第四十三話 心のひだに隠すのならば
「駄目だ。目を覚まさない。」
(
きっと、この
死者の恨み、呪いは恐ろしい。
「
「スプシ。」
「ふむ。」
その郷は、この
実力を持って自立し、この戰を静観している蝦夷の郷だ。
意弥戸をもとの郷に返してやる事ができれば一番良いのであろうが、もう郷はない。それは叶わない。
戦火から遠い、力のある
(おい、死者の
「よし、佐久良売さまを部屋にお送りしたら、そのスプシの郷に行き、この
「スプシに? ええ? 一年前に一回行ったきりだよ?」
源はそう言いつつ、鉄の
「直接行った事はないが、おおまかな地図なら頭に入ってる……。何してる、源?」
「
真比登は源をからかいたくなった。
「わかった。源、
「え、ええ? ……うーっ。イランカラプテ!(こんにちは。)
意弥戸が源を、馬鹿にしてるの? とでも言いたげな顔で見た。
「おまえそれ、さっき言ってたやつと同じだろ。」
「だーってよ! これ以外知らねぇもん!」
「ぶはっ!」
「ははっ、んもー、やめてよね。」
その様子を見て、意弥戸は、ほんの少し、くすり、と笑った。
意弥戸に続くよう目で訴えると、意弥戸は大人しくあとについて歩いた。
* * *
「ね、ねえ、名前教えてください。オレは
と声をかける。
この女官は、すっごく可愛い。それに、佐久良売さまに嘘がばれた時、ぼろぼろ泣きながら、身分が上の大川さまに、お恨み申し上げます、と物申した勇気を、源は忘れていない。
なんでかな。名前が知りたいです!
さっき、
なんでかな。
その後、きつく睨まれて、すごく悲しくなった……。
女官はちらりと源をふりかえり、
「あなたに教える名前はありません。偽物
と冷たく言って、前を向いた。
源は、しゅん、と悲しくうつむいた。
(お願い、許してよ……。)
「君の主を騙したの、ごめんよ……、謝るよ……。」
「つーん。」
女官はそっぽを向いた。
その会話を聞いてた
「お付きの女官殿。源がオレの偽物を演じたのは、オレの命令だ。源を責めないでやってくれ。
と女官に頭を下げた。
「つ……、つ……、つーん。」
と女官は顔をぎゅっとしかめて反対側のそっぽを向いたが、すぐに、
「わかりました……。」
と肩を落として、謝罪を受け入れた。源はすかさず、
「是非とも、名前を教えてください。」
とちょっと背伸びした、落ち着いた声音を出して言った。
女官は源を振り返り、むぅっと唇を突き出しながら、
「
と教えてくれた。
「ありがとうございます!」
源はにっこりと笑う。
「つ、つーん!」
と前を向いてしまった。
* * *
「佐久良売さま。安心して待っていてください。」
真比登は愛おしく美しい
部屋を離れるとき。
「イランカラプテ!(こんにちは)
大丈夫だよ!」
と言った。意弥戸は緊張をといて、うつむきがちに、真比登と源のあとについてきた。
源は、
(前は郷のなかには入れさせてもらえなかったからな。今回はスプシの郷のなかを見せてもらえるかな。なんか食べれるかな? ……真比登は真剣な顔してる。佐久良売さまが心配だよな。オレはこういう時、楽しみすぎちゃうからな。口は閉ざしておこう。)
と、浮き立つ気持ちを、胸の内にとどめる。
東へ、東へ。
* * *
※サッシクシ アン ワ
強すぎる陽の光に
オッタオカヤㇱ カ
沼の貝である私の居場所が
サッタ ワ オケレ
乾いてしまって
タン アナㇰネ ライアㇱ クッシキ
私は今にも死にそうです。
「ネンカタウッサ ワッカ アンクレ、
「誰か、誰か私に水をください、
ウンテムカ オッカイ!
助けていただきたいのです!
ワッカポ オハイ!」
水よ水よ!」
───ユーカラ(神謡)より。
* * *
馬に乗りながら、
「アペフチカムイ ウン エプンキネ ワ ウン コレヤン。」
と、そっと口にした。
一刻(二時間)を過ぎたか。
「この道だよ、間違いない。」
と
「スプシの郷だ。」
馬を降り、郷の門の前に行った。誰もいない。門は閉ざされている。
「うおーい……。」
と
「モ シマノ オカ ヤン!」
なんだが怒られた。
意弥戸は無言で、しゃらしゃらしゃら……、と白い貝殻の首飾りを鳴らし、タン、タン、と足を踏み鳴らし、物音を出した。
「フン ナ アン?」
無人かと思われた門のむこうから、男の声がした。意弥戸が落ち着いた声で、
「イランカラプテ。モムㇴプカㇿコタン オロ イムンペ セコロ クレへ アン。」
と告げる。
「アフプ。」
と
「馬たちは、小川の水を飲ませて、近くの木につないでおいたよ。塩も少しあげておいた。」
てくてく、
しばらくして、二十歳ぐらいの背の高い
「こんにちは。私は、スプセの、コタンコㇿクル……、
「悪い、けど、知らない日本人、郷に入れない。話す、ここで。」
「もちろん、かまわない。こちらとしては、
源が胸を張って、
「イランカラプテ!
と言った。アテリイは、フフ、と笑った。
「イランカラプテ。タムモィ アテリイ セコロ クレへ アン。私、君たちと、商売するから、すこし、喋れる。」
アテリイはそう真比登たちに告げたあと、意弥戸のほうをむいて、話し込みはじめた。意弥戸は、途中で、首にかけた白い貝殻の首飾りを触り、ぽろぽろ泣きながら話し続けた。
アテリイは長く、話に耳を澄ませ、時々、質問をしていた。
「わかったこと、わからないこと、ある。なぜ、イムンペ、連れてきた。」
「ここの郷で、この娘を引き取ってほしいんだよ。あ〜、伝えてくれるか? おまえの郷に返してやりたいが、もう、郷はない。ここで戦火を逃れ、幸せに暮らせ、と。」
アテリイがうなずき、意弥戸に話すと、意弥戸が怒涛の勢いでアテリイに話しはじめた。ちょっと戸惑った顔のアテリイが、
「なぜそこまで親切にしてくれる? おまえは、他の日本兵と違って……、うーん、
おまえが殺したのか? 正直に答えてほしい。」
「オレは直接、手はくだしてない。十五歳くらいの
その
「なぜ、親切にしてくれる?」
「その
意弥戸に話を伝えていたアテリイの口が止まった。
「どうした?」
「……おまえの話を信じよう。マヒト殿。ピッカ イムンペ。美しいイムンペ、という意味だ。もしこれが作り話なら、日本人から、この言葉は出てこない。」
アテリイが話を意弥戸に伝え終わった。
「アアアア───! カテイシ! カテイシ───!」
意弥戸は泣き崩れた。
「カテイシは、イムンペの主人だそうだ。カテイシが、イムンペに首飾りを贈った。戦に出る前に、無事を祈って、イムンペがカテイシに首飾りをかけた。そう言っていた。」
アテリイが教えてくれた。
「そうか……。意弥戸がここで無事に暮らしていけるよう、
「ふん、戸籍ね。」
アテリイが憎々しげに吐き捨てた。だが、憎しみを見せたのは一瞬。理知的な雰囲気にすぐに戻った。
「私がイムンペを引き受けよう。
「下人って……。」
「ああ、日本人は、見てわからないのか。イムンペは、下人だ。本人もそう言った。主人に愛されて、妻にしてもらうはずだった。だから、首飾りが立派なのに、衣の刺繍は、立派じゃない。」
「そうかよ……。」
風俗が違う。何も言うまい。
「源、薬草をイムンペに渡してやれ。少しの財産になるだろう。」
「
源は言われた通りにする。
「意弥戸を丁重に扱ってやってくれ。」
とアテリイに渡す。受け取ったアテリイは驚愕で目を見開いた。
「……これは……!」
「それだけで米六
「五位の
難しい言葉を使いすぎたか。
「貴族のことさ。」
「なぜ、こんな宝を……。」
「オレにとっても、ちょっとは惜しいさ。でも、カテイシだっけか? 死者の魂を
アテリイが目を細めて男らしく笑った。
「妻か。」
「えっ?! あっ、いやあ……。えへへ……、そんなんじゃ。」
それまでキリリと話をしていた
「恋してる人さ! すごい美人なんだよ! きっと妻になる!」
「コイツ! バカ!」
「あいてぇぇ!」
源が頭を抑えて涙目になる。アテリイが、ハハハッ! と大きな声で笑った。そのまま、
「この白い貝殻の首飾りは、もらって良いか、と
「ああ、その首飾りは、はじめから、意弥戸のものだ。あと、お礼、伝えるよ。」
「マヒト、ドノ、イヤイライケレ。」
「お礼を言ってる。」
「ああ、わかる。……どういたしまして。」
会話に一区切りつき、短い沈黙が降りた。源が、
「なあ、美味しいってなんて言うの? 教えてください!」
ちゃっかりアテリイに訊く。アテリイは、フフ、と笑い、
「ケラアン。」
「ケラアン。ありがとうございます!」
源はぴょこっと礼の姿勢をとる。真比登も聞きたい言葉があったことを思い出した。
「できたら、死者へ贈る言葉を教えてもらえないか?」
アテリイの気配が、すっと冷たくなった。
「それを訊いてどうする?
「…………すまない。思慮不足だった。」
真比登は
「人へ誠実に対応しない者はつまらない、悪い死に方をする。
マヒト殿は、スプセの郷の者ではないが、
アプンノ モコㇿ ヤン。安らかに眠れ、という意味だ。」
「アプンノ モコロ ヤン。」
「そうだ。ただし、マヒト殿が戦士の間は、口に出して言う事を禁じる。いつの日か、マヒト殿が戦士でなくなり、剣を置く日が来たら、祈ってくれ、
「……心のなかだけで、唱えるのは良いか?」
アテリイは頷いた。
「心の
「ありがとう、アテリイ殿。」
真比登は礼の姿勢をとった。アテリイは優しい目つきになった。
「この瑠璃の礼をしたい。私の屋敷でもてなそう。一晩、泊まっていけ。」
* * *
───あの
さあ、オレが迎えにいくよ。
* * *
※参考文献
『アイヌ神謡集』
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