第三十七話 人生で最高の贈り物
五月。
───真夜中。
筋骨逞しい、三十歳になった
部屋のなかからは、
「うぅぅぅ。」
「
「
と大勢の
真比登は、月明かりに照らされながら、義理の父、
「大丈夫でしょうか。もう、一日、ずっと続いてます。あんなに苦しんで。ああ、佐久良売さま……。」
と
佐土麻呂も、ソワソワとしながら、
「ええい、落ち着け。こういう時、
と、取り乱す義理の息子にビシッと言う。
出産は、命がけである。
子どもが無事に産めるか。
母親も、
賭けである。
(佐久良売さま、佐久良売さま。どうかご無事に。
お腹の
でもそれ以上に、佐久良売さまに死んでほしくない。
あなたを失えない。
こんなに長く苦しんで!
可哀想に……。
頑張って。頑張ってください、佐久良売さま!)
* * *
佐久良売、二十五歳。
「うううぅぅ。」
(痛い痛い痛いっ! あ〜、痛い痛い痛い!)
身体が引き裂かれそうだ。
いや、実際、引き裂かれているのだろう。
そして、その痛みが、
安めない。
そのなかで、波がある。
大きく痛みがやってきて、また、ひく。
ひくと言っても、基本、ずっと痛い。
(眠い! 疲れた!
あ〜、早く出てこい、出てこい……。
出て来たくないっていうのか!
あたくしが辛いでしょうが!
は・や・く、出てこい〜〜〜!)
「うううぅっ!」
佐久良売は、舌を噛まないように、木の板を噛み、天井から吊り下げた紐を握り、気張る。
汗まみれ。
(痛ぁ〜〜〜い!)
普通なら、睡眠をとったり、食事をとったりする時間を、ゆうに越えている。痛みが酷すぎて、食べようにも、食べることすら、できない。
とっくに体力の限界を迎えている。
(あ……。)
ふっ、と意識が遠くなった。
出産時には、ひどい痛みの合間に、不思議なことだが、一瞬、痛みがひき、眠りが訪れることがある。
それは、死の眠り。
眠りこんでは、起きることが叶わぬ眠りである。
「佐久良売さま! しっかり!
寝てはいけません。」
(うるさいわね……。疲れたのよ。こんなに気持ち良いんだもの。寝て何が悪いのよ。)
それは、お腹いっぱいの午後の昼寝より、なおも、抗えない、魅力たっぷりの安らかな境地だった。
佐久良売は睡魔に負け、睡眠という、ふわっと雲のように柔らかな
* * *
あたりは白い
薄日がさし、
空中にぷかりと浮かんだ、十五歳くらいの
蝦夷の若者だ。
佐久良売を見て、きょとん、とした顔をしたあと、苦笑した。
「ああ、エキタタ(難産)だからって、こんなところに来ちゃダメだよ。」
「あなたは誰?」
蝦夷なら、敵……?
でも、空中に浮かぶ
「あなたの
恩を返したくてね、ずっと見てた。
あなたは、ピッカ メノコ(美女)だから、とくに顔を火傷しないようにね。
さあ、お戻り。
僕は、もういくよ。
これからは、この子が、あなたと
───にゃあん。
白い光が凝縮し、ふっ、と、猫の形になった。
「
佐久良売は喜び、両腕を広げると、里夜が飛び込んできた。
「さあ、
大丈夫、もうすぐ無事に産まれるよ。」
とん、と、見えない何かに肩を押された。
雲の上から、佐久良売は、落とされた。
ぐぅん、と落ちる。
* * *
「佐久良売さま!」
「ハッ……。」
「気が付かれました!」
「良かった、佐久良売さま!」
(今の夢は何だったんだろう。やけに生々しい……。)
「気張って!」
(う〜〜! 負けるものか! 無事に産んでやる───!
真比登の子なんだから!)
「うううううっ!」
* * *
「ほぎゃ……、おぎゃあーん。おぎゃあーん……。」
真夜中、元気な緑兒の声が響いた。
「お産まれになりました!
がたん! ばたばたばた!
目の下にクマを作った
ややあって、部屋のなかに通される。
「ほぎゃーん! ほぎゃーん!」
「さあ、そっと抱いてくださいまし。」
「はい。」
真比登は、おっかなびっくり、緑兒を抱く。
「ほぎゃあーん! ほぎゃあーん!」
「うっ……。」
(オレの娘……、オレの娘なのか!)
顔に、
「佐久良売さま……。」
「ほぎゃあーん! ほぎゃあぁん。」
佐久良売さまは、げっそりやつれている。
「あたくしと、あなたの子よ。真比登。」
「はい、はい……! ありがとうございます。ありがとうございます。人生で最高の贈り物です。」
「ふふ……、名前は、あたくしが決めて良いかしら?」
「もちろんです。」
「
「
「ほぎゃ……。」
「お姉さま。なんて元気な
「ありがとう
「おっほん! 私も抱っこして、良いかな?」
それまで気を利かせて黙っていた佐土麻呂が、両手をさしだす。
真比登から、疲れて眠り始めた緑兒を受け取り、
「ほっほっほ……。」
実に嬉しそうに笑った。
真比登は、寝床から起き上がれない佐久良売のそばにいき、床に膝をつき、白い手を包み込むように握り、自分の右頬におしつけた。
「佐久良売さま……、ありがとうございます。」
「うふふ、あなたの子、あなたの家族よ、真比登。」
佐久良売さまはやつれながらも、誇らしく、愛に満ちた笑顔を真比登に向けてくれた。
「う……!」
そんな顔をされては、真比登は泣いてしまう。
愛する妻の手を、右頬に押し付けたまま。
透明な涙が、父親となった男の頬を、あとからあとから、伝い落ちた。
───
佐久良売さまが、産んでくれたんだ。
父親になった。
新しい、家族が、できたんだよ。
お兄ちゃん、妻と子の為に、頑張る……!
お兄ちゃん、幸せだ。
すごく、幸せだ!
* * *
※著者より。
佐久良売が死にかけた時に会ったのは、
「真比登の章」
第二十四話 御勝という男、其の三。
https://kakuyomu.jp/works/16817330667140952851/episodes/16817330668608318569
で、真比登に首飾りを託して死んだ、蝦夷の若者、カテイシです。
一番の望み、恋人のイムンペを救って蝦夷の他の郷に届ける、
「真比登の章」
第四十三話 心のひだに隠すのならば
https://kakuyomu.jp/works/16817330667140952851/episodes/16818023211690040700
それをしてくれた真比登に感謝し、かつ、そのせいで(虫麻呂のせいだけど)佐久良売が窮地に陥ったのを申し訳なく思い、ずっと二人に恩返しする機会をうかがっていました。
恋人だったイムンペは、今はスプシの郷で、幸せに暮らしているようです。
猫の
魂となりたてで、パワーが弱い(魂としての力の使い方がまだわからず、まごついた)けれど、佐久良売を守りたくて、魂となって佐久良売に
「おいで。」
と腕に抱きしめて、力をあわせて佐久良売を守りました。
佐久良売が見た人魂は、カテイシと里夜が一緒になって、ひとつの輝きとなったものです。
里夜は、この先も、佐久良売と
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