第3話

 それから、僕は気まずくなり彼女を誘うことが無くなった。もしかすると篠崎も気まずかったのかもしれない。あちらから誘ってくれることも無くなったし、連絡の取り合いさえ遅くなった。

 

 ヤキモキしていると仕事の能率も落ちる。ある日、営業部の真壁に声を掛けられた。真壁は部署は異なるが篠崎と同じく入社時期を共にする同期だった。


 「おい佐藤、最近調子悪いのか?」

 

 目の前にドサッと資料を置かれる。

「お前の作った資料だ。営業先に持っていこうと思ったけど、これ、使い物にならないぞ。」

 

 色黒で背が高く、ガッチリとした体型の真壁に僕は萎縮した。世の営業マンとは皆こんな風なのだろうか。ちなみに彼は大学時代はアメフトをやっていたらしい。僕は大学時代、アメフト部は声と身体が大きいだけで態度までデカくなってしまうゴリラだと思っていた。つまり人間ではない。しかし実際にこのように面と向かうと目を合わせられない。綺麗に刈り上げられ、グリースで固められた黒い髪の毛の影を見ながら僕は小さく返事をした。


「ごめん、すぐに作り直す。」

「いや、謝って欲しいんじゃなくて調子が悪いのか聞いてるんだけど。」

「まあ、ちょっとね。」


 はぁー、っとわざとらしく真壁はため息を付いた。


「佐藤、同期だから言っておくけど、仕事に影響が出るくらいなら休め。休まないんだったらちゃんと仕事しろ。」


「わかってる。」


「わかってないだろ、お前、丁寧なことが取り柄なんだからちゃんとやれや。」


 篠崎とも上手く行かない。仕事も上手く行かない。そして別部署の、かつ同期の真壁に詰められて僕の苛立ちは頂点に達した。


「わかってるっていってるだろ。すぐ作り直すから待てよ。」


 真壁はまだ何か言いたそうだったが、舌打ちをし、分かったとだけ言って自分の席に戻っていった。忌々しいことにフリーアドレス制の席で、真壁は今日、目の前に座っていた。資料を手に取ると、ご丁寧に修正箇所がびっしりと赤で記されていた。前からパソコン越しに圧迫感を感じる。僕も滅多にしない舌打ちを軽くして修正に取り掛かった。


 しばらくパソコンと向き合っていると頭の中は篠崎のことでいっぱいになった。これまで飲みに出かけた記憶、特にあの下北沢での出来事、何故最近連絡を送ってこないのか。気まずいとしたら何故、篠崎に気まずいという意識が有るのか無いのか。僕には全く思いつかない。


 そこである仮説が浮かんだ。もしかすると、篠崎も僕のことが好きで駆け引きしているのかもしれない。そうであれば、有り難いことにこんなにわかりやすい駆け引きはない。乗ってやるか、乗らないべきか。乗らないなんて選択肢はなかった。では、どのように乗ってやるか……。悶々と考えていると鎌田課長に背中をつつかれた。


「佐藤、大丈夫か。」


「なんでですか。」


「さっきの真壁に言われていたやつもそうだし、最近ちょっと変だぞ。」


「大丈夫です。」


 鎌田課長は腕を組んでうーんと唸った。


「今日な、真壁と飲みに行くんだけどお前も来い。」


 僕はぎょっとして自嘲のような軽口を叩いてしまった。「仲直り、みたいな感じっすか。」


 鎌田課長は笑った。

「佐藤の最近の様子も聞きたいし、営業とも繋がっておかないといけない。一石二鳥なチームビルディングだな。」


 わかりました。僕はまた小さな声で返事をすると、黙々と資料の修正に取り掛かった。


 真壁が選んだという神楽坂の店は隠れ家のような個室居酒屋だった。腹立たしいことに、このゴリラの店選びのセンスはとても良い。僕は普段絶対使わないような洒落ている店の様相にドキドキしながら入店した。よりによって鎌田課長の仕事が長引き真壁と二人きりだ。出てきた3人分のお通しを二人で眺めながら無言の時間が続く。ピロンと僕の携帯が鳴った。


「先に飲んでいて良いって課長から来たけど。」

「じゃあ、頼もうか。俺は生で。」

「じゃあ僕も生で。」


 チーンと真壁がベルを弾いた。店員がオーダーを取りに来ると真壁が愛想よく注文した。僕は営業という職種は仕事が終わっても出てしまうのだなと思った。


「正直に言うと俺はお前のことが好きじゃない。だからこそ今日は本音を語り合おう。」


 ビールが運ばれてきて軽く乾杯をすると真壁は言った。本音、語り合う、苦手な言葉が2つもいきなり出てきたことで僕の頭はクラクラした。しかも好きじゃないと言われて本音で語りあうやつがどこにいるんだ、そう僕は思ったが黙ってうなずいておいた。真壁と話す機会はほとんど無い。全く話したくもないのだがゴリラの生態には少しだけ興味があった。


 そんな風にしばらくは若干の悪態をついていたが、なるほど、このゴリラの話は面白かった。僕の態度に気を悪くしつつも、真壁は自分の生い立ちを自慢げではあったが一つずつ話してくれた。高校は県内随一の進学校だったこと、当時の挫折、大学の部活、そこでもまた挫折、就職活動も失敗してうちの会社に入ってきたこと。齢25にして成功者の風貌をまとっている彼にも挫折の経験があることに親近感を覚える。

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都会の蛍 八鶴 斎智 @YazuruSaichi

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