第四十三話  心のひだに隠すのならば

 真比登まひと佐久良売さくらめさまを抱き上げた。


「駄目だ。目を覚まさない。」


意弥戸いみべ……、首飾りをオレにたくした蝦夷えみし男童おのわらは、たしか最後に、ピッカ イミベ、と言っていたな。やっと思い出したぜ。

 きっと、このおみなを、死者が案じている。意弥戸いみべを救わないと、佐久良売さくらめさまは目を覚まさないのかもしれない。)


 死者の恨み、呪いは恐ろしい。


みなもと、おまえ、どこの蝦夷えみしの郷に行ったことがある?」

「スプシ。」

「ふむ。」


 その郷は、この桃生柵もむのふのき攻めには加担かたんせず、かといって、日本におもねるのでもない。

 実力を持って自立し、この戰を静観している蝦夷の郷だ。


 意弥戸をもとの郷に返してやる事ができれば一番良いのであろうが、もう郷はない。それは叶わない。

 戦火から遠い、力のある蝦夷えみしの郷に逃がしてやるのが一番だ。


(おい、死者の男童おのわらはさんよ、それくらいの事情はわかるだろ?)


「よし、佐久良売さまを部屋にお送りしたら、そのスプシの郷に行き、このおみなを逃がす。道案内しろ。」

「スプシに? ええ? 一年前に一回行ったきりだよ?」

  

 源はそう言いつつ、鉄のよろいをテキパキ脱ぎ始めた。

 

「直接行った事はないが、おおまかな地図なら頭に入ってる……。何してる、源?」

よろいなんかつけてちゃ、戰に来たのかと警戒されるでしょ? ここに置かせてねーっ。」


 真比登は源をからかいたくなった。


「わかった。源、意弥戸いみべに、スプセの郷にこれからおまえを逃がす、安心しろ、って伝えろ。」

「え、ええ? ……うーっ。イランカラプテ!(こんにちは。) 韓国からくにのみなもとセコロ クレへ アン。(オレは韓国源です。)」


 意弥戸が源を、馬鹿にしてるの? とでも言いたげな顔で見た。


「おまえそれ、さっき言ってたやつと同じだろ。」

「だーってよ! これ以外知らねぇもん!」

「ぶはっ!」


 真比登まひとは笑う。


「ははっ、んもー、やめてよね。」


 みなもとも明るく笑う。

 その様子を見て、意弥戸は、ほんの少し、くすり、と笑った。

 みなもとのすすめに従い、真比登まひとの部屋に常備していた薬草を、みなもとに持たせる。

 真比登まひとが眠ったままの佐久良売さくらめさまを腕に抱き、時々名前を呼びながら、先頭で部屋を出る。

 意弥戸に続くよう目で訴えると、意弥戸は大人しくあとについて歩いた。

 若大根売わかおおねめと源が簀子すのこ(廊下)に続く。



   *   *   *



 みなもとは、佐久良売さくらめさま付きの女官に、


「ね、ねえ、名前教えてください。オレは韓国からくにのみなもとです。」


 と声をかける。


 この女官は、すっごく可愛い。それに、佐久良売さまに嘘がばれた時、ぼろぼろ泣きながら、身分が上の大川さまに、お恨み申し上げます、と物申した勇気を、源は忘れていない。


 なんでかな。名前が知りたいです!


 さっき、意弥戸いみべが泣くのが可哀想で、思わず背中をさすってあげようとして、指先が触れた。


 なんでかな。心臓しんのぞうが激しく脈打ちました!


 その後、きつく睨まれて、すごく悲しくなった……。



 女官はちらりと源をふりかえり、


「あなたに教える名前はありません。偽物軍監ぐんげん殿!」


 と冷たく言って、前を向いた。

 源は、しゅん、と悲しくうつむいた。


(お願い、許してよ……。)


「君の主を騙したの、ごめんよ……、謝るよ……。」

「つーん。」


 女官はそっぽを向いた。

 その会話を聞いてた真比登まひとが立ち止まり、振り返った。


「お付きの女官殿。源がオレの偽物を演じたのは、オレの命令だ。源を責めないでやってくれ。佐久良売さくらめさまを騙し、悲しませた。それを見ていた女官殿も、さぞやお辛かっただろう。女官殿にも謝罪する。」


 と女官に頭を下げた。


「つ……、つ……、つーん。」


 と女官は顔をぎゅっとしかめて反対側のそっぽを向いたが、すぐに、


「わかりました……。」


 と肩を落として、謝罪を受け入れた。源はすかさず、


「是非とも、名前を教えてください。」


 とちょっと背伸びした、落ち着いた声音を出して言った。

 女官は源を振り返り、むぅっと唇を突き出しながら、


倉木くらきの若大根売わかおおねめです。」


 と教えてくれた。


「ありがとうございます!」


 源はにっこりと笑う。

 倉木くらきの若大根売わかおおねめは、びっくりしたように、ぱちぱち、とまたたきしたあと、


「つ、つーん!」


 と前を向いてしまった。



   *   *   *



 真比登まひと佐久良売さくらめさまの部屋に行き、寝床にそっと佐久良売さまをおろした。


「佐久良売さま。安心して待っていてください。」


 真比登は愛おしく美しいおみなの寝顔をじっと見つめた。


 部屋を離れるとき。

 おみな二人と離れて、おのこ二人についてくるよう促された意弥戸いみべは、少し怯えた表情をした。

 みなもとがにこっと笑い、


「イランカラプテ!(こんにちは)

 大丈夫だよ!」


 と言った。意弥戸は緊張をといて、うつむきがちに、真比登と源のあとについてきた。

 源は、


(前は郷のなかには入れさせてもらえなかったからな。今回はスプシの郷のなかを見せてもらえるかな。なんか食べれるかな? ……真比登は真剣な顔してる。佐久良売さまが心配だよな。オレはこういう時、楽しみすぎちゃうからな。口は閉ざしておこう。)


 と、浮き立つ気持ちを、胸の内にとどめる。


 真比登まひと麁駒あらこまに、意弥戸を乗せ、源も軍馬で続く。北上川を東へ登る。

 東へ、東へ。




      *   *   * 





 ※サッシクシ アン ワ 

 強すぎる陽の光に


 オッタオカヤㇱ カ

 沼の貝である私の居場所が


 サッタ ワ オケレ 

 乾いてしまって


 タン アナㇰネ ライアㇱ クッシキ

 私は今にも死にそうです。


「ネンカタウッサ ワッカ アンクレ、

「誰か、誰か私に水をください、


  オッカイ! 

 助けていただきたいのです!


 ワッカポ オハイ!」 

 水よ水よ!」





      

   ───ユーカラ(神謡)より。



   *   *   *





 馬に乗りながら、意弥戸いみべが、遠い山々を見て、


「アペフチカムイ ウン エプンキネ ワ ウン コレヤン。」


 と、そっと口にした。

 真比登まひとには意味がわからなかったが、言葉の響きのおごそかさに、きっと、祈りの言葉だろうな、と思った。


 一刻(二時間)を過ぎたか。


「この道だよ、間違いない。」


 とみなもとに案内されて登った、川の支流が四つ集まる場所の近くに、大きな木の杭が柵となった、蝦夷の郷があった。


「スプシの郷だ。」


 馬を降り、郷の門の前に行った。誰もいない。門は閉ざされている。


「うおーい……。」


 と真比登まひとが大声を出したら、意弥戸が信じられない、という顔で真比登まひとを振り向き、


「モ シマノ オカ ヤン!」


 なんだが怒られた。

 真比登まひとはなんだか、しゅん、とした。

 意弥戸は無言で、しゃらしゃらしゃら……、と白い貝殻の首飾りを鳴らし、タン、タン、と足を踏み鳴らし、物音を出した。


「フン ナ アン?」


 無人かと思われた門のむこうから、男の声がした。意弥戸が落ち着いた声で、


「イランカラプテ。モムㇴプカㇿコタン オロ イムンペ セコロ クレへ アン。」


 と告げる。


「アフプ。」


 とおのこの声がし、門が開いた。門番二人は、真比登まひとを見て驚き、意弥戸いみべと話し込み、門番一人が郷のなかに駆けていった。


「馬たちは、小川の水を飲ませて、近くの木につないでおいたよ。塩も少しあげておいた。」


 てくてく、みなもとが真比登の傍にくる。

 しばらくして、二十歳ぐらいの背の高いおのこが、さっきの門番と一緒に戻ってきた。


「こんにちは。私は、スプセの、コタンコㇿクル……、郷長さとおさの息子、大墓公タムモィのきみの安弖理射アテリイ、です。このかばね、日本人がくれた。」


 まなじりがすっと切れた、強い武威ぶいを感じさせるおのこだった。


「悪い、けど、知らない日本人、郷に入れない。話す、ここで。」

「もちろん、かまわない。こちらとしては、大和言葉やまとことばが通じる相手がいて、助かる。オレは春日部かすかべの真比登まひと。こっちは……。」


 源が胸を張って、


「イランカラプテ! 韓国からくにのみなもとセコロ クレへ アン!」


 と言った。アテリイは、フフ、と笑った。


「イランカラプテ。タムモィ アテリイ セコロ クレへ アン。私、君たちと、商売するから、すこし、喋れる。」


 アテリイはそう真比登たちに告げたあと、意弥戸のほうをむいて、話し込みはじめた。意弥戸は、途中で、首にかけた白い貝殻の首飾りを触り、ぽろぽろ泣きながら話し続けた。

 アテリイは長く、話に耳を澄ませ、時々、質問をしていた。


「わかったこと、わからないこと、ある。なぜ、イムンペ、連れてきた。」

「ここの郷で、この娘を引き取ってほしいんだよ。あ〜、伝えてくれるか? おまえの郷に返してやりたいが、もう、郷はない。ここで戦火を逃れ、幸せに暮らせ、と。」


 アテリイがうなずき、意弥戸に話すと、意弥戸が怒涛の勢いでアテリイに話しはじめた。ちょっと戸惑った顔のアテリイが、真比登まひとに、


「なぜそこまで親切にしてくれる? おまえは、他の日本兵と違って……、うーん、おみなに罪深い事をしなかった。この首飾りの持ち主はどこにいる?

 おまえが殺したのか? 正直に答えてほしい。」

「オレは直接、手はくだしてない。十五歳くらいのおのこが、戰場でオレの足首をつかんだ。なかなかほどけない、強い力で。見たら、腹に傷があって、もう助からないとわかった。

 そのおのこから、首飾りをたくされたんだ。きっと、もう目が良く見えてなかったんだと思う。」

「なぜ、親切にしてくれる?」

「そのおのこは泣いて、最後に、ピッカ 意弥戸いみべ、と繰り返していた。……可哀想だった。」


 意弥戸に話を伝えていたアテリイの口が止まった。


「どうした?」

「……おまえの話を信じよう。マヒト殿。ピッカ イムンペ。美しいイムンペ、という意味だ。もしこれが作り話なら、日本人から、この言葉は出てこない。」


 アテリイが話を意弥戸に伝え終わった。


「アアアア───! カテイシ! カテイシ───!」


 意弥戸は泣き崩れた。


「カテイシは、イムンペの主人だそうだ。カテイシが、イムンペに首飾りを贈った。戦に出る前に、無事を祈って、イムンペがカテイシに首飾りをかけた。そう言っていた。」


 アテリイが教えてくれた。


「そうか……。意弥戸がここで無事に暮らしていけるよう、はからってくれると助かる。すでに、戸籍からは意弥戸の名前は消されている。新しい人生を歩んでほしい。」

「ふん、戸籍ね。」


 アテリイが憎々しげに吐き捨てた。だが、憎しみを見せたのは一瞬。理知的な雰囲気にすぐに戻った。


「私がイムンペを引き受けよう。下人げにんが一人増えても、かまわない。」

「下人って……。」


 真比登まひとの表情が曇る。


「ああ、日本人は、見てわからないのか。イムンペは、下人だ。本人もそう言った。主人に愛されて、妻にしてもらうはずだった。だから、首飾りが立派なのに、衣の刺繍は、立派じゃない。」

「そうかよ……。」


 風俗が違う。何も言うまい。


「源、薬草をイムンペに渡してやれ。少しの財産になるだろう。」

。」


 源は言われた通りにする。真比登まひとは、自分の帯から碧の瑠璃小尺るりのしょうじゃくを外した。それを、


「意弥戸を丁重に扱ってやってくれ。」


 とアテリイに渡す。受け取ったアテリイは驚愕で目を見開いた。


「……これは……!」

「それだけで米六こくはくだるまい。平城京の五位のかぶふりどもが喜んでつけるような品だ。手放す時は、足元を見られないようにしろ。みだりに日本人に見せるな。殺されて奪われかねん。」

「五位のかぶふり?」


 難しい言葉を使いすぎたか。


「貴族のことさ。」

「なぜ、こんな宝を……。」

「オレにとっても、ちょっとは惜しいさ。でも、カテイシだっけか? 死者の魂をしずめたい。オレの大事な人が、死者の願いに当てられてしまっている。大事な人を守る為なら、瑠璃小尺るりのしょうじゃくも惜しくはない。死者の為にしてやれる事は少ない。」


 アテリイが目を細めて男らしく笑った。


「妻か。」

「えっ?! あっ、いやあ……。えへへ……、そんなんじゃ。」


 それまでキリリと話をしていた真比登まひとが、顔を赤くしてデレデレっと笑った。源が大きな声で、


「恋してる人さ! すごい美人なんだよ! きっと妻になる!」

「コイツ! バカ!」


 真比登まひとは源の頭に拳骨を落としてやった。


「あいてぇぇ!」


 源が頭を抑えて涙目になる。アテリイが、ハハハッ! と大きな声で笑った。そのまま、意弥戸いみべと話をした。


「この白い貝殻の首飾りは、もらって良いか、といている。あと、紅い布をくれたおみなに、お礼を伝えてほしい、と。」

「ああ、その首飾りは、はじめから、意弥戸のものだ。あと、お礼、伝えるよ。」

 真比登まひとが笑顔で応じると、意弥戸が真比登を向いた。


「マヒト、ドノ、イヤイライケレ。」

「お礼を言ってる。」

「ああ、わかる。……どういたしまして。」


 会話に一区切りつき、短い沈黙が降りた。源が、


「なあ、美味しいってなんて言うの? 教えてください!」


 ちゃっかりアテリイに訊く。アテリイは、フフ、と笑い、


「ケラアン。」

「ケラアン。ありがとうございます!」


 源はぴょこっと礼の姿勢をとる。真比登も聞きたい言葉があったことを思い出した。


「できたら、死者へ贈る言葉を教えてもらえないか?」


 アテリイの気配が、すっと冷たくなった。


「それを訊いてどうする? 蝦夷エムチュを殺してから、言うのか。おまえは戦士だ。言わなくても、見ればわかる。蝦夷エムチュを殺す者に教える弔いの言葉はない。」

「…………すまない。思慮不足だった。」


 真比登は項垂うなだれた。アテリイはため息をついた。


「人へ誠実に対応しない者はつまらない、悪い死に方をする。

 マヒト殿は、スプセの郷の者ではないが、蝦夷エムチュを一人、助けてくれたのだ、教えよう。

 アプンノ モコㇿ ヤン。安らかに眠れ、という意味だ。」

「アプンノ モコロ ヤン。」

「そうだ。ただし、マヒト殿が戦士の間は、口に出して言う事を禁じる。いつの日か、マヒト殿が戦士でなくなり、剣を置く日が来たら、祈ってくれ、蝦夷エムチュの為に。」

「……心のなかだけで、唱えるのは良いか?」


 アテリイは頷いた。


「心のひだに隠すのならば。」

「ありがとう、アテリイ殿。」


 真比登は礼の姿勢をとった。アテリイは優しい目つきになった。


「この瑠璃の礼をしたい。私の屋敷でもてなそう。一晩、泊まっていけ。」





    *    *   *





 ───あの疱瘡もがさ持ち、馬で遠出しやがった。好都合だ。

 佐久良売さくらめさま。準備できたよ。お待たせ。

 さあ、オレが迎えにいくよ。







    *   *   *




 ※参考文献

 『アイヌ神謡集』 知里幸恵ちりゆきえ 岩波書店




    

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