第四十二話 意弥戸
「
と叫び、すかさず後を追う。お付きの若い女官も、
「佐久良売さまっ! お待ちください、いずこへ?!」
と真比登の後ろを走る。
早い。
「
と声をかけるが、
ドン!
「わっ!」
簀子を歩いていた鉄の
「な……、何?」
こいつは何かと役に立つ。
「おまえも来い、
「
西へ走る。兵舎を飛び出した。
(西か? 南か?)
西には牢屋がある。
南には高床式の
佐久良売さまは西に突き進んだ。
(牢屋か!)
牢屋の建物は、
「おい、なんだこの
「その
兵士の扱いの乱暴さに怒りが湧いた
「
見張りは真比登の顔を知っているのであろう、すぐに命令にしたがった。
自由になった佐久良売さまは、牢屋の格子から離れない。牢屋は真ん中に格子があり、左右で男女が分けられている。全部で六十人ほどの、健康状態の良い、童から三十代くらいまでの
戦の戦利品だ。
つ、と頬を涙がつたった。
(涙……!)
佐久良売さまが虚ろな顔つきで涙を流すのを見て、真比登は唇を噛み締めた。
「おい、その
と、佐久良売さまが指さす
見張り兵二人は顔を見合わせる。
「早くしろ!」
見張り兵が媚びた笑みを浮かべた。
「ひひ、ひひひ……。出したら連れていっちゃうんでしょう? 出せませんよ。」
「出す前に……。ちゃんとオレらに言いきかせていただかないと。」
見張り兵はニヤニヤと笑い、手をこちらに差し出してきた。
「ちっ!」
真比登は舌打ちし、少々惜しい、と思いつつも、
「うほぉっ!」
見張り兵達は極上の
「早く出せ!」
と鋭く言った。すぐに、鉄の鎖と
美人、なのだろうが、唇に青黒い入れ墨があり、真比登には美人なのかそうでないのか、判断がつきかねた。
髪は耳下で切りそろえられ、さらさらと揺れている。白くゴワゴワした衣に、藍色の細かい刺繍がなされている。耳飾りはしていない。
顔は怯え、目はせわしなく、見張り兵と真比登と源の間を行き来し、歯はカタカタと震えている……。
佐久良売さまはその
「ヒッ!」
それを見て、真比登は決めた。
「おい、その
この蝦夷の囚人たちは、全員、名前が控えてある。
見張り兵は
「えっ? それは
「黙れ! 病気で黄泉渡りした事にしておけ!」
「えええ……。怖いなあ、
兵士は再び手をさしだす。真比登の額に青筋が浮いた。
「おまえ……、さっきの琥珀の
「
と、さっと進み出た。
懐から、白地に細かい
その櫛を、見張り兵の差し出した手の上に迷いなく落とした。
「ひひ、ありがとうございます、お綺麗な女官さま。ひひひ……。」
見張り兵の一人が小さな机に紙の
もう一人の見張り兵が、佐久良売さまが手を握る
「おい、おまえ、名前を言え。エレへ! エレへ!」
と言った。
「…………。」
屈するものか、という顔で、見張り兵を
「おい、エレへ! エレへ!」
見張り兵は下人を打つ為の棒を手にした。
「イムンペ。」
とつぶやいた。
「い……、い……、い……、
倚子に座った見張り兵が、紙に書かれた名前のひとつに、墨で線を引きながら言った。真比登はふと気になって、
「その郷は、まだあるのか?」
と訊いた。
「いえ。郷ごと焼きました。もう消えた郷です。」
「そうか……。」
真比登の近くに立っていた見張り兵が、
「さ、これで良いですよ。ひひひ。もうその
真比登は最後まで言わせなかった。無言で、ニタニタ笑う見張り兵の左頬に右拳を叩き込んだ。
「ぶぉわうっ!」
見張り兵は吹っ飛び、壁にあたり、失神した。
「
と引き上げる。牢屋を去り際、
「……腐ってやがる。」
と心底、軽蔑する眼差しで見張り兵どもを一
真比登の部屋へ向かう。
佐久良売さまはずっと無言で、顔つきはぼんやりし、
部屋について、扉を閉めた
「イランカラプテ!
と言った。真比登はぎょっとした。
「な、なんだ今の?」
「こんにちは、オレは韓国源です、だよ、真比登。まずは挨拶!」
「喋れるのかよ?」
「ううん? あともう一つしか知らねっ。」
「それでもすごいな、おまえ……。」
「変わり者の兄がいてさ、薬売りをしながら、あちこちの国を歩いたんだ。
源はその兄が好きなのだろう、晴れやかな笑顔になった。
源は
「イランカラプテ! 韓国源セコロ クレへ アン!」
と繰り返した。
「……イムンペ セコロ クレへ アン。」
と言った。源はカッ、と全開の笑顔になった。頭の後ろに幻の
「エイタサ アタイェコㇿ!」
「ハ?」
意弥戸が信じられないものを見るような目で源を見た。
「なんだ、どういう意味だ?」
「もっと安くして! だよ。商売の基本。」
「おまえ……。ぶふっ!」
思わず真比登は吹いてしまった。くくく、と笑ってると、
意弥戸は次に、困ったように、手をつかんで離さない佐久良売さまを見た。
その目が佐久良売さまの首もとに向う。
「……クコッタマサイ!」
目の色をかえ、意弥戸は叫び、佐久良売さまの手をふりはらい、白い貝殻の首飾りを
佐久良売さまは力を失い、後ろにふらりと倒れる。
「佐久良売さま!」
「大丈夫か! 佐久良売さま!」
と声をかける横で、
「アアアア……。」
と泣き出した。
「エアニ タンペ エイッカ ルウェ アン? カテイシ フナㇰ タ アン? アアアア……。
エネパカㇱㇴ ワ エンコレ。カテイシ……。アアアア……。」
膝からくずれ、その場に座り込み、
* * *
「
と、
「静かにして!」
と一声で黙らせ、佐久良売さまの腕をとり
……
「……脈は落ち着いて、心配はいらないようです。」
「わかるのか?」
「
「わかった。」
「佐久良売さま……。」
と優しく声をかけはじめた。
(ん? お付きの女官であるあたしが入り込めない雰囲気……。
傍では、蝦夷の娘が泣き続けている。
(
そう思うものの、その泣き声は、聞き続けるにはあまりにも、悲しい。
(
そう思うと、胸が傷んだ。
背中にまわした指先が、誰かの指に触れた。
ちょうど、
優しい。
(でも、嫌い! 佐久良売さまを騙して縁談の席についた
きっ、と
「ねぇ……、ほら、これ、顔をお拭きなさい。あげるから。」
と、自分用の紅い
娘は、
「アアア……、アアア……。」
と泣きながら紅い手布を受け取り、目に押し当てた。ひっく、ひっく、としゃくり上げながら、
「イヤイライケレ……。」
と言った。きっと、ありがとう、だ。
「いいのよ。」
娘はコクン、と
言葉が通じなくても───。
心は、通じる。
* * *
※著者より。
あえてイムンペの言葉に注釈はつけません。言葉が通じ合わないむず
ひねった言葉は口にしていないので、なんとなく「こう言ってるのかな」と想像できる範囲のことを、イムンペは喋っています。
↓挿絵です。
https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818023212070855802
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