ひとりぼっちの君へ

 男の手には子供たちのリクエストをまとめたコピー用紙の束があった。事務担当の若者に頼み、作成してもらったのだ。

 渡ししな、その若者は、

「何でアナログなんすか。スマホからクラウドにアクセスすりゃいいのに」

 と不思議そうに文句を言ってきたが、デジタルはいまいち信用ならん、と思っている男には自身一流の古くさい仕事術を改めるつもりはなかった。そもそも、クラウドなるものが何なのか判然しない。

「悪いな」とだけ男は返した。

「今度何かおごってくださいよ」若者はそう言い残し、去っていった。

 新発売のゲーム機、マウンテンバイク、キッズ用メイクセット、最新AI搭載のぬいぐるみ──。

 リストに目を通していくと、それを見つけ、男は眉がゆがむのを自覚した。男の目には、

〈おとうさんとおかあさん〉

 という拙い十一文字が映っていた。

 それを願っていたのは、ほとんど雪の降らない地方都市に住む少年だった。彼は家族旅行中の事故で両親を亡くし、現在は児童養護施設で暮らしている。だが、本人にとっては好ましい環境ではないらしかった。

 昔の幸せだったころに戻りたい、というのが、その趣旨なのだろう。それは理解できたが、男の眉間は更に隆起していた。

 死者を蘇生そせいさせるなど禁忌も禁忌、そんなことをしたら死神の旦那にどやされちまう。

 夜の闇そのものの真っ黒な目に鎌のように鋭い角が立つ未来が容易に想像できた。

 ややあって男は、「仕方ねぇな」とつぶやき、オフィスを出た。仕事の時間だ。



▼▽▼



 少年はひとりぼっちだった。

 新しい学校にも馴染なじめず、施設に帰っても周りの子たちと仲良く遊ぶでもない。ただ、それは周りが悪いわけじゃない。

 自分が勝手にみんなを避けているだけ。

 どうしてそうしてしまうのかは、何となくだがわかっていた。現実を認めたくないのだ。

 新しい家、新しい学校、そういう新しい環境を受け入れるというのは、過去をただの思い出にしてしまうようで、怖かった。とても恐ろしかった。思い出になる前ならば、今と繋がっていると、まだ取り戻せるかもしれないと自分をだましていられる。

 しかし、このままでいいとも思えない。十二月に入って一段と寂しさが増してきたような気もする。

 ──でも。

 泣きはしない。けれど、泣きたい。そんな思いが胸を圧迫していた。

 少年は重々しい足取りで夕暮れの気配が漂いはじめた川沿いの土手道を歩いていた。知っているのに知らない人しかいない小学校からの帰りだった。

 その時、下のほう──河川敷の所で動く赤が視界の端に触れた。

 何だろう、と視線をやると、赤いランドセルを背負った少女が一人、何やらしていた。

 そうしなければならない理由があったわけではないが、気がつけば少年は土手道から続く階段を下りて少女の所へ向かっていた。

「何してるの」

 河川敷の土を踏んだ少年は、少女に尋ねた。自分でもぶっきらぼうな口調だとは思う。

「クリスマスプレゼント」と少女は言った。「カラスが持っていっちゃって」

 詳しく聞くと、去年友達から貰った髪留めをカラスがかすめ取っていったのだという。留め直そうと外した一瞬の隙を突かれたらしい。

「でも、カラスなんて近くにはいなかったはずなのに」と少女は首をひねっていた。「突然、現れたみたいだった」

 そして、そのカラスはこの河川敷に髪留めを落とし、いずこへと消えていった。

 少女はその髪留めを捜していたというわけだった。

「手伝うよ」少年は言った。「どうせ暇だし」

「いいの?」

 ありがとう、と少女の顔に可憐かれんな花が咲く。

 少年は地面へと視線を逃がした。

 髪留めは呆気あっけなく見つかった。まるで少年のことを待ち焦がれていたかのようにすぐに姿を現したのだ。

「何かさ、変な感じ」と言う少女の頬は茜空あかねぞらに照っていた。「君といると──」そこで少女は唇を揺蕩たゆたわせ、口をつぐんだ。

 しかし、少年にはその言葉の先はわかっていた。同じ気持ちを共有しているという確信めいた直感のささやきがうちから聞こえていたから。

 ふと、指に熱を感じた。しかし、確かめても異状は見当たらない。

 どうしたの?

 尋ねる少女に、何でもない、と首を振った。



▼▼▼



「で、結局どうしたんすか?」

 事務の若者が尋ねた。

 男と若者は一階にある社員食堂に来ていた。先日の礼に昼食を奢っているところだった。

 まったく会話がないのも場都合が悪い。しかし、若者が好みそうな話題などあろうはずもない。困った男は、〈おとうさんとおかあさん〉を欲した少年の話をした。

 とはいえ、これも仕事の話だ。さして興味はないだろう、と思っていたのだが、案に相違し、若者は食いついてきた。

 最近の若いやつらの考えることはわからんな。

 日本支部限定の味噌みそラーメンをすすっていた男は、ほとんど噛まずにそれを飲み込むと口を開いた。

「家族をプレゼントした」

「……はぁ?」不可解そうな若者の口元にはご飯粒がついている。「意味わかんねーっすよ」

「運命の赤い糸で結ばれた人、要は将来の伴侶と早めに巡り会わせたんだよ」

「……」若者は唖然あぜんたる面持ちで目をしばたたいた。口元のご飯粒が落ちる。すると正体を取り戻したのか、「それってありなんすか?」と言った。

「さぁ?」男は小さく肩をすくめた。「知らん」

「そんなんだから窓際なんすよ」若者はあきれたように言い、更には、「あとデジタル音痴も何とかしてくださいよ」とも。

「そのうちな」

 男はおざなりに答えた。

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窓際のサンタクロース 虫野律(むしのりつ) @picosukemaru

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