サンディの孫とブルーマウンテン

西野ゆう

第1話

 アイスカフェオレのようだ。

 土色に汚れた根雪が残るだけとなった路地を歩きながら、少女はそう思っていた。

 俯きながら歩く彼女の目に、狭い路地にはみ出さぬよう、控えめに道路わきに置かれた小さな黒板が目に入った。

 ――ブルーマウンテン 入荷いたしました

 彼女の心臓に、チクリと棘が刺さる痛みが走った。黒板にピンクのチョークで書かれた「ブルーマウンテン」の文字を見れば見るほど、その棘は深く刺さってゆく。

「いらっしゃいませ」

 彼女は吸い寄せられるように店内に入ると、テーブル席で賑やかに話すサラリーマンのグループに背を向け、カウンターに腰かけた。

 近くの高校の制服を着た少女に、店主は笑顔を浮かべたままで僅かに首を傾げた。女子高校生がひとりで来るような喫茶店ではない。メニューはコーヒーが数種類と、紅茶がほんの少し。オレンジジュースやソーダ水もあるが、食事になるようなものはなく、コーヒー豆の仕入れ先が扱っているケーキを、ひと種類置いてあるだけの店だ。

「ブルーマウンテン、下さい」

 メニューを見ることなくそう言った彼女に、店主は「はい、ブルーマウンテンですね」と繰り返した後、少し心配そうな顔をして言葉を続けた。

「二千五百円だけど、大丈夫?」

 値段のことを全く気にしていなかったのか、その金額を聞いた彼女は、大きな目をさらにひと回り大きくして驚いていたが、それでもすぐに深く頷いた。

「大丈夫です」

 何か話のネタにでもするのだろうか。店主はそう思い、いつも通り、いや、いつも以上の丁寧さで、ネルの中で泡を立てるコーヒーから出る雫を温めたカップに落としていった。

「はい、お待たせしました」

 店主が彼女の前に、無地の青磁に注がれたコーヒーを差し出し、少し温めたミルクも添えた。

 少女は、カップから立ち上る湯気を深く吸い込み、円を描くようにミルクを注いだ。そして、スプーンでかき混ぜることなく、カップの中で渦を描く二種類の液体を眺めている。

 一分が過ぎても、口をつけようとしない彼女に「冷めてしまいますよ」と、店主が声を掛けようとしたが、彼女の目から流れた涙に口をつぐんだ。そんな彼女が、白い渦を飲み込むブルーマウンテンに向かって言葉を溢した。

「私の祖母は、日本人の祖父とふたりでこの豆を育て始めたそうです。ふたりとも、もう随分前に亡くなりましたけど。父と母も手伝って、私もほんの少しだけ農園で遊んだ記憶があります」

 店主はその言葉に静かに頷くことしかできなかった。少女の顔は、確かに純粋な日本人に比べると、目は大きく、肌の色素も濃い。

「祖母は、サンディという名前で」

 二〇一二年にブルーマウンテンの産地に大きな被害をもたらしたハリケーンサンディ。コーヒーを扱う人間にとっては悪夢のような名前。その名と同じ名を持つという祖母。店主は、それを聞いただけで、彼女の涙のワケを、今日本に住んでいるワケを、ぼんやりとだが理解した。

「きっとご家族が育てたブルーマウンテンは、そのブルーマウンテンより、もっと美味しかったでしょうね」

 彼女はようやくカップを持ち上げ、口に運んだ。

「私、ブルーマウンテンを飲むの、初めてなんです」

 ひと口飲んで溢れた彼女の笑顔は、きっとサンディにも届いたに違いない。そう信じる店主だった。

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サンディの孫とブルーマウンテン 西野ゆう @ukizm

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