終話  力こぶは人気者

 丁巳ひのとみの年(777年)


 九月。 

 

 長尾ながおのむらじの屋敷。


 午後。


 十九歳の小鳥売ことりめが、大きいお腹を重たそうにしながら、


「こちらです。」


 と客人を案内する。 

 背が高く、にこにこ、ほがらかな笑顔を絶やさず、良く日焼けした三十代の男は、 


「ふわあ。お腹大きいのに、そんなに動いて大丈夫なんですか?」


 と、小鳥売のお腹を見て言う。


「ふっふん。おっきいうりが入ってるみたいですけど、動けます。」

「じゃあきっと、元気な緑兒みどりこが産まれますよ。」

「ありがとう! なにせ、佐久良売さまの二人目の緑兒みどりこの、あたしが乳母ちおも抜擢ばってきされたんですから、元気な緑兒みどりこを産んでみせますとも!」


 ふっくら丸顔の小鳥売は明るく笑う。


「佐久良売さま、お連れしました。」


 お腹の大きい佐久良売は、倚子に腰掛けている。

 二十歳の若大根売わかおおねめが、奥の部屋からでてきた。


「佐久良売さま、寝ましたわ。」


 二十六歳、ますます美貌の冴えわたる佐久良売は、若大根売わかおおねめうなずき、客人に、


「いらっしゃい。」


 と優雅に微笑む。


韓国からくにのわたる、薬売りです。ご用命の薬があれば、ぜひ!」

「そうねぇ。身体がむくみやすくて、困るわ。」

半夏ハンゲ白朮ビャクジュツ陳皮チンピをあわせた、韓宝丸からほうまるが良く効きますよぉ! ちょっと値ははりますが……。」


 ちなみに、韓宝丸からほうまるは、渡が勝手に名付けた名前である。

 良い名前のほうが、ありがたみが増して、良く売れるのである。


「ほほ、で求めましょう。若大根売わかおおねめ。」

「はい。」


 そばかすの女官、若大根売わかおおねめが、小袋から、じゃらり! と、かんざしや首飾り、錦の手布を机にだした。


「ワーホーイ! ありがとうございます! やっぱり、少領しょうりょうさまはちげぇや!」

「ほほほ、おかしなお方。

 家は韓国からくにのむらじ、お父上は平城京の民部省みんぶしょう主税寮しゅぜいりょう大允だいじょう、ご家族は、大学寮だいがくりょう助教じょきょう(助教授)を務めてらっしゃるのでしょう?」

「あっひゃ〜……、やりにくい。」

「さあ、本題を。

 源のご家族として、若大根売わかおおねめに話がある、と、門番に話したそうね?

 そこの娘が、若大根売わかおおねめです。」

陸奥国みちのくのくにの小田おだのこほり務司まつりごとのつかさ主政しゅせい倉木くらきの茂人しげひとの娘、若大根売わかおおねめです。お見知りおきを。」


 若大根売わかおおねめは礼をした。


正七位下しょうなないのげ民部省みんぶしょう主税寮しゅぜいりょう大允だいじょう韓国からくにのむらじ大国おおくにの息子、わたるです。

 みなもとの兄です。」


 渡も倚子を立ち上がり、礼を返した。

 へらり、と笑う商売人に見えて、なかなかどうして、堂々とした礼である。


「大変失礼ですが、みなもとが残したあかし、見せてもらってもよろしいですか?」

「はい。」


 若大根売わかおおねめは、おみなの親指ほどの、銅でできた仏像を、懐から出し、渡に見せた。


「たしかに。これは、我が家に御祖みおやから伝わるものに、間違いありません。

 源は、あなたに心を捧げたのでしょう。

 実は源から、くれぐれも、あなたのことを頼む、と言われてましてね。」


 若大根売わかおおねめが、はっ、と息を呑む。


「源から?」

「遣唐使船が出港したら、若大根売わかおおねめに、それを伝えに行って欲しい、と。

 あいつは末息子で、兄をこのようにこき使うんですよ。」


 やれやれ、と渡は首をふった。

 その望みに応え、陸奥国みちのくのくに小田郡おだのこおりまで来るのだから、この兄も相当、お人好しだ。

 源は、甘え上手で、いつもこうやって、まわりの人に助けてもらっているのだろう。


「遣唐使船は、博多港を出港したと、風の噂で聞きました。」

「ええ、六月に。源も、乗ってます。必ず、帰ってくる。迎えに行くから、と、源の伝言です。」

「………!」


 若大根売わかおおねめは、たまらず、顔を覆った。指の間から、涙がこぼれる。

 お腹の大きい小鳥売が、その背中をさする。

 佐久良売は、若大根売わかおおねめを心配そうに見たが、客人の手前、倚子に座ったまま、


「そう。伝言は受け取りました。

 こちらからの伝言はありません。

 海の向こうでは、木簡もっかんも届けられませんものね?

 では、お引き取りください。」


 と、淡々と告げた。


「そんなに邪険じゃけんにしないでくださいよ。、ぜひ、一目、見せてください。家族への土産話にしたい。」


 人の良さそうな微笑みで渡は言うが、若大根売わかおおねめは、びくり、と肩を震わせる。

 佐久良売はため息をついた。


「……ばれてるようね。

 若大根売わかおおねめは、長尾ながおのむらじに古くから仕える名家の娘なの。

 若大根売わかおおねめのもとで、娘は養育します。」

「わかりました。うちは、自由な気風の家なんです。とやかく言いません。」

若大根売わかおおねめ。」

「はい。ご案内します。子どもたちは寝ているので、静かに願います。」


 若大根売は、奥の部屋の戸の前に渡を案内し、戸を静かに開けた。


 その部屋には、筋骨隆々の、左の頬に疱瘡もがさのあるおのこが、手足を投げ出し、熊の毛皮の敷物の上に、


「ほが。」


 と寝ていた。

 その男の両脇には、一歳をすぎたおみな緑兒みどりこが二人、大木によじ登るりすのようにしがみついて、すやすやと眠っていた。


 渡は、にっこりと笑った。


「……どっちが?」

「左の、ちょっとだけ大きい緑兒みどりこが、櫨根売はじねめ。あたしと源の子です。」


 佐久良売が後ろに立ち、


「右が、あたくしの娘、真佐流売まさるめよ。」

「ほう、建怒たけび朱雀すざくの……。」

「そうよ。」

「充分です。ありがとうございます。」


 渡は、そっと、戸を閉めた。


「源から、聞きました。

 桃生柵もむのふのきには、建怒たけび朱雀すざくがいると。

 誰も敵わない、勇猛果敢な武将で、向かうところ敵無しだと。

 でも、美人妻には、めっぽう弱い。」

「まっ。」

「お子さんがいて、もうすぐ二人目も……。幸せですね。」

「ええ。そうよ。」


 佐久良売は大きなお腹をさすり、微笑む。


「わかりました。良い土産話ができました。ありがとうございます。」


 渡は、佐久良売から若大根売わかおおねめに、視線を移した。


「源が帰ってきたら、若大根売わかおおねめ、あなたに必ず、お知らせしますよ。……どんな形でも。」


 渡はそう言って、商売人らしいほがらかな笑顔を残し、帰っていった。





    *   *   *





 時は過ぎ……。



 空には茜雲あかねぐも


 三十歳をとうに過ぎたおのこの、甘い歌声が、のどかな里山さとやまに響く。


「ワーホイ、ワーホイ、鳥追とりおいだー、鳥追いだー。

 白稲しろちねねらはり、かもかもころはえ。

 かもかも、かもかも、上枝ほつえけなむ。

 ワーホイ、ワーホイ、鳥追いだー、鳥追いだー。


(ワーホイ、鳥追いだ、白い米を狙った鳥、好きなだけ叱りつけよ。

 好きなだけ、好きなだけ、上の枝に刺して引っ掛けるぞ。)」


 ぱんっ、ぱんっ、木の枝を持って、真比登は、長尾ながおのむらじの屋敷の庭に作った、小さな畑に群がる鳥を追い立てる。

 真比登のまわりには、ちいさなわらはが、わらわらいる。


 都々自売つつじめの息子───寺勝てらかつ

 真比登の娘───真佐流売まさるめ

 息子───阿真留あまる

 若大根売わかおおねめの娘───櫨根売はじねめ

 小鳥売ことりめの息子───橋足はしたり


 わらわら、わらわら。


 今は、鳥追いを教えている。

 小鳥売の息子以外、皆、畑仕事はしなくても良い身分のわらはたちだ。

 でも、こうやって、畑仕事を学ぶことは、きっと意味がある、と真比登は思う。

 

 真比登は、学のない男だ。

 武芸のことなら、わらはに教えてやれるが、あとは、畑仕事ぐらいしか、教えてやれない。 

 それでも、良いと思う。

 難しいことは、他の人が教えてくれる。若大根売わかおおねめの兄の三根人みねひととか。

 真比登は、父親として、心の触れ合い、生きるための正しい心、そういったものを、教えてやれれば、と思う。


 五人のわらはが、皆、枝を持って、笑顔で歌う。


「ワーホイ、ワーホイ、鳥追いだー、鳥追いだー。

 白稲しろちねねらはり、かもかもころはえ。

 かもかも、かもかも、上枝ほつえけなむ。

 ワーホイ、ワーホイ、鳥追いだー、鳥追いだ。」

「よーし、皆、うまいぞぉ!

 今日の畑仕事は、ここまで。

 さ、帰るかぁ。」


 真比登は明るい笑顔で童たちを見回すと、


「おとーたま!」


 娘の真佐流売まさるめが、ぽいっ、と枝を投げ捨て、てててっ、と走り、まっさきに真比登の足に抱きついた。


「おとーたま! お馬たん!」

「はいはい。」


 真佐流売まさるめの求めに応じて、真比登は膝をつく。

 真佐流売まさるめは、片足を地面につけて、よいしょ、と、片足を真比登の肩にのせ、真比登のもとどりをつかみ、もう片足も真比登の肩にのせる。

 真比登は真佐流売まさるめの立派なお馬さん(肩車)になった。


 真比登は、むん! と力こぶがでるよう、両腕に力をこめる。すると……。


「おとーたま!」


 息子、阿真留あまるが、ぴょーん、と飛んで、真比登の腕にぶらさがった。


「真比登さま!」

「マヒトたま。」

「マヒトたま!」


 残り三人のわらはも、わらわら、わらわら、真比登の両腕にぶらさがった。

 力自慢の真比登の力こぶにぶら下がるのが、皆、大好きなのだ。

 わらはたちは、生まれた時から、真比登の疱瘡もがさを見ている。

 自分たちのそれぞれ違う親が皆、真比登の疱瘡もがさを気にせず、彼を尊敬の目で見ている事を知っている。

 幼いわらはの目から見ても、素晴らしい美女の佐久良売さまが、疱瘡もがさのある力こぶに手をあて、嬉しそうにすりすりさすっているのを見ている。

 わらはたちは誰も、疱瘡もがさに触ることを忌避きひしない。


「よっ、と。」


 真比登は立ち上がる。

 真比登のもとどりを握った真佐流売まさるめが、


「高い高ーい!」


 と両足を真比登の肩でパタパタして喜ぶ。


真佐流売まさるめ、落ちないように気をつけるんだぞ。」

「うん!」


 両腕に鈴なりにぶら下がる四人のわらはは、


「わーい、真比登さま、力持ち!」

「きゃっ、きゃっ。」

「きゃらきゃら!」

「おとーたま、ちひゃらもち!」

 

 と騒がしく喜ぶ。

 真比登の肩上で、真佐流売まさるめが、


「おとーたま、だーいすきっ!」


 と、真比登の頭を、ぎゅっと抱える。


「はっはっは………。」


 真比登は楽しそうに笑い、空中に持ち上げた四人のわらはを、ぶーらぶーら、前後に揺すりながら歩く。


 童たちの笑い声とともに……。

 

 真比登は夕日に照らされ、土の道に長いひとつの影をつくり、愛する妻の待つ屋敷へ帰っていった。














     ───完───

 





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