第四十二話  意弥戸

 佐久良売さくらめさまが、白い貝殻の首飾りをかけてから、顔つきがおかしくなり、ぶつぶつ、と何事かつぶやいたあと、すさまじい早さで真比登まひとの部屋を飛び出した。真比登は、


佐久良売さくらめさま?!」


 と叫び、すかさず後を追う。お付きの若い女官も、


「佐久良売さまっ! お待ちください、いずこへ?!」


 と真比登の後ろを走る。

 簀子すのこ(廊下)を西へ駆ける。

 早い。

 真比登まひとは走りながら、


佐久良売さくらめさま、止まって下さい!」


 と声をかけるが、佐久良売さくらめさまは振り返らず、駆ける速度もゆるめない。


 ドン!


「わっ!」


 簀子を歩いていた鉄のよろい姿の韓国からくにのみなもとと、佐久良売さまがぶつかった。源が飛ばされ、佐久良売さまは脇目も振らず駆ける。源はびっくり顔で尻もちをついた。


「な……、何?」


 こいつは何かと役に立つ。


「おまえも来い、みなもと! 佐久良売さまを止めろ!」

!」


 西へ走る。兵舎を飛び出した。


(西か? 南か?)


 西には牢屋がある。

 南には高床式の宝物殿ほうもつでんがある。小さな敷地は檜垣ひがきで囲まれ、なかに獰猛な野犬が放ってある。


 佐久良売さまは西に突き進んだ。


(牢屋か!)


 牢屋の建物は、が悪いことに扉が開いていた。佐久良売さまは迷わず牢屋の建物に駆け込んだ。


 






「おい、なんだこのおみな! 離れろ!」


 真比登まひとらが薄暗い建物のなかへ入っていくと、牢屋をへだてる木の格子こうしを佐久良売さまがつかみ、すがりつき、それをはがそうと、二人の見張りの兵が佐久良売さまの肩に手をかけていた。


「その郎女いらつめに触るな!」


 兵士の扱いの乱暴さに怒りが湧いた真比登まひとは怒鳴った。その声は牢屋にとどろいた。


!」


 見張りは真比登の顔を知っているのであろう、すぐに命令にしたがった。

 自由になった佐久良売さまは、牢屋の格子から離れない。牢屋は真ん中に格子があり、左右で男女が分けられている。全部で六十人ほどの、健康状態の良い、童から三十代くらいまでの蝦夷えみしが入れられている。


 戦の戦利品だ。

 下人げにんとして、随時ずいじ、奈良へ送られている。蝦夷えみしは独特の入れ墨がある。衣もそうだが、一目で、蝦夷だと分かる。平城京の方々に、珍しい愛玩品として人気があり、価値があるという……。


 蝦夷えみしおのこらからは敵意を、おみなたちからは怯えを感じる。佐久良売さまはおみなたちが入れられている牢屋のほうの格子に、ひた、と身体をよせ、中を凝視している。右手をあげ、一人を指さした。

 つ、と頬を涙がつたった。


(涙……!)


 佐久良売さまが虚ろな顔つきで涙を流すのを見て、真比登は唇を噛み締めた。


「おい、そのおみなを出せ。」


 と、佐久良売さまが指さすおみなを真比登も指差す。

 見張り兵二人は顔を見合わせる。


「早くしろ!」


 見張り兵が媚びた笑みを浮かべた。


「ひひ、ひひひ……。出したら連れていっちゃうんでしょう? 出せませんよ。」

「出す前に……。ちゃんとオレらにいただかないと。」


 見張り兵はニヤニヤと笑い、手をこちらに差し出してきた。賄賂わいろをよこせ、という事だろう。


「ちっ!」


 真比登は舌打ちし、少々惜しい、と思いつつも、琥珀こはくかんざしを引き抜き、見張りの兵士に放った。


「うほぉっ!」


 見張り兵達は極上のかんざしに色めき立った。真比登は、


「早く出せ!」


 と鋭く言った。すぐに、鉄の鎖とじょうが、格子からはずされ、一人の十六歳くらいのおみなが中から引きずり出された。

 美人、なのだろうが、唇に青黒い入れ墨があり、真比登には美人なのかそうでないのか、判断がつきかねた。

 髪は耳下で切りそろえられ、さらさらと揺れている。白くゴワゴワした衣に、藍色の細かい刺繍がなされている。耳飾りはしていない。

 顔は怯え、目はせわしなく、見張り兵と真比登と源の間を行き来し、歯はカタカタと震えている……。

 佐久良売さまはそのおみなを見て、悲しそうに泣きながら、抱きついた。


「ヒッ!」


 おみなは驚きの声をあげるが、佐久良売さまの抱擁ほうようは優しい。長い抱擁を終えたあと、佐久良売さまはそのおみなの手を握った。離す気配はない。

 それを見て、真比登は決めた。


「おい、そのおみなはこの軍監ぐんげん春日部かすかべの真比登まひとがもらっていく。枝文えだふみから名前を削っておけ。」


 この蝦夷の囚人たちは、全員、名前が控えてある。

 見張り兵はいやしい笑いを浮かべた。


「えっ? それは流石さすがに……。一晩楽しんだら、返してもらわないと、オレらも困っちまいますよ。」

「黙れ! 病気で黄泉渡りした事にしておけ!」

「えええ……。怖いなあ、軍監ぐんげん殿は。わかりましたよ、そのかわり……。」


 兵士は再び手をさしだす。真比登の額に青筋が浮いた。


「おまえ……、さっきの琥珀のかんざし一つで三こく(米450キロ)はくだらねえぞ……。」


 若大根売わかおおねめが、


軍監殿ぐんげんどの。ここは。」


 と、さっと進み出た。

 懐から、白地に細かいさくらの刺繍がされた錦の小袋をだし、なかから立派なくしをとりだした。蜉蝣あきづを象った細工で、ところどころ、金色に塗ってある。

 その櫛を、見張り兵の差し出した手の上に迷いなく落とした。


「ひひ、ありがとうございます、お綺麗な女官さま。ひひひ……。」


 見張り兵の一人が小さな机に紙の枝文えだふみを広げ、倚子に座り、筆をとった。

 もう一人の見張り兵が、佐久良売さまが手を握るおみなに、乱暴な口調で、


「おい、おまえ、名前を言え。エレへ! エレへ!」


 と言った。おみなは怯えながらも、


「…………。」


 屈するものか、という顔で、見張り兵をにらんだ。


「おい、エレへ! エレへ!」


 見張り兵は下人を打つ為の棒を手にした。おみなはすぐ下を向き、


「イムンペ。」


 とつぶやいた。


「い……、い……、い……、意弥戸いみべ。出身は、紋布蚊モンプカの郷、と。」


 倚子に座った見張り兵が、紙に書かれた名前のひとつに、墨で線を引きながら言った。真比登はふと気になって、


「その郷は、まだあるのか?」


 と訊いた。


「いえ。郷ごと焼きました。もう消えた郷です。」

「そうか……。」


 真比登の近くに立っていた見張り兵が、


「さ、これで良いですよ。ひひひ。もうそのおみなはここに居ないおみなです。ひひひ。腹上死でも……。」


 真比登は最後まで言わせなかった。無言で、ニタニタ笑う見張り兵の左頬に右拳を叩き込んだ。


「ぶぉわうっ!」


 見張り兵は吹っ飛び、壁にあたり、失神した。


郎女いらつめの耳に汚らわしい言葉を聞かせるんじゃねぇよ。……邪魔したな。行くぞ。」


 と引き上げる。牢屋を去り際、みなもとが、


「……腐ってやがる。」


 と心底、軽蔑する眼差しで見張り兵どもを一べつした。


 真比登の部屋へ向かう。

 佐久良売さまはずっと無言で、顔つきはぼんやりし、意弥戸いみべの手を握り、離さない。



   





 部屋について、扉を閉めた途端とたん意弥戸いみべが緊張で身体をびくっと強張こわばらせた。福耳の源が、にかっと笑いながら、


「イランカラプテ! 韓国からくにのみなもとセコロ クレへ アン!」


 と言った。真比登はぎょっとした。


「な、なんだ今の?」

「こんにちは、オレは韓国源です、だよ、真比登。まずは挨拶!」

「喋れるのかよ?」

「ううん? あともう一つしか知らねっ。」

「それでもすごいな、おまえ……。」

「変わり者の兄がいてさ、薬売りをしながら、あちこちの国を歩いたんだ。蝦夷えみしの郷にも、一緒に行ったぜ。見知らぬ場所を見てまわりたいっていう、ほとんど趣味みたいなものだったから……。」


 源はその兄が好きなのだろう、晴れやかな笑顔になった。

 源は意弥戸いみべへ向き直り、大声で、


「イランカラプテ! 韓国源セコロ クレへ アン!」


 と繰り返した。意弥戸いみべは始めは胡散うさんくさそうに警戒し、源を見ていたが、やがて、小さな声で、


「……イムンペ セコロ クレへ アン。」


 と言った。源はカッ、と全開の笑顔になった。頭の後ろに幻の後光ごこうが差して見えた。


「エイタサ  アタイェコㇿ!」

「ハ?」


 意弥戸が信じられないものを見るような目で源を見た。


「なんだ、どういう意味だ?」

「もっと安くして! だよ。商売の基本。」

「おまえ……。ぶふっ!」


 思わず真比登は吹いてしまった。くくく、と笑ってると、意弥戸いみべの視線を感じた。意弥戸は緊張を少しほどいたように見える。

 意弥戸は次に、困ったように、手をつかんで離さない佐久良売さまを見た。

 その目が佐久良売さまの首もとに向う。


「……クコッタマサイ!」


 目の色をかえ、意弥戸は叫び、佐久良売さまの手をふりはらい、白い貝殻の首飾りをつかみ、首から一気に上に引き抜いた。

 佐久良売さまは力を失い、後ろにふらりと倒れる。


「佐久良売さま!」


 真比登まひとは佐久良売さまを背中からしっかと支えた。佐久良売さまは意識を失っている。


「大丈夫か! 佐久良売さま!」


 と声をかける横で、意弥戸いみべが首飾りを胸に抱きしめ、


「アアアア……。」


 と泣き出した。


「エアニ タンペ エイッカ ルウェ アン? カテイシ フナㇰ タ アン? アアアア……。

 エネパカㇱㇴ ワ エンコレ。カテイシ……。アアアア……。」


 膝からくずれ、その場に座り込み、哀哭あいこくした。



   *   *   *



 若大根売わかおおねめは、


佐久良売さくらめさま、目を覚ましてくださいませ!」


 と、軍監ぐんげん殿の腕のなか、気を失った佐久良売さまに声をかけるが、すぐに目を覚まさないと見てとるや、軍監ぐんげん殿を、


「静かにして!」


 と一声で黙らせ、佐久良売さまの腕をとり脈診みゃくしんをする。

 ……蝦夷えみしの娘の泣き声が大きく、気が散る。若大根売わかおおねめは眉根を詰めたが、静かにして、という言葉をこの娘に言うことは無意味だ。


「……脈は落ち着いて、心配はいらないようです。」

「わかるのか?」

頻脈ひんみゃくかどうかの、見分けくらいです。細かい異常はわかりません。今はただ、眠っているようです。うらぶれ(魂が身体から離れる、気が狂った状態)が怖いので、名前を呼んで、起きるのを待ちましょう。」

「わかった。」


 軍監ぐんげん殿は、ほっ、と安心の息を吐いてから、ひたむきで熱のこもった眼差しを佐久良売さまに向けた。全身から、腕に抱いた郎女いらつめあんずる誠実さをあふれさせ、鳥の羽毛うもうがくすぐるような甘美かんびな声で、


「佐久良売さま……。」


 と優しく声をかけはじめた。


(ん? お付きの女官であるあたしが入り込めない雰囲気……。なんぞコレ。この益荒男ますらおめ……。)


 若大根売わかおおねめはジト目になりそうな自分を必死に抑える。

 傍では、蝦夷の娘が泣き続けている。


桃生柵もむのふのきを襲う憎い蝦夷の娘。言葉の通じない娘。同情なんかしないわ。)


 そう思うものの、その泣き声は、聞き続けるにはあまりにも、悲しい。若大根売わかおおねめは、娘を見た。


軍監ぐんげん殿が佐久良売さまに声をかけ続けてる。この悲しそうに泣く娘には、声をかける人はいない……。)


 そう思うと、胸が傷んだ。

 若大根売わかおおねめは自然と娘の隣に膝をつき、娘の顔をのぞき込みながら、背中をさすった……。

 背中にまわした指先が、誰かの指に触れた。

 若大根売わかおおねめが目線をあげると、偽物軍監ぐんげん殿、福耳のおのこがいた。

 ちょうど、若大根売わかおおねめと同じことを思って、この蝦夷えみしの娘を慰めようと、背中に手を当てたのだろう。

 優しい。


(でも、嫌い! 佐久良売さまを騙して縁談の席についたおのこ!)


 きっ、と若大根売わかおおねめめは福耳のおのこにらんだ。おのこひるんだ。

 若大根売わかおおねめは、背中から手を離し、娘の腕をさすり、なるべく優しい喋り方で、


「ねぇ……、ほら、これ、顔をお拭きなさい。あげるから。」


 と、自分用の紅い手布てぬのを懐から出し、娘に差し出した。きっと、囚われのこの娘は、手布てぬの一つ、自由にできないはず。あたしは、沢山持ってるから。

 娘は、


「アアア……、アアア……。」


 と泣きながら紅い手布を受け取り、目に押し当てた。ひっく、ひっく、としゃくり上げながら、


「イヤイライケレ……。」


 と言った。きっと、ありがとう、だ。


「いいのよ。」


 若大根売わかおおねめは微笑んで言った。

 娘はコクン、とうなずいた。

 言葉が通じなくても───。

 心は、通じる。


  

 

 *   *   *




 ※著者より。 

 あえてイムンペの言葉に注釈はつけません。言葉が通じ合わないむずがゆさを、登場人物達は味わっています。読者さまには、登場人物と同じ気持ちで、イムンペを見つめていただきたいです。

 ひねった言葉は口にしていないので、なんとなく「こう言ってるのかな」と想像できる範囲のことを、イムンペは喋っています。





↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818023212070855802




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