が膨らむように形を成した。

「よしよし。今日は風が強いから今の内に風避けも設営しちゃおうか。なつみちゃん、もう一仕事出来る? それとも先にお昼にしちゃう?」

「いえ、まだそんなにお腹空いてないので大丈夫です」

 真理さんの気遣いが身に沁みる。本当は朝が遅くて何も口にしてないからぺこぺこなんだけど、先に設営を終わらせたほうが後でゆっくり出来る。

「そう? 途中のサービスエリアで買ってきた「ほうとう」とか食べたくない?」

「真理さん。ここにきて最初にやることは、違います。カレー麺を湖を眺めながら食べる——。これが聖地巡礼の正しい作法です」

「聖……地? なんのこと?」

「途中のサービスエリアのお土産コーナーに沢山可愛い女の子達のグッズ並んでたじゃないですか。あの子達がキャンプするゆるーいアニメがありまして」

 最近のエンタメは疎くてと零す真理さんに私はかいつまんで説明する。

 キャンプを始めた理由も元はと言えばミーハーのようにブームに乗ったからなので、自然と饒舌になる。

 対して真理さんの反応はなんとも微妙なものだ。

 あからさまに興味が無いのか時折相槌をするくらいで、話し終える頃には携帯バッテリーで稼働している電気ケトルのお湯が沸いていた。

「ふーん。高校生の女の子達がキャンプを通して様々な経験をするお話なのね。最近、そういう子達をよく見かけるなーと思ったのはそういこうことだったか」

「キャンプが趣味なのに、知らない真理さんが少数派なだけですよ」

「流行りとかそういうものとは無縁な人生を送ってきたからね。そんなことよりお湯が沸いたわよ。カレー麺食べるんでしょ」

「……食べます」

 ウインドスクリーン風避けの設置が完了し流石に空腹は限界だった。ありがたくお湯をカップ麺に注いでもらい、ヘリノックスの折りたたみ椅子を設置した湖の側に移動する。

 すっかり冷え切った体にカレー麺の暖かさが身に染みる。

 コンビニで買ってきた梅おにぎりもぱくつきながら、ほうと息を吐く。

 白い息はあっという間に空気に溶けて消えてゆく。

 ただそれだけのことなのに、なぜだか妙に風情を感じる。

 やはり、都会から離れたキャンプ場に来るというのは、それだけで非日常なのだろう。普段はせわしない時間の流れも緩やかに穏やかにたゆたっているようだ。

「なつみちゃん。食後の腹ごなしに管理棟で薪買ってきてもらえる?」

 テントの中の設営を終えた真理さんが、湯気の立つカップを持ちながらおつかいを頼んできた。

 カレー麺を食べた直後のぽかぽか感も薄れてきたところだ。

 私は快く返事をし、すっと椅子から立ち上がる。まつぼっくりがころころ転がる管理棟に繋がる小道を歩きだした。

 

 管理棟の売店で薪を二束ほど購入しついでに某アニメのグッズも買った帰り道。

 さくさくと鳴る落ち葉を踏みしめながら目に付くのはやはり、地面に転がるまつぼっくりだろう。

 松の樹液は油分が多く、それは実のまつぼっくりも同様だ。

 火を付けるとそれは勢いよく燃え上がるので取り扱い注意ではあるのだが、火起こしするには持ってこいの天然の燃焼材でもある。

 私は薪を入れてもらった紙袋に幾つかまつぼっくりを拾って入れると、真理さんが待つサイトへ急いだ。

 お昼も過ぎて陽も心なしか傾き始めている。

 来る途中にスマホで確認した天気予報では、特に天気が崩れることはないようだ。

 十一月も半ばを過ぎた今時期は秋と冬の境。

 木々の紅葉は見頃を迎えて、赤い落ち葉と黄色いイチョウが秋のコントラストを彩っていた。

 祝日だけあって、ちらほらと家族連れを見かける。

 小学生くらいの子達が焚き火にあたって暖を取ったり、串に刺したマシュマロを炙って頬張っていたり、ワンコと一緒に駆け回っていたり眺めているだけで楽しそう。

 私には幸せな家族の記憶が無い。

 父も母も実家の家業で手一杯だったし、幼い弟の面倒を私が見なければいけなかったから家族旅行なんて一回も行ったことがない。

 東京の大学に進学することも渋られたくらいだ。

 大学とアルバイトを交互にこなす代わり映えのしない毎日に、キャンプという非日常を知ったのは偶然から。

 仲の良い友人に誘われてアウトドアサークルに参加し、始めてキャンプに行くことになった半年前。

 そこで運命の出会いがあった。


 ようやく湖畔のサイトに戻ってくると何やら騒がしい。

 何か嫌な予感がして急いでテントに駆け寄れば、真理さんに詰め寄る見知らぬ男がいた。

「女性の一人キャンプなんて色々と大変でしょう。お手伝いしますよ」

「いえ、一人じゃないですし、そもそもこれが初めてのキャンプではないので……」

 物陰に隠れて様子を伺えば、真理さんもなんとか断ろうとしているようだが、キャンパーらしい男も中々にしつこい。

 そういえば一時期キャンプブームに便乗して女性のソロキャンパーを狙う親切を装った迷惑行為が取り沙汰されていた。

 まだいるのかこういう迷惑キャンパー……と呆れつつ頃合いを見計らい飛び出した。

「あの、お手伝いなら不要です。二人で来てるので」

「え……? いや、でも」

「これ以上しつこくつきまとうなら警察と管理人さんに通報します。なのでどうぞお引き取りを」

 尚も渋る男にとどめとばかりにスマホを取り出す。

 ピポパと11までダイヤルをかけたところで「わー!? それだけは!?」と男がみっともない大声をあげながら駆け足で立ち去った。

 通報されたくなかったら最初からやるなよ……と、ため息を吐きつつ振り返れば、きょとんとしている真理さんと目が合った。

「追っ払いましたよ。……大丈夫ですか」

「あ、うん。噂には聞いてたけど、本当にいるのねああいう人」

「ああいうのって……。今まで遭遇したことなかったんですか?」

「私がよく行くキャンプ場は穴場だから、マナーの悪いキャンパーは見たこと無いし」

 経験豊富なように思えて意外と抜けてるところがある真理さんは、時々やや危なかっしい一面がある。年齢は十歳以上私より上なのに、なんだか抜けてるというか同年代のように思えるというか。

「でも助かっちゃった。怖かったし、心細かったから」

 ぎゅっと腕にしがみついてくる真理さんは心の底から安堵したようだ。

 無理もない。本人は親切のつもりだろうが、見知らぬ男に言い寄られて嬉しく思う女性はいないだろう。

「私にもなつみちゃんみたいなしっかりした娘がいればね」

「……真理さん」

「ごめんね、変なこと言って。さ、気を取り直して焚き火始めよっか。サツマイモ買ってきたから焼き芋でも作りましょ」

 

 秋の日はつるべ落とし。星のカーテンが夜空を覆う時間になった。

 夕方頃から始めた夕飯の準備は整っている。

 途中のサービスエリアで買ったほうとう鍋に、前日に寄った浜松で購入したウナギを乗せたシェラカップのうな丼。

 デザートはふかしたサツマイモの残りを使ったスイートポテト。

 キャンプのメニューにしては豪勢な山の幸と川の幸に舌鼓を打ちつつ、キンキンに冷えたビールを飲む。

 とある有名キャンパーさんの動画で知ったキャンプで飲むビールがとても美味しそうで、試してみたところ見事にはまったのだ。

 あっという間に一缶飲み干してはしたなくげっぷが出た。

「相変わらずいい飲みっぷりねぇ」

「そういう真理さんこそ、お洒落に揺らしてるグラスワイン何杯目です?」

「これでさんばいめ〜。なつみちゃんも飲む?」

「あーワインは悪酔いしちゃうからパスで。それよりほうとう美味しいですねー」

「でしょー。実家の味付けなんだけど、私もこれが一番好き」

 木枯らし吹く十一月の夜は冬ほどではないけど肌寒い。

 焚き火で暖を取っているとはいえ、冷えた体にあたたかいお汁が身に沁みる。

 箸でつつけばほろほろと崩れるカボチャに、よく出汁を吸った椎茸は噛めばじゅわっと口の中に煮汁が溢れ出す。

 なんとも幸せな秋の味にほうと息を吐いた。

「わーうな丼も美味しいわねー」

「親戚が浜松でウナギの養殖をやってまして、一番脂がのってるのをいただきました」

「そうなの? 特にタレが美味しいわ」

 小さなうな丼を美味しそうにぱくつく真理さんは幸せそうな顔をしている。あっという間に食べ終えて「おかわり!」と勢いよく私にシェラカップを手渡した。

「普通におかわりも出来ますけど、出汁茶漬けにも出来ますよ」

「あ、いいわね、お茶漬け。じゃそれで」

 和やかに過ぎてゆく晩秋の夜。

 湖岸に打ち寄せる波の音が緩やかな調べとなって、自然のリサイタルのようにも聞こえた。


「はー食べた食べた。じゃ洗い物して、そろそろ寝る準備としましょうか」

 楽しい夕食の時間はあっという間に終わり。

 食器や調理器具を手早く片付け、暖や調理に大活躍だった火を消化剤で消す。

 少し広めのテントの中は、ほどよく暖められていて、寝袋にくるまればよく眠れそうだ。

「はい。これ、化粧水と乳液。焚き火で肌が乾燥してるだろうからしっかり塗り込んでおきましょ」

 まるで本当の母さんのように、真理さんは気遣ってくれる。

 この関係を本当に続けていいのかは決めかねているけど、上京して頼れる大人が身近にいなかった私にとっては——いや、よそう。

 こんなこと考えるだけでも恥ずかしいし。

「どうしたのなつみちゃん? うかない顔してるけど」

「いえ……なんでもないです。明日は朝早く撤収予定ですし、さっさと寝ましょう」

 LEDライトを常夜灯に切り替えて寝袋に潜り込む。

 思いのほか疲れていたようだ。

 目を閉じれば心地よい疲労感とともに程なく睡魔が思考を遮断した。


 目が醒める。

 朝も早いのか、テントの外はひっそりとしていて、まだまだ薄暗い。

 スマホに手を伸ばそうとして、何かにがっしりと掴まれていることに気づいた。

「……真理さん?」

「すー……すー」

 まるで抱き枕のように真理さんが私を寝袋ごとホールドしている。

 そういえば目覚める瞬間まで、私は大きな犬になっていた夢を見ていた。

 夢の中の飼い主は何故か真理さんで、なぜだかやけに抱きつかれていた気もする。

「そんな夢を見るわけだ……」

 真理さんは、まだ起きそうにない。

 でもとても幸せそうな顔をしていて、起こすのも忍びない。

 時間を確認すればチェックアウトまでにはまだまだ余裕がある。

 アラームだけセットし直して、二度寝としよう……。

 こんなキャンプもたまには悪くない。


 終


 


 

 

 

 

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

女子大生とマダムがキャンプするだけのお話 大宮 葉月 @hatiue

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ